最終話 最悪な人生の終わり
どれだけ、戦っていただろうか。
ほんの一瞬の出来事だった気もするし、気の遠くなるほど長くなるような時間だった気もする。
夢のような時間が過ぎていく。
地上を駆け抜けて、大空を飛び回って、シャルナと互いの命を削り合った。
たかが、人間二人の殺し合い。
私もシャルナも、ドゥミゼルみたいに凄い野望があるわけじゃない。人並み以上に生に執着するタイプでもないと思う。
だから、こんな戦いに大した意味は無い。
必死になって戦って、どっちかが最後に死ぬだけ。
たかがそれだけのことに、こんなにも胸が熱くなって、こんなにも夢中になっている。
「フゥウウウウウウ――――――――ッ!」
私は空を舞っていた。
私よりもさらに高い空から、シャルナの雄叫びが聞こえる。
雄叫びと共に降り注ぐは蒼炎の雨。
無数に降り注いでくる焔の一つ一つが、私にはやけにくっきり見えている。
剣の射出と鎖を利用して空中を飛び回り、襲い来る蒼炎を避ける。
蒼炎を避けながら、シャルナのいる方へと昇っていく。
「来いよォ! ロウリ!」
叫ぶシャルナは満身創痍だった。
けれど、それは私も同じこと。
全身傷だらけでボロボロで、もうずっと動きっぱなしで汗だくで。
でも、何故か二人共、ずっとスピードを上げながら戦っている。
「言われなくても、すぐぶっ殺してあげるよ」
私は一気に上昇し、シャルナのいる位置さえも飛び越して、高く高くへと舞い上がる。
そして、遥か上空。
ありったけの魔力を込めて展開した、無数の剣の群れ。
私が今までに使ってきた呪術の中で、最も強く濃い呪詛を込めたと断言できる刃の数々。
「そうだよ! そう来なくっちゃなァ! ロウリィ!」
大量の剣を前にしても、シャルナは構わず突っ込んでくる。
爆風に乗って飛んで来るシャルナに、剣の雨が襲いかかる。
一本でも刺されば勝てる。
けれど、シャルナは蒼炎の噴出を細かく調整して、剣を完全に躱しながら迫って来る。
剣の乱射をほとんど抜け、私の目前まで迫ったシャルナ。
その右手には凝縮された蒼炎。
剣の雨を完全に避け切ったシャルナは、右手に溜めた焔で私にトドメを刺す。
そんな未来は、一本の剣によって阻まれる。
「なっ、マジか……!?」
シャルナの右腕に浅く刺さっていたのは、銀色に光る鋼鉄の剣。
赤黒い剣の雨の中、私が一本だけ純粋な鋼鉄魔術で構築しておいた一本だ。
赤黒い剣が放つ異様な呪詛性の魔力。
その、中に普通の魔力しか持たない鉄の剣が紛れ込めば、自然と魔力探知で認知しにくくなる。
さらに言えば、ソルノットの街並みは基本的に灰色だ。
銀色の剣は景色にもよく溶け込む。
シャルナからすれば、透明な刃に刺されたような気分だっただろう。
「引っかかったね」
もう武器が届くほどの至近距離。
シャルナの右腕には鋼鉄の剣が浅く刺さっている。
本来はただの剣が竜人の皮膚を貫くはずはないが、腐敗の魔眼で腐った傷口に刺すことで、どうにか刃は通った。
刺されて後方に逸れたシャルナの右腕。
恐らく、もうまともには動かない。
その右手に凝縮された蒼炎が、私を穿つことはない。
私が勝つ。
勝ってしまう。
終わってしまう、この瞬間が。
「だあー、くっそ~。やられたぁー」
シャルナが悔しそうに呟いている。
棍棒を構築しつつ、思う。
まだ、終わってほしくない。
でも、熱を帯びた体は既に動き出していて。
掴みかけた勝利を取り零すほど、私のボルテージも低くはなかった。
それに、やっぱり勝たなきゃ。
ツウィグとルーアのためにも、私自身のためにも。
「さよなら、シャルナ」
思い切り、振り下ろす一撃。
赤黒い呪詛を帯びた棍棒は、暴力の結晶となってシャルナの胸に風穴を空ける。
胸の部分が大きく抉られたシャルナは、ぐったりと力を失って落ちていく。
何となく、思う。
これから、私がシャルナ以上の敵と出会うことはないだろう。
こんなに全力で呪術を使えるのも、こんなに思い切り呪いを放てるのも、これが最後。
私は落ちていくシャルナに、別れを告げた。
「おう、じゃあな」
