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短いお話

私の両目

作者: 眞木 雅

声や息遣いを聞けば、相手がどんな表情をしているかがわかる。

視力を失って以降、何事も見逃さない様にと、

私は日常に耳を澄ましている。


最近、母が汚いものでも見るように私を見て

「あなたはとても良い子ね」と言った。

目が見えなくなってから、私は母の笑顔を見られなくなった。

母は、とても綺麗に笑う人だった。

目が見えないから、笑顔が見えないという意味ではなく、

母は私に二度と笑いかけてはくれないのだ。


「あなたは私の大切な娘よ、

私があなたの目になってあげる。」


そこまで綺麗な言葉を述べても母は、

笑顔など微塵も見せることはない。

暴力を受けることはないので辛くはないが、

それなりに寂しい気持ちにはなる。

あの事件を切っ掛けに、母は私を嫌いになり、

私は母を求めなくなった。


障害を負ってからは、学校でのいじめはなくなった。

標的が変わり、別の女の子が嫌がらせをされているらしかった。

光を失う以前は酷い毎日だった。トイレに閉じ込められたり、

存在を消されたり。それから、よく殴られた。

傷は見えないところにだけ出来るので、

母には言わなくてもよかったし、気づかれることもなかった。

痛みにも屈辱にも耐えていた。いつか私は痛みに慣れ、

みんなが飽きる日が来るだろうと思っていた。

終わりまでやり過ごすつもりでいた。

まるで貝のように押し黙り息を殺して嵐が過ぎるのを願った。

誰もそれを許さなかった。


思えば始まりは、クラスのある女の子が私に

「仲良くしてあげない」と宣言したあの日だった。

私が彼女にトランプを貸さなかったからだ。

先約があったので少し待ってね程度のことだったのだが、

彼女は自分が優先されないことを怒っていた。

怒ったまま三日たった。四日目に私の靴が無くなり、

その次の日には例のトランプでみんなが私を抜きにして

遊ぶようになった。

いじめはすぐにみんなの遊びになり、

トランプよりも長く流行った。


友達が一人もいなくなる頃に、修学旅行があった。

楽しみもなにもない旅行だった。

初日の夜、教師の見回りの後に暴力を振るわれた。

部屋の電気が消え窓からの薄明かりだけの状態だったので、

皆幾分力が強かった。

やはり普段は人間を殴っている自覚があって

加減しているのかもしれない、

などと出来るだけ小さくなりながら考えた。

そう思うと何だか下らないような気がして、

体の力がふっと抜けてしまった。

その拍子に運悪く誰かの足が断続的に両目を打った。

ふっと顔をあげるとあの子と目があって、足が降ってきた。

頭がぐわんと体から離れてしまうような感覚がして、

私はそのまま意識を失った。


それからどれぐらい後だろうか、

私は担任の教師の声で目が覚めた。

何度か顔の辺りに手が触れた後、

低い声で「誰にやられた」と聞かれた。

私はぼんやりとしていたが、

その間も担任は鼻をグズクズさせながら何か言っていた。

目を開けていても、景色が暗いままなので

「電気をつけてもらえませんか」と言った。

言いながら何となく思った。きっと部屋は明るいのだろうと。

そのまま私は担任に付き添われて先に帰ることになった。

空港から母と病院に向かい診察を受けた。

医師が、「失明」という意味のことを遠回しに告げた。

母が隣で泣いていた。母はその時初めて、

私がいじめをうけていることを知った。

集団から除外され体に障害を残した私を、

母は受け入れたふりをした。

優しい母が味方で良かったと思った。


ある日の朝、トイレに行こうと壁づたいに階段を降りていると

一段踏み外した。

「大丈夫」と慌てた母が駆け寄ってくる気配がすると同時に、

真っ暗な視界にじわじわと滲むようにして色が見えだした。

それは次第に鮮明になりある映像になった。

久しぶりに見る母の顔だった。

一瞬目が治ったのかと思ったがどうやらそうではないらしく、

暗闇の中眉を潜めた母がただ浮かんで見えるだけだった。

それからしばらくは相手が言葉を話すときにだけ見え、

そのうち呼吸を聞くだけで同じことが起きるようになった。

私は耳で全てを見ることが出来た。

母が味方ではないことに気づいた。

母はどうやら私に失望しているらしい。

母だけではない。皆味方になったふりをして、

興味本位で優しい言葉をかけ、優越感に浸りたいだけだった。

目で見るよりも世界は汚いと、私は耳で見て知った。

盲目の私に、人は表情を作らない。

声だけを繕い、善を模してくる。それを私は見ている。

指摘せず、咎めず、許さずに。

日常などそんなものと、またやり過ごすことを選び、

密かに愉しんでもいた。


私は学校の屋上が好きで、目が見えている時からよく来ていた。

いつ死んでやろうかと、鈍く痛む体を風にさらしながら

日が落ちるまで考えたりしていた。

屋上は風が強く、貯水タンクの間を風が通り抜ける音以外は

ほとんど聞こえないので何も考えずにいられる。

いじめをうけなくなってからも毎日屋上で

風の音を聞きながらぼんやりとしている。

今日もいつものように階段をゆっくり上がっていると、

誰かに追い抜かれた。直後ぎぃっと重たい音と同時に

風が吹いた。通りすぎた足音は二人。

その誰か二人は屋上への扉を開け放ったまま

何か話しているようだ。

扉は古く思い切り開けきってしまうと自然には閉まらない。

私は興味本位でこっそりと屋上へ出た。

二人はフェンスのそばにいるようだ。

