第七十九話 ほんの少し
ゴートウィスト家本邸付近の大通り。
ドゥミゼルとディセイバー達が戦闘を繰り広げるそこから、建物群を二つほど挟んだ路上。
レイの依頼を受けて待機していた教会の信徒達の下に、サーチを抱えたリスタルが駆けつけた。
「この人怪我してるから! お願い!」
「あっ、はい……」
サーチを信徒の一人に受け渡すと、リスタルは走って戦場に戻っていく。
その背に声をかける暇も無く、踵を返して走っていくリスタルの姿。
その姿をぼんやりと信徒達は見送っていた。
ドゥミゼル・ディザスティア。今やソルノット全域を支配する犯罪組織のボスであり、ソルノットに暮らす人々にとっては恐怖の象徴。
そんな悪魔に立ち向かって行く彼女の姿は、ほとんどが非戦闘職の信徒達にとっては、眩しくも理解の及ばないものだった。
どうして、あんなにも恐ろしいヤツに挑んでいけるのだろう、と。
「傷が深い。治癒魔術をかけないと。いや、その前に解呪……?」
「アルカナンのボスが使う呪術なんて、俺達で解呪できるのか?」
「触ったら呪いが感染したりするんじゃ……」
「サーチさんがやられるなんて……」
「本当に勝ち目なんてあるのか……?」
不安が伝播する。
レイによって集められた信徒達だが、彼らのほとんどが戦場に不慣れだ。
戦場に慣れている者は、侵略戦争の際に軒並み死んでしまった。
憧れの存在であるリルスニル姉妹が簡単に敗北している現状に、彼らは動揺を隠せていなかった。
「とにかく治療しないと!」
「でもっ、単に治癒魔術かければ良いって話なのか? 変に肉体が治って、逆に悪化するなんてことも……」
「だからって、放置するわけには――――」
治癒魔術によって怪我が悪化するという事態は稀だ。
稀だが、無い話ではない。
さらにアルカナンのボスなら、何か仕掛けているかもしれないという恐怖が、信徒達の対応をもたつかせていた。
「すいません! ちょっと診せて!」
そこへ、一人の少年が割って入った。
童顔の少年。
同年代らしき友人を二人連れた彼は、医療班特有の白衣に身を包んでいた。
彼は地面に寝かされたサーチの下に駆け寄り、持っていた医療キットを開いた。
「ビョルン、麻酔持ってる? 僕のキット切れてた」
「おう、すぐ出す。注射で良いか?」
「うん。局部麻酔ね」
「傷口縛っちゃうわよ。寝かせたまま固定して良い?」
「お願い。下に布とか敷いてあげて。地面に直よりは良いから」
リュセルら三人はテキパキと怪我人の処置をしていく。
元々医療班にいた彼らにとっては、手慣れた作業の一環に過ぎない。
実の所、リュセル達も怪我人の対処に備えて、レイが声をかけた人材ではある。
レイが医療班を彼らしか捕まえられなかったのは、侵略戦争でヘイズが医療従事者を殺し回ったことに加え、そもそも医療班という組織が崩壊してしまったことが影響している。
リュセルらも医療班の中では新米の部類。
決して高度な手術を行っているわけではない。
だが、医術の心得を持たない信徒達にとって、彼らの行動がどれだけ頼もしかったことだろう。
「俺、治癒魔術使えるよ! なんかできることない!?」
「私も! 活性と治癒は一通りできる!」
「なんでも言ってくれよ! 教会の魔術でできることなら、役に立てるかもしれない!」
それが、信徒達に少しだけ勇気を与える。
助けてくれる医者が少しでもいるのなら、自分達の力で何かの役に立ちたいと思わせる。
アルカナンのボスに立ち向かうほどの勇気は無くとも、一人の怪我した少女を救おうと奮起することはできる。
「はい!」
少しずつ、人の輪が増えていく。
それはレイによって集められた信徒に限らず、たまたま通りがかった人や地域の住民に至るまで。
自分にも何かできることはないかと、少しずつ人が集まり始める。
ほんの少しで良い。
ほんの少しだけ、自分も頑張ろう。
ほんの少しだけ、自分も役に立てるか考えよう。
そんなほんの少しの積み重ねが、少しずつこの場に人を増やしていく。
「解呪できる人いますか?」
「私できるよ。どこにかけたら良い?」
「ここからここにかけて……ベアトリ―ナ、少しだけ患者の体起こして」
「了解。ゆっくり起こすわよ」
「リュセル、こっちの傷もやっとくぞ」
「うん。そこ終わったら、顔の方もお願い。傷自体は浅いけど呪術の影響が重そうだから、脳付近は早めに対処しちゃいたい」
「了解だ。誰か! 治癒魔術かけれる人いませんか!?」
「俺できます! どこですか?」
「ここ今から止血するんで、その上から……」
人が増える。言葉が増える。想いが増える。
ドゥミゼル・ディザスティア討伐戦。
サーチ・リルスニルの治療をきっかけに、少しずつ様々なものが増えていった。
***
大通り、ハルリアの炎によって呪層を剥がされたドゥミゼル。
焦げ付いた臭い。パチパチと彼女の周囲を散っては消える火花。
何よりも、彼女の全身から放たれるおぞましい圧迫感が消え去っていることが、ドゥミゼルを守る絶対防御の消失を物語っていた。
唐突に現れた少女の焔によって焼き切られた呪層。
ディセイバーはあまりに荒唐無稽な光景に、思わず目を丸くする。
(呪層が剥がれた!? 誰が……!? いや! 今はそんなことどうでも良い!)
