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深森の魔女セルリアの物語  作者: 端月小みち
第一章 唇を奪われたお姫様と片想いの魔女
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第八話 魔女の決意


 箒に乗って再び大公のお屋敷に辿り着くと、セルリアはレイラ姫の部屋の前のバルコニーに降り立った。それから、窓越しに部屋の中の様子を窺った。


 部屋の中ではレイラ姫が絹のマスクで半分顔を覆い隠した姿で、ベットの上にいくつものトランクケースを広げ、もう今直ぐにでも長旅に出るための支度を整えようとしているかのように、クローゼットから衣類を引っ張り出しては慌ただしげに動き回っていた。


 部屋にはレイラ姫以外には誰もいないことを確かめると、セルリアはバルコニー越しに窓ガラスをノックした。


──コン! コン! コン!

『レイラ様! レイラ様っ! 』


 レイラ姫は魔女の来訪に気がつくと窓際に駆け寄ってきて、部屋の中に招き入れた。


「あなた! よく来たわね。あなたが来るのを待っていた……と言いたいところだけど、少し状況が変わってしまったようなの……」


「状況が変わった? ──」


「昨日、原因不明の病気になって治る見込みもないのでディーン様に婚約辞退のお返事をしてもらったら、明日お見舞いに来られると言うじゃない」


 レイラ姫は天を仰ぐように呟いた。


「あぁ……もうてっきり文だけで諦めて下さると思って、後は辞退了承の報を待つだけだと思っていたのに……面倒くさいことになってしまったわ……」


「あの……レイラ姫? 」


 セルリアはおずおずと申し出た。


「何? あなた、セルリアと言ったわね……」

 

「はい。あの……わたしが今すぐその呪文を解いてお顔を元に戻して差し上げます……と言ったら、婚約辞退の取り消しを考えて下さいますか? 」


「まさか! イヤよ、そんなの! 」


 レイラ姫はにべも無く応えた。


「え! で、でも……ディーン様はとてもお優しく、そして、美しく……しかも、この国の王子様ではないですか……? 」


「もうわたくし、心に固く決めたの……」


 レイラ姫は断固とした様子で椅子に腰を下ろすと腕を組み、セルリアと向き合った。

 

「──この間もあなたには言った通り、わたしには他に好きな殿方がいるの。この姿もあなたが掛けた魔法が原因なのだから、お医者がいくら診たところで原因や治療方法なんて分かるはずもないし、こんな姿になってしまっては、もはやお父様やお母様、それに近しい親族の者達も王族への嫁入りなんて到底無理だと……それはそれは皆とても悲しんで、苦渋の想いだったようだけど……でも、やっと納得してもらえたの。だって家の未来の繁栄を考えたら、王族から申し入れてきた縁談をこちらからお断りするなんて普通だったら考えられないことだもの……でも、その点ではあなたにはとても感謝しているわ……」

「──そうよ。だから、今あの人と駆け落ちできる幸運がわたくしに訪れたの。こんな絶好の機会はもう二度と再び訪れないもの……」


「──か、駆け落ち!? 」


 セルリアはびっくりして跳び上がった。


「あら、そうよ?……ある日の晩餐会で出会った男爵の殿方だけど……今お忍びでこの近くまで迎えに来てくれているわ……家柄はわたくしの大公家とは全く釣り合わないのだけれど……それでも海を渡った隣国で二人切りで楽しく自由に暮らしていきましょう、と誓い合ったの。それに隣国のほうが華やかで文化も流行も最先端だし……昔からそんな風に自由気ままに暮らせることにとても憧れていたのよ。うふふふ……」

「──あなただって魔女として一人で自由に暮らしているんでしょう? わたしは確かに普通の人よりは桁違いに裕福で恵まれた生活を送ってきたわ……でも内実はお姫様、お姫様とチヤホヤされて……何から何までお仕着せばかり……生まれてからずっと自由なんかとは無縁で退屈な生活を送ってきたのよ? それはそれはまるで籠の中の小鳥のよう。これは本当のことよ? 」


 セルリアはレイラの瞳をじっと見詰めた。


「──だから、あなただってわたくしに酷いことをしたと少しでも思っているのだったら、わたくしに協力して頂戴。もうこうなったら、わたくしは明日、この醜い姿をさっさと王子様の前に晒して、不治の病であることをよく分かって頂くつもりよ? それで晴れて婚約のご辞退に同意してもらえた暁には、療養のために海外で静かに過ごす……そういうことにしたいのよ……」

「──勿論ほとぼりが冷めるまでは向こうに行っても病気を装って顔はちゃんとマスクで隠すわ。でも海を渡る前にはあなたに元に戻してもらいますわよ……でもそれは今ではなく、明日ディーン様にわたくしのことを諦めてもらった後のこと……」

