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君の不在証明  作者: 讀茸
最終章 ここではないどこかへ

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第七十七話 PRAYERS

 祈るばかりの人生だった。

 自分の力では何も為せず、神様にお願いするばかりの毎日。

 意味は無いと分かっていたことを、私は永遠に続けていた。

 でもね、お姉ちゃん。シグレ司祭。

 私がずっと祈っていたのはね、無意味だと分かっても祈り続けたのはね――――


     ***


「お姉ちゃんっ!」


 大通り、少女の声がこだまする。

 突如として表れた一人の女の子、ハルリア・リルスニル。

 その姿を見て、ドゥミゼルは思わず動きを止めた。

 その反応はリスタルとディセイバーが立ちはだかった時と似ている。

 しかし、少し違うのは、彼女の顔色が困惑一色だったこと。

 怒りすらも湧いてこない。

 それほどまでに、ハルリアは全身全霊で自分の弱さを主張していた。

 震えた両脚、素人丸出しの出で立ち、上ずった声。

 弱者というよりも、一般人という言葉が似合う。

 本来、戦場に出るべきではない人間が、戦場まで出て来てしまった。

 そんな背景を自然と想像できるほどに、ハルリアからは何の力も感じられない。


「ハルリア……?」


 困惑したのは、オークェイムも同じ。

 突然現れたハルリアの姿に、目を丸くしている。

 しかし、すぐに状況を飲み込み、彼女へ向かって叫んだ。


「逃げなさいハルリア! 今すぐ!」


 オークェイムはよく知っている。

 ハルリアが如何に弱いか、姉としてよく知っている。

 敬虔な信徒ではあるものの、教会の魔術は何も使えない。

 無力で弱い女の子。

 それでも良いのだ。無力でも良い。守られてくれれば良い。

 そんな思いを抱いて見守ってきた妹が、ドゥミゼル・ディザスティアという化け物の前にいる。

 オークェイムが叫んだ声色は、あまりにも悲痛な感情を宿していた。


(逃げないよ、お姉ちゃん。今は逃げない。だって、初めてなんだ。私の力が……私の力じゃないかもだけど、みんなの役に立てるかもしれないこと。私の祈った未来が叶うかもしれないこと。だから――――)


 ハルリアが右手をかざす。

 その先に映るは銀髪の魔術師。

 呪層で以て身を守る、凶悪無比なる呪術師。犯罪組織アルカナンのボス。魔王軍幹部第四位。

 一般的な教会の信徒に過ぎないハルリアとは、あまりにスケールの違う相手。

 誰よりも強くて、何でも思い通りにできて、だからこそ祈りとは無縁の生命体。

 ひたすらに祈ったハルリアとは対極に位置する者。


「力を貸して! リバティリス!」


 彼女がその名を呼んだ瞬間、それは彼女の隣に現れる。

 白いドレスのような装い。暖かみのあるアイボリー色の髪。人間ではあり得ない明度を誇る橙の瞳。

 幼い少女のような姿をした何かが、ハルリアの隣に現出していた。

 その瞬間、膨れ上がった魔力。

 不意に燃え上がった炎のように、急激に増幅した魔力量にドゥミゼルでさえ目を見張る。


「もちろんだヨ」


 それは、この世界の上位法則の一つ。

 世界で最も強い祈りを捧げた者だけが、契約資格を手に入れる精霊。

 彼女の名はリバティリス。

 言い換えるならば、祈りを司る神とも呼べる。

 上位法則の化身たるリバティリスは、契約者に特殊な術式を刻むことができる。

 刻まれた術式は手足の如く扱える。まるで、生まれた時から備わっていたかのように。

 リバティリスがハルリアに刻んだ術式。かつて、ナナクサ・シグレにも刻まれていた術式。

 それを今、ハルリアは起動する。


(あれは、シグレ司祭の……)


 燃え上がるハルリアの右手。

 練り上げられた橙色の炎が、ハルリアの右手の中で燻っていた。

 それは小さな種火が成長するように、やがて凄まじい熱量の焔と化す。

 地面を焦がすほどの火を、ハルリアは右手一つで制御している。

 そんな彼女に手を貸すように、リバティリスは隣でハルリアの右手を支えている。


「シグレは病気だったヨ。だから、ワタシの完全顕現もできなかったし、火力も低くて抜刀術で補強しなきゃいけないくらいだったヨ。でも、ハルリア。お前は違うヨ。健康体でありながら、誰よりも強く祈ってきたヨ。お前の澄んだ祈り。その結晶がこの焔。橙色に燃え上がる聖火」


