昆虫人
まだためし書きの段階です。予告なくストーリーを改変する場合や、物語が完結しない可能性もありますので、ご注意ください。
「どうしますか?」
田中唯は前方に視線を向けたまま訊ねてきた。
「とにかく、なかに入ってみようよ」
と、僕は軽く躊躇ってから言った。こうしているあいだにも、またさっきの怪物が再び立ち上がって襲いかかってくるのではないかと僕は気が気ではなかった。僕が近藤の方を見ると、近藤も僕の意見に同意するように短く顎
を縦に動かした。
田中唯は車を建物に向かって進ませていった。そして我々を乗せた車が建物のなかに完全に入ったのと同時に、それまで開いていた建物の裂け目は、まるで生物がその口を閉じように再び音もなく閉じられた。その様子はまるでこの建物自体が意志を持って動いているようにも感じられた。
「・・・もしかして閉じ込められた?」
僕が不安になって思わず口にすると、
「・・・いや、きっと自動ドアと同じ原理だろう」
と、近藤はやや緊張した面持ちで答えた。
「センサーのようなものがあって、俺たちがなかにはいると自動的に閉じるような仕組みになっているんじゃないか・・・最も何の確証もないし、閉じ込められた可能性も否定できないが」
と、近藤は続けて僕たちを不安にさせるような科白を口にした。
「・・・とにかく、もう少しなかまで車を進めてみましょう」
田中唯は近藤の科白に少しのあいだ黙っていたけれど、やがて口を開くと、硬い表情で言った。
「・・・そうだね」
僕はいまひとつ気が進まなかったけれど、同意した。
田中唯は恐る恐るといった感じで車を建物の奥へと進ませていった。建物のなかは薄暗かったけれど、それでも完全な暗闇というわけではなく、ほのかに青色の色素を含んだような明るさがあった。よく見てみると、建物の壁自体が青色の光を微かに発しているのだということがわかった。
建物のなかの空間は建物同様広大で、建物の隅から隅まで歩こうと思うとかなりの時間がかかると思われた。縦、横、どちらの方向にも同じくらいの広さがあり、それはひとつの街からとなりの街まで歩くのと変わらないくらいの距離がありそうに思えた。
天井はドーム型をしていてかなりの高さがあった。十階建てのビルがそのまますっぽりと収まってしまいそうだった。僕たちが今居る空間は建設物の内部というよりかは、何か途方もなく巨大な洞窟のなかにいるような感覚があった。建物の内部にはただ空間が広がっているだけで、特にこれといった施設があるような雰囲気はない。
田中唯はしばらくのあいだ車を進ませたあと、車を停車させた。
「・・・一度、外にでてみますか?」
と、田中唯は僕と近藤の方を振り返ると、いくらか緊張した面持ちで言った。
「・・・そうだな、降りてみよう」
僕が答えるよりも先に近藤が口を開いて言った。そして近藤はそう言うが早いか、すぐに車のドアを開けると、外に出てしまった。僕は慌てて近藤のあとに続いた。田中唯も僕のあとに続く。
車から降りると、ひやりと冷たい空気が身体を包んだ。摂氏15度くらいだろうか。僕は思わず自分の身体を両手で抱きかかえるようにした。薄着で来たことを僕はまた後悔した。あたりは耳が痛くなるくらいの静寂に包まれている。
「ここはどこなんだろう」
僕は呟いた。でも、当然誰も僕の問いには答えてくれなかった。帰ってきたのは沈黙だけだった。
僕の隣に立って周囲の空間を見回していた近藤が、突然、何か思いついたよう前に向かって歩き始めた。おい、どこに行くんだよ、と、僕が声をかけても、近藤は僕の言葉などお構いなしに、前に向かってどんどん歩いて行く。仕方なく、僕と田中唯も近藤のあとを追いかける形になった。静まり返った空間のなかに僕たち三人の足音がやけにくっきりと響く。
「ねえ」
と、僕は隣を歩く田中唯に声をかけてみた。田中唯は歩きながら、怪訝そうに僕の顔を見た。
「僕たちはこの建物のなかから外に出られるのかな」
僕のなかで先程の疑念がますます大きくなってきていた。自分たちがこの建物のなかに閉じ込められてしまったのではないかという怯え、不安。
「確かに、入り口が勝手に閉じられてしまったのが気になりすね」
田中唯も僕の言葉に不安そうな面持ちで答えた。
「でも、なんらかの敵意を持っているのであれば、とっくの昔にわたしたちは攻撃を受けているでしょうし」
・・・あるいは様子を見ているだけなのかも、と、思ったが、口に出しては何も言わなかった。
と、そのとき、
「おい、みんな!」
前方を歩いていた近藤が大きな声を出した。僕と田中唯が近藤の方に注意を向けると、
「ちょっとこれを見てくれ」
と、近藤はかなり興奮している口ぶりで言った。
僕と田中唯はすぐに近藤が立ち止まっている場所まで駆け寄った。そしてそこに広がっている光景に息を呑んだ。
そこには巨大な銅像が建っていた。イメージで言うと、奈良の大仏とかそういったものを想像してもらえればわかりやすいかもしれない。銅像の背の高さは建物の天井部分に届きそうなくらいだった。ただ、僕が驚かされたのは、銅像の巨大さではない。巨大な銅像なら世界中にいくでもあるし、それは程珍しいものではないだろう。問題なのは、その銅像が象っているものだった。
それは昆虫だった。二本足で立つ、昆虫の頭を持った生物を象った銅像だった。昆虫の頭部は、蜂の頭部を思わせる形をしていた。複眼と呼ばれる巨大な目が特徴的で、触覚らしきものも頭から二本突き出ている。手は僕たちが普段見知っている昆虫のそれとは違って、人間と似たような形をしていた。手の数も人間と同様で二本だ。銅像の昆虫人は何かを迎え入れるような形で両手を広げている。
