未来人の話 1
まだ試し書きの状態です。
僕と田中唯は新宿の街を少し歩いて、落ち着いて話をすることができそうな喫茶店を見つけて入った。注文を取りに来たウェイターに僕も田中唯もコーヒーを注文した。注文したコーヒーはすぐには運ばれてきた。僕はブラックでそのままコーヒーを一口啜り、田中唯は砂糖もミルクもたっぷりいれてからコーヒーを口元に運んだ。
なんだか頭のあたりが窮屈だなと思ったら自分が青色の帽子を被っていたことを今更のように思い出した。僕はむしりとるように帽子を取った。僕は普段どちらかというと帽子を被ったりする方ではないのだ。
「その帽子」
と、それまで黙っていた田中唯が遠慮がちな声で言った。僕は向い合せに座った彼女の顔に視線を向けた。
「青色っていうよりかは白ですよね」
僕は彼女の指摘にさきほど取ったばかりの帽子に目を向けた。確かに彼女の指摘通り、僕がさっきまで被っていた帽子はつばの部分が青色なだけであとは白といってもいい色をしていた。
「だから、わたし、迷ったんですよね。原田さんなのかどうか。でも、誰かを探してきょろきょろしてるのは白い帽子を被ったひとしかいないし、まあ、つばの部分だけ見れば青色と言えなくもないし。だから、思い切って声かけたんですよ」
彼女は可笑しそうに微笑んで言った。僕は苦笑して頭を掻いた。
「いや、普段、あまり帽子を被ったりしないから。てっきりこれは青色の帽子だと思い込んでけど」
「正確に言えば違いますね」
彼女はクスクス笑って言った。僕はもう一度自分の帽子に目を落としてから、
「まあ、そうだな」
と、微笑して認めた。
「ところで、くどいようだけれど、きみはほんとうに未来人なの?未来からやってきたひとなの?」
僕はコーヒーを啜ると、改めて訊ねてみた。幸い、店内は他の客の話し声や音楽で騒がしくて僕が未来人と口にしても周囲の注目を集めるようなことはなかった。
田中唯は僕の問いにこくりと顎を立てに動かした。
「まあ、こんなことを信じろっていう方が無理があるのはわかりますけどね」
田中唯は僕の顔に見ると、微苦笑して言った。それから、思い出したようにコーヒーを一口啜った。
「でも、僕としてはどうも上手く信じられないんだよな。これからたかだか八十年くらいでそんな時間旅行ができるようになるなんて」
僕は率直な感想を述べた。
「確かに、この世界線はわたしがいた世界線よりも技術の進歩が遅れているみたいだけど」
田中唯はコーヒーカップのなかに視線を落とすと、思案するように小さな声で言った。彼女が口にした科白のなかに色々気になる単語があったけれど、僕はひとまず彼女の言葉の続きを待って黙っていた。
「でも、もしに仮に、今この世界に既にタイムマシンが存在していたとして、原田さんはそれを発明したひとがわざわざ公言すると思いますか?タイムマシンを発明しましたって」
「うーん。どうだろうな」
僕は田中唯の質問に腕組みして首を捻った。
「それは世紀の大発明だし、だから、科学者だったらやっぱり世界に向かって発表したくなるんじゃないかな?」
田中唯は僕の言ったことがナンセンスだというように軽く首を振った。
「それはないと思いますよ。・・・まあ、なかにはそういうひとだっているかもしれないですけどね。でも、普通であれば、隠すと思います。だって、タイムマシンがあれば色んなことが可能になりますからね。たとえば未来に行って競馬とか株の情報を仕入れてきてそれで大儲けすることだってできるわけですし。それだったらタイムマシンを発明したことは自分だけの秘密にしておいた方が都合がいいわけじゃないですか?」
「まあ、確かにそうかもしれないな」
僕にはタイムマシンを発明するような人間がそんなに浅ましいことをするとは思えなかったけれど、とりあえずという感じで同意しておいた。
「それに」
と、田中唯はまたコーヒーを一口啜ってから言葉を続けた。