心臓ごとぶち抜いたはずのシャルナから返事があった。
「楽しかったぜ、ロウリ」
青空の下、私の青春は終わりを告げる。
青い竜人との殺し合いを最後に、私は握っていた棍棒を手放した。
気分は完全燃焼。
もう二度と呪術を使わなくたって、この思い出だけで十分なくらいだ。
私の手を離れて落ちていく棍棒は、やけにあっさりと魔力の粒に還っていた。
***
空を見ていた。
蒼炎と赤黒い煌めきが飛び交う大空。
こんな遠くから見ていたところで何も変わりはしないのに、俺は絶えず青と赤を放つ空から目を離せないでいた。
遥か上空、器用に飛び回るロウリが、何度もシャルナに攻撃を仕掛けている。
剣を飛ばし、斧を振りかざし、槍を投げつけて。
その悉くが青い焔を纏って飛ぶシャルナには当たらず、逆にシャルナの放つ蒼炎もロウリは上手く凌いでいる。
戦っている。
あのシャルナ・エイジブルーに、ロウリは互角に戦っている。
あんなに強かったシャルナに、俺達が絶対に敵わないと信じて疑わなかった暴虐の化身に、ロウリは今も勝とうとしている。
夢を見ているようだった。
こんなことが、本当にあり得るんだろうか。
だって、あのシャルナだ。
あの理不尽なまでに最強だった竜人を、本当に倒せるだなんて言うんだろうか。
「なぁ、ルーア」
俺は空を見上げたまま、隣の少女に問いかけた。
問いかけずにはいられなかった。
だって、今見ている景色があまりにも現実離れしていたから。
誰かと共有しないと、俺の脳が作り出した幻覚なんじゃないかと思ってしまうから。
「俺達、本当に、ここから自由になれるのか……?」
生まれた時から、この場所に囚われていた。
犯罪と暴力が支配するソルノット。その頂点に君臨するアルカナン。
俺は生まれた時からずっと、この場所に蔓延した悪意の坩堝に囚われている。
誰かを殴って、誰かから奪って、誰かを殺して。
誰かに殴られて、誰かから奪われて、誰かに殺されて。
痛みと罪悪だけを積み上げることでしか生きられないこの場所から、俺達は本当に逃げられるのだろうか。
「なれるよ。きっとなれる。だって、ロウリがそう言ったんだもん」
俺はずっと空を見上げたままで、ルーアの表情は見えない。
でも、その声はひどく優しい音をしていた。
まるで、こっちに向かって微笑みかけてくれているような、そんな声色。
「ほら、見て」
ルーアが空を指差す。
片目だけになった視界でも、よく見えた。
ロウリの振り下ろした棍棒が、シャルナの胸を抉り取る瞬間。
青い人影は力を失い、そのまま落下していく。
言葉が出ない。
本当に、これは現実なんだろうか。
俺はただ上空の光景を確かめるように何度も瞬きをして、これが夢じゃないことを確かめるように何度も瞬きをして、変わらない勝利の光景を見上げている。
「勝ったよ、ツウィグ」
胸に風穴を空けて、落ちていく青い竜人。
シャルナ・エイジブルーは死んだ。
もう、この世のどこにもいない。
これから、俺があの竜人に殴られることも、蹴り飛ばされることもない。
そんなことは、これから一度も起こらない。
もう二度と、あんな目に遭うことはないと、あんな思いはしなくて良いと、そう言うんだろうか。
「勝った……?」
ずっと、シャルナが恐ろしくて仕方なかった。
叩きのめされたのがトラウマで、いつもあの竜人が怖くて怯えていた。
鮮血を撒き散らして落ちる竜人と共に、トラウマが壊れて消えていく。
恐ろしかった記憶が、痛痒に塗れた過去が、赤黒い棍棒の一撃で吹っ飛んでいく。
もう二度と、これからはただの一度も、あの竜人を恐れなくて良いのだと。
溢れた安堵と幸福感に、全身が叫び出しそうになる。
俺は上空の光景を見つめるのに夢中で、目尻から涙が溢れているのにも気付かなかった。
「ただいまー」
そんな時、近くの影からひょっこりとロウリが顔を出した。
水面から浮上するように、影から浮かび上がってきたロウリは、全身に傷を負ってボロボロだ。
「ロウリ!? あれ!? えっ!? さっきまで、あっちに……えっ、どういうこと!?」
