16.木更津遷都@2016.6.16
「……とりあえず私が代行で政務を行ってきます」
木更津市役所に着いた車を降りることが出来ない小峰に、末崎はそう声をかけた。末崎は別の秘書に唐山の遺体の処理を命じた。
菊名も車を降りた。
「まったく、この首相は本当にダメな奴だな。どんな悲しみがあろうと時間が押し迫っている今は国民の安全を確保するのが先決だろう」
「そんなにきつく、言わないで下さい」
時間は確かに押し迫っていた。時刻は15:00、爆発まであと21時間。末崎はあくまでもフォローしている。
「あの方はあの方の悲しみがきっとあるんです。今はそっとしてあげましょう。絶対あの人ならすぐ立ち直って私達を引っ張ってくれます」
「あんな男に引っ張ってもらった覚えは無い」
「そうは言っても」
末崎は少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
「ここまで律儀に、総理について行っているではありませんか」
菊名は否定しなかった。あれほどまでに乱暴な口ぶりが止まった。
「とりあえず市長と話をしましょう。今は菊名さんも大事な人材です」
「これはこれは」
市役所に入ると、木更津市長・安城啓太が出迎えに来た。
「お話聞いております。避難受け入れ、準備は整っていますよ」
「準備がお早いですね。恐れ入ります」
末崎は深く頭を下げた。後ろにいた菊名も軽く下げた。
「被害の規模も規模なので、東京都の被害状況によっては政府機能を木更津市に移転する可能性が高いです。本来なら県庁所在地で地方都市である、千葉市にするのが妥当かもしれませんが、千葉と木更津の位置関係も位置関係なもので。ですのでその際もよろしくお願いいたします」
末崎はざっと用件を述べた。
「お任せ下さい」
安城も引き受けてくれた。するべきことの第一段階は終えた。末崎は近くの秘書に言った。
「自衛隊による東京都民の避難を開始するように! 自衛隊の方では地域によって順番を割り振り、本日付中には避難が無事に終えられるように手配するように言ってくれ。千葉に入った後の手はずはこちらで整える」
秘書は用件を了解すると、外へ走って出て行った。菊名はそれを眺めていた。末崎は言うことを言い終えて、ほっとした。すると安城が声をかけた。
「末崎官房長官、お疲れ様です。ところで総理は?」
当然の質問が来た。末崎は菊名のほうを見た。数秒経つと末崎は安城の方に向き直り、答えた。
「総理は、連続の政務で疲労がたまっているようでして」
「なるほど……それは大変でしたことでしょう。なんでもクーデターが起こったとか」
「はい。おっしゃる通りで」
「総理はいつごろ、ご復帰で?」
「はっきりとは分かりませんが、総理はこれぞという時に必ず指示をきちんと出してくれるはずです。内閣一同が彼を信頼しています」
内閣一同、の所で末崎の心が少し痛んだ。菊名もその部分で苦い顔をした。
では頑張ってください、の言葉の後を受けて末崎達は車へと戻った。これで終わりではない。避難終了後の首都の一時的な移転先として千葉県全体に影響を与えることも含めて、千葉県に挨拶に行かなければならないのだ。
「総理」
末崎は優しく声をかけた。小峰がゆっくりと顔を上げる。
「都民の避難を開始しましたよ。総理は爆発後の政府機能の回復に努めてください」
「もう嫌だ」
小峰は悲しそうな顔をして、また顔を伏せてしまった。
「あんたの娘さん、教師を目指しているそうじゃないか」
菊名の突然の言葉に小峰の体がビクッと震える。ここ何日か多忙で忘れていた一人娘、菜々子のことを思い出したのだ。菊名が知っているのは、何かの機会で小峰が菜々子の話をしたからだろう。政務が忙しい時でも菜々子のことを思い出さない日は無かった。だがここ数日間は精神的にもダメージが大きく、菜々子のことなどどこからも出てこなかったのだ。小峰の心の中に暖かいものが広がる。