「タイムマシンの研究っていうのは莫大な費用がかかるんです。とても個人の研究の範囲内でできるものじゃないんです。当然、それには国家とか、多国籍企業とかがかかわってくるわけで、それでもしタイムマシンが実際に完成したとしたら、それはその瞬間にトップシークレットになります。厳重な管理下に置かれることになって、科学者は自由にタイムマシンを操ることはおろか、世間に向かって発表することはできなくなります。国家や企業は自分たちの利益のためにその研究の成果を独り占めしようとします。だから、もし、この世界に既にタイムマシンが完成されていたとしても、ほとんどのひとはその事実を知らないはずです。実際、わたしたちの世界でも、タイムマシンが完成していることを知っているのはほんの一握りのひとだけです。最も、遠い未来の世界においては、タイムマシンが存在することがオープンになっていて、誰でも自由にそのテクノロジーを利用できている世界もあるのかもしれないですけどね。でも、少なくともわたしがいた世界においては無理でした」
僕は田中唯の論理的な説明に何も反論できなかった。そして僕が思ったのは、世界中で見つかっているオーパーツの遺跡というのは、実は未来からのタイムトラベラーが残していったものじゃないのかということだった。三葉虫を人間が踏みつぶした何億年も前の化石とか、何百万年前の、人間が存在していなかったはずの地層から発見された現生人類の全身骨格とか。タイムマシンが完成されていたとしたら全てに説明がつくんじゃないかと僕は単純に思った。
「なるほど確かにね・・・というか、すごく面白いよ。きみの話を聞いていて、ほんとうにきみが未来から来たひとなんじゃないかって思えてきた」
僕は興奮して言った。
田中唯は僕の発言に、微笑もうかどうしようか迷ったような曖昧な笑顔を浮かべた。僕はもう残り少なくなってきたコーヒーを啜った。
「ところで、もうひとつ質問してもいいかな?」
どうぞというように田中唯は僕の顔を直視した。
「僕はなんというか、そういうタイムマシンとかの話が好きで、色んな本とかを読み漁ってるんだけど」
僕はそこで言葉を区切ると、田中唯の顔を見た。
「で、色んな本を読んだ情報をまとめると、タイムトラベルをするためには光の速度よりも早い速度で移動する必要があるみたいなんだけど、そこらへんはどうなのかな?未来への時間旅行はともかく、過去へのタイムトラベルは光の速さを超える必要があるみたいで、でも、アインシュタインの理論によると、光の速さを超えることはできないみたいで。だから、どうやって過去へのタイムトラベルが可能になったんだろうと思って。どう考えてもたかだか八十年ちょっとで光よりも早いスピードで移動できる方法が見つかるとは思えないし・・・」
「べつに過去へのタイムトラベルに光のスピードを超える必要はないんです」
田中唯はなんでもなさそうに言った。
「もちろん、未来へ行くのも」
彼女は付け加えて言った。
僕は彼女の言葉の続きを待って黙っていた。もうコーヒーがなくなってしまったので、代わりにお冷を少し飲んだ。
「もちろん、原田さんの指摘通り、わたしたちの世界でもまだ光を超える速さで移動できる乗り物はできていません。…少なくともわたしが知っている範囲ではということになるけど」
田中唯はそこで言葉を区切った。そしたまた少ししてから彼女は話はじめた。
「でも、光の速さを超えなくてもタイムトラベルは可能なんです。この世界でも既にそういった理論は確立されてると思うけど・・・たとえばワームホールを使う方法とか、超紐理論とか」
「そういえば、そういうのも見たことがあるような気がするな」
僕は苦笑して言った。つい、光の速さを超えることができないということばかりに目がいっていて、光の速さを超える以外にも彼女が述べたような理論によるタイムトラベルの方法が考案されていることを僕はすっかり見落としていた。しかし、いずれにしても、それらの理論は、光の速さを超える乗り物を作ることができないのと同じくらい、現代の技術では難しいことだった。それらはただ単に光の速度を超えることができないということが科学的に証明されているのに対して、まだマシ、もしかしたら不可能ではないかもしれないというレベルに留まるものだった。とても八十年かそこらの未来で実現できるようなものではない。
「わたしがいた世界で最初のタイムマシンが完成したのは、西暦二千三十四年のことでした。欧州原子核研究機構で最初の試作機が作られたんです」
