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君の不在証明  作者: 讀茸
最終章 ここではないどこかへ

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第六十九話 あなたのように

 鏡の前、改めて自分の顔を眺めてみる。

 僅かに赤を帯びた黒髪。それなりに整った目鼻立ち。灰色の瞳……までは良いのだが、その灰色の瞳が片方しか無い。


「左目、無くなっちゃった」


 この前ユザと派手にやり合ったせいで、私の左目は無くなってしまった。

 ルーアの治癒魔術を以てしても、完全に潰れた眼球を復元するのは無理だったらしい。

 まあ、左目どころか顔が半分吹っ飛んでいた気がするし、顔に変な傷が残らなかっただけ良しとしよう。

 ユザのヤツ、女の子相手に顔面なんか狙いやがって。某犯罪組織のボスみたく古傷になっちゃったら、どうするんだ。

 心の中で今は亡きユザに文句を言いつつ、私は左目に眼帯を着ける。

 なんか、中二病っぽくて嫌だな。

 病院の洗面所から廊下に出ると、白髪の少年が待っていた。


「その……どう? 感想ってゆうか……」

「うーん。眼帯ってなんか中二病っぽくてアレかなーって」

「そうか? 俺は良いと思うけど……」


 眼帯は意外にもツウィグには好評みたいだった。

 男の子はこういうの好きなんだろうか。


「そういえば、ツウィグって今何歳だっけ?」

「十四だけど」

「そっか。……うん、まあ、そういう時期は誰にでもあるよね」

「……なんだよ、その生暖かい視線は」


 十四歳か。

 なら、仕方ない。

 男の子なら特にね。

 思春期の熱病みたいなものだ。

 いつか、微笑ましい思い出として振り返る日が来るだろう。


「そういえば、ルーアは? 起きてから見てないけど」


 ユザとの激闘の後、私はすぐに気を失った。

 ルーアに治癒魔術をかけてもらってから、この病院に運び込まれたらしいのだが、私は当のルーアをまだ目にしていない。


「……なんか、用事あるって」

「そっか」


 僅かに間を置いてから、ツウィグが答えた。

 何となく含みのある答え方だが、深くは追及しないことにした。

 ルーアの行動範囲もそこまで広くはないだろうし、探せば見つかるだろう。

 ツウィグと並んで、病院の廊下を歩く。

 変な感じだ。

 私が運び込まれたという病院も、元々はゴートウィスト家が運営していたもの。

 犯罪組織構成員である私達が廊下を堂々と歩けているのも、ソルノット自治領が完全にアルカナンの手に落ちたからだ。

 もう、騎士団もゴートウィスト家もまともに機能していない。

 父さんの理想は虚しく散るどころか、最も望まなかっただろう結果に着地した。


「なんか、アレだね」

「アレってなんだよ?」


 意味も無く、ツウィグに問いかける。


「全部、無くなったんだなぁって思って」


 ゴートウィスト家。連邦騎士団。教会。

 昔、良くも悪くも盤石だと思っていたものは、あまりにもあっさり崩れ去った。

 ゴートウィスト家にいた頃の私は、永遠にこの家に縛られて、永遠に騎士として犯罪者を相手にして、永遠に正義の奴隷として生きるんだと思っていた。

 ソルノットを形作る構造はそう簡単に揺るがないと思っていたし、揺るがないと思っていたからこそ絶望した。

 こんなにも、脆いなんて知らなかったな。

 あの時、私が決して壊せぬ牢獄だと思っていた世界は、少し力を込めただけで、薄氷を踏み抜くように崩せたのかもしれない。

 そう思うと、今まで悩んだり考えたり必死になったりしていたことが、途端にどうでも良く思えてくる。

 どうにも、心が軽い。

 開けた視界は真っ白で、逆に虚しく思えるくらいだ。


「ルーア、探しに行こ」


 何となく、彼女に会おうと思った。

 特に理由は無い。

 暇だから話し相手にでもなってもらおうと思っただけ。

 こんな風に軽い気持ちで自分の行動を選択したのは、人生で初めてな気がした。


     ***


 初体験は十二歳の時。

 相手は当時好きだった一個上の男の子。

 色々あってその子と別れちゃってからは、男の人をたくさんとっかえひっかえしていた。

 元々そういうことへの興味は強かったし、男受けの良い見た目のおかげで相手には困らなかった。

 愛情紛いの快楽をその場限りで摂取し続けて、フラフラと遊んでいるばかり。

 そんな私を見兼ねたのだろう。

 両親は私を修道院にぶち込んだ。

 多分、パパもママも私を疎んで修道院送りにしたわけじゃないと思う。

 修道院で清く正しい生活をさせれば、私の幼稚で薄っぺらい性格が矯正できると思っていたんだ。

