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食事

「はじめまして。類人猿のみなさん」

 光のホログラムできた昆虫人は僕たちの方を見るとやわらかい口調で言った。


「エムからあなたがたのことは伺っています。これからは私があなたたちをご案内します。わたしの名前はジーです。ほんとうの発音は違うのですが、あなたがたにその正確な発音は不可能だと思いますので、ジーと呼んでください」


「よろしく、ジー」

 と、僕は言った。


「よろしくお願いします」

 昆虫人なので実際に笑ったわけではないのだけれど、彼女がにっこりと感じよく微笑んだのがわかったような気がした。


「それから、先ほどの問いに対する答えですが、昆虫人の中心星は、地球と同じ気圧と重力に保たれていますのでご心配には及びません」

 ジーは続けて言った。


「ところで、その昆虫人の中心星までどれくらい時間がかかるんだろう?」

 僕は昆虫人のホログラムを見ると訊ねてみた。


「火星付近に設置している、ポータル、つまり、転送装置がまだ生きていれば、あなたがたの時間の数え方で、三日程で到着することが可能かと思います」

「思ったより早いんだね」

 僕は自分が予想していたよりもずっと早く中心星に到着できると聞いてすっかり安堵して言った。


「といっても、あくまで、ポータルが生きていればの話ですが」

 昆虫人のホログラムがその表情を雲らせたような気がした。


「その、ポータルとかいうものは、機能が失われている可能性が高いのか?」

 僕のとなりで、近藤は腕組みすると、難しい顔つきをして訊ねた。ジーという名前の人口知能は近藤の問いに首肯した。


「エムから聞いてもう既にご存知のことと思いますが、今から六千年程前に地球に巨大隕石が衝突し、その影響により、地球にあった通信システムのほとんど壊滅してしまいました。ですので、その後のことが、何もわからない状態なのです。火星は、少なくとも地球に隕石が衝突する以前までは、太陽系の内の惑星で最も栄えた惑星でありました。というのも、火星のすぐ近くに、中心星と繋がる転移装置が設置されていたので、火星は太陽系における、中心星へと繋がる玄関口だったのです。しかし、この情報も、既に六千年前のものなので、現在の状況がどうなっているのかは皆目見当がつかない状態です」


「その転移装置がある場所まではあとどれくらいの時間で到着できるの?」

 と、田中唯はジーのホログラムを真っ直ぐに見つめると訊ねた。


「もう間もなくです。三時間、といったところでしょうか」

 ジーは田中唯の言葉にそう答えると、僕たちを見回すような仕草をした。そうして、

「ところで、みなさん、お腹が空いたのではないでしょうか?」

 と、ジーは微笑むような声で言った。


「そういえば、さっき、食料や水の備蓄があるとか言っていたなぁ」

 と、ジーの発言に、近藤は困惑した顔を浮かべて呟くように言った。僕にも近藤の困惑する気持ちはわかった。果たして昆虫人が食していたものを人間が口にしたりして問題はないのだろうかと思った。そして更に言えば、それはなんと六千年も前のものなのだ。


「ご心配には及びません」

 と、僕たちを安心させようとして、ジーのホログラムが、実際にそうしたわけではないのだけれど、にっこりと微笑んだように見えた。


「及ばせながら、かつてあなたがた人間という種族が、どういったものを食していたのか、調べさせて頂きました。なるほど、あなたがた人間という生物は、昆虫人とはかなり違ったものを好んで食べていたようですが、私の技術でも、それらのものを再現することはそれほど難しくはありません」


 僕たちがどういうことだろうと思って黙っていると、ジーは説明を続けた。ジーの説明によると、この世界のありとあらゆるものは共通の原子からできており、言ってみれば、共通の材料でできているので、それらのものを再現することは可能なのだということだった。僕にはジーの言っていることチンプンカンプンだったけれど、近藤はさすがに科学者だけあって、ジー言っていることが理解できたのか、そんなことが可能なのかというような驚いた顔でじっとジーの話に聴きいっていた。


「それではこれからお食事をご用意させて頂きます」

 と、そうジーが恭しい口調で言うの同時に、ジーの姿が消えた。それからすぐに、僕たちがそれまで腰を下ろしていた床が波打ちだした。


 一体何事が起こっているのだろうと僕たちがそれまで座っていた床から慌てて立ち上がると、それまで波打っていた床は、液体できているもののように不安定に揺らめきながら持ち上がり、それから見る見る間に、僕たち三人が腰かけることができる椅子とテーブルの形を模った。


 僕がその信じられない光景に声を発することができずにいると、テーブルの上に、宇宙船の天井部分から青白い光が照射され、かと思うと、もう次の瞬間には、テーブルの上には今作ったばかりという料理が湯気を立てながら三人分並んでいた。恐る恐る突然出現したテーブルのうえに近づいてみると、それは見たところかつ丼と思われるものがテーブルの上に乗っていた。匂いもかつ丼そのものの匂いがした。


「美味しそう」

 と、田中唯はテーブル上に突然出現したかつ丼を見ると、嬉しそうに口元を笑みの形に綻ばせて言った。僕もカツ丼らしき物体と匂いに、思わず腹が大きな音を立てて鳴った。考えてみれば、もう何時間も食事を取っていなかったことに気が付いた。


