epilogue.2 アズ・リシュル
私がソルノットから回収した遺体は、シャルナの他にもう一つある。
アズ・リシュルというアルカナンの中枢メンバーのものである。
竜人という希少価値を持っていたシャルナとは異なり、アズは純粋な人間に過ぎない。
故に、至極合理的な思考のみで動くなら、彼女の遺体を回収する必要は必ずしもなかった。
私が彼女の遺体を回収したのは、ひとえに彼女を弔う機会を失わないためである。
ここまで悪逆の限りを尽くした犯罪者に、墓を立ててやるほどエルグランは優しい国家ではない。
故に、確かな保証があったわけではない。
ただ、親族を探し出して事情を説明すれば、墓くらい立ててもらえるかもしれないと思ったのだ。
アズの家族を探すのは、シャルナの時よりも遥かに難航した。
結果から言えば、アズの家族と思われるリシュル家が暮らしていたのは、ソルノットを遠く離れた他国であった。
私が影窓魔術という長距離移動に適した魔術の使い手でなければ、決して見つけられなかっただろうと思う。
それでも、私が家族の下へアズの遺体を届けることを諦めなかったのは、死に際の彼女の顔が瞼の裏に焼き付いて離れなかったためである。
あの短気で癇癪持ちのアズが、背後から心臓を刺した私に怒ることなく、ただ信じられないような目で私を見つめていた。
あの時のひどく悲しそうな顔が頭から離れず、毎晩私を苛んでやまない。
アズを家族の下で正しく弔うことができれば、この苦しみも少しは和らぐかと思ったのだ。
「そんなのはウチの娘じゃない。帰ってくれ」
リシュル家を訪問した私に浴びせられたのは、そんな言葉だった。
初めは突然の訪問者である私にも優しく対応してくれた男が、アズの名前を出した途端、不機嫌にそう吐き捨てたのだ。
私は一瞬、何を言われているか分からなかった。
私の調査が正しければ、彼はアズの父親であるはずだ。
というか、完璧に裏も取れている。
目の前に立っている男はアズの実の父にも関わらず、娘の訃報に対してそのような言葉を言ってのけたのだ。
私は食い下がろうとしたが、男は聞く耳を持たずに家の戸を閉めてしまった。
私は家の前にしばらく立ち尽くしていたが、いつまでもそうしているわけにはいかないので、近くの喫茶店に立ち寄った。
頼んだ珈琲は味がしなかった。
私の両親はどちらも半魔族であるが、親からあそこまで酷い物言いを受けたことはない。
DNAの半分に人類を滅ぼしかけた化け物が入っていても、血の繋がった子供をああも無下にはしないのだ。
それとも、アズの行った悪事の数々は、死してなお親元に帰れないほどの罪なのだろうか。
「お兄さん、今一人ですか? 私も一人なんですけど、ご一緒できないかな~って」
席で珈琲を啜っていると、一人の女性に声をかけられた。
私に声をかけた理由はよく分からないが、向かいの席に座ってもらった。
店が混んできて相席するしかなくなったのかと思ったが、店内にはまだ席の空きがあった。
本来ならば、詐欺や勧誘といったことを警戒しなければならないのだろうが、この時の私にはそこまでの心の余裕が無かった。
故に、彼女の相席を許した。
話を聞く限り、彼女はこの辺りで生まれ育ったらしい。
ちょうど良かったので、リシュル家について訊いてみた。
「ああ、リシュルさんの所ですか? 私、娘さんと知り合いですよ」
「……? アズと知り合いなんですか?」
「アズ……? いや、私が知ってるのはユネスさんですけど」
聞けば、リシュル家にはユネスという娘がいるらしかった。
二十六歳だというので、アズの姉にあたる人物だ。
「ユネスさんもよく愚痴ってますよ。子供の頃は大変だったって。親が子供には学者になってほしかったみたいで、毎日勉強三昧だったらしいですよ。酷いですよねぇ。子供の頃なんて一番遊びたい盛りなのに」
彼女にユネスという人物について詳しく訊いてみたが、妹がいるという話はついぞ出てこなかった。
私が彼女について分かったのは、大体の人柄や職業程度のもの。
今はフィールドワークを中心に学者として活動しており、親元を離れて生活しているのだとか。
子供の頃に制限されて育った反動で、今はかなりの遊び人らしく、多くの男性と関係を持っているらしい。
人柄については、どこかアズと近しい部分を感じた。
「そんなに気になるなら紹介しましょうか?」
私があまりに熱心に尋ねるので、彼女はそんなことを提案してくれた。
アズの親に門前払いを食らった私にとって、ユネスという人物は唯一残る手がかりだった。
私は藁にも縋るような思いで、彼女の提案を受け入れた。
ユネスという人と会うことになったのは翌日の昼。
私は先日と同じ喫茶店で二人席に座り、彼女を待っていた。
先日会った女性が私の外見を伝えてくれたとのことだが、私は相手を見たことがなかったので、待ち合わせが上手くいくか不安だった。
扉から入ってきた女性を見た途端、それが杞憂だったと気付いた。
似ている。
喫茶店に現れた女性は、確かに私の知るアズの面影を残していた。
