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戦闘形態

「……」

 僕は呆然として、俯せに倒れて動かなくなったムークの身体を見下ろしていた。ムークの身体の周りにはムークの腹部から流れ出る青色の血液によって血だまりができはじめていた。いつの間にか、さっき剣状に突起していた僕の右腕はもとに戻っていた。仕方がなかったとはいえ、生物を殺してしまった後味の悪さが僕の心のなかには汚れのように広がっていた。


「……大丈夫?原田さん」

 僕が立ち尽くしていると、田中唯が歩いて来て、心配そうに声をかけてくれた。


「すごいな。お前があんなに俊敏に動けるとは思わなかったよ」

 と、詳しい状況を知らない近藤が興奮した口調で言った。


 僕は俯けていた顔をあげて近藤と田中唯の顔を見ると、

「とにかく、急ごう。周囲からこちらに向かってムークがたくさん集まってきているみたいだ」

 と、僕は告げた。僕の発言に、近藤も田中唯も無言で首肯した。


 と、背後から地鳴りのような音が聞こえて来て、背後を振り返ってみると、密林の奥からこちらへ向かってたくさんのムークが駆け寄って来つつあるのがわかった。


「走ろう!」

 近藤が言うのと同時に、僕たちは走り始めた。

 



 僕たちはそれこそ無我夢中で走った。重力の低い火星では身体の大きいムークもかなり俊敏に動けるようだったけれど、その点に置いては普段1Gの地球の重力に慣れていて、なおかつ強化服を身に纏っている僕たちの方が一枚上手のようだった。一瞬はムークの集団に追いつかれそうになったものの、しばらく跳躍するように走り続けるうちに彼等との距離は次第に開いてゆき、やがて完全に彼等を振り切ることに成功したようだった。


 もうこれくらいで大丈夫だろうというところで、僕たちは立ち止まった。全速力で走ったせいもあり、さすがに強化服を身につけているとはいっても、それなりに息が乱れていた。


「……もう、大丈夫みたいだな」

 近藤は背後を振り返ると言った。僕も肩で息をしながら背後を振り返ってみた。意識を集中させても強化服のモニターには今のところ反応はなかったので、大丈夫なのだろうと思われた。


「……正直、原田、お前がムークに襲われたときは、もう駄目かと思ったよ。あんなデカい、トカゲの化け物に襲われたら、もうどうしようもないと思ったけど」


「それはわたしも思いました。原田さん、あんなに早く動けるんですね。すごいですよ!しかも、最後は一撃で、ムークを倒しちゃいましたよね!」

 近藤と田中唯は何か誤解をしているようで、僕のことを誉め称えるように言った。


「……いや、違うんだよ」

 と、僕は慌てていった。

「何が違うんだ?」

 と、近藤は僕の顔を見ると、不思議そうに訊ねた。


「不意打ちを食らったときは全く対処することができなかったんだけど、途中から、やたらとムークの動きが遅く感じられるようになったんだ。それこそ止まっているみたいに。だから、ムークの攻撃を交わすのはなんでもなかったんだ。そして最後はやけくそにムークを倒そうと思ったら、勝手に強化服が動いたという感じで……」


 近藤は僕の言ったことについて何か考え込んでいる様子で黙っていた。田中唯も僕の言ったことがいまひとつ飲み込めない様子で黙っていた。


「ついさきほどから、みなさんの強化服のリミットを解除しています」

 少しの沈黙のあとで、ジーが説明するように言った。


「リミットを解除?」

 と、田中唯がジーの言ったことを不思議そうに反芻した。


「つまり、戦闘に特化した形態になっているということです。通常は戦闘モードはオフになっています。というのは、戦闘モードがオンになった状態で、万が一昆虫人同士で喧嘩等が起こった場合に危険ですから……ですが、ときと場合によっては、たとえば新しい惑星を探索する際に、外敵から身を守らなければならないようときがありますから、そのときはリミットを解除して戦闘形態に移行することが可能になっています。またこのリミットの解除は安全性を考慮して、昆虫人の独断では解除できないような仕組みになっています。基本的にはわたしたち人工知能の判断に基づいて解除するような段取りになっています。もちろん、ある種の手続きを踏めば、人工知能の判断なしに、強制的に戦闘モード移行することも可能ではありますが」


「……なるほどな。だから、あのとき、原田はあんなに早く動くことができたのか」

 近藤はやっと納得がいったというように頷いた。


 僕も今のジーの説明を受けてようやく理解できた。あのときはムートという生物に恐れわれていて気が動転していたせいもあり、ジーの言っている戦闘モードというのが一体なんのことなのか、よく理解できていなかった部分があった。


「……ということは、あのとき、ムークの動きがやたらと恐らく感じられたのも、その戦闘モードのスイッチがおかげ?」

 僕はジーに確認を取ってみた。


「そういうことになります。強化服が原田さんの動体視力を最大限にまで高め、なおかつ身体の反射速度を強化増幅しています」


「……すごいな」

 僕は改めて自分が今身に纏っている強化服というものの優秀さに感心させられた。


「ちなみに、今後に備えて、教えておいてもらいたいんだが」

 僕が感心していると、近藤が改まった口調で言った。


「この我々が身につけている強化服にはさっき言ったようなことの他にどんなことができるんだ?確かさっき見ていると、原田の腕の組織が突起して剣のようなものに変化したのを見たように思うんだが」


「べつに剣に限らず、どのような形態にも変形可能です」

 と、ジーは近藤の質問に答えて言った。


「恐らく、さきほど原田さんの腕の組織が剣の形に変形したのは、原田さんがムークを倒そうとした際に、そのようなものをイメージしたからなのでしょう。みなさんが身につけている強化服は液体金属でできていますので、みなさんの意志を反映して、ある程度自由に形を変えることが可能です。また頭部の両脇からは高出力のレーザービームが発射可能となっています。もし、みなさんが身に纏っている強化服が昆虫人の兵士が身につける強化服であれば、さらにもっと破壊力のある武器も内蔵されているのですが、今みなさんが身につけている強化服はどちらかというと作業に特化したものであり、戦闘用には作られていませんので」

 ジーは申しわけなさそうな口調で言った。


「いや、それだけあれば十分だろう」

 と、近藤は満足している様子で言った。


 頭部の両脇にレーザービーム?と僕は思いながら、なんとなく自分の頭部の脇のあたりを手で触ってみた。でも、触った感触ではそこには特に何もないように感じられた。僕が怪訝に思っていると、


「原田さん、ヘッドビームを使うときも、先程と要領は同じです。ただ思えば良いのです」

 と、ジーがアドバイスしてくれた。


「なるほど。ありがとう」

 と、僕はジーに礼を述べながら、その思うだけというのが案外難しいんだよなぁと心のなかで呟いた。


「ところで、みなさん」

 と、ジーが改まった口調で言った。


「さきほど全速力で移動したおかげもあり、みなさんはもう既にルピの中域あたりまで来ています。もう少し奥に進めば、そこが昆虫人の人口知能があった中央処理施設になります」

 ジーは心持ち嬉しそうな口調で言った。


 言われて周囲を見回してみると、僕たちの立っているすぐ側には、巨大な塔のように思えるルピの建物がそびえ立っているのがわかった。僕はその頂を確認しようとしたけれど、首がいたくなっただけで、その終わりは確認できなかった


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