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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
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第七話 心凪ぐ時間

 アルカナンのアジトにて。

 ソルノット南東部侵攻作戦の会議が広間で行われている間、私は他の部屋に移されていた。

 まあ、妥当な判断だと思う。

 アジトに来て初日の人間に、作戦の全容を聞かせるほどドゥミゼルは大胆でも浅はかでもなかった。

 そもそも、私はアルカナンに入るだなんて言っていない。

 それを口にすれば殺されそうな雰囲気だったので、あえて口を閉ざしていただけだ。

 そいうわけで、私が通されたのは医務室。手狭な部屋にベッドが何台か並んでだけの医務室は、ゴートウィスト家の大きな医療室に比べると大分見劣りする。

 まあ、犯罪組織がゴートウィストに並ぶ医療施設を持っていても困るのだが。


「あ、ごめんね。ちょっと狭くて」


 そう言って申し訳無さそうな顔をするのは、肌の白い少女。

 絹のような髪。水晶のような瞳。すらりと細い手足。あどけなさの残る顔立ちは、純真で可愛らしい。

 美少女と言うに相応しい美貌の持ち主だが、その挙動だけがやけにオドオドしていた。


「ごめん、顔に出てた?」

「えっ、いや、そういうわけじゃないんだけど……ここ結構狭いから、そうかなって」


 少女は自信無さげにはにかむ。

 可愛い。


「私ルーア。ルーア・ラーケイプ。よろしくね、ロウリ」


 少女――――ルーアは可愛らしく自己紹介した。

 純真無垢な乙女と評するに相応しい所作と容姿。

 少し引っ込み思案そうな所はあるが、そこが逆に小動物みたいで可愛い。庇護欲をそそられる。


「よろしく、ルーア」


 私のことは知っているようだったので、一々名乗り返すことはしなかった。

 多分、心のどこかで、ゴートウィストの姓を名乗ることに抵抗があったのだと思う。

 さっきはそれが原因で、犯罪組織の中核メンバーに詰め寄られる羽目になったから。


「あ、そっちのベッド座ってて良いよ。ツウィグはこっちに寝かすから」


 突っ立っている私に対して、ルーアは右のベッドを指差す。

 私はルーアに言われた通りベッドに座り、彼女がツウィグを手当てするのを眺めていた。

 手当てといっても、包帯を巻いたり傷を消毒したりといった本格的なものではない。ただ傷口の上に掌をかざし、治癒の魔術をかけているだけ。


「無詠唱……」


 思わず、口をついて出た言葉。

 それはルーアの使う治癒魔術に向けてのこと。

 ベッドに寝かせたツウィグの左大腿部。その傷口に手をかざし、暖かな光を注ぎ込む彼女は、一切の詠唱を行っていなかった。


「ああ、これ? なんか使ってる内に慣れちゃった。アルカナンに来てからは、治癒魔術ばっかりだったから」


 ルーアは何でも無いように言ってのけるが、無詠唱治癒魔術というのは並大抵のことではない。

 そもそも、魔術を無詠唱化する必要があるのは、戦闘行為に適した攻撃魔術や防御魔術の類に限られる。一秒を惜しむ戦闘環境でこそ、無詠唱は真価を発揮する。

 医療行為でも一秒を急ぐ場面はあるだろうが、それでも戦闘ほど時間は逼迫していない。十数秒の詠唱をする程度、治癒魔術の絶大な治癒力を思えば十分に看過できる。

 それに無詠唱魔術というのは高等技術だ。戦闘を主とした魔術師でさえ、ワンフレーズチャントに甘んじる場合も多い。

 それを難易度の高い治癒魔術でやってのけるのだから、ルーアは非常に卓越した使い手だろう。

 いや、それよりも根本的な問題として――――


「どこで習ったの? 治癒魔術なんて」


 治癒魔術は教会の魔術だ。習得には教会への入信が前提条件となる。

 それも信徒になったからといって無条件で教会の魔術が扱えるわけでもなく、特に信心深く才能ある者が、厳しい修行を積むことでやっと習得できる代物だ。

 それを犯罪組織の人間が高水準で使いこなしている光景が、私の目には特異に映った。


「……昔ね、教会にいたんだ。ソルノットじゃないんだけど、結構大きい教会」


 語り出したルーアの口調には、確かな陰が差している。

 ツウィグに治癒魔術をかける彼女に右手。微かに震える右の腕を、左手で抑えているようにも見えた。


「毎日修行とかしなきゃいけなくて、お腹いっぱい食べられなくて。シスター達にも、すごい嫌われてて……男を誘惑してるって、私……何もしてないのにっ、ベンさんが急に、私っ、何が何だか分からなくて……っ、言われた通りにしなくちゃって……だからっ――――」