 だから、私も最初はそれなりにやる気はあって。

 まあ、これからは色んなことをちゃんとやって、普通に幸せな人生を送ろうかな、なんて思ったりもしていて。

 きっと何とかなるだろうって、愚かにも勘違いしていたんだ。

 修道院に入れられた私は、それはそれは嫌われた。

 同性に嫌われやすい性格なのは自覚していたつもりだったけど、ここまでとは思わなかった。

 いじめられて、陰口もたくさん言われて、友達なんて一人もできなくて。

 そういえば、女の子の友達って人生で一人もいたことないなぁって、そんなことを考えて孤独感に苛まれる。

 私にも原因はあったんだと思う。

 朝起きられなかったり、集中力が無かったり、テキパキ動けなかったり。

 だからってあんな酷いこと言わなくても良いじゃんって、愚痴を言うような相手もいなくて。

 私が治癒魔術を使えるようになる頃には、修道院のシスターからは完全にハブられていた。

 私も教会の魔術を使えるようになって調子付いて、あの人達はどうせ私に嫉妬してるんだろうと考えるようになった。

 私がたくさん魔術を使えるから、あと可愛いから、私に嫉妬してるんだ。

 そうやって心の中で強がってみたは良いものの、私が使える魔術は治癒とか解呪とかそういうのばっかり。

 ロウリみたいに凄い武器とか作れたら、自分の力でシスター達にやり返せたのかもしれないけれど、やっぱりそんな勇気は無かった気がする。

 まあ、そんな感じで私は修道院で孤立していた。

 そんな私に目を付けたのか、私は偉い男の人に声をかけられた。

 詳しくは覚えてないけど、まあ、そういう話。色々と優遇してあげるから一晩相手してよ、みたいな。

 優遇どうこうはどうでも良くて、私はただ居場所がほしかった。

 求められるのが嬉しくて、私はホイホイと付いて行った。

 その人が私の体しか見てないことは分かってたつもりだけど、体だけでも必要とされていたかった。

 それが噂になったりして、私はますますシスター達には嫌われて。

 嫌われて、疎まれて、私はどんどん堕ちていった。

 毎晩、辛くて泣いていた。

 あの日、襲撃してきたアルカナンが修道院を火の海に変えなければ、私はいつか自殺していたんじゃないだろうか。

 シャルナさんが燃やした修道院内で、私だけ生き残ったのは皮肉な話だ。

 あの夜のことはよく覚えている。

 真っ青に燃えて焼け落ちる修道院で、シャルナさんは私を見下ろしていて。

 無造作に蹴っ飛ばそうとしたところを、ボスに止められていた。

 シャルナさんはボスに何やら説得されて、私をひょいと抱え上げて連れ去った。

 その時は、シャルナさんのことが私を修道院から連れ出してくれる王子様に見えていたんだけど。

 今なら、分かる。

 シャルナさんの脚力で蹴られたら、私の体なんて一撃で木端微塵になる。

 あの時、シャルナさんは私を殺そうとしていた。

 ボスが私に利用価値を見出して、命令を殺害から捕獲に切り替えただけ。

 シャルナさんの目には、私は燃え滓になった他のシスター達と何ら変わり無く映っていて、道端の石を蹴っ飛ばすように殺そうとしていたんだ。

 それでも、私は誰かに連れ出してほしかった。

 シャルナさんは私にとって特別な誰かだって信じたかった。

 だから、あの人にいもしない王子様の幻想を重ねて、勝手に憧憬と思慕を募らせていった。

 そんな幻想に依存していられたのも、ロウリが現れるまでの話。

 シャルナさんのロウリに対する態度を見れば、私があの人にとって特別じゃないことなんて一目瞭然だ。

 ロウリは凄い。本当に凄い。

 強くて、頭も良くて、芯がある。

 アルカナンの中枢メンバーに囲まれても全然怖がらないし、シャルナさんには明らかに気に入られている。

 そして、何より、私なんかにも優しい。

 シャルナさんにも、多分ボスにも、一目置かれているロウリなのに、いつも私やツウィグに構ってくれる。一緒にいてくれる。

 だからね、ロウリ、私は――――


     ***


 病院にツウィグを置いて、私は一人で出て来た。

 目的はある人に会うこと。

 これまで何度も会ってきた人だけれど、これからはもう二度と会わない。

 もう二度と会わないために、今日で全部終わりにするんだ。


「い、要らないです……」


 路地裏、私は粉末の入った小瓶を突き返す。

 昔から人の頼みを断るのが苦手だった。

 雰囲気に流されやすくて、いつも相手を拒めない。

 でも、今日だけは断る。

 絶対、絶対に断ると決めたんだ。


「何だってそんなこと言うんだ? 何も金を取ろうってんじゃない。アンタはお得意様だからな。新作ができたんでお試しに味わってもらおうってだけさ。正真正銘、俺のサービス精神だよ。タダなんだ。もらっときゃ良いだろう?」


