16
ルナ=メイベルは夕食の準備をしていた。
流れる様な動作で手際よく動いていたが、突如動きを止めて、虚空を見上げた。
「……来ましたか」
そう呟くと、鍋の火を消し、厨房を出た。
アイリス達の部屋に向かう足取りは、普段と変わらない。
これから、殺し合いが始まる事を理解していながら、微塵の動揺も抱いていない。
彼女にとっては計画通りの事であり、問題など何一つ………。
と、そこで足を止めて、
「ちょっと、数が多すぎませんか?」
小さく呟いた。
「皆さん、お客さんが来たので表に出てください」
という、ルナの言葉でアイリス達はまたも舘の前に集まった。
アイリスが周囲を警戒すると、直ぐに殺気混じりの人の気配が複数感じられた。
どうやらルナさんの非情の手紙作戦がうまくいったらしい。
だが、この敵は……。
「前の暗殺者よりも随分とレベルが低そうですわ」
カトリーナがアイリスが内心で思っていた事を口にした。
前の暗殺者は至近距離まで近付かれなければ気配が分からなかった。
だが、今度の奴等は林の向こうにいながら、気配が感じとれる。
比べれば明らに技量が違う。これならば問題なく倒せる……。
「油断しないように、これだけいれば技量の低い者もいるというだけの話しです。油断していると死にますよ」
「油断なんてしていません! ……これだけ?」
「ええ。全員で54名です」
「「54人!?」」
アイリスとカトリーナの声が揃った。
「ええ、次に来るのは、精々10人強だと予測していたのですが……」
もしかして暇なんですかね…とため息をつくルナさんにアイリスはまず呆気にとられ、次に盛大に詰めよった。
「どうするんですか! どうするんですか! どうするんですか! 私たち4人ですよ! しかも、一人は護衛対象で一人はニートですよ!?」
ここでアルトが、
「ニートって誰のことだよ…」
と、ぼそっと呟いたが、女性三人は無視した。
「そうですね……とりあえず実力を見てみますか。あなた達は下がっていなさい」
そう言って、ルナはすたすたと前にでた。
そのまま、森に差し掛かった所で森の中の気配の主が動いた。
三人。刃を片手にルナに突っ込んで来た。
ルナもナイフを構え三人に向かったていく。
そのままぶつかると思いきや、直前で三人が引いた。
次の瞬間、森のあちこちから表れた黒ずくめ共がルナに向かって魔法を放った。
「ルナさん!」
「いや、避けていますわ!」
カトリーナのいう通りルナはかわしていた。
だが、敵の攻撃は終わっていなかった。
時間差を置いて次々に魔法を撃ち込まれる。
炎弾が、氷塊が、雷撃が、風刃が、光線が、
一人に撃ち込むには、過剰とも言える数がルナに向けられた。
が、彼女は生きていた。
時に避け、時にナイフを投げ、魔法に当てる事で誘爆させ、あまつにはナイフで魔法を切り裂いていく。
「本当に、なんなんですのあの女は?」
カトリーナが感嘆の声をあげた。
口には出さなかったがアイリスも同感だった。
二人が半ば見とれていると、敵は新たな攻めかたをした。
彼女の足元に石の様な者を投げ込んだ。 それらは、即座に白い煙を上げ、彼女の視界を奪った。
煙幕。そして、森から飛び出した4つの黒い影が白刃をきらめかせ煙幕に突入した。
「ル、ルナさん!」
アイリスは叫んだ。
「はい」
返事は隣からだった。
「ええっ!? いつの間に!?」
「煙幕に合わせて、瞬歩で戻って来ました」
彼女はなんでもない事のように言っているが、超高等技術だ。底知れ物をアイリスは感じた。
一方、ルナはたんたんと現状を把握していた。
「さて、とりあえず試してみましたが、一人も倒せずに、おめおめと戻って来ました」
煙幕がはれ、暗殺者たちは4人立っていた。
実はルナは戻り際に彼らにナイフを投げていたのだ。
安全に退避するための牽制という意味合いが強かったが、それでも全員無傷というのは意外だった。
「個人の質がいい。連携もとれている。こちらが少数でも油断していない上に、いまの正面からの攻撃の裏で、きっちり私たちを包囲している。リーダーはたいした実力の持ち主ですね」
ルナの言葉でアイリス達も敵が側面や舘の裏手がわにまで回られたことに気がついた。
アイリスは絶対絶命だと思った。
実際、ルナさんのいう通り、敵の質がいい。
1対1でなら勝てると思う。が、3対1、いや2対1でも勝てるかどうかの敵が何人かいる。もしかしたら、それ以上もいるかもしれない。それがこちら4人で相手が50人以上だ。しかも包囲された。
この状況で勝てると思えない。
だったらどうするか…。
アイリスは覚悟を決めた。
「ルナさん、私達が囮になります。ルナさんはカトリーナを連れて逃げて下さい。あなたなら突破口を開く事もできるはずです」
それに反応したのはカトリーナだった。
「アイリス!! なにを馬鹿馬な事を!!」
「カトリーナ。あなたには生きてやるべき事があるでしょう」
「だからといって、それではあなた達が!」
「国の為に、民の為に命をかけるのが騎士でしょう」
そう言ってカトリーナをまっすぐに見つめた。
「カトリーナ。貴方に領主としての才能があるかは私には分からない。でも、貴方が民の為に全力を尽くせる人間だって事は分かっているわ。こんな風に、邪魔者を次々に殺していく奴なんかより、ずっと領主にふさわしいと思っている」
「アイリス…」
「だから行って。貴方の命を護る事が私達の使命なんだから」
アイリスの言葉にカトリーナは震えながら、
「わかりました。あなた達の命、けっして無駄にはしません」
そう宣言した。
普段、いがみあってばかりの二人だったが今だけは心は繋がっていた。
そんな二人にの空気をぶち壊す人がいた。
「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、その案は却下します」
「「えっ?」」
何故?