「ルーア」


 震えが止まらなくなったルーアの肩に、私は手を置いていた。

 ルーアは自分の体を抱きしめるようにして、ガクガクと震えていた。私を見上げる瞳は、その目尻を僅かに濡らしている。


「ごめん。嫌なこと思い出させて」


 私も教会とは縁が深い。

 ああいう人の多い場所で、どういう悲劇が起こるかは、ある程度知っているつもりだ。

 正義感の強い父さんが深く関わっていた関係上、ソルノットの教会で表立ったイジメや犯罪行為は中々聞かない。

 ただ、水面下での嫉妬や欲望はいくらでも見聞きしているし、私が見聞きした以上に存在しているだろう。

 ルーアは見た所十代後半。治癒魔術の才能も申し分無し。そして可愛い。若く美しく才能あるシスターが、教会の中でどういった感情を向けられるかは想像に難くない。

 それは女性的な嫉妬であり、男性的な欲望であり、神の教えでも拭いきれぬ人間の醜悪。


「……ごめん。ちょっと外の空気吸ってくる。ツウィグの治療は終わったから」


 ルーアは瞼を擦りながら、医務室の外に出て行った。

 ルーアの身の上は、何となく察することができた。

 多分、それは私以上に悲惨な人生。

 あの子は美しいが故に妬まれ、優れているが故に欲され、純粋が故に壊された。

 そういうことはよく起こる。犯罪組織が大々的に行う殺人なんかよりも、多くの人の心を殺しているんじゃないかと思うほど。

 汝、妬むことなかれ。汝、姦淫することなかれ。汝、殺すことなかれ。

 信徒であっても、それらを完全に守っている人は少ない。

 誰もが適度に妬んでいるし、誰もが適当に姦淫している。

 きっと誰もが、誰かの心を殺しているのだ。


「少し、分かるかも」


 私はルーアほど壮絶な人生を送ってはいないのだろう。

 父さんはどこまでも強権的だったが、どこまでも正義に忠実ではあった。

 その正義が私にとっては息苦しかったのだけれど、醜悪な欲望や嫉妬で私を脅かすことはなかった。

 けれど、教会に、教会という名の大きな正義の脅迫に、ゆっくりと心を殺されていく感覚は、少しだけ覚えがある。

 一歩間違えれば、私もルーアのようなトラウマを抱えていただろう。

 私とルーアが違った点は、シンプルに適応能力の差。

 私の方が善に適応するのが上手かった。

 ただそれだけのカタログスペックが、私達の命運を分けたのだろう。


「……あんなの、分からない方が良い」


 私の独り言に返答したのは、ベッドに寝かされたツウィグだった。

 白くくすんだ髪の下、青カビじみた灰緑の瞳が開いている。


「起きたんだ」

「ずっと起きてた。アンタがずっと俺のこと担いでるから、言い出しにくかったんだよ」


 ツウィグはぶっきらぼうに言う。

 確かに、寝ているにしては担ぎやすいものだと思っていた。

 私が担いでいるというより、むしろ、ツウィグの方がしがみついているような気がしていたのは、私の錯覚ではなかったのだろうか。


「ルーア、今何しにいったと思う?」

「? 外の空気を吸いに行くって――――」

「麻薬だよ」


 戦慄が走る。

 その時、私は確かに、自分の瞼が大きく開かれるのを感じた。

 ゾッとするとは、まさにこのこと。幽霊の指先が首筋を擦っていったみたいだった。


「情緒不安定になる度に吸ってる。薬に頼らないと精神を安定させられないんだ。……薬が切れた時、苦しくなるのは自分なのにな」


 それもまた、よくある話の一つ。

 今まで数え切れないほど見てきた犯罪者の典型例。


「いつもは医務室(ここ)で吸ってるんだけどな」

「なんで今日は外で?」

「さあな。……まあ、アンタに見られたくなかったんじゃないか」

「私に……?」

「いや……そりゃ、アルカナンにルーアと歳の近いヤツなんてほとんどいないし、友達になれるかもしれないアンタに引かれたくなかったんじゃ――――」


 ツウィグがそこまで語った所で、医務室の扉が音を立てて開いた。

 扉の先に立っていたのは、涙目のルーアだった。

 ツウィグの言葉は事実を言い当てていたようで、その手には葉巻らしいものが握られている。


「ツウィグ、なんで全部言うの……っ?」


 ルーアはフルフルと震えている。

 さっきとは違う意味で、ルーアの体は震えていた。

 それは楽しみに取っておいたお茶菓子を食べられてしまった子供が、泣き出す寸前のような――――


「普通、アジトの外くらいまで出ないか? 今の流れだったら」

「バカバカバカバカ! ツウィグのバカぁ! 絶対嫌われたぁ! ヤバいやつだって思われたぁー! 折角女の子の友達できると思ったのにぃ~!」


 ルーアは泣き出した。

 この短時間で薬が切れるはずはないが、薬の切れた薬物中毒患者を思わせる錯乱っぷりである。

 扉の前で蹲って泣き喚くルーアに、ツウィグも困った顔をしていた。

 困った顔というか、不意に泣き出した子供の対応に悩む顔というか。


「いやっ……アンタの使用頻度なら遅かれ早かれバレてただろ? それなら早い方が良いと思って……そもそも、ボスが勧誘してくるようなヤツなら薬程度で引かないって――――」