突然の事態に一瞬だけ固まるディセイバー。
故に、彼よりも一足早く、オークェイムが防御を失ったドゥミゼルの懐へと切り込んだ。
強い踏み込みと同時に、横薙ぎに振り払った斧の一撃。
それをドゥミゼルは身を反らして回避した。
(避けた!)
避けられたことを悲観するべき場面かもしれない。
しかし、ドゥミゼルが回避行動を取ったという現実が、ディセイバーに呪層の消失を再確認させる。
ドゥミゼルは斧を避けた体勢のまま、右手から黒腕癌手を起動。
無数に伸びる黒い手でオークェイムを捕らえる。黒手に体のあちこちを掴まれたオークェイムは、そのまま後方へと押し出されていく。
家の壁へと激突するかに思われたオークェイムだが、ディセイバーが黒腕を一薙ぎに斬り払ったことで衝突を逃れる。
オークェイムが皮膚を突き破って肉に食い込む黒い手を剥がしている間に、ディセイバーはドゥミゼルへと一気に接近。
至近距離での白兵戦を仕掛けた。
――――ボスは純正の魔族。人間よりもずっとタフだし、身体能力も高い。でも、それは生物的な差だ。ボスの本分は呪術師。近接戦闘のスキルでいえば……ロウリとかの方がずっと高い。君の切り札は通用するはずだ。呪層を削り切った後は、積極的に仕掛けて良い
ディセイバーが想起するは、レイとの作戦会議。
鋭い踏み込みと共に、左側からドゥミゼルへと斬りかかる。
魔族の身体能力は高い。
ドゥミゼルは優れた動体視力と運動能力を以て、ディセイバーの攻撃を回避しようと試みる。
そうして、初めて気付くのだ。
(こいつ、剣をどこにやった?)
ディセイバーが握っていたはずの剣。
それがどこにも見当たらないこと。
その違和感にドゥミゼルが思い当たった時には、ディセイバーの振り下ろす斬撃が胸を抉っていた。
「は?」
光学魔術。
光を調節して剣の刀身を覆い隠す魔術。
ディセイバー・オルティクスのサブウェポンであり、敵の意表を突くために習得した搦め手。
かつて、ロウリ・ゴートウィストには通じなかった一手は、ドゥミゼルの胸を袈裟懸けに裂く。
(浅い! 呪層無しでも想像以上の硬さ! 一発じゃ決定打にならない! もう一度――――)
「お前、調子に乗り過ぎだ」
直後、ディセイバーの視界を満たす掌。
それは、ドゥミゼルが無造作に突き出した右手。
触れられれば死ぬ。
そう、ディセイバーは直感した。
攻撃をキャンセルして、反射的に後方へと跳ぶ。
しかし、僅かに回避は間に合わない。
伸ばされたドゥミゼルの右手。
その指先がディセイバーの顔面に触れる――――寸前、ドゥミゼルの右腕が大きくブレて、ディセイバーは危機を脱した。
「次から次へと……!」
聞こえたのは、苛立ったドゥミゼルの声。
見上げれば、戦場に駆け戻ったリスタルが、ドゥミゼルの横っ面に拳を叩き込んでいた。
リスタルの拳によろけたドゥミゼルの隙をついて、リスタルとディセイバーは同時に後方へと跳び退く。
「当たった! 今パンチ当たった!」
「はい。よく分かんないですけど、呪層は剥がれてます」
「よく分かんないけどナイス!」
現状を共有しつつ、ディセイバーとリスタルは武器を構える。
黒腕から逃れたオークェイムも合流し、三者は戦意に満ちた瞳でドゥミゼルを見据える。
ハルリアが呪層を剥がしたことによって、一気に見えたきた勝機。
攻撃の全く通らなかった相手と、まともに打ち合えるようになったという希望。
目に光の戻った戦士達の視線が、ドゥミゼルをさらに苛立たせた。
「スタートラインに立ったのがそんなに嬉しいか?」
ドゥミゼルは怒りのままに、三種類の呪術を一斉に起動。
黒腕癌手、灼水氾濫、壊乱腐肉。
黒い腕を自身の両腕に巻き付けるようにして一体化させ、両腕にそれぞれ異なる呪いを重ね掛けする。
右腕には壊死した人体を思わせる腐肉を、左腕には血液を想起させる鮮やか赤い水を。
両腕に二種類の呪いを装備したドゥミゼル。
強風に銀髪がたなびいた。
――――灼水氾濫、壊乱腐肉。どっちも攻撃用の呪術。それを黒腕癌手に乗せてばら撒くのが、ボスの雑に強い戦闘スタイル。広範囲かつ高威力。本気になったら、十中八九これで来る。両腕に赤い水と腐肉を纏わせるのが予備動作。この前の侵略戦争で確認したから間違いない
事前にレイから聞いていた通りの予備動作。
瞬間、弾かれたようにリスタルが駆け出す。
(予備動作! 詰める!)