たとえ街中ですれ違ったとしても、彼女がアズの親戚ではないかと思える程度には、本当によく似ていた。
簡単な挨拶を交わした後に、私はすぐに本題に入った。
「ユネスさんには……妹がいますか?」
そう尋ねながら、私は嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。
恐れていたのだ。
このユネスという人物にも、アズ・リシュルなどという妹はいないと言われてしまえば、私はもう完全に寄る辺を失ってしまう。
「はい。妹は小さい頃に出て行ったっきりですけど」
だから、彼女にそう言われてホッとしたのを覚えている。
私は腫れ物に触るように慎重に、アズについての顛末を話した。
先日の出来事が軽いトラウマのようなものになっていた。
だから、重要な部分はできるだけ隠して、遠い土地でアズが死んだということだけを話した。
すると、ユネスという人物はひどく冷淡な顔をして、こんなことを言った。
「ウチの家、すごく教育熱心だったんです」
ユネスさんの語った話は、先日も少し聞いている。
ただ、そこにアズ・リシュルという妹の存在が付け加えられていた。
比較的勉強が好きだったユネスさんと違い、アズは外で遊ぶのが好きだったこと。
そんなアズはよく母親に叱られていて、渋々勉強机に向かわされていたこと。
学者になることに疑問を抱かなかったユネスさんと違い、アズは幼い頃に騎士になりたいと言っていたこと。
アズの幼少期の夢を聞いて、私は胸が締め付けられるような想いになった。
ワイヤーを利用したアズの戦闘スタイルは、連邦騎士団でも十分通用するレベルに達していた。
恐らく、犯罪者であるアズが人に技術を師事する機会は無かっただろう。あの性格で人に教えを請うとも思えない。
独学であれだけの戦闘技術を身に着けていたのだ。
騎士になれる素養は十分にあった。
「アズは家を出て行く時、母の両脚を折っていったんです」
そんなことをするはずがないと言えたなら、私はどれだけ楽だっただろう。
だが、私には確信できてしまった。
きっと、ユネスさんが語ったことに嘘は無いのだろう。
アズは短気で暴力的だ。
気に入らないことがあれば暴力に訴える癖は、アルカナンでも度々見られた傾向だ。
彼女が家で母親を攻撃していたとしても、何ら不思議は無いことだった。
むしろ、殺していないのが不思議なくらいだ。
アズはそういうことをする。平気で他人を踏みつけにできる人間だと、私はアルカナンでの経験からよく知っていた。
「あれから母はずっとベッドの上で暮らしてます。……母も父も厳しかったけれど、決して私達に暴力は振るわなかった。愛情だって無かったわけじゃない。それなのにあんな仕打ち……私はもう、アズのことを家族だとは思えません。弔いも、私にはできそうにない」
その言葉を最後に、ユネスさんは席を立った。
全ての会話を終えてから、ここまで話してくれたことがユネスさんの譲歩だったのだと気付いた。
本当は母親の両脚を折っていった人間のことなど、一秒だって思い出したくはなかったのだろう。
墓を立てて弔ってほしいなど、おこがましいにもほどがある。
ここにアズ・リシュルの居場所など無かった。
アズはそれほどのことをしたのだと、私は改めて気付かされた。
――――それでも、ここはあたしの居場所なのよ。初めて、あたしがあたしらしくいられた場所
生前、アズが言っていたことを思い出した。
その言葉の重みが、今になって私の中でひどく大きくなっていく。
どんな形であれ、アルカナンはアズにとって唯一の居場所だったのだ。
短気で暴力的だったアズを、アルカナンでは誰も否定しなかった。
勉強しろと迫ることもなく、家族の絆なんてものを押し付けることもなかった。
初めて、アズがアズらしくいられた場所。
それがあの悪意に満ちた場所だったとしたら、どんな運命の悪戯だろう。
外野からはいくらでも言える。
もっと他の方法があったはずだと、アズの心情を汲みつつ周囲とも摩擦を生まないやり方が、あったはずだと主張できる。
それこそ、幼い日のアズを連邦騎士団暗部の養成施設にぶち込めば、全て上手くいったような気さえする。
でも、アズにとってはアルカナンしか無かったのだろう。
彼女の人生において、彼女の存在を肯定してくれる場所は、犯罪組織にしか無かった。
犯罪組織に居場所を見出して、自分勝手に暴虐と悪逆の限りを尽くした。
だから、その報いを受けるように、死後も家族に受け取りを拒否され、誰に弔われることなく終わりを迎える。
どうしようもないくらい自業自得で、言い訳できないくらい因果応報で。
それでも、私は思わずにはいられないのだ。
誰かが正しい形で彼女の存在を肯定してくれたなら、と。
リシュル家を訪問した後、私はソルノット北西部の外れへと向かった。
そこにアズの遺体を埋め、小さな石碑を立てた。
誰の目にも留まらないだろう僻地で、私はひっそりと彼女を弔った。
せめて、この小さな石碑の一つでも、彼女の居場所になってくれますようにと願いながら。
居場所が無いって、どうしようもなく詰んでいる。




