序章
「セイ、まだなの!?」
家の外から、母親の声がする。
「もう行くって…」
家の中から怒鳴り返す。
毎日繰り返されるやり取り。
セイはうんざりしながら、カバンを手に取った。
「早くしないと学校に遅刻するわよ」
ドアを開ければ、そこには仁王立ちなの母親がいる。
畑作業の手を止めて、様子を見に来たらしい。
「いっつも時間ギリギリなんだから」
「遅刻してないんだからいいだろ」
「だからって…」
母親なの説教が始まりそうな気配を察知し、セイは走り出す。
「母さん、いってきます!」
「まったくもう。気をつけて行ってらっしゃい」
振り向けば、母親 が手を振ってくれたいた。
セイは軽く手を振り返し、森の中に入って行った。
「またあのコったら森の方から行って…。帰ったら、ちゃんと言わなきゃ」
母親、マリーナは大きなため息をついた。
「よっと!」
セイは大きな木の根を飛び越える。
学校がある村へは、街道を行くより森を抜けた方が早い。
小さい頃から遊んできた森なので、母親はうるさく言うがセイは迷う気にはならなかった。
目印の大木を左に曲がれば、村に着く。
「ターーッチ!」
走る速度がおちずに、勢いよく大木にぶつかってしまう。
「いって…」
少し腕を擦りむいてしまったらしい。
セイは自分のドジさに苦笑いをもらす。
「ん?なんだ、あれ…」
緑な視界の中に、赤い物が見える。
低木の葉の影から見えるそれ。
セイは何か確認しようと、それに近付く。
「マジかよ…!?」
よく見たらそれは布で、低木をクッションにして少女が倒れていた。
「おい、大丈夫か!?」
セイは駆け寄り、少女に触れる。
「あったかい…」
少女がとりあえず生きていて、安堵の息を漏らす。
セイは手早く少女の全体を見るが、たいした怪我はないようだ。
「おーい、おきろ」
顔を軽く叩いてみるが、反応はない。
「どうしよ…」
セイはしばらく少女を見ていたが、一向に起きる気配はなかった。
「しょうがないな…」
ここにほっておくこともできない。
このも森には獰猛な獣はいないが、それでも安全とは言い難い。
セイは少女の腕を取り体を引き上げ、自分の背中におぶった。
「おもいっ…」
薬師でもある母親にみせるため、セイは元来た道を戻っていく。
走ればすぐの道のりも、少女を背負ってでは中々進まない。
セイがもう16才となり、体をそれなりに鍛えているとはいえ、意識なない人を運ぶのは大変だ。
ようやく森の出口が見える。
すぐそこは母親の畑で、まだ母親が作業しているはずだ。
「母さーん」
呼べば、すぐに母親が気付いて駆け寄って来てくれる。
「どうしたの、セイ…」
驚いた顔をした母親は、すぐにセイな背中に気付く。
「すぐに家の中に…」
母親から薬師の顔となり、セイが連れて来た少女をマリーナは見た。
「ありがとう。もういいわ」
少女をベッドに寝かせたセイに、マリーナが告げる。
「もういいって…!?」
「あんたは学校があるでしょ。後は私がみとくから、大丈夫よ」
「え、うわっ、遅刻だっ!!」
母親に現実に戻され、セイは慌てて家を出ていく。
少女のことは腕のいい薬師である母親に任せておけば安心だ。
セイはまずは自分がやるべきことのために、学校へと全力で駆けて行った。
「遅刻だぞ、セイ」
セイが村唯一の学校に着けば、やはり遅刻だった。
教室にいる友人達がクスクスと笑っている。
「すいません、母親の急患を手伝ってました」
教師にそう告げる。
まったくの嘘ではないし、みんなセイの母親が薬師だと知っている。
教師も納得したのか、おとがめもなくすんなりと授業が始まった。
眠気を誘うような授業が続く。
国の成り立ちや歴史なんてものは、学校に入った頃から習ってあるのだから、今さらやらなくてもいいと思う。
この国は、神より戴いた神聖な国らしい。
グランデール大陸を治めていた神に初代国王が譲り受けて、出来上がった最初の国。
国王と神に愛されし乙女によって、この地は平穏に保たれている。
「雲ってきたな…」
セイが窓の外を見れば、先程までの晴天の空がどんよりとした灰色の雲に覆われてきていた。
教師が言うには、最近の気候は異常気象らしい。
昔は常春のように気候は安定し、嵐や天候不順など起きていなかったらしい。
突然の雨なんてしょっちゅうだから、そんなこと言われてもセイには実感がない。
今激しい雨が降れば、昨日母親と植えた畑の種が流れてしまう。
セイは授業を聞き流しながら、ぼんやりと家のある方角を眺めていた。
「さっきのコ、大丈夫だったかな…」
「さっきのコ?」
いつの間にか授業は終わっていたらしい。
隣の席の友人に、セイが洩らした言葉を聞かれてしまう。
「なんだよ、セイ。可愛いコに会ってて遅刻したのか?」
「人聞きの悪い言い方すんな。倒れてた女の人を助けぢけだって」
「ふーん?」
