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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
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第九話 うたた寝

 スウェードバーク刑務所。

 ソルノット北西部の荒野に位置する監獄であり、ソルノットで捕らえられた犯罪者のほとんどがここに送られる。

 監獄としては大陸でも五本の指に入る規模を誇るそれは、ゴートウィスト家によって厳重な管理体制を敷かれている。

 大きさの異なるドーナツ状の棟が重なったような構造をしており、全六層の円形建造物となっている。

 最も外縁に近い棟を第一層、最も中心に近い棟が第六層。

 第一層に収容されるのは、基本的に刑期の短い軽犯罪者。危険な犯罪者ほど中心に近い棟に収容される。

 第五層以降から生きて出る受刑者はごく稀であり、特に第六層に収容されている全員が死刑囚である。

 業務効率化のために裁判所が併設されており、ここで裁判を受けた者がそのままスウェードバーク刑務所に移送される。

 遮蔽物の無い荒野の中央に建造されており、スウェードバーク刑務所へと向かうには、専用の馬車に乗る必要がある。

 今まさにロウリ達が乗っている馬車がそれであった。


「ふぃ~。これってどんくらいかかんだっけ?」


 四人で座るにしては広めの馬車の中、席に腰掛けたシャルナが言った。


「三時間はかかるよ。スウェードバークの荒れ地は広いし」

「うぇ~、くっそ暇じゃん」


 シャルナの質問には適当に答えつつ、ロウリは頭の中では全く別のことを考えていた。

 それはアルカナンからの脱走について。

 状況だけを平たくまとめれば、ロウリは半強制的にアルカナンに加入させられたことになる。

 スウェードバークへ向かう今回の作戦は、ロウリがアルカナンから脱走するのに最適の機会だった。

 スウェードバーク刑務所はゴートウィスト家のホーム。そこら辺の看守にもロウリの顔は知れている。事情を話せば、助けてくれるだろう。

 スウェードバーク刑務所には戦力の当てもある。もしアルカナンから逃げるなら、今回の作戦をおいて他に無い。

 むしろ、アルカナンの構成員であるシャルナ達を一網打尽にするチャンスですらある。

 問題はシャルナの監視。

 シャルナはドゥミゼルと同様、ロウリにアルカナン加入の意思が無いと知っている人物。

 アルカナンからの脱走を完遂する上で、シャルナは最大の障害になる。


(そもそも、ドゥミゼルはなんで私にこんなチャンスを……?)


 ロウリにとって、そこが最大の謎だった。

 何故、ドゥミゼルはロウリに脱走の機会を与えるような真似をしたのか。

 ロウリの立ち回り次第では、主戦力であるシャルナを失うリスクすらあるというのに。


「ロウリ」


 再び、シャルナに名前を呼ばれた。


「お前が何考えてるかしんねーけどさ、私はお前のこと味方だと思ってるぜ。ま、敵になってやり合うんでも、それはそれで楽しそうだけどさ」


 あっけらかんと言ってのけるシャルナ。

 アルカナン脱走について思考を巡らせるロウリとは対照的に、シャルナは深く考えていないように見えた。

 どこまでも気楽で、ラフで、シンプルな言葉。

 裏表の無い言葉を放つシャルナの前で、ロウリは自分の深謀遠慮がひどく下らないもののような錯覚を覚えた。


(そもそも、私は――――)


 脱走できるとかできないとか。

 シャルナ達を捕まえられるとか捕まえられないとか。

 それ以前に、ロウリが考えるべきこと。


(私は、アルカナンから抜けてどうするの……?)


 アルカナンから上手く抜け出して、ゴートウィスト家に戻って。

 また善人の仮面を被り直して、誰にでも優しい理想の道徳家を演じ切って。

 父の期待に添うような魔術で結果を残して、ゴートウィストの家督を継いで。

 死ぬまで、この街の浄化に努める。

 そういった正しい人生を歩むことに、ロウリは耐えられるのだろうか。


「あっ、シャルナさん。これっ、昨日作ったんですっ。馬車に乗るって言ってたから、中で食べようと思って……」

「おー! クッキーじゃん。さんきゅー」

「え、えへへ……」


 ロウリの向かい側の席では、ルーアがシャルナに手作りのクッキーを渡していた。

 ボリボリとクッキーを頬張るシャルナ。

 その隣でモジモジとするルーアはやはり顔を赤く染めている。


 ――――私には一生友達なんてできないんだぁ!