「菜々子……」
「人を教える立場になる娘さんに、父親として立派なところを見せつけてみたらどうなんです。自分のしている仕事は汚い仕事では決して無い、それどころかどんな仕事よりも重い責任を背負う分、どんな仕事よりも素晴らしいものだということを。あなたは政治に誇りが持てない政治家ではないでしょう。少なくともそうでないあなたに付いて来た覚えは無い」
冷たい口調だったが、小峰の心の中に今まで以上に響かせた言葉だった。
「政治はゲームなんかじゃない」
小峰は顔を上げて強い声で言った。
「この手に日本を取り戻してみせる」
「なら私はあんたを応援するまでだ」
菊名は助手席ではなく、今度は小峰の右に座った。一人乗客が減ったからである。そんなことにめそめそしていられる時間はもう過ぎた。そう自分に言い聞かせて、小峰は言った。
「千葉県庁に向かうぞ」
「かしこまりました」
運転手はキーを挿した。末崎は二人の様子を見守り終えると、車に急いで乗った。
『都民 千葉県へ避難開始』
テレビのテロップがこのように変わってきたころ、菜々子のいた中学校の体育館にも放送が入った。
「避難の準備が整いました。この地域は18時頃に避難を開始します。ここに来た際に受け取った整理番号を元に、所定の番号の車に乗ってください」
この放送を聞いて、菜々子もとりあえず安心した。
「お母さん、大丈夫かな。そして何より……」
電話越しで笑っていることが容易に想像できる、いつもの小峰の声が菜々子の頭の中を反芻する。
時刻は17:30を指していた。小峰達は千葉県庁への挨拶も終わった。とりあえず皆千葉県庁に特別対策本部を設置してもらい、対策本部で今日は寝泊りすることにした。磯江達ともようやく合流する。電話なども置いてもらい、いつ何が起こっても大丈夫なようにだ。
そして待ってましたとばかりに、電話がかかってきた。
「もしもし」
「総理ですか! これはどうも! ちょっと困ったことがありまして!」
「どうしました」
「アクアラインの渋滞がひどいです!」
心配はしていたが、実際にもう起こってしまった。小峰も困惑する。
すると横にいた末崎がノートパソコンを広げた。手早く地図サイトを開く。
「総理、東京湾岸道路をまずは使うことにしましょう。一般都民には知らせず、なるべく国関係だけで」
末崎は答えを早々と出した。
「なるほど」
「それから身分証の提示を義務付けましょう。都在住でないものは通行禁止としましょう。少々手荒ですが仕方ありません」
「わかった」
小峰は電話に戻った。
「とりあえず回避路として東京湾岸道路を使ってくれ。それと公団を通じて身分証の提示を義務化、都在住でない者は通行禁止を利用者に通告するように言っておいてくれ」
「かしこまりました。こちらでも善処します」
電話を切った。すると他方から電話の呼び出し音が。これは大変な夜になりそうだ。磯江は心配そうに小峰の顔を見た。それからも皆はずっと対応にあたった。
その心配は当たった。
「ん」
小峰は起きた。というより寝ていたことにも気がつかなかった。窓からは日が差している。つまり朝だ。上から小峰の顔をのぞいている磯江は安心した顔をしている。我に返った小峰は飛び起きる。
「東京はどうした!」
「大丈夫です。確認できる範囲内での全都民の避難が無事終了しました。いろいろと問題も多々ありましたが」
磯江が答える。
「何故私は寝ている! こんな重要な時に!」
「倒れたんですよ。連日の激務が祟ったんでしょう」
「君達も疲れているだろうに、すまない……」
「構いません。万事何とかうまくいきました」
時計を見た。時計は12時近い。
その時、地面が揺れた。地震と言うよりは地響きに近いものだった。日が差していた窓がますます明るくなる。
こうして、永田町は姿を消した。