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call  作者: 水居
一章:寂静の少女
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寂静の少女(2)

 

 商店街を抜け、広場を通り過ぎ、坂と階段を楽々と登り、ゾロが訪れたのは妖精の森だった。

 ブランネージュ城を取り囲む深緑の森は美しく、気に入りの場所の一つだった。仕事で用いる“素材”の調達にもよく訪れ慣れ親しんでいる。風光明媚で鳥獣が豊富に生息していることだけでなく、目に見えぬモノ達の気配に満ちていることがゾロの心を弾ませる。“ヒトならざるモノ”とはいえ害をなすモノは殆どいないから、“同類”では無いにせよヒトだらけの街よりは気が楽だ。

 木々の間をそぞろ歩くゾロは何度目かのあくびを洩らす。空気は澄み、木漏れ日が心地よい。どこか適当なところで昼寝でもしようか。

 そう、思ったときだった。

「――ん?」

 妙な臭いがした。

 嗅ぎ慣れない臭いだった。ただの人間であればまず気づかないほど微かな臭いだ。この森でこんな妙な臭いを嗅いだことはなかった。なにか、いつもと違うことが起こっている。

 辺りを探りながら慎重に歩を進める。鳥の声が、動物の気配が、しない。

 茂みを二度掻き分け行き当たったのはある獣道。

 そこで、彼は臭いの元と出会った。

 銀色の髪、生白い肌、地面へ突っ伏しぴくりともしない――少女。

 その少女を見つけたとき、彼は直感した。面倒なことになるぞ、と。

 ゆっくりと少女へ歩み寄る。

 こどもの匂いだ。骨格や香りから本能的に女の子だろうと推察する。倒れているが死臭はしていない。水の匂いに惹かれたのだろうか、半ばにして力尽きたようだがここは泉へと続く道だった。

「行き倒れかぁ」

 少女の顔が見えそうなところまで近付き、立ったまま様子を窺う。コレには己を害するだけの力は無い、と判断したが用心深く一定の距離を保つことはやめない。本能というよりは習性である。

 微かだが背中が上下していることをゾロの目は確認する。息はあるが意識は無いようだ。ぼろぼろの寝巻きのような服も、そこから覗く肌も、土垢に汚れている。手足は骨ばり痛々しいくらいに細い。八つか、九つか。痩せているので実年齢より幼く見えているかもしれない。少女の体には見える範囲だけでも無数の擦り傷や痣が浮かんでいたが、どれも軽症だった。血の臭いは微かで、致命傷を負っているようには見受けられない。

 妙な臭いはやはりこの少女から発せられていた。見た目はヒトのこどもであるが、それだけではない臭い――例えばオークのような、例えばマーマンのような、例えばハーピーのような――そんな“ヒトならざるモノ”、人間や亜人にとって害となり得る異形のモノたちの臭いが、混ざり合っている。しかもそれらは、この少女自身の体から香っているのだった。道理で獣が寄らないわけだ。

 キメラだ、とゾロは判じた。

 キメラ――複数のモンスターを掛け合わせ、人工的に造られた怪物。一見したところ少女は人間の体をしていたが、これだけ人外の臭いを漂わせているのだ、体の一部を移植されたか血を媒介にしたか、兎に角なにかしらの異形の要素をその身に組み込まれていることは明白だった。

 識別札か枷でも填められていたのだろう、少女の左足首には囚人のように線上の痣が残っていた。どこぞの施設から逃げ出して来たか。人体実験という単語が浮かび、ゾロははっきりと顔を顰めた。

「あーあ、こういう、運命を弄ぶ行為ってヤツは、キライなんだよねぇ」

 笑みを含んだ軽い調子の声音とは裏腹に、表情は冷え冷えとしていた。そこには紛れようもなく侮蔑が滲んでいる。彼の店の顧客やこの街の友人たちが見たことも聞いたこともないような顔と声だった。

 ニーヴの定めし姿、生き物としての運命。それらを弄ぶこと、(のり)を超えることを、ゾロは嫌った。命が命を糧にすることとも違う、狩猟本能が手慰みに向かわせることとも違う、あるべき命のかたちを歪める行為、生命への冒涜を、彼は憎んでいた。

 嫌悪感の中、どうすべきか、とゾロは考える。実に不快だったがどこの誰の仕業であれ、この娘自体には恐らく非は無い。寧ろ被害者である可能性が非常に高い。

 淡々とそんなことを思いながらも、ゾロは冷めた目のまま少女を見下ろした。

「でもニンゲンがどうなろうが、ボクの知ったこっちゃないしねぇ」

 周囲に誰も――ニンゲンは誰も――居ないと知った上での呟きだった。彼は内心“ニンゲン”という種を好いていない。尤も、十把一絡げに憎悪するつもりもなかったが。

 多分この少女を最初に見つけたのはゾロであろう。けれど、だからと言ってどうこうしてやるつもりも無かった。面倒はご免だ。

 公爵家お抱えの騎士団、天馬騎士団がこの森を見回っていることは知っている。泉の周辺が巡回のコースに含まれていることも、今日の夕刻にその巡回があることも。

 きっと騎士たちがこの娘を発見し保護するに違いない。兎角“犬”は鼻が利く。見立てが正しければ、数刻ならば少女は放って置いても死にはしないだろう。あとはニンゲンとニンゲンのハナシだ。