「どうです?美味しそうでしょう?」

 と、悪戯っぽい口調でジーが言う声が聞こえ、その声が聞こえた方向に目を向けていると、またそこには再びホログラムでできたジーの姿があった。


「信じられないな」

 と、近藤が驚いたというよりは、恐ろしいものを見たというような顔つきで言った。


「昔、ドラえもんの漫画でこういう設定があったよね。海中プランクトンを利用してそっくりに作ってあるとかなんとか」


「原理としてはそれと似たようなものです」

 と、ジーはドラえもんという漫画のことも知っているのか、僕の呟きに、やわらかい、微笑んでいるような声で答えた。


「わたしが検索した資料によると、人間は特に、そのかつ丼というものを好んで食べていたという記録があり、今回、かつ丼を提供してみました」

 ジーは心持嬉しそうな口調で続けた。僕はジーの発言に耳を傾けながら、そのジーの検索した資料には大きな誤りがあるようだと思ったけれど、でも、何も言わなかった。僕はかつ丼がかなり好きだったし、それにかつ丼の匂いを嗅いでいるうちにもう早く食べたいという欲求が抑えきれなくなってきていたのだ。


 僕は椅子に腰かけると、かつ丼を手に取って箸で(驚いたことに、かつ丼だけではなく、ちゃんと丼と箸も再現されていた)口のなかにかきこんでみた。すると、それは紛れもなく、正真正銘のかつ丼の味だった。


「美味い!」

 と、僕が絶叫するように賞賛すると、それまで様子を見ていた近藤と田中唯も、我先にと丼を手に取ってかつ丼を食べ始めた。


「美味かった」

 僕はカツ丼を食べ終えると、満腹感に腹のあたりを右手でなでわしながら言った。それから、ジーの方を見ると、

「すごく美味しかったよ。ありがとう」

 と、礼を述べた。

「そう言って頂けて光栄です」

 ジーという名前のホログラムの顔が満足そうに綻んだような気がした。

「うん、上手かったな」

 と、近藤も僕に続いてカツ丼を平らげると感心している様子で言った。

「美味しかったわ」

 田中唯もにっこりと微笑んで言った。


「ついでにと言ってはなんだけど、ジー」

 と、僕は言った。

「なんでしょう?」

 ジーは怪訝そうな声を出した。


「コーヒーもお願いすることってできないかなぁ。つまり、そのコーヒーというのは、コーヒー豆から熱湯を使って抽出された黒い液体で」

 僕がコーヒーの説明をはじめたところで、

「かしこまりました」

 と、ジーが僕の声を遮って言った。そしてまた天井の部分から光か照射されたかと思うと、それまでテーブルの上にあった三人分の丼が消え、代わりにコーヒーの入ったコーヒーカップが三つ並んでいた。


 僕は目を丸くした。なんで便利なんだろうと思った。食べ終わった食器が一瞬にして片付けられるのと同時に、更にコーヒーが提供されるなんて。テーブルの上に出現したコーヒーも一口飲んでみると、それもカツ丼と同様ちゃんとしたコーヒーで、香りも良かった。


「うん、これも美味しい」

 僕は鼻腔を抜けていくコーヒーの良い香りに目を軽く閉じながら言った。


「データーベースにあった資料、および、原田さんの思考に浮かびあがっているイメージを感知し、それをもとに再現してみました。お口に合ったようで嬉しいです」


「こんなふうになんでも再現できてしまうの?」

 と、田中唯はジーの顔を見つめながら不思議そうに尋ねた。

「基本的には大抵のものが再現可能かと思われます」

 ジーは軽く小首を傾げるような仕草をして答えた。


「じゃあ…」

 と、田中唯は軽く眼差しを伏せて迷うような素振りを見せた。

「じゃあ、こういうものも可能かしら?お風呂。それはつまり、人肌よりも少し高めのお湯を浴びることができるもので、身体を清潔に保つためのなんだけど」


「問題ありません」

 ジーが得意そうな表情を浮かべたような気がした。

「というより、昆虫人にも、人間とはその仕組みがいささか異なりますが、身体を清潔に保つ習慣はありました」


「お風呂まで再現できてしまうの?」

 僕はジーの発言に目を見張って言った。ジーは僕の発言に首肯した。


「先ほどの問いに対する答えと重複することになりますが、基本的には大抵ものが再現可能です。なんでしたら、今この宇宙船のスペースに、あなたがた人間という種族が暮らしていた居住区間をそっくりそのまま再現することも可能ですが、ご用意致しましょうか?」


「…もし、そんなことが可能なら」

 僕は半信半疑で小さな声で依頼した。


「かしこまりました。少々お待ちを」

 ジーはそう答えると、また姿を消した。それから、突然、宇宙船内の壁や床や天井が液体でできているもののように波打って動きだし、しばらく形を模索するように流動的に動き続けていたけれど、やがて僕たち三人が座っているテーブルの向こう側に、ちょっとしたホテルの一室のような空間が出現した。三つの寝心地良さそうなベッドと、簡易テーブル、そしてその向こうには浴室があると思われるドアがあった。


「すごい」

 僕は呆気に取られて言った。

「どうです?気に行って頂けましか?」

 と、またジーの声が聞こえ、見てみると、そこにはジーのホログムが微笑んでいるような表情で立っていた。


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