「私が陛下から承ったのはカトリーナ様の護衛とカトリーナ様を狙ってくる暗殺者の始末です。よって今から、彼らを始末します」
「…でも50人以上ですよ」
「問題ありません。54人というのは予想以上でしたが、好都合でもあります。恐らくベルーの配下の暗殺者全てがここにいるのでしょう。一網打尽です」
「…でも50人以上ですよ。勝てるんですか?」
「大丈夫です。相手の戦力が予想より上だった場合の策も用意してあります」
そう言ってルナはポケットから鍵を取り出した。
アイリスにはそれが何の鍵なのか直ぐに分かった。
迷宮の門の鍵だ。とっての先に86という数字が刻まれている。
ルナは鍵を虚空に突き刺すと時計回りにひねった。
すると大気が歪み、そして門が表れた。
門の扉は開けていて、その奥は空間が渦巻くように歪んでいた。
門のおどろおどろしい装飾は番号が高い証拠だ。
ルナは門を開くと、
「では、いってらっしゃい」
そう言って、アイリスとカトリーナを門の中に放り投げた。
「へ?」
「…は?」
という声を残して二人は消えた。
二人とも優秀な騎士なのだが、あまりにも唐突な展開が理解出来なかった事と、ルナ本人の技量とが相まって、何の抵抗も出来ずに門の中に吸い込まれていった。
「これで彼女達が暗殺者に殺される事はなくなりました」
一仕事おえたルナは坦々とそんな事をいった。
残されたアルトは引きった表情でルナを見つめた。
いや、そりゃ確かに、これで暗殺者からは逃げれたのかも知れないが、だからと言って何の準備もなく、事前説明もなく迷宮に放り込むか?
しかも、放り込んだ迷宮は『生か死か……それとも死か』と言うキャチコピーの80番台の迷宮だ。
流石にひでぇ……。アルトはそう思った。
そんなアルトにルナが言ってた。
「アルト。あなたも迷宮に避難して下さい」
アルトはつい笑いそうになった。『迷宮に避難』初めて聞いた言葉だ。
そんな気持ちを押さえて聞いた。
「俺もいくのかよ」
「もちろん」
ルナは肯定した。
「86番の迷宮は敵の力量は低い。あの二人なら問題ありません。しかし、86番の迷宮の本質は知恵比べです。アイリスには厳しいでしょう。彼女達が突破できるかはカトリーナ様次第ですかね。アルト、二人がてこずるようでしたら手を貸してあげなさい」
「俺だって別に頭よくないけど?」
「『刻印』の魔法を使いなさい。それで、問題ないはずです」
ただし、とルナは付け加えた。
「それ以上は使わないように、もし彼女達に見られた場合は……悲しい事になるでしょうね。彼女達にとっても、あなたにとっても」
悲しい事とは具体的にどんなだ?
そう思ったがアルトは問いかけたりはしなかった。
今でも、背筋が寒すぎる。
「まあ、一番よいのは、彼女達が自力で突破して、あなたは何時もの様に何もしない事ですけどね……では、いってらっしゃい」
ルナのいってらっしゃいに覚悟を決めた。
「仕方ねえな、楽しい楽しい迷宮攻略だぜ」
別に楽しくもなんともないのだが、ちょっぴりやけくそだった。
迷宮に飛び込んだアルトにルナが言った。
「お夕飯は用意しておきますので、お夕飯までには帰ってきて下さい」