田中唯は話続けた。もし田中唯が言っていることがほんとうだとしたら、今からたかだか二十年ちょっとで最初のタイムマシンが完成するということになる。
「原田さんも欧州原子核機構のことは知ってますよね?」
僕は田中唯の問いに頷いた。
「スイスのジュネーブ郊外でフランスと国境地帯にある、世界最大規模の素粒子物理学の研究所のことだよね?僕も新聞とかで読んだことがあるよ。地下に巨大な全周二十七キロもある円型加速器があって・・・詳しいところまではわからないけど・・・その加速器を使ってものすごいスピードで陽子同士を衝突させると、これまで観測されたことがない新しい粒子が発見されるかもしれないとか、もしかしかたら、人工的にブラックホールを作ることができるかもしれないとか、そんな話を聞いたような気がする」
「そう!!まさにそれです。ブラックホールです!!」
田中唯は僕の科白にいくらか興奮した口調で言った。僕はちょっとびっくりして田中唯の顔を見つめた。
「タイムトラベルにはまさにそのブラックホールを利用するんです」
田中唯は語気を強めて言った。
「人工的に超ミクロなブラックホールを作り出してそれを利用すれば、タイムトラベルが可能になるんです」
田中唯はテーブルの上のお冷を取って一口飲んでからまた説明を続けた。
「タイムマシンにはカーブラックホールというものを使うんです。カーブラックホールというのは通常のブラックホールと少し違って、回転しているブラックホールことですね。人工的にミクロ特異点を生成して、その表面に向けて電子を注入すると、質量と重力場を操作することができるようになるんです。こうやって操作できるようになった2つのミクロ特異点を超高速回転させることで、カー局所場ないし、ティプラー重力正弦波内の事象の地平面を拡大することができるようになります。そしてリング状特異点の環内に物質を通過させれば、タイムトラベルは完了です。もちろん、この際、別の世界線へと送り込む動作をシミュレート操作して、局所場を適合・回転・移動させる必要はありますけど」
「???」
はっきり言って僕には田中唯の言っていることはちんぷんかんぷんだった。
「・・・ごめん。ちょっと僕には難しすぎるみたいだ」
僕は苦笑して言った。
「こちらこそすみません。あまりこういうことに馴染みがないひとには分かり辛いですよね」
田中唯も苦笑して言った。
「要するに、人工的に作りだしたブラックホールを利用してタイムトラベルをするわけです」
「なるほど」
僕はわかったようなわからないようなすっきりとしない気持ちで頷いた。
「でも、このタイムマシンは色々と問題もあります。何しろ光の速さを超えて移動するわけではないですから、自分がいた世界と全く同じ世界の過去や未来に行くことはできないんです。わたしたちの世界にあるタイムマシンは、タイムマシンというよりは、べつの世界線へ移動する装置といった方が正しいのかもしれませんね」
「ふうん」
と、僕はまた話がややこくしなってきたなと思いながら相槌を打った。
「話をわかりやすくするために単純化すると」
と、田中唯は言った。
「これはあくまでイメージであって、事実とは異なるんですけど、説明をわかりやすくするとこういうことになります。すいません、ひとつの円を想像してもらえますか?」
僕は田中唯に言われるままに頭のなかにひとつの円を描いた。
「その円に、ブラックホールを利用して穴を空けるわけです。そしてその開けた穴をわたしたちは通過します。この穴を通り抜けると、タイムトラベルが完了するわけになるんですけど、この穴を通り抜けた先にあるのは、もといたわたしたちの世界ではないんです。わたしたちの世界によく似たべつの世界の、過去や、未来なんです」
田中唯はそう言ってから、テーブルの上の紙ナプキンを取り出した。そしていつも持ち歩いているのか、胸ポケットにあったボールペンを抜き取って、さっき取り出した紙ナプキンに棒線をいくつか並べて書いた。
「こんなふうに、わたしたちの世界とよく似た世界が平行していくつも存在していて」
田中唯は棒線と棒線のあいだに矢印を書いて繋いだ。
「タイムトラベルをすると、この矢印みたいに、平行して、恐らく無限大に存在していると思われるべつの世界に移動することになるわけです」
