襲撃
それから、我々は徒歩でルピを目指すことになった。でも、実際にはそれは徒歩というよりも、ジャンプしながら歩くような格好になった。恐らく、火星の重力が低いために、普通に歩くだけでもジャンプしているのと変わらない形になるのだと思われた。また、通常、そのようにジャンプしながら歩くというのは、かなりバランスを取るのが難くなると思われるのだけれど、強化服がそのあたりには微調整をしてくれているのか、特に不便を感じることはなかった。というより、むしろ、ほんのわずかな歩行でかなりの距離を移動することが可能になるので楽なくらいだった。
といっても、トランポリンで飛び跳ねながら移動しているような感じになるので、途中勢い余って木の幹に激突してしまったりするのは避けようがなかったけれど。それでも我々はなんとか順調にルピに向かって近づいて行った。
道のようなものが出現したのは、ルピの建物群がかなり目前に近づいた頃だった。それまでは鬱蒼とした密林のなかを進む感じだったのが、急に視界が開け、我々の立っている位置から横幅五十メートル四方は樹木がなくなった。変わりに、岩石を敷き詰めて作られた道と思われるものがルピの建物群に向かって現れた。
「これは昆虫人が作ったものなのかな?」
僕は目の前に現れた道のようなものを目にして独り言を言った。
「いいえ。昆虫人が築いたものではありません。昆虫人が建造したかつての道路はこの遥か土の下に埋もれています。この道を築いたのはムークです。ムークのテリトリーにかなり接近しています。気をつけてください」
僕の呟きに、ジーが素早く応答してくれた。
「ありがとう。ジー」
僕は礼を述べた。
と、その瞬間、アラーム音のようものが聞こえた。そして僕の顔を覆っているディスプレイに文字で何か表示された。注意して見てみると、そこには、生物反応あり!対象物急速接近中!左方向とあった。
左と思って僕が顔を向けた瞬間、身体に衝撃が走った。視界の片隅に何か灰色の手のようなものが見えたように思ったけれど、そう思ったときには僕の身体は軽く五、六メートルは吹き飛ばされて地上に転がっていた。
「原田!」
「原田さん!」
と、近藤と田中唯が僕の名前を叫ぶ声が聞こえた。
「だ、大丈夫」
僕はすぐに身体を起こして立ち上がった。強化服のおかけで、あれだけの攻撃を受けたというのに、ほとんどダメージは受けていなかった。軽く肩を叩かれたくらいの衝撃しか感じていなかった。
「強化服のおかげでなんともない」
僕はふたりを安心させるために続けて言った。
「……良かった」
と、田中唯が安堵したように言う声が聞こえた。
でも、またすぐにアラーム音が鳴った。ディスプレイに右方向と表示されていた。右に意識を向けると、灰色の、僕よりも遥かに背の高い、五メートル以上はあると思われる、二本足で歩行する蜥蜴型の生物が、僕に向かって突進してくるのがわかった。
僕はまたやられる!と思って歯を食いしばったけれど、今度は不思議なことが起こった。さっきは全く防御をする暇もないほど圧倒的な早さに感じられたムークの動きが、やけにゆっくりと感じられるのだ。そのために、僕は目前に迫っていたムークの突進をなんなく躱すことができた。
勢い余ったムークはバランスを取る事に失敗し、地面に頭から転倒した。巨大生物が激しく転倒した衝撃で土煙がもうもうと立ち上がった。灰色の蜥蜴型の生物は立ち上がると、僕の方を向き、その顔の大半を占ていると思われる大きな口をあけて、ライオンの咆哮をひずませて大きくしたような声を出した。
僕の顔を覆っているマスクのディスプレイには怒り、混乱と表示されていた。やばい、更にムークを興奮させてしまったかと僕は泣き出しそうな気持ちになったけれど、そのときにはもうまたムークが僕に向かって突進してきていた。
僕は目を閉じて、自分の身体を守ろうとして両手で頭を覆うようにした。次の衝撃がやってくるのに僕は備えた。
でも、不思議なことにそれはなかなかやってこなかった。閉じていた目を恐る恐る開いてみると、不思議なことにムークの身体はまるでスローモーションのようにゆっくりと動いているように見えた。そのために、僕はまたなんなくムークの振り下ろした右手の攻撃を躱すことができた。攻撃を躱されたムークはわけがわからないというように僕を見た。僕も正直わけがわからなかった。
と、そう思っていると、
「原田さん」
と、ジーの声が聞こえて来た。
「強化服の戦闘モードをオンにしています。早く、そのムークを始末してください。周囲からたくさんのムークが集まりはじめています。先に進みましょう」
ジーはまた例によってなんでもないことのように言った。
「早く始末するって言っても……」
「難しく考えないで。ただ倒そうと思えば良いのです」
またジーが簡単に言った。
と、僕がジーとそんなやりとりをしているあいだにも、ムークが次の攻撃をしかけてきた。今度は左手を横に振り下ろす動作をする。でも、その攻撃も僕の身体に到達することはなかった。何しろ僕の目にはムークがのろのろと動いているように見えるので、その攻撃を躱すこと自体はなんでもないのだ。
「原田さん、急いでください。周囲にいたムーク百匹近くがここに集まりはじめています。いかに、強化服でも、それだけのムークを相手にするのは危険です」
またジーが急かすように言った。
「……わかってるけど」
僕はまたムークの右手の攻撃を躱しながら言った。このムークを倒すと言っても、一体どうすればいいんだろうと僕は困惑した。
そして半ばやけくそになって僕は自分の右腕を振り上げる動作をした。すると、信じられないことが起こった。
僕の右腕の側面が剣状に伸びたかと思うと、それはムークの固そうな皮膚に覆われた腹部を真っ二つに切り裂いたのだ。鈍い感触が手に伝わると同時に、青色の、ムークの血液と思われるものが周囲に吹き出し、ムークはその場に崩れ落ちると動かなくなった。




