生命のタイムリミット
そして少し間をあけてから、
「……それで、魂というのは一体どのように見えるものなんだろう?」
と、近藤はふと思い出したように質問を続けた。
ホロは近藤の問いに頷くと説明を続けた。
「魂というものに実態はなく、どのような形にも姿形を変えられます。ただの情報を宿したエネルギー態、雲のようなものです。しかし、多くの場合、その生命核がもともとも宿っていた生命組織を反映した姿を取っています。機械を通してそれを見ると、それは半透明のホログラムのように見えます」
「……幽霊」
僕は言ってみた。すると、ホロは僕の言葉に、顔の表面に微笑のようなものを浮かべたような気がした。
「幽霊……確かに原田さんがおっしゃっているような表現が似つかわしいかもしれませんね。我々昆虫人の世界でも古来からそういった存在が見えるという者はいましたし、そうした人々は何らかの作用によって、可視光では見ることのできるはずのない、特殊な振動数を帯びた生命核が見えていたのかもしれません」
「……今までオカルトの類いだと思われていたことは、全部ほんとうのことだったのか……」
近藤は軽く眼差しを伏せて考え込んでいる表情で独白した。
「信じられないのは無理もありませんが」
ホロは近藤の顔を同情しているような眼差しで見つめて言った。
「でも、ホロさん、さっきの話が本当だとすると、脳が死んでも、生命核は生前の記憶を留めていると考えて間違いないんでしょうか?」
田中唯が改まった口調でホロに訊ねた。
ホロは田中唯の顔に眼差しを移すと、首肯した。
「左様です。言ってみれば魂というのは、無色透明な大容量の記憶媒体と考えても良いでしょう。そして近年の研究では、魂というものが、単に、生前の生命組織の記憶だけでなく、それ以前の記憶も宿しているということもわかってきました。つまり、前世の記憶ですね……生命核がそれまでくぐり抜けてきた生命組織の記憶……」
僕と近藤と田中唯の三人はホロが語った信じられない事実に圧倒されて上手く言葉が出てこなかった。
「生命核、魂については、まだまだわからないことが多い」
と、それまで沈黙を守っていたバシャワが口を開いて言った。僕たちはホロの顔からバシャワの顔に視線を向けた。
「魂にはタイムリミットというものも存在する」
「タイムリミット?」
僕は意味がわからなくて反芻した。
バジャワは僕の顔を見ると、首肯した。
「我々昆虫人は高度に医療技術を発達させ、老化というものを克服した。つまり、何らかの事情によって生命組織が消滅しない限り、我々は永遠のときを生きられる。ところが、どんなに頑張っても、きっかり八百年で、死んでしまうのだ。今までと何ら変わらずに生体組織が機能しているにもかかわらず、自動的に、さっきも説明したと思うが、生命核と生体組織を繋いでいる線が切断されてしまうのだ。これによって、強制的に三次元での世界では死を迎えることになる。生命核は二十七次元目の世界へ強制的に召喚されることになってしまうのだ。そして……まあ、これはどうでも良いことだが、わたしはあと二年で八百歳を迎える。つまり、わたしはこの三次元の世界で死を迎えるというわけだ」
僕はバジャワの語った事実に驚いて目を見張った。バシャワがこの世に生を受けてから既に八百年近くも生きているということも驚きだったけれど、でも、それ以上に、八百年経つと自動的に生命組織との分離が行われるということの方が驚きだった。そういった話を聞いていると、誰かが、この宇宙での法則を綿密に作り上げているんじゃないかという気もしてくる。
「恐らく、きみの考えている通りだ」
と、バジャワは僕の思考を読み取ったように言った。
「我々もこの宇宙をデザインした何者かが存在しているように感じている。宇宙というのは我々が考えている以上にもっと巨大で、意図的なものなのかもしれない」
しばらくの沈黙が満ちた。バジャワは思い出したように机の上のワインのような液体の入った透明なコップを手に取って一口飲んだ。
「一応、念のために確認しておきたいんですが」
と、近藤がバシャワの顔を見ると、遠慮がちな口調で言った。そう言った近藤の顔をバシャワは問うように見つめた。
「さっきあなたがおっしゃっていた、八百年で自動的に生命組織と魂の分離が行われるというのは……それを避ける……つまり、回避することはできないのでしょうか?たとえば、コンピューター等に意識を移すとかして……」
「無論、コンピューターにわたしの人格や思考パターンを模倣させることは可能だ」
バシャワは近藤の顔を直視したまま、簡潔に答えた。
「そうすることによって、わたしが死んだのちも、あたかもこの世界にわたしがまだ存在しているかのようにすることはできる」
バシャワはそこで一旦言葉を区切った。
「だが」
と、バシャワは再び口を開いた。
「しかし、実際にはわたしはそこには存在していない。そこにはあるのはわたしの人格を模倣したものが存在するだけだ。実際のわたしという存在は、魂は、二十七次元目の世界へ移行している。この肉体と生命核の分離を妨げることは何人にも不可能だ。……謂わば、これは自然界の絶対的な法則のようなものなのだ。液体がある一定の温度に達すると気化するように」
「……なるほど」
近藤はバシャワが述べたことに、難しい表情を浮かべて黙り込んだ。僕も黙ってバジャワやホロが僕たちに語ってくれた真実について想いを巡らせていた。死の解明と、生命の絶対的なタイムリミット。そして僕たちの想像を超えた何か超常的な存在について。
「……あの、ひとつ、いいですか?」
田中唯がいくらかの沈黙のあとで、躊躇いがちに口を開いた。僕は興味を惹かれて僕の隣の席に腰掛けている田中唯の横顔に視線を向けた。
「いくらか話が重複するみたいなんですけど……」
と、田中唯は断りを入れた。
「先の大戦で……オーブとの戦いで、禁断の兵器……魂と肉体を強制的に分離させる兵器が使われたと聞きました……たぶん、それによって、昆虫人のみなさんはオーブの侵略による危機を脱する事ができたんだと思うんですけど……でも、そうだとすれば、どうして、それが禁断の兵器なのでしょう?魂と肉体を強制的に分離させることができるというのは、確かに恐ろしいことだとは思うんですけど、でも、今までの話を聞いた限りでは、脅威はそれだけで、核爆弾等のように放射能なんかも出さないみたいだし……返って、すごく安全な兵器のような気もするんですけど……大量の死者が出てしまうという点に置いては他の兵器も同じですし……だから、どうして、過去に使われたその兵器が、特別に、禁断の兵器と、特別視されているのか、少し、疑問に思ったんです……どうでも良いことかもしれませんけど」
「あなたの指摘はなかなか鋭い。わたしは最初そのことについて説明しようと思ったのだが、いつの間にか論点てがズレてしまったようだ」
バシャワが顔の表面に苦笑に似た表情を浮かべた気がした。