もしかすると、目の前にあるこの銅像は、何か神を象ったものなのかもしれないなと想像させた。たとえば女神のようなもの。衣服のようなものは身にまとっておらず、腕や首や足といった個所に何か装飾品のようなものがあるだけだった。
「・・・やっぱりさっき中田さんが言っていたことは当たっていたんだ」
僕は目の前の銅像を見上げながら独白した。
「この建設物を作ったのは人間じゃなくて、違う生物、昆虫から進化した知的生命だったんだ」
「・・・まだそうだとは断言できないが、その可能性は高いだろうな」
僕と同じように銅像を見上げたまま、近藤は小さな声で言った。
「タイムスリップした際、何らかのイレギュラーが起こって、我々は人間が存在しない、昆虫から進化した、知的生命が存在する世界に迷い込んでしまったんだ」
「まさしく、その通り、我々は昆虫から進化しました」
と、突然、どこともなく女性の声が聞こえてきた。最初田中唯が何か言ったのかと思って田中唯の顔を見てみたのだけれど、その田中唯の顔にも驚きの表情が広がっていたので、どうやら田中唯が何か言ったわけではなさそうだった。僕たちは声の主を探して周囲を見回してみたけれど、僕たち以外に誰がかがいるような気配はなかった。
と、そのとき、ブーンという空気の振動音のようなものが響き、僕たちの目の前の空間が波打つように揺らいだ。と、思った瞬間、それまで何もなかった空間に、ちょうど我々と同じくらいの背丈を持った、銅像と同じ姿をした、二本足で立つ昆虫が現れた。
僕たちは昆虫人が姿を現したかと思って身構えたけれど、それが実際の昆虫人ではないことはすぐわかった。というのは、その昆虫人の姿は半透明で、昆虫人の向こう側の空間が透けて見えたからだ。恐らく、今僕たちの目の前に姿を現しているのは、光のホログラムでできたものだと思われた。
「あなたガチャ驚かせた、なら、わたし、それ、謝る、ならなければならない、感じる」
光のホログラムでできた昆虫人は僕たちに向かって何か言った。でも、それはいくつもの単語に細かく分かれていて、意味がよくわからないところがあった。昆虫人が一体何を言っているのだろうと僕たちが黙っていると、
「申し訳ありません」
と、光のホログラムでできた昆虫人は言った。
「わたし、あなたがたの、言語、解析している、不完全、ときとぎ、意味ない、話す、乱れる、混乱、謝る、だが、だいぶ解析でききました。もう、安心、思う」
僕はまだ昆虫人が何を言おうとしているのかわからなかった。すると、
「彼らは俺たちの言語を今解析しながら話しているんだ。だから、流暢に話せたり、話せなかったする。試行錯誤しているので、すまないと言いたいんだろう」
と、近藤が僕の疑問に答えて言った。
「すばらしい。あなた、かしこい」
昆虫人が近藤の顔を見てにっこりした。いや、昆虫人には顔の表情のようなものはないので実際に微笑んだわけではないのだが、そんなふうに感じられた。
「あなたがたは一体どこから来たのですか?」
と、昆虫人が話しかけてきた。
僕は昆虫人の問いに、何か答えようとしたけれど、何をどう説明したら良いのかわからず、上手く言葉が出てこなかった。それは近藤と田中唯のふたりも同じようで、何かを答えようとして口を開きかけたまま黙っていた。僕たちが答えられずにいると、昆虫人が再び口を開いて言った。
「あなたがたは、わたしが持っているデータのなかにある、太古に絶滅した種に似ていると思います」
と、昆虫人は言った。
「絶滅?」
そう言った僕の声と、近藤と田中唯の声は綺麗に重なっていた。
「今から約五百万年前、あなたがたと似た姿をした生物が文明を築き、栄えていましたが、その種族は滅びました。その滅びたはずの種族が、どうしてここに存在するのか、わたし、不思議に思う」
「どうしてその種族は滅びたんだ?」
と、近藤は昆虫人の方を見て少し責めるような口調で言った。
「詳細はわかりませんが、我々がその種族の残した遺跡物から解析したところによると、その種族は太古に大きな争いを起こし、その結果、滅びたのだろうということになっています」
「・・・大きな争い」
近藤は打ちのめされたように少し小さな声で言った。
「あなたがたの種のごく少数は、その争いのあともしばらく生き延びていたようですが、環境の激変や、病等により、最終的には死滅してしまったようです」
僕も近藤も田中唯も昆虫人の言葉に無言だった。沈黙のなかで、この世界線では滅びてしまったという人類について想いを馳せていた。
「あなたがたの種族が滅びたあと、凡そ百万年後に、我々の祖先が誕生しました。一説によれば、我々が知性を持つことができたのは、あなたがた種族のおかげだといわれています。あなたがた種族の手によって我々の種の原型が形作られたのではないかと言われています。
恐らく、最初、一種の兵器として、我々の種の起源となった祖先は作られました。情報の収集や、ウイルス兵器として役に立っていたのだろうというのが我々の学者たちのあいだの予測です。その後、あなたがたの種族が滅亡したあとも、我々は環境の変化を耐え抜き、長い歳月をかけて、進化していきました。
あなたがたの種族によって生み出された当初、我々の種は非常に小さかったのですが、その後、環境の変化のなかで次第に我々は現在のようにあなたがたと変わらないくらいの身体の大きさを持つようになりました。そしてかつてあなたがたの種がそうであったように、少しずつ時間をかけて知識を蓄え、文明を発展させていきました。恐らく、我々の文明のレベルは、あなたがたの種の最盛期の頃を軽く凌駕していると思います」