その声を聞きのがさないようにして貯水タンク隙間に隠れた。

耳を風から守り出来るだけ聞こえやすくすると、

二人の姿が見えた。喧嘩をしている。

一人は知っている声だった。

かつて私に 「仲良くしてあげない」と言ったあの子だ。

私から光を奪ったあの子だ。

私は膝を抱えるようにして座り込み、手で耳を風から守った。

「私のこと陰でなんか言ってるみたいだね。

そういうのウザいからやめた方がいいよ。」

相手の子の胸ぐらを掴むようにしてあの子が低い声で言う。

きっと脅しているつもりなんだろう。

「陰でじゃないよ、皆知ってることだし。」

「ふざけんな、ありもしないことばっかり。」

あの子は大声を張り上げているのに、

相手は小さく笑って答えた。

「ありもしないことってあの事件のこと?

呼び出してわざわざ脅すとさ、

事実です、っていってるようなもんだよ。」

気づかれないようにあの子はヒュッ息を吸った。

「運が悪い人っているんだよ、私が悪い訳じゃないんだよ。」

「あんたも運が悪い人ってことだね。」

風が強く吹いた。音が消された。

二人を見失い、思わず立ち上がる。

貯水タンクの隙間を抜けて飛び出した。

耳を手で覆い二人の声や、呼吸を探す。自分の血流の雑音。

誰かのスカートが揺れる音を辿る。呼吸が見つかる、

一人は見える。耳を澄ます、一人減っている。

「いつからいたの?」

残ったひとりがこちらに歩いてくる。

「どこいったの?」

彼女は答えずに制服の襟を正して、私の腕を引っ張った。

「死体を見に行こう。」

連れられて二人で階段をかけ降りる。

「誰にも見つかってないと良いね」

「なんで。」

「だって、あなたがやったんでしょ?」

「そういうのは本人に聞けばいいよ。」

校舎を出て裏に回ると、消えたもう一人は落ちていた。

まだ少し息がある。

「どうするの?」

「何が?」

この状況でどうにかしなければならないことは

一つしかないのに、彼女は何故か笑うだけだ。

「救急車とか。」

「呼ばないよ。」

「そう。」

「あなたは何も知らないのと同じね、見えないから。」

彼女は楽しそうにそう言った。

見えないから。

私の目は今はただの洞穴で一目で、そうだとわかるけど、

言葉にされるのは少し痛い。

「私、耳は良いんだよ。」

「じゃあ、涙はどんな音がする?」

「涙?」

「私、今泣いているの。」

さらりと嘘をつく。

彼女は今、私の見えない涙を流すと言う。

見える目で私を見て、わざと大袈裟に鼻を啜る。

「深呼吸してみてよ。」

「深呼吸?」

「うん、あなたを見るから。」

「いいよ。」

彼女は思い切り息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。

「見えるよ、全部。」

「嘘はよくない。」

彼女は笑いながら私の額を指で弾いた。

「いいの?警察呼ばなくて?」

私は首を振る。

黙って地面に横たわる体の呼吸を見つめていた。

「なら、あなたも人殺しだよ。」

私は頷いた。死んでしまえ、そう願った日は数え切れない。

「あなたもこいつにいじめられてたの?」

私は彼女に尋ねる。

「うん、だけどこれは仕返しなんかじゃないよ。」

彼女はもう笑っていなかった。

「この子の運が悪いだけ。」

虫の息で女は「助けて」と言った。

私は一言、「仲良くしてあげない」と返した。

それを見ていた彼女がまた笑った。


清々しい朝、私は意気揚々と校門をくぐる。

いつもの憂鬱な気分は微塵もない。

教室は向かう階段を一気にかけ上がる。

この時間にしては珍しく廊下には誰も出ていない。

足音を潜めてゆっくりと教室に近づき思い切り扉を開ける。

クラス中の視線が集まる。

その全てを引き連れて、あなたの席に向かう。

花束が置いてある。私はそれを掴みあなたの机を殴りつけた。

どこからともなく驚きの声が漏れる。

私は崩れて花びらの落ちる花束を掴んだまま教壇に立ち、

教室を見渡す。あなたに流されて酷いことをした人ばかりだ。

髪の毛を無理矢理切ろうとしたくせに、

机を暴言で汚したくせに、皆目をそらす。

今にも言い訳をしそうな沢山の目を見つめ返した後、

思い切り花束を投げつけた。

前の席の子の頭に当たって花びらが舞う。

皆私が何をするか様子をうかがっている。

「みんな、トランプしようよ。」

私を苦しめていたこの33名は今私を見つめるしかない。

誰も動かない、誰も何も言わない。

「トランプしようよ。」

恐る恐る二人が寄ってくると、それに続いて何人も

私のそばに来る。泣き出して動けない子もいる。

唯一、怯えない子がいる。

全てを知る盲目の共犯者がこっちを向いている。

試しに手招きしてみるとうなずいて私の隣にくる。

小さな輪が出来、皆は平静を装うように笑顔でじゃんけんをして

カードを引く順番を決めていく。

輪の外も中も、表情は違えど皆怯えているんだ。

床に落ちていた花束を踏んで誰かが靴を汚した。

するとその子は迷惑そうにその花束をゴミ箱へ投げた。

同時に笑いが起こる。

全てを支配していたあなたを消して、

私は今日あなたになった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 文体がとても美しいです。こういうのが、無駄のない文というのでしょうね。 何度も読んで、自分のものにしたいと思いました。 耳で「ものを見る」というあたりに、なぜだかリアリティを感じました。まる…
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