黒猫がささやく
鬱蒼と茂る葉が日の光を遮り、冷えた空気が肌を刺す。少年は外套のフードをかぶりなおし、きっと前方を見据えた。
「ねえねえ。ねえってば。どうして君、エルフの国なんか守ってるの?」
黒猫はしつこく足元につきまとう。
少年は聞こえないふりをして歩き続けた。
「むう。なによ、無視することないじゃない。ね、本当は帰りたいの? 君を追い出したやつらのことが、恋しいの?」
「うるさい!」
瞬間、黒猫は不敵にほほ笑み、ぐにゃりと変形した。
「あはは、やっとこっち向いてくれた! さあ、私の目を見なさい!」
人間の少女のような姿に、獣の耳と尾が生えている。獣人、いや、もっと強力な魔力を持つ妖猫だ。鈍色の猫目が少年を捉え、鋭い爪でその外套をはぎ取る。
緑がかった銀髪に、エルフ族特有の尖った耳。しかし、その肌は古い木の皮のように黒い。
少年はしまったと身をよじらせた。
「ダメよ、逃がさない。ねえ、私、エルフの国に入りたいの。手伝ってよ」
「ふん。誰が魔族なんかに手を貸すか」
たとえ国を追われても、同胞を売るほど落ちぶれてはいない。誇り高きエルフの少年は剣を抜いて間合いをとった。
「あは、いいわね、その好戦的な態度」
妖猫は喉を鳴らして低く構える。ちょうど、獲物を見つけた獣のように。
問答無用で少年の剣が閃く。それを華奢な腕で受け止め、逆の腕で強烈な一撃を繰り出すと、少年はすんでのところで半歩下がりかわした。妖猫の動きは鋭く、その外見からは想像できないほど拳が重い。
やがて少年の疲労が極限に達した時、彼女は至福にうち震えながらナイフのような爪で少年の胸を貫いた。
「……っ!」
うまく息が吸えずにあえぐ少年を、妖猫は優しく抱きしめる。
「かわいそう……肌の色が違うだけなのに。君はそれでも森を守り続けたのに。ねえ、彼らが憎いでしょ? 私たちと一緒に行こう。あの方なら、君を受け入れてくれるわ」
薄れゆく意識の中で、それでも少年は懸命に抗う。森の奥に、魔物を入れてはいけない。あそこには、偉大なる女王と同胞、そして大切な兄弟が暮らしているのだから。
「逃がさないって言ったでしょ」
妖猫は容赦なく少年の意識の中に入り込む。心が、鈍色に塗りつぶされる。
「ふふ、いい子ね。名前は?」
「……ギ……ガ…………」
少年の名を支配した妖猫は高く笑い、その声を合図に魔物の軍勢が集結した。
「さあ、ギガ。ほんの少しでいいの。結界に隙を作ってちょうだい」
どんと突き飛ばされ、少年は森の奥の霧の中へ吸い込まれていった。