今更ながらの自己紹介
今度こそロトに正しい蛇口とコンロの使い方を説明して、ロトには外では決して魔法を使わないように、と晴海は厳命した。今は家の中で晴海しかいなかったからよかったものの、外でこんなことをすればどうなることやら。奇異の目で見られることだけはごめんである。それだけで済まず何かの取材でも来ようものなら、などと想像するだけでぶるりと晴海は肩を揺らした。
恐ろしいその考えを払拭するように頭を振り、それからロトに向き直る。後回しにしてきてしまったが、晴海はロトのことを尋ねなければならなかった。本当は亮人のことを伝えなければならないのだが、それはひとまず後回しだった。
別にロトが何者であるかくらいなら知らなくとも支障はないが、今回のように魔法が使えるだとかとんでもない能力を突然使われては堪らない。
そういえば、初めに縛られた状態のまま晴海に例の手紙を渡したのも、もしかすると魔法を使ってだったのかもしれない。どう考えても彼の体勢からでは手紙を取り出すことは出来なかっただろうから。
さて、と晴海は思う。ちらりと思った疑問が解決したことを喜べばいいのか、はたまた今まで培ってきた常識では断ぜられない神秘現象に巻き込まれたことに苦笑いすればいいのか。
夕飯も何とか出来あがったところで、晴海は記者の如く箸をロトに突き付けた。切っ先を向けられた当の本人であるロトはきょとんとしている。ロトからすればマイクなど見たこともないだろうから、晴海のしていることは全く意味が分からないだろう。それは分かっているのだが、人に詰問するときに何故だかついそうしてしまうのは人間の性というやつだ。
スプーンの上でパスタをくるくるとフォークに巻きつけながら、晴海が問うた。ロトが晴海の仕草を不思議そうに見て真似しようとしているが、初めてでは当然うまくいかない。大体にしてこうしなければ食べられない訳でもない。暫くすると諦めて無難にフォークだけを使って食べ始めた。
「ってわけで、ロトさんのことを教えて下さい」
「どういうわけなのか分からない」
至極尤もな切り返しだが、わざわざ何故そこで人の揚げ足を取るのか。普段ならそこまで心が狭い訳ではないが、今の晴海はつい先ほどの家が火事になっていたかもしれない事態に怒りが収まらない。そんな屁理屈を言う相手にまともに対峙するつもりもなく、笑顔のままばんと机を叩いた。思ったよりも大きな音が出てしまい晴海自身も驚いたが、ロトが微妙な顔をして黙ったのでうまくいったことにしておく。
僅かばかりの困惑を滲ませた声で、ロトは晴海に言葉を投げかけた。
「何を言えばいい?」
「名前と年と家族構成と好きなものと嫌いなものと得意なことと出来ることと趣味と……まぁ、なんか適当に」
「……」
晴海の上げた条件にロトは再び微妙な顔をした。晴海にも少し教えてほしいことを上げ過ぎた自覚はあった。自分が言われたら到底覚えていられないような数の質問を要求して申し訳ないと思いつつ、しかし実際そのくらいは知っておかなければならないだろう、と己を正当化してみる。これから先、ロトをいつまでか分からないまでも同居人として置く以上、それくらいは知らなければなるまい。
ロトはサラダを咀嚼して飲み込んでから、いつものように一本調子で言った。
「ロト。年は分からない。家族はなし。好きなものも嫌いなものもなし。得意なことなし。趣味なし」
生真面目に晴海が挙げた全ての問いに答えておきながら見事なまでに空っぽな解答に、晴海はぽかんとした。ロトの口にしたのは見事なまでに『なし』のオンパレードだ。そんな訳があるか、と思うが、ロトは例え揚げ足は取っても冗談を言うような人間でもない。
というか、こんなに生真面目に返答してくれるロトのことだ。今にして思うと先程のあれは、揚げ足ではなくただ単に心の底から字句通りに取って疑問に思っただけだったのかもしれない。天然ボケというやつか。
少しの罪悪感を覚えて俯くと、それをロトのプロフィールを聞いたせいと思ったのか、ロトが困ったような顔をする。といっても、ほんの少し眉尻が下がっているのと放つ空気からそんな気がする、程度のものだが。表情自体は相変わらずの無表情に分類されるものから外れていない。
「年は分からないって……」
ひとまず、プロフィールについて突っ込んだ質問を投げかけてみると、ロトは不思議そうな顔をしつつも、少しの間をおいて晴海に返答する。口に運んだパスタを嚥下したからだ。
「記憶がない」
なるほど、簡潔な回答だった。家族がないというのもそこに辿りつくのだろう。どこかで記憶をなくし、目が覚めたときには自分を知る者はいなかったから年も分からないし家族もない、と。
晴海は目眩がしそうだった。晴海は自分が何者であるか知っている。なんだかんだ言いながら晴海のことを心配してくれて、放任主義な親から生まれた内藤家の一人娘。なんだかんだお人好しな性格で、同時に優柔不断なのか行方知れずの幼馴染の帰還を信じて六年もずっと待ち続けた愚か者。学校ではどちらかというと孤立しがちな秀才タイプ。
確固たる自分を持っている晴海には、自分がどこの誰であるのか分からないというのがどういうものなのか推し量ることは出来なかった。だが、ロトがそうだと言われてどこか納得が出来た。自己同一性が欠落していれば、確かにこの地に足がついておらず妙に世間ずれした男が出来るような気がする。
そこで晴海はふと首を傾げた。年齢不詳、家族も分からず、ならばその名前はどこから来たのだろうか。