ニヤニヤと笑う友人に、明日にはセイの変な噂がたっているのだろうと、顔をひきつらせた。
「これだから…」
これだから田舎は嫌なのだ。
セイは早く学校を卒業して、大きな街に行きたかった。
特に王都ザイツベルグに。
小さい頃から母親た父親に、寝物語に王都の話をきいた。
華やかな店。
世界各地から王都の聖殿へと礼拝に訪れる巡教者で溢れる道。
両親が話す王都で繰り広げられた出来事が楽しくて、毎日話をせがんだ。
大きくなった今は、憧れの地となった。
なんで両親が王都から離れたこんな田舎の村に移り住んだかわからない。
村の警備隊の隊長として働く凄腕の父親。
知識が豊富で、病気などたちどころに治してしまう薬師の母親。
そんな親からセイは生まれているが、何か才に秀でているわけでもない。
剣は父親から習ったがいっこうに強くなれる気がしない。
母親から教わる知識も身につかず、いつも怒られてばかりだ。
「おい、あれなんだ…!?」
友人がセイの横から窓に身を乗り出す。
「あれ、煙だぞ」
友人の声に呼応するように外を見た級友が、指を指す。
「やばくないか?」
「セイ、森の方だぞ」
友人達の示す先を見て、セイが固まる。
明かに火の手が上がっていると思われる白い煙。
それは村の横手にある森の、さらに向こうから上がっていた。
森とは、セイが学校に来るのに通った森で。
その向こうにあるのは、セイの家しかない。
「……っ、行ってくる!!」
セイは動揺だ動かない足を無理矢理動かし、教室を飛び出した。
そした、さっき来た道を引き返していく。
村の畑や家が並ぶ道を駆け抜け、森に向かう。
「母さんっ…!」
森が火事になっているだけならいい。
それはそれで大変なことだが、セイの家が燃えているのでなけらばいい。
セイの胸を締め付ける嫌な予感。
学校から見た白い煙の元は、セイの家のような気がしていた。
「…がう、ちがう!!」
不安を拭うふように、言葉をつむぐ。
否定の言葉を
言わないと、怖くて前に進めない。
家にはきっと、母親とセイが助けた女の人がいるはずなのだ。
「うわっ」
大きく出た木の根につまずいてしまう。
「くそっ…」
少しでも早く家に帰りたいのに、いつもはすぐの道のりがやけに遠く感じられた。
だんだん家に近付くにつれて、焦げ臭い臭いが漂ってきているような気がする。
ガサガサッ。
近くの藪が大きく揺れる。
もうすぐ家だ。
母親がここまで逃げてきたのだろうか。
「セイか…!?」
藪から出て来たのは父親だった。
「父さん!!」
セイの前に現れた父親に、何かあったのかは一目瞭然だった。
服は所々破れ、頬には刀傷。
右手には剣を持ち、左にはあの女の人を支えていた。
「いったい何が…!?」
「説明は後だ。セイ、この人を連れて山小屋に逃げなさい」
「でもっ…!!」
父親が焦ったように後ろを振り返る。
「母さんは!?」
ただ事ではない。
父親の言うことに素直に従うのがいいのはわかっている。
それでもセイは、家が、母親が心配だった。
「オレが今から戻る。だから、お前は小屋にっ、セイ!」
大きな足音が迫ってきている。
「行けっ、セイ。オレも後から行くから!!」
父親の叫びを聞き、セイは唇を噛みしめて走り出した。
「君もこっち来てっ」
怯えている少女の手を引っ張りながら、森の中を進んで行く。
「………さい」
「え?」
されるかまま、ただセイについて走っていた少女からもれた言葉。
セイは振り向き、少女を見る。
「ごめんなさい、きっと私のせいなの…」
少女は涙をこらえなら、何度も何度もセイにごめんなさいと謝る。
「いいからっ」
「え…」
「今は謝んなくていいから、さっさと歩いて」
森と呼べる部分は終わり、ここから先は山道だ。
二人の周囲には人の気配はない。
家を襲った人間が来る前に、父親の言った山小屋に着かなければならない。
今は家が、親が襲われたことを嘆いている時ではないのだ。
「あんた…えっと、あんた名前は?」
「え…?」
「名前だよ。さすがにあんたはまずいだろ」
「名前…私はフーラ」
「フーラね。俺はセイ。こらから山道登るんけどいける?」
嫌だと言われても、無理矢理連れて行くつもりだが。
「ごめんなさい、行きましょう。こんなとこで立ち止まっていてはダメね」
先程まで泣いていた少女は凛と上を向き、セイへとうなずいた。
セイは彼女の様子を見て、ホッと息を吐いた。
きっと父親は母親を連れて山小屋にやってくるはずだ。
セイの今やることは、彼女と共に山小屋に行くことだ。
「行こう、フーラ」
二人は再び歩き出した。
いつまでも続くと思っていた日常。
セイの日常は急に終わりをつげてしまった。
明日もまた、同じ平和な日だと思っていたのに。
この時セイはまだ、今まであった日常を失ったことに気付いていなかった。
もっと真剣に毎日頑張っていたならよかった。
そんな後悔、今さらしたって遅い。