 ふと、昨日のルーアを思い出した。

 情緒不安定になったルーアが言っていた泣き言が、不思議と脳裏に張り付いている。


(私も初めてだったよ)


 ルーアの嘆いていた内容は、案外、ロウリにも当てはまっていた。

 ロウリは一人っ子。兄弟姉妹はいないし、父親との関係も良好とは言えない。

 次期当主という立場も相まって、ロウリが関わる人間も立場のある大人ばかりだった。

 同年代の知り合いといえば、リュセルくらいだろうか。

 そのリュセルにしても、本音で話し合ったことは無い。そもそも、ロウリが素で関わり合える人間など、存在していたのだろうか。


(友達、なんて……)


 視線を横に移す。

 ロウリの隣の席にはツウィグが座っている。

 窓から差し込む陽射しの暖かさにやられたのか、ツウィグは眠そうに目を擦っていた。

 カクカクと揺れる頭は、今にも眠りの中に落ちていきそうだ。

 車窓から差す陽だまりの中、白髪の頭が揺れる。眠たげに細められた眼は、灰緑色にくすんでいる。

 その眠そうな顔が可愛くて、美しくて、手を伸ばせば触れられることが奇跡のようだった。


「眠い?」


 まとまらない思考を誤魔化すように、ツウィグに声をかけた。

 そういえば、ツウィグもシャルナやドゥミゼルと同様、ロウリがアルカナン加入の意思が無いと知っている人物だった。

 ロウリは彼に声をかけるその瞬間まで、すっかり忘れていたことだったが。


「……別に」


 ツウィグはぶっきらぼうに返す。

 素直じゃないその態度も、少しだけ乱暴な言葉遣いも、今はどうしてか愛しく思えた。

 そういう如何にも悪童らしい在り方は、ロウリ自身には許されなかったからだろうか。

 こういう風に生きてみたかったという願望も含めて、ロウリはツウィグの横顔に見惚れていた。


「寝てて良いよ。着いたら起こすから」

「別に眠くないって言ってるだろ」

「監獄まで長いよ」

「だから良いって。しつこいぞ、アンタ」


 乾いた問答の中、馬車に揺られてロウリの黒髪がたなびく。

 赤を帯びた黒が揺蕩う。揺蕩っているのに、どこか芯が通ったような姿は、脆く美しい彼岸花を思わせる。


「ねえ」


 ロウリは自身の身体が水に沈んでいくような錯覚を覚えた。

 考えれば考えるほど、少しずつ暗い水底に引きずられていくようだ。

 アルカナンで犯罪者として生きるなんて馬鹿げている。一時の血の迷いで犯罪に手を染めて良いはずがない。それも、監獄落としなんて大犯罪。

 冷たい思考が回るほどに、ロウリは正しい方へと沈んでいく。道徳という鎖に体を縛られて、善という水底へと沈んでいく。


「ロウリって呼んでよ」


 ぽつりとロウリが零した。


「は? なんで昨日会ったばかりのアンタを――――」

「良いから」


 それは溺れそうなロウリが、縋るように投げた言葉だった。

 正義に溺死させられる前に引き上げてほしくて、気紛れに水面の上に伸ばした掌。

 その掌を、彼は――――


「……ロウリ」


 困惑気味に掴み取った。

 彼女の意図も心理も知らぬまま、ただ彼女が伸ばした掌を掴むように、その名前を呼んだのだ。


「ほら。これで満足か? 急に何なんだよ、ホントに……」


 少年の声を聞き届けて、ロウリは静かに目を閉じる。

 陽射しの暖かさと馬車の揺れに身を任せて、靄のように揺蕩う思考には蓋をした。

 これ以上、何も考えなくて良いように。

この先どうするのか、これから先どうやって生きるのか。

そんな小難しい話を、もうこれ以上頭の中で反芻しなくて良いように。


「うん、満足――――」


 少女は耳に残る甘い響きだけを抱えて、ゆっくりと眠りに落ちていく。

 水底から浮上するような安眠は、少女のささやかな現実逃避。

 目覚めてからのことは、目覚めた後の自分に丸投げして、ロウリ・ゴートウィストは眠りに就いた。



とりあえず寝る。ストレス社会を生きる上で大事なことだと思います

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