ポータル
我々三人はほとんど駆け出すようにして、その突然宇宙船内に出現したベッドに飛び乗った。ベッドは適度な弾力があって寝心地が良かった。このまま目を閉じると、すぐにでも眠り込んでしまいそうに思えた。
「……わたし、その、お風呂に入ってきても良いですか?」
と、僕たちと同じようにベッドの上に寝そべっていた田中唯は身体を起こすと、遠慮がちな口調で僕たちの方を見ると言った。
「どうぞ。どうぞ」
と、僕はベッドから身体を起こすと、田中唯の顔を見て、微笑んで言った。
「そうだな。その、ポータルとかいうものがある火星まで、まだもう少し時間もかかるみたいだしな」
と、近藤もリラックスしている表情で言った。
「また何かありましたら、お声かけさせて頂ますので、それまでどうぞごゆっくりとごくつろぎください」
僕たちの話している側で、ジーの声が、恭しい口調でそう言うのが聞こえ、ジーの声が聞こえた方向を見て見ると、もう既にそこにはジーの姿はなかった。
それから、我々は順番に風呂に入った。ジーが用意してくれた風呂はちゃんとしたもので、熱いお湯が出て、非常に気持ちが良かった。風呂から上がると、我々はこれからのことを話し合ったけれど、具体的なアイディアを誰も思いつく事が出来なかった。そのうちに、我々はうとうとベッドの上で眠り込んでしまった。
僕が目を覚ましたとき、ジーのホログラムが、僕の顔を、心配そうというよりかは、困り果てたような雰囲気の顔つきで見下ろしていた。目を開けると、視界一杯に昆虫人の顔が迫っていたので、僕は驚いて「わ!」と情けない、悲鳴のようなものをあげてしまった。
「驚かせてしまったようで、申し訳ありません」
と、ジーは恐縮しているような口調で謝った。
「べつに謝る必要なんてないよ」
と、僕は苦笑して言った。他のふたりを見てみると、まだ気持ち良さそうにベッドで眠り込んでいた。
「ところでどうかしたの?」
と、僕はベッドから身体を起こすと、ジーの顔を見て訊ねてみた。
「……はい。いくらか困ったことになりました」
ジーはその口調に打ちひしがれたようなニュアンスを漂わせて言った。
「恐れていたことではあったのですが、ポータルが、転移装置が、稼働不能なのです」
僕がジーの言ったことにどう答えたら良いのかと戸惑っていると、
「長いこと放置されていて使用されることがなかったせいなのか、エネルギーが供給されていないのです」
「……つまり、どういうことなの?」
と、僕は訊ねてみた。
「……つまり、中心星へ行く事ができません」
ジーは申し訳なさそうな雰囲気をその顔に浮かべて言った。
「……」
僕はジー発言に適当なコメントが見当たらなくて黙っていた。中心星へ行く事ができないということは、つまり、僕たちが自分たちのいた時代へと戻るための新しい手段を手に入ることができないということになる。
僕はとりあえずという感じで、近藤と田中唯のふたりを起こし、事情を説明することにした。僕はそれまで腰掛けていたベッドから立ち上がると、順番に近藤と田中唯のふたりを起こして回った。僕が声をかけると、ふたりはまだ眠りの余韻を引きずっている状態でようやく身体を起こした。
「ふたりともまだ眠いのはわかるけど、緊急事態なんだ」
と、僕は心持ち大きな声を出した。
最初に、はっきりとした意志の光をその瞳のなかに取り戻したのは、田中唯だった。
「緊急事態!?」
田中唯はその形の良いふたつの眉を寄せると、僕の顔をじっと見つめた。僕はジーから先ほど受けた説明をふたりにもした。ポータルが動かないこと、それはつまり、中心星へ行く事ができないことを意味すること。
「……なんとかならないのか?」
と、近藤はジーの顔を見つめて訊ねた。
「……方法がないわけではありません」
と、ジーは近藤の問いに、少しの沈黙のあとで、いくらか歯切れの悪い答えを返した。
「それは何?」
と、田中唯はいくらか険しい表情でジーの顔を直視して言った。