 祈りは無駄か。祈りは無意味か。祈りは無価値か。

 その問いに対して、リバティリスは堂々と否を突き付けるだろう。

 力が無いから為せずとも、無力が故に形にならなくても、祈り(それ)があるというだけで世界は緩やかに形を変える。

 何の力も無い人間が祈った方へと、少しずつ世界は形を変えていくのだ。

 誰かの願いを叶えたいという営みが、誰かの祈りを現実にしたいという働きが、いつしか世界を改変していく。

 力ある人間が自信を持って動けるのは、力の無い人間が祈ったからだ。

 貴方が祈ってくれたから、他の誰かがそのようにしようと思える。

 神様でも、他人でも良い。

 望む未来があるのなら、祈るべきなのだ。

 その成果が結実する保証など無いが、それは確かに世界を変えている。

 祈った方向へ、ほんの少しだけ世界を傾けるから。

 どのような形で世界を変えるか、貴方には一生分からないかもしれないが、それでも世界を変えているんだよ。


「ぶちかましてやれヨ、ハルリア」


 そんなリバティリスの想いを代弁するように、聖火は強く燃え上がる。

 蒼天を突き破らんばかりの橙色の火。

 ハルリアはそれを纏め上げ、ドゥミゼルのいる方へと集約させる。


「そこのっ……銀色の悪いヤツ! これ以上、お姉ちゃんに酷いことするな馬鹿!」


 その怒りはあまりにも澄んでいた。

 ナナクサ・シグレが殺されたのも、姉達が中央教会で酷い目に遭わされたのも、元を辿ればこいつのせいだ。

 そんなことをするようなヤツは、燃やして消し去ってしまいたい。

 大切な人達を傷付けるものを全部燃やし尽くして、みんなに笑っていてほしい。

 そんな祈りの結晶を、少女は声を枯らして叫んでいた。


「焼けて無くなれ! 馬鹿野郎!」


 渾身の祈りを込めて放つは、空を焼くような焔。

 悪の無い世界を祈った灼熱。

 橙色の焔がドゥミゼルへと衝突する寸前、彼女は呪術で腐肉を展開して防壁としていた。

 しかし、焔はそれを容易く焼き破り、ドゥミゼル本人へと襲いかかる。


(なんだ? この炎? 炎そのものが解呪の性質を帯びている……?)


