彼らの心と冬の空
「お前さぁ、何で俺のこと避けてるわけ? 他に好きな人でもできたのか?」
そう聞かれた。
確かに亜紀は空に隠し事はしていた、その後ろめたさはあったがしかし、亜紀は見るからに不機嫌に当たるような言い方はないと思う、と考えた。
だから。
「うるさいなぁ……、避けてないよ。……ベタベタしすぎじゃない?」
少し虫の居所が悪かった、イライラしていた。それで思わず口に出してしまったのだが、言ってから、あ、と亜紀は後悔した。言っちゃった、どうしよう。謝れば許してくれるかな、と空の顔色を窺う。
――――きっと怒るだろうな……。怒ったら、謝ろう。
亜紀はそう決断した。
けれど。
「あ、そう」
それだけ言って、それきり空は黙ったままだった。
――――空君と喧嘩、した。
喧嘩自体は何回かした。亜紀と空が付きあって間もないころは、よく亜紀が口をとがらせて不機嫌そうに呟き、そして空は見るからに怒った感じで言葉をぶつけていたものだ。しかし今回は違う。
「空君と喧嘩ですか?」
「うん……、でもさ、いつもと違う感じするの」
「違う感じ?」
放課後。亜紀の通う縹高校では長休み明けの数日間は、昼までで終わる。亜紀は本来ならば部活に励むのだが、今日は空とのすれ違いがあったため部活は自主的に休むことにしたようだ。
そして今は、美術室にお邪魔して智希が絵を描いているのを眺めている最中だ。ついでに空との一部始終を愚痴る。……最も、どちらがメインなのかは分からないが。
「怒るだろうなって、思ったの。ほら、空君って自分の思ってることとかすぐ出すでしょ、だから怒ってくれるかなって思ったの。でもそうじゃなくて、あ、そう。だけでね? 違うよ、そんなの……」
「確か一週間ぐらい口きいてくれてないんでしょ? ……本気で怒っているのかもね」
智希は亜紀の方を見ずに言う。制服の上からエプロンを付けて鉛筆を動かしている彼女は美術部員である。
「謝った方がいいよね……?」
きうっ、と赤い膝かけを握りしめる亜紀。手の中で、白と黒と緑の線が交差し、乱れ、丸まっている。智樹は溜息をつくと言った。
「亜紀がそう思うなら、そうすれば?」
右手に持った筆を器用に扱いながら、智希は続ける。
「私からしてみれば、あんたらカップルはとっとと言葉にした方がいいタイプなの。そうしないと亜紀はいつまでも言いださないし、空は感情に振り回されて暴走する傾向あるし。冷静に勇気を持ってちゃんとした言葉にしなさい」
A四の紙の上に風景が乗せられていく。大きな空と天に腕を伸ばす少女の絵。綺麗だけど、どこか寂しくて悲しい感じがする、そう亜紀は感じた。
シィン、と静まりかえる美術室。と、そこに。
ぐぅうぅうぅ…………。
「……え」
「あっちゃあぁ……、やっちゃった。ねぇ亜紀、お昼にしよっか」
智希が笑った。
二つの机を合わせて、二人は昼食をその上に乗せる。
「え……、亜紀なにその組み合わせ?」
「へ、変かな……?」
亜紀の目の前にはコンビニの袋が置いてあり、そしてそのビニールの中に見えるのはサクサクパイチョコ味(紙箱)とLチキ、だけ。それだけだ。
「おかしとチキンオンリー……?」
「だって、この前空君が、おいしいから、食べてみろって……」
亜紀の声はだんだん小さくなって、最後には囁く程度になってしまった。そんな様子を見て溜息をつく智希。
「な、なんで溜息~っ?」
「いやいや、思ったよりも黄色信号かもしれないなぁ、と」
首を振り、肉団子を突き刺した箸を亜紀の方へ向ける。行儀悪いよ、なんて亜紀はその先から逃れるように頭を傾ける。
「とりあえず、食べよ?」
「あたしはもう食べちゃってるけど」
そう言って智希は肉団子にかぶりついた。
「あ」
「ん? どうしたの亜紀?」
「見てこれ……、油でべっちゃべちゃ」
しかめつらで亜紀がサクサクパイの紙箱をつまみあげる。窓から差し込む太陽の下で見ると、表面がてかてかしているのが分かる。きっと今、亜紀の指の腹は大変滑りやすく、気持ちの悪いことになっているだろう。