ドゥミゼルが純正の魔族である以上、呪詛魔術の発動に人間のようなタイムラグは無い。
しかし、三種類の呪術を掛け合わせるともなれば、いくらかの工程を踏むことには違いない。
人間が魔術を起動するまでの間隙に比べれば、刹那とも言える隙だが、この機を逃せば二度と近付くチャンスは無い。
リスタルは一瞬のタイムラグにかけて疾走。
ドゥミゼルへの間合いを一息に潰していく。
飛び込んだリスタルを見て、ディセイバーとオークェイムも彼女に追走する。
「遅いな」
しかし、ドゥミゼルの発動速度が上を行く。
ドゥミゼルが両腕を起点に大量展開したのは、二種類の呪術を纏わせた黒腕の群れ。
腐肉と赤水に包まれた黒腕群は、最早腕には見えず、二色の触手と言った方が良いだろう。
全力疾走で駆けるリスタルを待つのは、溢れ返る二色の触手。呪詛を纏う物量の暴力。
今更引き返せる余裕も無く、リスタルは死地へ突っこんでいく他無い。
「いいえ、間に合わせます」
声がしたのは、遥か後方。
援護に徹していたウィクト・リルスニルが零した独り言は、誰の耳にも届くことなく風に消える。
風に掻き消えた言葉の代わり、届けられたのは大量の光弾。
ドゥミゼルが呪術を発動する初動に合わせて放たれた魔術は、生成されたばかりの触手群を消し飛ばす。
(ドゥミゼルの呪術は強力。それでも、事前に魔力を練り上げた上で初動に合わせれば、僕の魔術でも吹き飛ばせる)
後方から戦場を俯瞰していたウィクトは、ドゥミゼルの苛立ちをいち早く察知。
自身の最大火力を予め用意して、ドゥミゼルの呪術の初動に合わせた。
消し飛んだドゥミゼルの触手。
リスタルの疾走を阻む物は何も無い。
銀髪の呪術師を五歩先に捉えたリスタルは、右の拳に力を入れる。
(叩き込む。鳩尾――――)
接近寸前、瞬きの間に踏み込む五歩。
タタタタタン、と鳴り響いた軽快な足音と共に、リスタルはドゥミゼルの腹へと拳を打ち出す。
スカっと鳴ったのは、ガントレットが空を裂く音。
ドゥミゼルはリスタルに殴られる直前、背後へと大きく跳躍。
(避けられた! あーもう! そりゃそうだよ! 動かないなんて誰も言ってない! さっきまでは動くまでもないって思われただけなんだ!)
後方に跳んで避ける。
ただそれだけの簡単な動作で、必死に詰めた距離が振り出しに戻る。
魔族であるドゥミゼルにとっては、動きながら呪術を使うなど造作も無い。
跳躍で出来た距離、それに伴う時間的余裕をたっぷり使って、二色の触手群を再展開できる。
空中から、リスタル達を見下ろすドゥミゼル。
半端に距離を詰めてしまったリスタル達にとって、そこは死の領域。
ドゥミゼルの広範囲攻撃を避けるにしては近く、こちらの攻撃は届かないほど遠い。
「浮いたな、ドゥミゼル・ディザスティア」
その声はウィクトの控える後方よりも、さらに遠方。
薄灰色の外套に身を包んだ狙撃手が、零した言葉。
風に流れる言葉の代わりに、届けよう。
九つの魔法陣を重ねて放つ、投石という名の弾丸を。
遥か遠方から放たれる石は、超音速を以て空中のドゥミゼルへと突き刺さる。
ドゥミゼルは反射的に石を掴みにかかるが、石は腕に纏う呪いすらも突き破り、彼女の左腕を貫いた。
(狙撃! 洗礼された石を撃ってきた! あの時の……! レイが取り逃がしたのか!?)