「……さきほど、火星の状態も、センサーを使って調べてみたのですが、火星も、昆虫人たちに完全に見捨てられてしまったのか、都市の機能は完全に停止している状態のようなのです。つまり、あなたがた出発された地球と状況は同じだということです。火星には昆虫人たちはもう存在していないのです。ですが」
「ですが?」
と、田中唯が繰り返した。
「ですが」
と、ジーは話し続けた。
「火星の都市は機能を停止しているだけで、完全破壊されてしまっているわけではありません。最も、六千年近く放置されていた関係で、かなり風化が進んでしまっているようではありますが……しかし、直接火星内に着陸して、都市の内部を探索すれば、あるいまだ機能している人工知能を発見することが可能かもしれません。そしてもしまだほんとうに機能している人口知能があり、それを発見することができれば、現在供給の断たれているポータルの稼働エネルギーを送り出す装置を再起動させることが可能かと思われます。ほんとうは私が火星内のコンピューターに直接アクセスして、装置を再稼働させることができれば一番良いですが、残念ながら、私にはその権限が与えられていません。火星の都市内にある、人口知能でなければならないのです」
「なるほどな」
と、近藤はジーの説明に、やや険しい顔つきで頷いた。
「話を聞いている限り、そんなに簡単にまだ生きている人口知能が見つかるとも思えないが、かといって、ここに留まっていても仕方がないし、直接火星内を探索してみるしかないだろうな」
と、近藤はやや眼差しを伏せながら、独り言を言うように言った。そして少し間を開けてから、ジーの方に視線を戻すと、
「その、まだ機能している人口知能がありそうな場所の目星くらいはつけられるんだろう?」
と、訊ねた。
「……ええ、ですが」
と、近藤の問いに答えたジーの口調は歯切れが悪かった。
「さきほどちらりと見ただけなので、まだ詳細はわからないのですが、どうも現在の火星には、六千年前の火星とは違って、昆虫人とはまた別の、知性を持った生命体が栄えているようなのです」
と、ジーは告げた。
僕は驚いてホログラムのジーを見据えた。近藤と田中唯も緊張しているような面持ちでジーの方を見つめたまま黙っていた。
「といっても、その文明のレベルはかなり低いと言わざるをえませんが、しかし、彼等があなたがたに好意的であるとは限らないのです」
と、ジーは続けた。
「というより、彼等はかなり危険であると考えた方が良いでしょう」
と、ジーは言って、少し間をあけた。僕たち三人はジーの説明の続きを待って黙っていた。
「まだ観察段階なのですが、彼等はいくつかの勢力にわかれて、殺し合いをしています」
と、ジーは告げた。
「そして、残念ながら、まだ機能を果たしている可能性のある、人工知能がある建物群があるところに、その種族は、巣、または街のようなものを建造しているのです。見たところ、その街の中心地には、彼等の子供がいると見られ、彼等はそこに他の敵対する勢力が入り込まないかと非常に神経質になっています。もし、彼等が、あなたがたを発見したら、必ず、子供たちを襲いに来たと判断して攻撃をしかけてくると思われます」
と、ジーは、僕たちにとってあまり喜ばしいとは言えない見解を述べた。
「……そんな」
僕はジーが話したことにすっかり打ちのめされて言った。僕たちは映画等に出で来る主人公立ちとは違って何の特殊能力もなければ経験もないのだ。素人が、ただの未民間人が、そんな危険な場所に出かけていってとても無事で済むとは思えなかった。
「……なんとか、その人工知能がある施設内に、直接、たとえばこの前にみたいに、俺たちを転送したりするようなことはできないのか?」
と、近藤は詰問するような口調で尋ねた。
「施設の近くまでであれば、あなたがたを転送することは可能ですが、それ以上は難しいのです。というのは、我々の都市にはセキュリティ等の理由から、直接、都市内には転送することできないような仕組が施されているのです。ですから、都市のぎりぎり近くまであなた方を転送したあとは、大変申し訳ないのですが、あなたがたの独力で、人工知能の眠っている、都市の中央部分まで侵入してもらう必要があります」
「……弱ったな」