「あー、Lチキだね。包装が紙だから油が染みだしちゃって、それでベターッと」
「うぅ、何このベタベタ本当気持ち悪いよ……」
この段階で油を拭いてもどうにもならない、と亜紀は脂ぎった指のまま昼食を開始する。まずはメインディッシュから、とピリピリゆっくりLチキの包装をちぎっていく。……仕舞には面倒になって一気に引きちぎったが。
「いただきまーす」
前歯で一口分を噛み切り、そのままもきゅもきゅと噛む、噛む。
「…………」
「どう? 空君おすすめのLチキは?」
「うーん……、ちょっと油っぽい、かな」
「そっ……か」
ちょっと喋りづらい雰囲気になる。
――――あんなにおいしそうだったのに。
以前、二人で模試を受けに行って、昼食を食べるときに空がLチキを食べていたのだ。
「それ、ローソンのだよね。おいしい?」
「え、亜紀お前食べたことねーの? マジ? ちょ、駄目だって! Lチキは一度ぐらい食べとけ!」
「じゃあ一口」
「やだ。これは俺の」
「……ケチ」
ぷすっ、と頬を膨らませる。そこを空につつかれ、亜紀の頬のふくらみはしぼむ。
「一人占めしたいほどおいしいの?」
「おー、そうだなぁ。肉自体がうまくて、噛むとちょっとピリッとするんだ。だがそれがたまらん! モフモフのカリカリでさぁ、食べ終わると自然にまた食べてぇ! って思うんだな、これが!!」
「わ、や、空君、声、大きい!」
あまりの熱を入れたLチキ語りはつい大声になってしまい、同じ教室の他の受験生たちの視線を集めることとなってしまった。慌てて両手を振り、静止させようとするが一向に空のLチキ語りは止まろうとしない。ますます視線を集め、一人亜紀だけが顔を恥ずかしさに染めるのであり、そしてそんな中に考えるのだ。
空君がこんなに熱く語るんだもの、きっとおいしいに違いない。
――――それがこの様だ。
彼氏が好きだから私も好き。そんなことは全くもってないのだ。相手は自分ではないし、自分は相手ではないし。
口の中も、外も油がついている。親指で拭っても付いてくる。あぁまるで私たちの関係みたい、なんて思うだけなんとも詩的で中学生みたいだったので、亜紀はウェットティッシュで指を綺麗に拭うと、サクサクパイの箱を開けることにする。
サクサクパイチョコ味は、亜紀を甘やかしてくれる。
だから、一口一口を丁寧に味わう。
サクサク、サクサクと一口パイを味わっている最中に、ブーッ、と机の上でけたたましい振動音がした。亜紀の携帯がチカチカと光っている。
誰からだろうか、と上体を伸ばして携帯をとる。
『四時に、駅前のローソンに』
そんなメールの着信合図だった。差出人は空で、普段なら使うはずの絵文字も顔文字もない無機質なメール。あまりの変わりようをまざまざと見せつけられているようで、亜紀はグッと涙をこらえた。
――――今日は、特別な日、なのに……。
今日と言う特別な日を、亜紀は手帳にピンクのペンでマークしていた。何よりも大事な日で、空に笑顔になってもらおうと思っていた。けれど――――
「どうしたの?」
「空君が、四時に駅前のローソンに来てって……」
「ふぅん……、今一時だからあと三時間もあるじゃん。どうするの?」
「え、と……ここにいていいかなぁ。六時から塾あって、宿題やらないといけないから……」
「いいよ。どうせ今日は他の美術部員も来ないって言ってたし」
そういうと、智希はまた水彩画の続きに入る。紙の中で一番広い面積を占める空を塗るために、青と白の絵具をパレットに出し、筆で混ぜる。色々なところから色を採り、紙の上に載せていく。二つの色から、様々な青が載せられていく。
綺麗な空。
紙面の青空はどうしようもなく、亜紀の彼氏を思い出させる。
――――空君は本当に空みたいだね。