 橙色の炎が押し寄せる中、ドゥミゼルは己を焼く火の性質を悟る。

 それは祈りの火。

 人々の祈りを背負った聖火。

 歴史上、様々な悪人と共に残虐を為してきた呪術は、人々から無くなってほしいと祈られ続けてきた。

 そんな呪術にとって、リバティリスの火は無類の強さを誇る。

 解呪という枠組みすら超えて、呪詛へのカウンターとして燃え盛る聖火は、ドゥミゼルを容赦無く焼く。


「お、前……ッ!」


 やがて、大通りを丸々焼き払った炎。

 不思議なことに、家も地面も燃えていない。

 ディセイバーやオークェイムでさえ、熱の影響は全く受けていない。

 ハルリアの放った燈火は、ドゥミゼルだけを焼いていた。

 対象を選んで燃やす焔。シグレの時には無かった機能さえ開花させて、ハルリアは灯火を以て敵を焼く。

 焔に全身を焦がされたドゥミゼル。

 その姿を見て、ディセイバーが信じられないものを見るような声で呟く。


「呪層が剥がれてる……?」


 ハルリアが放った火は、その火力と呪いへの特攻により、ドゥミゼル・ディザスティアの呪層を完全に削り切っていた。

 たった一人の少女の祈り。

 少女の祈りに応えた精霊。

 取るに足らない無価値な祈りが、絶対にも思えたドゥミゼルの防御を崩した。


「あのクソガキ……っ! ふざけた魔術を……!」


 ドゥミゼルが刺々しく放つ言葉は、今やハルリアには聞こえてもいない。

 先刻の火に気力の全てを注ぎ込んだハルリアは、霞んでいく意識を現実に留めるので精一杯だった。

 地面に膝をつき、リバティリスの肩を借りて、何とか前を向いている。

 魔術の使用経験などあるはずもないハルリア。ただ気力に任せて超火力の焔を出し尽くしたのだ。疲労困憊に陥るのも無理は無かった。

 あと、数秒でハルリアの意識は途切れるだろう。


「私も……役に立てたかな……?」


 残された数秒で、ハルリアは弱々しく呟いた。

 それは彼女がずっと祈っていたこと。

 自分も誰かの役に立ちたい。姉や兄のように誰かを助けてみたい。誰かを守って感謝されたい。

 だから、神様にみんなを守って下さいと祈っていたのだ。

 少しでも、みんなの力になりたくて。


「助かったわ。……よく頑張ったわね、ハルリア」


 落ちていく意識の狭間。

 優しい、姉の声が聞こえた気がした。


     ***


「殺していくよ、シャルナ」


 ゴートウィスト家本邸。

 ロウリと向かい合ったシャルナは、彼女の殺害宣告を聞いていた。

 窓から差し込む陽が眩しい。

 燦然と輝く太陽は、シャルナの心情を象徴しているかのようだった。

 左目に眼帯をした少女を見下ろして、シャルナは嬉しそうに笑う。


「そーかよ。思ったより短い付き合いになっちまったな」


 まるで世間話でもするように、シャルナは軽薄に返す。

 そこには皮肉や嫌味は一切無く、本当にただ自分の感傷を吐き出しているだけ。

 それこそ、本当にただ世間話をするようなテンションで言った。


「どうだったよ? アルカナンは? 結構面白かったろ? みんなやべーヤツばっかでさ。やることも馬鹿みたいにスケールでけーしよ。お前も楽しめたんじゃねーの?」

「んー……どうだろ? 楽しくはなかったかも。よく考えたら、私犯罪者って嫌いだったんだよね」

「ひでー。差別だぜ差別」

「だって、犯罪者って頭おかしいヤツばっかりだし。臭いし」

「臭いは言いすぎだろ!」


 下らないことを言って、お互いに笑い合う。

 これから殺し合いをするようにはとても見えなくて、まるでただの友達のよう。

 いや、ただの友達と言っても良いのかもしれない。


「まあ、そんなわけで、そんなに楽しくなかったからさ」


 シャルナとロウリ。

 二人の間に親愛があったことは間違いないのだから。

 シャルナの自由で鮮烈な在り方に憧れたロウリ。ロウリの才能と潜在能力を面白いと感じていたシャルナ。

 命への敬意の尊厳も無い最底辺で育んだ奇妙な形の友情が、そこにはあった。


「最後に目一杯楽しんでいくことにするよ」


 ロウリ・ゴートウィスト。

 彼女の半生は嫌いなものを壊すばかりのものだった。

 ゴートウィスト家の令嬢として、正義の仮面を被って過ごした日々。

 その中で育んだ幾つもの嫌悪感。正義に対する嫌悪。弱者に対する嫌悪。秩序に対する嫌悪。

 嫌うばかりの人生だったが、そんな彼女にも欲求と呼べるものが一つある。

 悪人の使う技として、ゴートウィスト家では忌み嫌われた呪術。

 最も自分の中で秀でいている部分を抑圧し続けた人生。

 この欲求はそんな人生の反動でしかないのかもしれない。

 それでも、ロウリ・ゴートウィストは欲している。

 自身が持てる最大の才能を、誰に阻まれることもなく振りかざし、その力を存分に味わいたいという欲求を抱えている。

 その捌け口として最も適していたのは、皮肉にも、彼女をゴートウィスト家から連れ出した青い竜人だった。


「オーライ! とことんやろうぜ! ロウリ!」


 否、皮肉などとは言うまい。

 ここにいる二人の笑顔を前にして、皮肉などあるはずもない。


「満足いくまで付き合ってやるよ!」


 ドンとシャルナが踏みしめる。

 無造作な地団駄の一踏みで、床には無数の亀裂が入る。

 直後、割れて崩落する廊下と共に、戦いの火蓋も切って落とされる。

 落下と同時に、シャルナが練り上げる蒼炎。

 さらに同時、ロウリが構築する赤黒い構造物。

 吹き荒れる青い爆炎が、ゴートウィスト家本邸を吹っ飛ばした。

力の無い人間だって、誰かの力になりたいのです。

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