「パラレルワールドだ」
と、僕は言った。
「そう!!パラレルワールドです!!」
田中唯は僕の顔を見ると、呑み込みの早い生徒を褒めるようににっこりした。
「わたしたちの世界で発明されたのは、タイムマシンというよりは、パラレルワールド、違う宇宙へ移動する方法ということになりますね」
「なるぼとね」
僕は言ってから片手で顎のあたりを触った。よくSF小説などでタイムパラドックスを解決するためにパラレルワールドという考え方が用いられるけれど、それはほんとうのことだったんだ、と、感心するというよりかは感動した。
「つまり、僕がタイムトラベルをして自分の両親を殺したとしても、それは違う世界の両親を殺したことになるので、僕という存在が消えることはないっていうことだね。世界は分岐してべつべつに存在していくことになると」
「そういうことです」
田中唯は僕の顔を見ると、よくできましたというように微笑んだ。
「そうか・・・なるほど」
僕は呟いた。
「だから、さっきから田中さんは自分がいた世界とか、世界線とか言ってたんだ」
「そうです」
田中唯は言ってからまたお冷を少し飲んだ。ウェイターがやってきて少なくなってきていた僕と田中唯のお冷を注ぎたしてくれた。
「ほんの十年くらい前までは」
田中唯は説明を続けた。
「ほんの少しの前の過去やほんの少し先の未来にしかタイムトラベルをすることはできませんでした」
どうして?というように僕は田中唯の顔を見た。
「あまり遠い過去や、未来へ行こうとすると、世界線のズレが大きすぎて、とんでもない世界にたどり着いてしまう可能性が高くなるんです。わたしたちが知っている世界とはあまりにもかけ離れた世界に」
田中唯はそう言葉を続けてから、さっき書いた紙ナプキンを人差し指で示した。僕は視線を紙ナプキンに落とした。
「十年前の過去がこの棒だとしますよね?」
田中唯が示したのはさっき矢印で繋げた棒だった。僕たちがいる世界を示す棒と隣り合っている。
「でも、五十万年とか、一億年とかになると、その棒がこのあたりになるわけです」
田中唯は矢印で繋げた棒からかなり離れた場所に棒を書き足した。
「十年前くらいの技術ではとてもこの棒に安全に移動することができませんでした。つまり、失敗を覚悟で、とんでもない恐ろしい世界にたどり着くことを覚悟で、タイムトラベルを実行するしかなかったんです」
田中唯はそこで言葉を区切った。僕は黙って田中唯が新たに書き足した線を眺めていた。
「でも、最近になって」
と、田中唯は言った。
「新しいテクノロジーが開発されました。自分が行きたいと思っている過去の世界が具体的にどこかあるのか、その情報のデータをかなりの精度で割り出せるようになったんです。そしてそのデータをコンピューターに入力すればほぼ安全にその望の世界に行くことができます。このテクノロジーの確立によってわたしたちはかなりの大昔へ、つまり恐竜が実際に動き回っていたような世界へ時間旅行をすることができるようになりました。といっても、この技術にも限界はあって、あまりにも途方もない過去への時間旅行は難しいんですけど・・・たとえば宇宙が生まれた瞬間とか」
「でも、すごいよ!!」
僕はかなり興奮して言った。恐竜が実際に動き回っているのを見られるなんて羨ましい限りだった。
「で、きみの任務は恐竜を見てくることだったの?そういえばブログで過去の地球を観察するためだったとか書いていたけど・・・それってつまり、恐竜の生体とか、何故、恐竜は絶命してしまったのかを調べるために?」
田中唯は僕の問いに首を振った。首を振った彼女の表情はどことなく悲しそうに見えた。
「わたしたちの任務は五十万年前の地球を調べることでした。といのは、近年になって驚くべきことがわかったんです。それは五十万年前の人類がかなり高度な文明を築いていたということです。わたしたちの世界でも、つい最近まで人類が文明を持つようになったのは一万年前くらいだと考えられていたんですけど、でも、どうもそれが違っているということがわかってきたんです。どうしてそれがわかったのかとうと、火星での調査が切っ掛けで・・」
僕は田中唯の顔から目が離せなくなっていた。