第二話 王子との出会い
使用人に扮して王宮に紛れ込むまでのセルリアは、城から遠く離れた森の奥でずっと昔から独りで暮らしてきた──正確には、気まぐれで我が儘な黒猫の相棒リーウィッドを別にして。
セルリアは魔女見習いを卒業し師匠に別れを告げるとすぐに旅に出た。自分好みの『棲み処』を求めて、数年は箒に跨り世界中を旅して回った。
そしてとうとう年中気候が穏やかで、美しい山々や湖を望む景観豊なこの地が気に入ると、その森の中に居を定めた。
それからもう百年近くが経とうとしていた。
魔女とは、生まれ持った才能として『魔力』という特殊なエネルギーを兼ね備えた、世にも稀有な人種とされていた。
その魔力を日頃から浪費するようなことさえしなければ、魔女はその特別なエネルギーが体にもたらす老化抑制の効果によって普通の人の十倍以上は緩やかに寿命を長らえさせていくことができた。
だからセルリアはもう百年の昔から、人外魔境の地へのドラゴン征伐や宝物探しといった派手な冒険者のパーティーに加わって、毎日思う存分魔力を消費するようなことはしなかった。
深い森の奥に建てたささやかな自分の小屋で、森で採集する怪しげな材料から専ら魔法薬を調合して過ごしてきた。
この深い森で遭遇する魔物や怪物に襲われる危険をも顧みずに、時折切実な願いを叶えるためにわざわざやって来てくれるお客の求めに応じて、毒薬、惚れ薬、眠り薬、変身薬などの魔法薬を販売したり、水晶球や水盤で占いや透視、物探しといった役務を提供しながら、ひっそりと生計を立てて暮らしてきた。
しかし、そんなセルリアはある日恋に堕ちた。
森で狩りを悦しんでいた王子様が、矢で射止めた獲物を深追いしてしまった。供の従者とはぐれた上に、とどめを刺そうと追い詰めた獲物の逆襲を許し脚に深い傷を負って転倒して、そのまま気を失った。
そこに魔法薬の材料探しに、珍しいキノコや木の根、動物の遺骸などを探して森を散策していたセルリアが出くわした。
──えっ? こんなところで人が倒れている?! ……
セルリアは傷つき倒れた、高貴な身なりをした殿方に近寄ると顔を覗き込むなり、その金髪に細面の美しい顔立ちに一目で心を奪われてしまった。
──まぁ、なんてお美しいお方……
セルリアは百年前に世界中を旅して巡っていた間にも、自分好みの男性に少し心惹かれることも幾度かあるにはあった。
しかし、所詮魔女と普通の人間とでは持つ能力や嗜好、生活の習慣に隔たりが大きい。寿命だって魔力の扱いに注意を怠らなければ千年だって軽く生きられる魔女と普通の人間とでは大きく違ってしまう。そんな普通の人々との価値観の相違から、想い人がたとえ現れても、その恋が長く続き、そして成就するようなことはこれまでついぞなかった。
彼女自身ももう普通の男性との恋愛などは自分には無関係な代物と半ば諦め、自分から恋を追い求めるようなこともなく、ずっと長い間独りで暮らしてきた。
しかし、この時だけははっと息を呑むような王子の美しい容姿に思わず目を奪われた。
「……もし……もし? 大丈夫ですか? もし!? ……」
そう王子の耳元に声を掛けながら、王子の腕や胸にそっと触れ少し身体を揺する度に、手に伝わる男性の太く逞しい筋肉とその肌心地に彼女は何十年かぶりに胸がドキドキと高鳴り、身体中が熱く火照っていくのを覚えた。
「う……うぅん……」
「──うっ! 痛っ! 」
王子の意識が戻ると、脚の傷口から走る激痛に王子は思わず呻き声を上げた。
「──あぁ、気がついて良かったですわ! ちょっと待ってて下さいな? 」
セルリアはその場で治癒の魔術を施し王子の傷を忽ちのうちに治すこともできたが、寿命を『節約』するため、のっぴきならない事態に出くわしている時以外は魔法は使わないと心に決めていた。
否。
この時の彼女の素直な想いとしては、むしろ少しでも長くこの美しい王子と接していたい、直に身体に触れて癒して差し上げたいという気持ちが強かったという方が正しかったのかもしれない。
セルリアはいつも持ち歩いている自ら調合した特製の傷薬を手提げ籠から取り出すと、その軟膏薬を王子の脚に丁寧に摺り込んで上げた。
傷ついた王子の太腿の傷口に手を遣りながら、セルリアは王子のその逞しい脚にピッタリと触れるとますます鼓動がドキドキと高鳴った。
「──よかったですわ。急所は外れていますし、思った程には深い傷ではなかったようですわ……」
するとセルリア特製の魔法薬の効果によって、王子の傷はたちどころに回復していった。
「……おぉっ、何てすごい! 傷がこんなにも直ぐに癒えるなんて! これ程によく効く薬が世の中にあるとは僕は初めて知りました」
セルリアは一目惚れしてしまった相手から自分の薬を誉めて貰い、天にも上るような気持ちでニッコリと微笑んだ。
「まぁ! 誉めてもらってとても嬉しいですわ! ありがとうごさいます……あの、良かったら……薬の残りも是非何かの時に使って下さいな? 」
そう言ってセルリアは、軟膏がまだ残っている薬の小瓶を王子に手渡した。
「本当にいいんですか? こちらこそありがとう。あの……良かったら貴女のお名前をお聞きしても良いでしょうか? 」
王子は傷の手当てをしてくれた恩人の顔を確かめるため、目深に被ったつば広の黒い三角帽子の奥をもっと覗き込もうとしたが、セルリアは恥ずかしさのあまり俯いて顔を隠してしまう。
「……わ、わたしは『深森の魔女』です。名はセルリア……」
恥ずかしさで戸惑いながらも、セルリアは辛うじて意中の相手に自分の名を告げることができた。
「──あぁ、貴女が深森の魔女さんでしたか。この森深くに昔から魔女が棲んでいるという噂は僕もたまに耳にしていました。何でも若い魔女さんで、素晴らしい効き目の薬を譲ってくれるとか。それは本当のことだったんですね。今度是非改めてお礼にお伺いさせて下さい」
王子はまるで傷など一つも負っていなかったかのように軽やかに立ち上がると、片手を胸に当て片膝をつき優雅な物腰で魔女に一礼すると素早くセルリアの手を取った。
そして、魔女の手の甲にチュッと優しく口付けを落とした。
「──まぁっ! 」
セルリアは、王子の気品溢れる仕草から突然手にキスをされ、狼狽して思わず声を上げた。
「あぁ……溢れる感謝の気持ちを抑えられずについ……突然のご無礼、どうかをお赦しを……」
王子はそう言って再び頭を下げる。
「い、いえ……わたしは大丈夫……あ、あの……」
「はい。何でしょう、魔女さん? 」
「……セルリアです。あ、あの……貴方様のお名前は……」
「あぁ、僕ですか……僕はディーン、この国の第一王子です──」
「──えっ! まぁっ!! 王子様……でしたのね……」
「はい。ではまたお目に掛かれる日を楽しみにしていますよ、魔女のセルリアさん! 」
そう言ってディーン王子は、その涼やかな青い瞳を輝かせ、セルリアにニッコリと微笑んだ。
「……は、はい。ディーン王子様、よろこんで」
セルリアは帽子のつばの陰で密かに顔を赤らめながらお辞儀をすると、その場を立ち去っていく王子の後ろ姿をいつまでも見送っていた。
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