「──さぁ! お分かり頂けたかしら、セルリア? じゃあ、そういうことだから……わたくしは旅の荷造りを続けさせてもらうわね? 」


 レイラはそう言って立ち上がった。


「──いいわね? だから、明日の今頃にもう一度ここへ来て頂戴ね? 」


「そうですか……」


 セルリアはレイラ姫の固い決意を覆すのはもう無理だと悟った。

──ディーン様、決して変な気を起こさずにレイラ様の言葉に納得してもらえるかしら……


 セルリアはそう思うと一抹の不安を拭い切れないまま、もう一つの事実も伝えないといけなかったことを思い出した。


「あの……それと……実はレイラ姫に前もってお詫びしたいこともあって、今日はこうしてやって来たのです……」


「え? 何? 一体何があったのよ? ──」


 レイラは嫌な予感を感じて、魔女に駆け寄り、その緑色の瞳のそばかす顔をじっと見詰めた。

 すると、セルリアは本当に申し訳ないという風に頭を下げ思い切って告白した。


「あの……先ほどは呪文を解いてお顔を元に戻して差し上ますとは申したのですが、実は……そのぉ……一つ、レイラ様の下唇の方を失くしてしまったようなのです……」


「なっ! ……何ですってぇっ!! 」


 レイラ姫は目を剥いてセルリアに詰め寄った。


「──あぁっ! わたくしの唇が! ……しかも、わたくしの下唇の形は自分でもすごく気に入っていたのに……あぁ……もうお終いだわ。全てが水の泡……ディーン様との婚約話の解消ができたとしたって、こんな姿のままで海外なんて行きたくもない……わたくしはあなたがちゃんと元に戻してくれるという言葉だけを最後の望みの綱にしていたのに……」


 レイラは天井を見上げ嘆いた。


「おぉ、何てことなの! ……藁をもすがる気持ちで魔女の言うことなんかを信じたわたくしが馬鹿だった……」


「あ、あの……もっとよく探しますから……取りあえず一つだけ……上唇だけでもと思って……」


「──もぉっ! イヤよっ! そんなの駄目に決まってるじゃない!! もし二つとも返してくれないのなら、いっそのことわたくし、毒をあおってここで死んでしまいますわっ!! 」


──そ、そんな……レイラ姫までディーン様みたいなことを……

「……死ぬなんて言わないで下さいな……」


 セルリアはここに来るまでには箒に乗りながら覚悟だけは決めていた。そして、もうそうすることに腹を決めた。


「……それでは、レイラ様? ……下唇が見つかるまでの間、わたしの唇を差し上げますわ! 」


「えっ! あなたの唇を?! 」


「はい。そうです……」


 セルリアはそう言って目を瞑って顎を上げ、自分の唇をレイラ姫に向けて突き出した。


「……あ、あの……ごめんなさい。色と形はレイラ様ほどお綺麗ではありません。わたしの下唇はレイラ様ほど艷やかでぷっくりと……鮮やかに赤く染まっている訳ではありませんが、タラコ(コッド・ロー)の唇よりは……その……少なくとも……駆け落ちを取り止めてしまわれるほどに悲嘆するには及ばないと思いますから……」


 レイラ姫は差し出された魔女の下唇を繁々と品定めするようにじろじろ眺めた。


「……まぁ……そうね……確かに色艶(いろつや)と形はわたくしのよりは随分と見劣りしますけど、確かにこれよりはましね……紅でお化粧すれば取りあえずは向こうでも大きな支障にはならないわね……」


 レイラ姫は渋々ではあるが、小さく頷いたのを確かめると、


「では明日無事にディーン様があなた様をお諦めになった暁には、改めて唇の付け直しの呪文を掛けて差し上げますわ。では、今日はこれで失礼します」


 セルリアはレイラにそう告げると箒に跨り、帰路についた。



※◇※◇※◇※◇※


 その夜、セルリアは使用人部屋で独り明日ディーン王子に渡す約束の薬を準備していた。しかし、今薬瓶に注ぎ込んでいる液体は、依頼された毒薬ではなく単なる眠り薬であった。


 ディーン王子がもし婚約を辞退されたら毒をあおると言った時、そして、深森の魔女セルリアから毒を入手してくれと頼まれた時、セルリアは心の中で半分気持ちを固めていた。


──ディーン様に毒薬なんか渡さない。


 確かにレイラ姫がご自分の今のお姿を正直に晒して不治の病であることを告げたら、きっと納得して諦めて下さるとは思う。その後、人生に絶望して毒薬をあおるなんてことはきっとしないはずよ……


……でも もし本当に毒薬を飲んでしまわれたら……


 セルリアはそう考えた時、魔女になって初めて取引において嘘をつこうと思った。


 魔女の世界にも守らないといけない不文律の掟がある。それは依頼主からの依頼は絶対に守らないといけないということ。普通の人同士の商いの世界にも共通する至極当然のルールである。


 もしそれに違える取引をした場合、その悪い風評はすぐに口づてに広まり魔女としての信用は地に堕ち、その後の商売においても悪い影響が出る。そのことは当然としても、そのような悪い噂は、広いようで狭い魔女の世界(コミュニティ)においても速やかに広がり、魔女として真っ当に生きて行くこと自体が難しくなる。