 そう断じ、きびすを返そうとした。

 けれど。

(ニンゲン、ねぇ……)

 己の言葉に小さな引っ掛かりを覚え、ゾロは足を止めた。ニンゲン、と反芻する。

 果たしてこの娘は“ニンゲン”であろうか。

 まず保護されたとして、この子はどこへ連れてゆかれるだろう。孤児院を併設した寺院か、否、状態からして初めは施療院か。診察と治療を受ければ普通の人間と異なっていることが知れるに違いない。施療院の主の眼は鋭い。

 それでなくともこの少女はキメラだ。食事か入浴か睡眠か、どこかの段階で魔物の血が起こす弊害が現れ、ただの娘ではないことが露見するだろう。多分、普通のこども達と同じようには暮らせない。ティル・ナ・ノーグの街の聖職者たちは揃って慈悲深かったが、危険因子を孕んだ少女を無条件に孤児院へ迎え入れるかは微妙なところだ。いくらこの娘を哀れもうとも、その他大勢のこどもの命をも預かっているからだ。この少女のキメラとしての能力や危険性がどの程度のものかはわからないが、それを確かめないうちは寺院での受け入れは難しいだろう。

 検査の結果キメラと知れれば最悪、実験対象とされるかもしれない。珍しい生き物を手に入れたい道楽者の慰み物という未来も捨て切れない。治療と(かこつ)けての解剖、保護という名目での人身売買――この街は至極住み良いが、日の当たらぬ場所も数多く存在する。寧ろ光が強いほど陰もまた濃くなる。集う人種も千差万別、善人しか居ないわけではないことを、ゾロはよく知っている。

 哀れな娘。ヒトのかたちをしながらヒトから弾かれた娘。可哀想に。

 何気なくそんな言葉を思い浮かべた。途端、不意にいつかの記憶が蘇った。


“哀れな者よ、あれらと同じかたちをしながら最早(もはや)あれらから弾かれし者。可哀想に”


 遠い嘲笑が木霊し、沈めた筈の憎悪が刹那、陽炎のように揺らめいた。

 ゆるく首を振り、ゾロは脳裏から不吉な影を追い出す。忘れようと改めて少女を眺めた。

 小さな娘だ。うつ伏せのため顔の細部は見えないが泣いて擦ったのだろう、目の辺りが薄っすらと赤く腫れていた。一体どこからどうやってこの森まで逃げて来たのか。かさついた唇からは飲まず食わずだったと窺い知れる。青白い頬を覆う髪は、汚れているとはいえゾロのものとはまた色味の異なる見事な銀髪だった。

「銀髪、かぁ……」

 感慨深いものが込み上げた。記憶の端に浮かんだ銀色の髪を思い返し、ゾロは目を細める。

 あの子も、このくらいの歳だった。


“……我喜欢你!”


 短い回想ののち、溜息を一つ吐いてゾロは笑った。

「しょうがない、か」

 ここでこの少女を見捨てることは、あの子を見捨てるようで忍びない。なにより、自分はあれとは違う。()み出し者の苦痛ならば理解してやれる。

 ゾロはそれまで保っていた距離を詰めた。静かに少女を抱き上げる。酷く軽い。

 横抱きにした娘の顔を覗き込む。まじまじと見つめたこどもの顔は、当然ながら記憶の中のあの子とは似ていなかった。そのことに少しばかりの寂寥と安堵を感じる。髪色だって銀の種類が違う。

 同じひとなど居ない、あの子は二人も要らない。

「キミの方が美人になるかも知れないしなあ」

 内緒話をするようにゾロは腕の中の娘へ囁く。あの子が聞いたら怒るだろうか、きっと泣いてしまうだろう。想像して、彼は声を潜めて笑った。少女が目覚める気配は無い。

 さあ厄介事を背負い込んだぞ、と冷静に指摘する自分が居る傍ら、その厄介事を早くも愉しみ始めている己にも気づいているから、ゾロは自らの性分に苦笑するしかない。

「丁度、退屈してたし、ね」

 誰への言い訳か、彼は呟く。一人拾うのも二人拾うのも一緒だ。そう、こどもを育てるのなんて初めてじゃない。きっと今度も――今度は、上手くいく。別の誰かの顔を思い出しながらゾロは思う。あれからどれだけ経ったのだろう。なにもかも遠い。

 さて、拾うと決めたのならぐずぐずしてはいられない。騎士団に関わると面倒そうなので巡回に出会(でくわ)す前にここを離れるのが賢明だろう。悪いことをしていないのに職務質問だなんて遠慮したい。店が閉まる前に買い物にも行くべきだ。食料と医薬品は間に合っているが女児用の服は無い。この子にはどの部屋を(あて)がおうか。

 あれこれと算段しつつ足早に、けれど軽やかに、ゾロは歩き出す。

 思わぬ拾い物を抱え、ゾロは森を後にする。

 十二月十日。

 ゾロ・プラテアードは退屈していた。

 このときまでは。

 

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