「レイに拾ってもらった。あー、疲れたぁ~。ルーア、治癒魔術かけてよ」
「あ、うん! すぐかけるから……ろ、ロウリ? なんで抱きついてるの……?」
「良いじゃん。このままで。私もう歩けない」
ロウリは寄りかかるように、ルーアに抱きついている。
こんなキャラだっただろうか。
わたわたと慌てながら治癒魔術を使うルーアとは裏腹に、ロウリは欠伸をする猫みたいな顔をしている。
「勝ったのか……?」
緩い空気を展開するロウリに、俺は思わず問いかけた。
ロウリの戦いをずっと見ていたはずなのに、今も無事に帰って来たロウリが答えであるはずなのに。
それでも、俺は言葉が欲しかった。
「うん、勝ったよ。シャルナは私が殺したし、ドゥミゼルはレイの方でどうにかしてくれるって」
ルーアに寄りかかったまま、ロウリは何でもないように告げた。
当たり前のような声音で、あたかも当然みたいに、あのシャルナ・エイジブルーは死んだと告げる。
ロウリがあまりにあっさりと言うものだから、俺は震えた声で訊き返してしまう。
「じゃあ、逃げられるのか……? もう、このまま、こんな所から、俺達は……」
感情が溢れすぎて、言葉が上手くまとまらない。
聞きたいこと、確かめたいこと。
たくさんあったはずなのに、俺の喉は容量をオーバーした感情に震えるばかりで、きちんと言葉を形成してくれない。
「うん、そうだよ。もうこんな所にはいなくて良い。二度と帰って来なくて良い。こんな場所からはもう、いなくなって良いんだよ。一緒に逃げよう、ツウィグ」
ずっと、嫌いだった。
この場所が、この場所に生きる人々が、この世界そのものが大嫌いだった。
ソルノットが、アルカナンが、俺の生きているこの場所そのものがずっと嫌いだったんだ。
ここにいるのが嫌で仕方なくて、こんな人生は早く終わってほしくて。
本当はずっと、そう言ってほしかった。
こんな場所にはいなくて良いって、ここには存在しなくて良いって、誰かに証明してほしかったんだ。
「じゃ、行こっか。レイが馬車用意してくれてるって」
「でも、どこに行けば……」
「どこでも良いよ。ここじゃないどこか。多分、どこに行ってもここよりはマシだからさ」
軽く言って、ロウリはルーアから離れて歩き出す。
友達を遊びに誘うような緩い調子で、ロウリは無計画な逃避行を語る。
ここではないどこかへ。
俺が嫌いで仕方なかったこの場所ではないどこか。
そこはきっと理想郷じゃなくて、嫌なことが何も無い完全無欠の土地じゃない。
でも、もうここにいなくて良いというだけで、少しだけ希望を持てる気がした。
「ロウリっ、まだ治癒魔術終わってない……」
「良いじゃん、後で。馬車までそんな遠くないから、馬車の中でかけてよ」
困り顔のルーアを置いて、ロウリはスタスタと歩き出していく。
すぐにルーアが駆け足で後を追いかけて。
俺だけが少し後に取り残される。
「ほら、ツウィグ」
そこでロウリが振り返って、俺の名前を呼んだ。
今までに見たことないくらい晴れやかな顔で、彼女は俺を見つめている。
「行こうよ」
手を振る彼女に釣られて、俺も歩き出す。
踏み出した一歩は、少し先を行く彼女を追うように。
行き先は不明。
ただ、ここではないどこかへ。
もうここには存在しなくて良いという不在証明だけを抱いて、俺は一歩を踏み出したのだ。
最終話ということで、ここまで読んでくれた方に感謝を伝えようと思ったのですが、どうにも言葉が出て来ません。今まで何度も救われてきたはずなのに、こういう時は何も浮かばないのですから、人の脳とは不思議なものです。ありがとう、なんて陳腐な言葉しか書けない私を、どうか許して下さい。そして叶うなら、何か一つでも感想を書いていってはくれないでしょうか。面白かったでも、つまらなかったでも、何でも構いません。ただ、貴方の声を聞きたいのです。気が向いた時で良いので、気軽な気持ちで書いてみて下さい。
最終話なんて銘打ってありますが、エピローグをあと数話ほど投稿する予定です。お暇があれば、どうぞもう少しだけお付き合い下さい。