 世の悪しき『黒魔女』と(まこと)し『白魔女』の対立はそのようにして形成されていった。


 セルリアが白き魔女として生きていくために最悪の事態を回避したいのならば、不正な取引によって得た利得の可及的速やかな返還ばかりでなく、もしもその不正な取引によって相手が被害を被ったのならばその被害に対して誠意ある償いを済ませる必要がある。


 そればかりではない。


 魔女と普通の人とは住む世界が違う。本来互いの関係性は必要最低限に保つべきであるとの原初来よりの魔女の心得をルーツに、一旦その様な誤った接触を持つに至った相手とは、それが如何に些細なトラブルであれ、継続(・・)的な関係は即刻断ち切らなければならないという厳然たる掟がある。


 不正を働いてしまった相手に対してはそれがいかなる理由であれ自分から身を引く──つまりはさよならをする──ということだ。


 魔女の世界(コミュニティ)のルールは、個々の魔女に対してそこまでの行動を厳格に要求する。


 次の日の朝、それでもセルリアはディーンからの依頼に違え偽りの『毒薬』を手渡した。


 それからセルリアはディーンに言った。


「……深森の魔女からはお代は要らないのでお返し下さいと言付かりましたわ……」


 そう言ってディーンから毒薬の代金として受け取った金貨の入った袋はそのままディーンに返した。


「……でも……それでよかったのかな? 」


「はい……今回は以前森の中で使った傷薬を大層褒めて頂いたお礼だそうですよ……」


「そうか……」


 ディーンの心はすでに心ここにあらずであった。そうとだけ応えるとセルリアから受け取った『毒薬』を懐に忍ばせて不退転の決意で大公のお屋敷へと向かって行った。


 セルリアはディーンの無事を願い、その後ろ姿をいつまでも見守っていた。



※◇※◇※◇※◇※


 ディーンのレイラへのお見舞いの訪問は終わってみると、ディーンが人生への失望のあまりにその場で『毒』をあおるという事態にはならなかった。


 レイラ姫はセルリアに言った通り、ディーン王子に自分の顔を堂々と晒し、その上で静養のため暫く隣国に渡ることを告げた。

 そして、治る見込みのない病ゆえ婚約は辞退させてほしいと懇願した。


 ディーンはそれでも、レイラの静養の地で手厚く治療のサポートをさせて欲しい旨を熱心に申し入たが、レイラは療養に専念したい想いを切々と訴え、自分を想ってくれるその気持ちは大変に嬉しく光栄だが、今の自分にはともするととても辛く重荷となることを伝えると、ディーンは天を仰ぎ苦渋の想いで婚約辞退の願いを受け入れた。


 宮殿に戻ってきたディーンは帰るなり自分の部屋へと引き籠っていく、その淋しげな背中を見送ったセルリアの胸中は、結果として自分の心配が杞憂に終わり無駄骨を折った──魔女の掟にも触れる不誠実な取引を行った──ことを悔いる気持ちは全くなく、むしろホッとすると同時に晴れやかな気持ちで満ち満ちていた。


──とにかくディーン様が無事にお屋敷に戻って来てくれて本当に良かった。


 それじゃ、わたしは魔女としてのルールを守らないとね……




 その日の夜、レイラ姫は窓の外にセルリアの姿を認めるや、バルコニーに飛び出してきて嬉々として部屋の中へと招き入れた。


 セルリアはレイラ姫にしたように自らの下唇を思いっ切り引っ張り、もう一方の手でレイラ姫の下唇となったタラコを摘み、交換呪文を唱えた。


「──えぇぃっ!! 」


 という掛け声と共に、自らの薄桃色の下唇とレイラ姫のタラコが入れ替わった。それに続けてレイラ姫から奪い取った上唇と上唇となったタラコとの交換呪文も無事にやり終えた。


 レイラはすぐに鏡に駆け寄り、自分の顔を映し見て満足そうに頷いた。


「──あぁ、良かった……取りあえずほとんど元の顔に戻ったわ。深森の魔女、とにかくあなたの誠意は受け入れることにするわ。ありがとう。あとは失くなっているもう一つが見つかったらまたすぐに返しに来て頂戴ね……」


「はい。レイラ様……」


 そうしてレイラに別れを告げ大公の屋敷から戻って来ると、セルリアはタラコに替わった下唇をマスクで覆いながら、直ぐにメイド長のところに行きメイドの職を辞めたい旨を申し出た。



──さようなら……ディーン様……


 わたしはあなたへの儚い願いを携えてここにやって来ました。


 あなたへの想いを叶えることはできなかったけれど、それでも悔いなくやれるだけのことはやったのだから……それでよいのかな……今はそんな気持ちです……


 もうあなたへの想いはこれでお終いにします。


 ディーン様、どうかきっとお幸せになってくださいね……


 さようなら……


 そう想い残して、王子への別れの挨拶もしないまま、セルリアは森深くの自分の小屋へと帰っていった。


いつもご愛読ありがとうございます。


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何卒よろしくお願いしますぅぅ~~!

(╹▽╹)

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