 私が突き返した粉末を売人は一向に受け取らない。

 口八丁でまくし立てて、あれこれと言葉を並べ立ててくる。

 苦手だ。すごい苦手だ、こういうの。

 自信満々な態度で口説かれると、上手く丸め込まれそうになってしまう。


「い……要りません。受け取れません。帰って下さい」


 でも、それでも、今日だけは負けないって決めたんだ。

 もう薬物は使わない。

 もう一生、こんなものには頼らないって決めた。

 だから、売人との関係もここで終わり。

 今日の新作とやらも断って、もう二度と私と関わらないで下さいって言ってやるんだ。


「おいおい、どうしちまったんだ? ルーアさんよ。アンタほどのヘビーユーザーが急に」


 丸眼鏡をかけた売人は、軽薄な口調で語る。

 フレンドリーな化けの皮を被って、私の内心にズカズカ踏み込んでくる。


「私も……」


 怖い。

 こんなことを言って、相手に何か言い返されるのが怖い。

 相手を怒らせるのが怖い。

 大人しく受け取っておけば良いんじゃないかって、今も私の甘い心が訴えかけてくる。

 でも、私は――――


「私もっ、ロウリみたいになりたいから……」


 あなたのような、強い人になりたい。

 私はあなたみたいな魔術は使えないし、あなたのように賢くないし、あなたほどカッコ良くはないけれど。

 それでも、少しでも近付きたい。

 私もね、あなたみたいになりたいんだよ。ロウリ。

 分かってる。分かってるんだ。

 アルカナンの中枢メンバーで、薬物を使ってる人はほとんどいない。

 薬物の元締めみたいな組織のトップが、みんな揃って使用を避けているのだ。

 それだけ、これが危険なものだということ。

 弱者から搾り取るための装置でしかないということ。

 私の馬鹿な頭が急に良くなったりはしないけど、せめて、明らかに間違いだと分かっている場所から抜け出したい。


「……へぇ」


 売人が低く唸る。

 丸眼鏡の奥から鋭い視線で睨まれて、私は思わず身を竦ませた。


「こいつはやる。嫌ならゴミ箱にでも捨てれば良い。――――だが、断言するぜ。アンタには無理だ。アンタは既にジャンキーだ。他の何者かにはなれない」


 売人は私の手にぎゅっと小瓶を握らせてから、ゆっくりと背を向けて去っていく。

 直前に耳元で囁かれた言葉が、頭蓋骨の中で反響している。

 私には無理だと。お前には無理だと。

 無理だと、否定する言葉が頭の中で響く。

 そんな言葉に精一杯抵抗するように――――


「……っ!」


 私は小瓶を地面に叩きつけた。

 パリンと音を立てて小瓶は割れ、中の粉末が飛び散る。

 少し先を歩いていた売人が振り返る。

 横目に私を見据える表情には、刺すような軽蔑が滲んでいた。

 その視線の鋭さに、侮蔑を以て見下ろされる劣等感の重みに、私は涙目になりながら。

 涙目になりながらも、売人を睨み返していた。

 そんな私に対して、売人は追撃の言葉を浴びせることなく、興味を失ったように去って行った。


「……良かった。これで良かったんだ」


 言い聞かせるように、呟く。