シルノートが投石魔術で放った石にも、教会による洗礼がかけられている。
超音速で叩き込まれた石は、ドゥミゼルの右腕を完全に貫通。
内部を洗礼が通過することによって、ドゥミゼルが右腕にかけていた呪術は瓦解。
大量の黒腕と腐肉が、バラバラになって崩れ落ちていく。
露わになった彼女の右腕は、血塗れにひしゃげていた。
「おかわりだ。着地前にもう一発くれてやる」
シルノートはさらに投石魔術を発動。
投石魔術だけ極めたシルノートの早業は、ドゥミゼルが着地する前に二射目を可能にする。
空中に跳んだドゥミゼルに回避する手段は無い。
「クソが……!」
今度は左腕を貫いた投石。
洗礼のかけられた弾丸は左腕の呪術も強制解除し、黒腕と共に赤い飛沫が舞い散る。
空中で両腕の呪術を砕かれたドゥミゼル。
着地点へと駆けていくリスタル達が、さらなる追撃を仕掛ける。
リスタルが打ち込む拳を、ドゥミゼルは右手で掴んで止める。
(ひしゃげた腕で……!?)
人間とほとんど変わらない構造をしている魔族の肉体だが、その強度は人間を大きく上回る。
弾丸に貫かれた後であろうと、肉弾戦に臨める程度の機能は残していた。
右手でリスタルの攻撃を止めたドゥミゼル。
その視線はリスタルの後に続くように、斧を携えて迫るオークェイムへと移る。
左方から斧を振り抜くオークェイムに対し、ドゥミゼルは腐肉の壁を展開して防御。
斧の刃先は少し腐肉に食い込むが、貫けずに止まる。
そこへディセイバーが横薙ぎに剣を叩き込む。
オークェイムの斧を押し込む形で振るわれた一閃。
ディセイバーの剣はオークェイムの斧に推進力を加え、そのまま腐肉を食い破らせた。
腐肉を突破した斧は僅かにドゥミゼルの脇腹を掠めるも、バックステップで退いた彼女に致命傷を避けられる。
(クソ! これでも届かないのか! 決め切れない! 絶好の機会をいとも容易くいなされる!)
ほぼ完璧とも言えるタイミングで飛んできたシルノートの狙撃。
ここまでお膳立てされた状況でも、ドゥミゼルの命には手が届かない。
トドメを刺し切れない状況に焦るディセイバーに先んじて、リスタルはバックステップを踏むドゥミゼルへと距離を詰めていく。
それに対し、ドゥミゼルは超高速で呪術を起動。
黒腕癌手に灼水氾濫をブレンドして左腕に纏わせ、赤い水に包まれた黒腕でリスタルを迎撃する。
(片腕だけ! さっきよりも速い!)
赤水を纏った黒腕。
リスタルの視界が捉えた本数は十本。
赤い五条を完全に躱したかに見えたリスタルだったが、飛び散る飛沫の一抹が耳を掠める。
飛沫が僅かに耳を掠めただけで、リスタルの右耳は半分が抉られた。
(でも本数はめっちゃ減ってる! 腕怪我したから!)
魔族は肉体が魔力で構成されているが故に、魔術を手足の如く扱える。
それは魔術が肉体の延長線上にあるが故のアドバンテージであり、魔族にとって魔術と身体は非常に密接な関係がある。
ドゥミゼルが呪詛魔術を両腕に装備してから使うのも、そういった身体と魔術の密接性によるものだ。
故に、肉体への損傷は魔術のスケールにもフィードバックされる。
怪我をすれば身体機能が損なわれるように、魔族も傷を受ければ魔術の機能が低下する。
ドゥミゼルは両腕を狙撃されたことで、一度に展開できる黒腕の量を半減以下までに落とされていた。
(いける! 倒せる! あと少しで!)
見えた光明に、気が緩んだわけではない。
勝負を決め切れない現状に、自棄になったわけではない。
それでも、ほんの少し。
ほんの少しだけ、ディセイバーとリスタルの意識が先走った。
ほんの少しだけ狭くなった視界に、ほんの少しだけ生まれた死角から、それは潜り込んで来た。
「――――ぅえ?」
思わず漏れたのは、困惑の声。
死骸のような黒い手が、リスタルの腹を背後から貫いていた。
呪術の本質は害すること。そのため、基本的には守りに向きません。そういう意味でも、呪層って異質な技術です。