そう言ったこともあったかな。なんて亜紀は回顧する。付き合い始めて一週間目ぐらいの帰り道に、すがすがしい秋晴れのときにそう言ったら、空は、そうか? 名前に性格がくっついたのかな? と笑っていた。
亜紀が窓の外を見ると、雪がちらついていた。
「空君……」
ローソンの壁にもたれかかるようにして、空は立っていた。亜紀とは違い、私服で、この寒いのにマフラーもしていない。亜紀が近づいていくと、それに気付いた空はゆっくりと顔を上げ、イヤフォンを外した。
「よぅ、亜紀」
「一週間ぶり、かな」
「そうだな。ずっと電話してなかったし、昨日今日と一緒に登校もしてなかったしな」
こっち来れば? と空が手招きをするので、亜紀は隣に立つ。ちょうど屋根の下なので、傘を閉じた。
「すげぇな、雪」
「そうだね、三時ぐらいから降り始めたのにもううっすら積ってる」
空が勢いを付けて右脚を蹴りあげると、雪と水滴が近くの車に当たった。
雪はしんしんと降り続いている。
亜紀はポケットの中に手を突っ込む。寒さでかじかむ指先を、カイロが温めてくれる。
「あの、さ……」
黙って立っているだけが怖くて、亜紀は話しかけた。
「Lチキ、食べた」
「あぁ、そうなのか。うまかったろ?」
「あ――――」
言葉に詰まった。本心を伝えるべきか、嘘を言うべきか。おいしかったよ、まずかったよ。両方違う気がする。
「…………油っぽかった」
「…………そうか」
明らかに空は落胆していた。どうしたらいいのか分からず、ただ亜紀は自分の食べた時のことを話した。
美術室で智希と一緒にご飯を食べたこと。サクサクパイの紙箱に油がくっついたこと。その油はLチキだったこと。とそこで、おい待てよ、と空が話の腰を折る。
「ローソンの店員は、お早めにお食べください、とか言うぜ?」
「え? 言わなかったよ?」
「店員誰だった?」
「おばちゃん」
「そりゃ駄目だ、若い男の人じゃねぇーと言ってくれねぇ。おばちゃんなんてのは他の客とすぐ喋ってレジを止めるからな」
あ、ちょっと缶コーヒー飲むわ、と空は上着の中からコーヒーを取り出す。どうやら亜紀が来るまでの間、それをカイロ代わりに待っていたようだ。ぷしっ、と音がする。少しずつ、少しずつ飲んでいるようで何も音はしない。それとも音は、雪に全て飲みこまれてしまったのだろうか?
「え、とそれからね」
沈黙が降り積もるのが怖くて、絞り出すようにまた昼食のときのことを話し始める。Lチキを食べたこと。手が油っぽくなったこと。食べた感想。とか。とか。
一方的に話す亜紀。空は缶コーヒーをちびちびと飲み続けていて、相槌一つうたない。次第に落ちていく話のペース。そして最後には、重い、沈黙。
「――――」
「…………」
二人して、雪が降るのを見るだけ。
黙って白を見ていると、カランと乾いた音がした。
缶と缶がぶつかる音。右手をまっすぐ伸ばして、ゴミ箱に投下。
何を?
「なぁ、亜紀」
そして空は。
「別れよっか」
雪はミゾレに変わっていた。
空は亜紀に背を向けた。けれど立ち去ろうとはせず、黙って、うつむいて、立っていた。
そんな背中にそっと近寄る。
亜紀よりも随分と高かったはずなのに、どうしてか今は小さく見えた。
ミゾレの降る空は、灰色の雲に覆われている。亜紀は、どこまでも澄んだ空が好きなのに、雲に覆われている。
綺麗な青が、いい。
亜紀は空の首にマフラーを置いた。
青い、マフラー。
空に秘密で、選んだ。絶対にばれないように、最近は必要最低限しか会わなくして、言葉も慎重に選んで。何より、空を驚かせたかったから。
――――今日は君の誕生日。
亜紀は静かに後ずさると、空に背中を向けた。
背中の方から声がした。
「Lチキは、バンズと一緒がうめぇんだよ」
冬の、話。
どうも玖月です。
今回のこれは”ローソン小説”
ローソンを使えば何でもアリということで(公式企画)
書かせていただいたものです。
先に言っておきますが、Lチキへの愛はありますよ!
この次にはメイキングをつっこむ予定です。
ω・)ノシ。ではでは