と、僕は独り言を言った。
「……原田さんと近藤さんはこの船のなかにいてください」
と、それまで黙っていた田中唯が決然とした口調で言った。
「わたしがなんとかひとりで街の中心部まで行ってみたいと思います。原田さんたちを巻き込んでしまったのはわたしのせいだし、これ以上、ふたりを危険な目に遇わせるわけにはいきませんから」
「いや、むしろ女性は船のなかにいるべきだろう。いざというときはまだ腕力のある、俺たちの方が役に立つはすだ」
と、近藤は田中唯の顔を見ると、諫めるように言った。
「そうだね。田中さんは船のなかで休んでてよ」
と、ほんとうのことを言えば、すごく怖かったのだけれど、でもまさか年下の女性に危険を冒せと言うこともできなくて、僕は田中唯の顔を見ると、微笑みかけて言った。しかし、僕たちの説得に対して、
「いえ」
と、言って、田中唯は自分が絶対に自分が行くと言って承諾せず、結局、僕たち三人で一緒に行動することになった。様子を見て、これはどうしても危険だと判断された場合には、一度船内に戻って、何か他に良い方法はないのか、ジーも含めて協議することで話は纏まった。
「ところで、その火星の都市内に侵入するのはいいとしても、僕たちには何か武器となるようなものはあるんだろうか?それから、宇宙服的なものとか」
と、僕はジーの顔を見ると訊ねてみた。いくらなんでも丸腰でそんな得体の知れない生物がうようよいるところに入り込むのは危険だし、何より、火星には僕たち人間が呼吸できる酸素がないんじゃないのかと不安に思った。
「この船は、軍艦ではないので、あまり破壊力の高い武器はないのですが、一応、レーザー銃があります。また、火星内の大気は、昆虫人たちによって操作されて調整済みで、あなたがた人間も、問題なく活動できるかと思います。強いて言えば、かつては火星の重力も昆虫人が活動しやすいように地球と同じ重力に調整されていたのですが、現在はその機能が失われてしまっているようで、本来の火星の重力に戻ってしまっています。つまり、あなたがたの体重はいつもに比べて軽くなり、動き辛くなることが予想されます」
「逆に言えば、いつもよりも俊敏に動けるっていうことさ」
と、近藤が僕たちを勇気づけようとするように、不敵な笑みを口元に浮かべて言った。
「そ、そうだね」
と、僕は不安な気持ちを押し殺して頷いた。
「ないよりはマシといった程度ものかもしれませんが、あなたがたのために強化服を用意することが可能です」
と、ジーが遠慮がちな口調で言った。
「強化服?」
と、田中唯が不思議そうに反芻した。
「強化服は昆虫人が、宇宙等の、環境が劣悪な環境で作業を行う際に着用していたもので、重力等の微調整、生命維持機能、それから、防護機能があります。つまり強化服には薄い装甲があり、軽度の銃撃や斬撃に耐えられます。といっても、強化服を過信することは禁物ですが」
僕はジーの説明を聞いて、そんなものがあるのか、と、今までの緊張が少しだけやわらぐのを感じた。
「でも、それって昆虫人のためにデザインされたものなんでしょう?わたしたち人間が着用することは可能なのかしら?」
田中唯は心配そうな口調で尋ねた。
「ご心配には及びません」
と、ジーは断言した。
「防護服は液体金属でできており、どのような生命体の形状にもフッイトし、機能します。液体金属のなかにはそれを身に纏う生命体の形状を認識し、またどのような生命維持機能が必要なのか自動的に判断することができるコンピューターが内蔵されています」
「すごいね」
僕は口を半開きにして驚いて言った。
「つまり、この船の仕組みの応用版といったところか」
と、近藤は呻くように言った。
「その通りです」
ジーは近藤の顔を見ると、近藤の飲み込みの早さに感心している様子で言った。
「でも、ジーの話を聞いて少し安心したわ」
田中唯がそれまで浮かべていた険しい表情を少しだけやわらげて言った。
「その強化服があれば、なんとか、その火星の人工知能がある場所までたどり着けるかもしれない」
田中唯の発言に、近藤が難しい表情を浮かべて頷いた。