12
「暇ですわ……」
カトリーナがうんざりした表情で言った。
「……」
アイリスは返事こそ、しなかったが内心では同感だった。
初日にこの部屋に通され、『用事がないかぎりこの部屋にいてください。アイリスも一緒に寝泊まりしなさい』とルナに言われてから早3日、お互いかなりヤバイ精神状態になっていた。
部屋にずっと閉じ籠っている閉塞感。
暗殺者に狙われていかもしれないと言う緊張。
決して仲がよいとは言えない……むしろ衝突ばかりのアイリス達が同じ部屋で過ごすこと。
まるで底なし沼にじわりじわりと入り込むような不快感がある。
そんな状況に先にカトリーナが切れた。
「もう限界ですわ。今からこの舘をでてゴルドの町に向かいます!」
「駄目に決まっているでしょう。この部屋で待機するようルナさんに言われているんだから」
アイリスそうは言いながらも自分達には不向きな状況だと自覚せざるを得なかった。
アイリスが護衛任務に向いていない事以上に、カトリーナが護衛される事に慣れていない。
彼女は今まで護衛する側だったのだから。
「あのじみ女の言う事を聞く必要があるのですか!? と言うより今、私はほんとうに護衛されているのですか? ここ、人気のない森の中ですわよ。暗殺者からすれば殺して下さいと言っているようなものではないですか!?おまけに隊長は逃げ去りましたし……こんな事で黒い風を相手にできますの!?」
「………」
カトリーナの言葉にアイリスは沈黙するしかなかった。
アイリスとしてはまずルナさんの弁護をしたかったのだが、彼女がじみ……控えめな女性である事は事実だし、彼女の能力をアイリスは知らない。アイリスが知る彼女の長所は料理や掃除やガーデニング等護衛の任務に必要がないものばかりと、どうにも弁護しずらかった。
また率直に言ってカトリーナを王命隊で護衛するのはアイリスにも疑問だった。
先程、彼女が言った様に人気のない森の中なのだ。王宮の中の方がよほど安全に思える。
陛下はよほど王命隊を信頼しているのか……それとも外に意図があるのだろうか?
そして隊長に関しては……うん、弁護の必要性が一切感じない。
そして、聞き逃せない言葉が1つ、
「黒い風って……なに? 」
「…ベルーの抱える暗殺集団の名ですわ」
「…そう言う事は初日に言ってよ。……それでそいつらは本物って訳じないんでしょ」
アイリスは不愉快な表情を隠さず言った。
『クルルアルトの黒い風』、そう呼ばれる悪い噂がある。
クルルアルトが騎士の国と国の内外から呼ばれるのはこの国への侵略を陛下率いる騎士団が退けて来たからだ。
数十年前、大陸の大半を手中に納め、また残りの全てを手に入れようとする『強欲の暴君』の百万軍団を退けた事を始まりに、その後、数々の危機をくぐり抜けて来た。
『ガラストリの勇者』、『雷帝』、『ココリスの魔女』、『帝国の蒼刃』。
今も大陸の歴史に残る強者どもを相手に兵力としては5万程度のクルルアルトが生き残ってきたのだ。
故にクルルアルトは騎士の国と呼ばれるのだが、世の中には1つの事実に複数の解釈が存在し、中には称賛ではなく揶揄や嘲笑を交えた解釈もある。
クルルアルトが不敗の歴史を刻んできたのは実力ではなく、たまたま運が良かっただけなどという説はまだかわいい方で、中には、クルルアルトには極秘の暗殺集団が存在していて、敵対国の要人を排除してきたからだ、などと言った悪意に満ちた説もある。
ただ、敵対国の要人がクルルアルトにとって都合のいいタイミングで亡くなった事は幾度かあり、この暗殺説は意外と根深いものがある。
その暗殺集団の名前を人々はクルルアルトの黒い風……そう呼んでいる。
アイリスにとってはこれまでの騎士達の苦労を無かった事にする言語道断な意見だ。
カトリーナにとっても同様で顔をしかめながら言った。
「もちろん、黒い風なんてものは、根も葉もない噂に過ぎませんわ。そんな下らない噂にあやかって黒い風と名乗る馬鹿どもがベルーの配下にいるというだけの話ですわ」
ただ、
「腕はたつようです。これまで、ベルーに敵対したものは例外なく殺されているという話です」
と、付け加えた彼女の表情は少し青ざめて見えた。
―― 不安なのだろうか?
そう思ったが、すぐに考え直した。
暗殺者に狙われて何も考えない奴はいない。 不安に決まっているのだ。
そもそも、騎士の道を歩いていたカトリーナに、突然ゴルドの領主というポジションが回ってきたのだ。
カトリーナの生まれはここ王都なのでゴルドには知り合いもいないだろうし、馴染みもない。
そんな場所の領主になることは、不安だろう。
それだけじゃない。アイリスはカトリーナと仲が悪く、衝突を繰り返していたが、それ故に、お互いの事を理解している事もある。
「カトリーナ」
「なんですの? 」
「カトリーナは、騎士を止める事に、後悔はないの?」
騎士から領主への変遷。人はそれを出世だとか、幸運と呼ぶだろうが、カトリーナにはそうではない。
彼女もまた、騎士として、生涯を生きるつもりだったから。アイリスと同じく。
「後悔がないと言ったら嘘になりますわね」
でも…と彼女は続けた。
「貴族として…、そして、騎士として、民を守る事が責務ですわ。その為ならば、喜んで領主の役目を果たしてみせますわ」
そう力強く言いきった。
そんなカトリーナにアイリスは、
「えらい」
と、言った。そして、
「あなたは高慢ちきで、うぬぼれやで、嫌みったらしくて、おまけにちょっと間がぬけているけど、一番大切な所は真っ直ぐよ。そこはえらいわ」
「ぶっ殺しますわよ!」
そんな物騒な言葉を無視して言う。
「任せて、私の剣の腕は貴方より上よ。その腕にかけて貴方を全力で守るから」
好き勝手、自分勝手のアイリスの宣言を受けてカトリーナは顔を赤くしたり、青くしたり、白黒したり、アイリスを睨み付けたりしたが、最後は呆れた表情になった。
「はぁ…、もういいですわ。怒るのも疲れました。王命隊に飛ばされるような貴方でもそれだけは取り柄ですものね。せいぜい、はりきって私の盾として頑張りなさいな」
「なんで、そう嫌味なこと言うかな? そんなだからカトリーナは性格が悪いって言われるんだよ」
「どの口がそんな事を言いますか!? そもそも私の性格が悪いだなんで言うのは貴方だけでしょう」
結局、ちょっと真面目な会話もすぐに終わり、すぐに口喧嘩に変わる二人だった。
そして、そんな二人の終りのない口喧嘩を止めたのは、ノックもせずに部屋に入ってきたアルトだった。
アルトは二人の喧嘩など気にも止めず、
「おい、嵐がきたぞ」
と、言った。
その言葉を二人は理解できなかった。
「嵐がきた?」
「どういう事ですの?」
「この状況で来るったら1つだろうが鈍い奴等だな」
はあ、とため息をつき、カトリーナを指差した。
「おたくを殺しに暗殺者がやって来たって言ってるんだよ。ルナから伝言。至急正面玄関までこいってさ」