7.風波涼子という女@2016.6.14 16:42
「貴様! 何をする!」
傷口を押さえながら、早川は叫んだ。
「黒篠先生を殺したのはあなたでしょう? 黒篠派を消したのはお手柄。それを評価してあなたも消そうとしているだけ」
風波は怖いくらいに落ち着いている。
「何!」
早川は突然の大声を出したあまり、むせかえる。そして動かなくなった。
「あなたが死ねば、黒篠派はずいぶん減るわ。我々風波派の天下」
「風波さん……」
末崎が続けようとするのを風波はさえぎった。
「問題。今銃口は誰に向けられているでしょう?」
末崎だ。
「……」
「あなたとは敵ではないはずよ? この早川という男は黒篠派でありながら、原理党車田と結託していた。それを私は殺したの。でもあくまで派閥は違うから仲間でも無いけど」
「同じ民政党でしょう」
末崎は口を開いた。
「同じ民政党として、同じ小峰内閣のメンバーとして、」
「うるさい! 政党なんてのは似た主張の皆で集まってまとめて当選を狙うためにあるだけで、結局は個人の欲をまとめて晴らすためのもの。そうでなければ喧嘩することも派閥同士で争うこともあるわけないじゃない」
「それを、小峰さんは無くそうとしているんです」
「あー、もう黙ってちょうだい!」
末崎は勘に従ってさっと、しゃがんだ。さっきまで末崎の頭があったところを、銃弾が通過する。
「何をしている!」
小峰たちがトイレから帰ってきた。風波は懐に銃をしまって、微笑んだ。
予想よりも参議院議員はたくさん来た。 議長も来ていたので、今後の対策等について話し合うことにした。
小峰はとりあえず久しぶりに安堵の表情を浮かべることが出来た。
だが、隣の席に座っている風波を差し置くわけにもいかなかった。
さっき末崎に向けられていた物は何だ? 拳銃だ。そんなことは分かっている。何故風波が持っている? そして何故に末崎に向けられていたのか? 何よりも――何故早川を殺す必要があったのか?
開会まで時間はしばらくある。
「『治安緊急維持法』によって逮捕する!」
街中で警察のその同じ声が響いていた。
原理党はすぐに全国の政令指定都市を中心に警察・機動隊を配置し、治安維持の名の下で検挙・逮捕を行った。
「げ、言論の自由を脅かす気か!」
「うるさい! とっとと乗れ!」
今から100年前、同じようなことが日本では起こっていた。歴史は繰り返すという言葉はあながち間違ってもいないらしい。変わったのはパトカーで対象者が連れて行かれるようになったことだけか。
警察庁警視総監室。尾崎の電話が鳴った。
「ん。もしもし」
「味だ」
「ああ、味さん」
「これから重要な話がある。悪いがまた党本部に戻ってきてくれないか」
「……わかりました。1時間程度でそちらへ」
「うむ。頼んだ」
電話を切る。力が抜けたように、警視総監室のソファーに身を落とした。
「こんなに忙しいのも困りものだ」
そう言いつつ、警視総監に軽く声をかけてから警察庁を出た。
尾崎は警察庁を出ると、今は到底運営しているとは言えない形だけの都営地下鉄の駅に向かった。車を止めてあるのだ。この政治街・永田町は封鎖されている分、どこよりも車の便は快適だった。
その尾崎の後をつけている人間が一人いた。それは彼の知らない人間ではなく、むしろ身近な人間だった。
車田憲明である。
「(こんなの、何の役にも立たない仕事にしか思えないけどな……俺は政治家敗戦街道まっしぐらか?)」
そう思いつつも、今のこの状況で原理党にいない手は無い。尾崎の姿が見えなくなりそうだったので、彼は追いかける。
あの後には続きがあった。
「尾崎先輩?」
「そうだ」
「先輩が何か?」
「うむ」
味は少し車田から目を反らした。
「尾崎は今頑張っている」
「そんなこと、分かりますよ。それに今日から国家治安の委員長ですし……」
「だがな、そういう大事な職に就いてもらったからには我々の方針に逆らってもらっては困るのだ」
「え……」
車田には味が何を言っているのか理解出来なかった。
「だって、尾崎さんが反逆やクーデター返しなどをするはずは無いでしょう?」
「俺もそう思う」
「だったら……」
「でも、俺らと尾崎は違うんだよ」
一瞬味の目が緩んだような気がした。尾崎に対してすまなそうな、目。
「俺らは所詮アンチ民政党だ。でもあいつはきちんとした政治家だ。今に大物になるよ」
「そんな、味さん……なんか今日変ですよ?」
「いや、大したこと言っているわけじゃないんだ。とはいえ」
味の目が普段の厳しい目つきに戻った。
「原理党として名前を刻んでいるからには、きちんと政治家になる前の順序が必要だ。あくまで原理党は民政党の政策に反対することに意味があるのだからな」
「味さん……?」
何だか本当に味の雰囲気がおかしい。それに、自ら原理党の存在を卑下している。車田自身は原理党と味を素晴らしいものだと考えていたのに、味本人にそれを言われては車田も困った。
「とにかく、用件は一つ。尾崎を監視してくれ」
「え!」
「分かったな」
「は、はい」
味は「俺達があいつの味方でいられるのもあと数日かもしれないからな」と呟いて、代表室へ戻っていった。
「風波さん」
小峰は出来るだけ優しく声をかけるように努めた。
「何でしょう、総理」
「何故……」
涙を流したり、大きな声で悲しんだりしたい気分をこらえて口を開ける。
「早川君を殺したんだい?」
風波はその質問を聞いて微笑んだ。小峰にはその顔が不気味に映る。彼女はこんなことを言ってきた。
「総理に失礼なことばかりをするので、射殺しました」
非常にストレートである。確かにここ数時間の早川の行動・態度は小峰にとって目に余るものばかりであった。だからといって、殺されてはそのような彼のマイナス要素を抜きにして小峰の気持ちは悲しみに変わってしまう。
「そんな、そうやってすぐ殺すことは無いでしょう」
「総理」
風波は微笑むのをやめた。
「政治は生きるか死ぬか、殺すか殺されるかのライフゲームですよ?」
それは小峰が一番嫌いなことだった。弟子にもそれだけはしてはいけないと言ってきたことだった。それをのうのうと言うメンバーが自分が組織した内閣の中にいるのが、小峰には耐えられなかった。
「永田町を舞台にして遊ぶのはやめないか! 原理党にしても民主連合にしても、はたまた君にしてもだ!」
「何をムキになっているんです? 本当のことでしょう?」
「まあ、そう熱くならないで」
そこに来たのは菊名だった。菊名は水を2つ持っている。
「総理、お好きな方のお水をどうぞ」
「む、ありがとう」
菊名の左手に握られていたカップを素直に受け取った。
「では、風波さんはこちらを」
風波も水を受け取って飲む。
「総理はラッキーでしたね」
菊名は微笑む。
「?」
小峰には意味が分からなかった。菊名は席に戻った。
隣の椅子が倒れた瞬間、菊名の言葉の意味を小峰は理解した。