 うん、これで良い。

 私はもう薬物なんて二度としない。

 これっきりキッパリ決別して、これからは他のことも色々ちゃんとするんだ。


「…………」


 見下ろす。

 地面に散らばった白い粉末。

 ぶちまけられた薬物は、春先に溶け残った雪のよう。

 白い香りが鼻をつく。

 背徳的な味わいが、鼻腔をくすぐっていく。


「早く、病院戻らなきゃ」


 ここにいてはいけない。

 本能的にそう感じた私は、足早に歩き出した。

 そうだ。早く病院に戻ろう。

 ツウィグを置いてきちゃったし、ロウリももう目を覚ましてるかも。

 ロウリに報告するんだ。薬物はやめたよって。今度はちゃんと断ってきたよって報告して、褒めてもらうんだ。


「――――――――」


 路地裏、表通りを前にして足が止まる。

 建物に遮られて日陰になった路地裏から、太陽の照らす表通りを見つめている。

 広い通り。道行く人が歩いている。

 たくさん。たくさんの人の群れ。絶え間無く流れる人混みは、勢いのついた濁流みたいだ。

 この濁流の中に、私は飛び込まなくちゃいけないのか。

 そんなことを考えた瞬間、記憶がフラッシュバックする。

 故郷から、修道院へ、それからソルノットに。

 辛くて惨めな過去が、私の脳をさらっていく。


「はっ……」


 なんで、引き返しているんだろう。

 私は元いた路地裏に走って引き返している。


「はっ、はっ……」


 白い雪の前に跪いて。

 掬い上げて。

 それを吸い込むように。


「はぁっ、はぁっ……!」


 気付けば、地面に跪いて白い粉を吸っていた。

 本当に何してるんだろう。

 こんなにも自分が嫌いになったのは初めてだ。

 ポタポタと涙が零れる。

 もう頭の中がぐちゃぐちゃで、自分でも訳が分からないくらい死にたくて。

 抱えきれない感情を誤魔化すように、私は白い粉を吸い込んでいた。

 

「ねえ」


 蹲って泣き腫らす私の頭上から、声が聞こえた。

 男の人の声。

 今だけは、絶対に聞きたくないと思っていた声。


「ちょっと来て」


 赤く腫れた瞳で見上げる。

 そこに立っていたのは、小太りの中年男性。

 ひどく残酷な記憶と共に思い出されるその姿は、マルク・メイルそのもの。

 その目を、私はよく知っていた。

 獲物を前にした男性が見せる、欲望の視線。

 マルクからも、他の男からも、今までに向けられてきた目つき。


「いやっ――――」


 拒絶の声を上げる間も無く、首根っこを掴まれる。

 首の肌を捉えたグロテスクな感触に、私は悲鳴を上げた。

薬物は絶対にダメということです

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― 新着の感想 ―
他の事も色々〜って具体例なにもないし、ちょっと関わっただけのロウリに褒めてもらおうとするのが行動基準だし(そもそもロウリの性格的に褒めるのか?) 意思薄弱ですね
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