「うわぁあああん! 引かれたぁ! 嫌われたぁ! 私には一生友達なんてできないんだぁ!」


 ツウィグが急いで弁明するが、ルーアのヒステリックは治まらない。

 ヒステリックというより子供の癇癪に近い惨状だが、ルーアが可愛いおかげでギリギリ絵になっている。

 私がぼんやりとそんなことを考えていると、ツウィグが必死の形相で視線を送ってきているのに気付いた。

 なるほど。

 この赤ちゃんを泣き止ませることができるのは、私だけらしい。


「ルーア」


 私は蹲るルーアの前に座り込み、その背中を優しくさすった。


「う……っ、絶対引かれたぁ……」

「引いてないよ」

「……嫌われたぁ」

「嫌いになんてならないよ」


 できる限り優しく、彼女の背中をゆっくりと撫でる。


「本当……?」

「本当」


 ルーアは赤く腫れた目で私を見上げる。

 ぐしゃぐしゃの泣き顔であっても、その上目遣いは可愛らしく見えるのだから、ルーアの容姿は本当に整っている。

 安心させるような言葉をかけつつ、そっと後頭部を撫でる。

 すると、ルーアの方から私に抱きついてきた。


「ロウリぃ……」


 まるで赤子のようだと、そんなことを思った。

 幼稚で愚かだけれど、そんな所が可愛らしい。

 彼女の愚行さえも愛おしく思えるのは、そのあまりに美しい容姿故か。

 それとも、私の願望を重ねているからだろうか。

 こんな風に愚かでいられたら、なんて願望。

 施すこともなく、救けることもなく、ただ愛情を欲するような愚かを、神様が私に許してくれたなら。

 そんなあり得ないイフを、頭のどこかで思い描いたからだろうか。

 私は泣きじゃくるルーアの頭をそっと撫でた。


「ロウリ。アンタ、変わってるな」


 ふと、頭上から声が降ってきた。

 振り返れば、ツウィグがベッドの上から私達を見下ろしていた。


「そう?」

「こんな状況で表情一つ変えないなんて、並大抵のことじゃない。それとも、ゴートウィストではポーカーフェイスの訓練でもしてるのか?」


 思えば、ツウィグはここに来るまでずっと行動を共にしている。

 トーキンという名の男との戦闘を経て、ドゥミゼルが彼を抹殺する瞬間を目撃し、アジトでアルカナンの中核メンバーに囲まれ、医務室では薬物中毒者に泣かれる。

 そんな非凡な一日のほとんどを、ツウィグと共に過ごしていた。

 というか、ツウィグを担いで過ごしていた。


「シャルナにも言われたよ、それ」


 自分でも少し驚いている。

 これだけの一日を送って、私の心は至って落ち着いている。

 目にした犯罪の数々に憤りを覚えるでもなく、目の当たりにした血と暴力に眩暈がするのでもなく、ただ何も感じない。

 風一つ無い日の海のように、私の心は凪いでいる。

 それは、きっと――――


「ここには悪い人しかいないから。それが気楽なんだ」


 一時的でも、あの家から解放されたからだと思う。

 犯罪組織のボスをやっているドゥミゼル。躊躇無くトーキンという男を殺したシャルナ。薬物中毒のルーア。

 全員、人の道を外れている。父さんが見れば発狂しそうな悪人ばかりだ。

 ここには、私に善を強いる人は一人もいない。

 ここでは、多少なりとも悪いことをしても咎められない。

 私がムカつくやつを魔術でぶちのめしても、誰も私を責めないだろう。

 それがきっと、心地良いのだ。


「……やっぱり変わってるよ、アンタ」


 そう返すツウィグは、少し寂しそうだった。

 彼のそんな顔を見て、そういえばツウィグだけは私の前で悪行をしていないな、なんてことを思い出した。

 思い返してみれば、私は犯罪に巻き込まれたツウィグを助けるつもりで、彼を抱き上げたのだ。

 それがアルカナンの構成員だとは思いもしなかったが。


「えっと……ロウリもこれやる?」


 視線を前に戻すと、ルーアが葉巻を差し出していた。

 私の発言を彼女なりに解釈してみた結果、ルーアの脳内ではその結論に至ったらしい。


「それは良いや……」


 とりあえず、薬は断った。

 ルーアはとても悲しそうな顔をしていた。


若くて、可愛くて、優秀だったルーア。そんな彼女に教会のシスターが嫉妬した、というのは別に嘘ではありません。ただ、それはそれとして、ルーアも女性に好かれにくい性格をしていると思うのです。

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