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君の不在証明  作者: 讀茸
最終章 ここではないどこかへ

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第六十七話 ゲームセット

 女が目を覚ますと、そこは白い寝台の上だった。

 ゆっくりと霧が晴れていくように、鮮明になっていく視界。

 開いた眼に映ったのは、見覚えのある病棟の天井。

 女は記憶を辿る。

 確か、小さな病院の一室だったはずだ。ソルノット支部に赴任して間も無い頃、大きな怪我をして世話になったことがある。

 ゴートウィスト家による医療改革が行われる前からあった、小さな個人病院の一つ。

 閑散とした病院だったはずだが、女の耳には騒がしい足音や話し声が届いていた。


「あ、目が覚めたんですね」


 少年が女の顔を覗き込んでいる。

 彼の顔にも、女は覚えがあった。

 確か、彼は医療班の少年だったはずだ。

 精鋭揃いの医療班にこの歳で抜擢されるのは珍しいと、アトリ団長が話していたのを記憶している。

 ゴートウィスト家の医療班である彼が、こんな小さな病院にいるのも奇妙だった。


「気分はどうですか? シルノートさん。どこか調子が悪い所は無いですか?」

「ああ……大丈夫だ。どこも痛まない。不思議なものだな。背後から剣で刺された気がしたんだが」


 シルノートは上体を起こし、少年の問いに答える。

 痛みは無い。調子も悪くない。むしろ、疲れが取れて気分が良いくらいだ。

 レイ・ジェイドとの交戦で背後から刺殺されたかに見えた彼女だが、こうして一命を取り留めていた。


「剣でですか? 傷跡としては、細い魔術か針のような投擲武器が貫通したようにしか見えないんですが……えっと、奇跡的に刃が内臓を避けてたんです。あと少し傷の位置がズレてれば、心臓を貫かれていたはずです。僕も初めに見た時は、心臓を刺されて死んでいると思いました」


 レイがシルノートの胸に刺したレイピア。

 それは医療班でも心臓を貫かれたと見紛うほど心臓に近い位置を通りながら、彼女の臓器を一切傷付けずに通り抜けた。

 リュセルがシルノートを襲った得物を、剣と判別できなかったのも無理は無い。

 刺して、引き抜く。

 この二工程を行ったならば、傷の周囲がもっと傷付いていなければおかしい。

 ここまで綺麗な断面を刻むには、速度のある投擲武器や魔術を貫通させるしかないと思うのが普通だ。

 いくら細いレイピアを使ったと言えど、レイがシルノートに刻んだ傷は綺麗すぎた。


(それだけの使い手が内臓の位置を見間違えたのか? 偶然にしては…………いや、考えても分からんな。素直に生き残ったことを喜んでおこう)


 シルノートは如何にも冷静沈着という顔つきをしているが、複雑なことを考えるのは得意でない。

 山奥の民族出身であることも影響して、シルノートはかなり直情的な性質をしていた。

 ソルノット自治領で騎士をやっていくには、それくらいが丁度良いのかもしれないが。


「お前が助けてくれたのか?」

「一応、医療班ですから」

「そうか。……助かった。ありがとう」


 自分を助けてくれたリュセルに、シルノートは礼を言う。

 混迷を極める侵略戦争で、気絶している他者を助けたリュセルの善意は尊敬に値するものだ。

 それが、医療班としての仕事の一つであったとしても。


「にしても、今回は早々にやられてしまったな。他の騎士連中に何と言われることやら……」


 シルノートは選抜騎士の面々を思い浮かべ、溜息を吐く。

 特にソルノット三騎士こと、三馬鹿はあーだこーだと文句をつけてくるだろう。

 良い歳して子供みたいなヤツらだから、狙撃が無かっただの援護が欲しかっただの、散々ぶーたれるに違いない。

 まあ、そこら辺も、ヘマした方が気を落としすぎないようにという気遣いなんだろうが。


「…………」


 同僚の顔を思い浮かべていると、リュセルが気まずそうにしているのが見えた。

 シルノートの感覚は鋭い。

 それ故に、こういった空気も敏感に感じ取ってしまう。


「どうした?」


 言い出しにくい言葉が喉の奥につっかえている。

 そんな表情のリュセルに、シルノートは真っすぐな質問をぶつけた。

 リュセルは三秒ほど思案した後、覚悟を決めたように口を開く。


「選抜騎士の皆さんは……アルカナンに討たれて、シルノートさん以外は亡くなられました」

「…………は?」


 シルノートは息を呑む。

 「厳密にはアルカナンに寝返ったロウリさんは生きているみたいですが……」と付け加えるリュセルの前で、シルノートは自分の頭が真っ白になっていくのを感じた。

 選抜騎士が全滅。

 俄かには信じられない。

 確かに三馬鹿は馬鹿だが、腕にはケチの付けようが無い。エルノさんも、アトリ団長も、敗北が想像できないほどの強者だった。

 ユザとロウリも、シルノート達を遥かに凌ぐ才能の持ち主だったはずだ。

 それが敗れることも、犯罪組織に寝返ることも、シルノートには想像すらできなかった。


「じゃあ、今のソルノットは……?」


 恐る恐る、訊く。

 リュセルは苦しげながらも、包み隠さずに現状を語った。


「ゴートウィスト家、騎士団は壊滅。アルカナンが実権を握っています」


 それは、あまりにも荒唐無稽な悪夢。

 フィクションの世界ではあり得ない、現実においてもあり得てはならない。

 悪の勝利であった。


     ***


 エルグラン連邦、ソルノット自治領。

 大陸最悪の無法地帯にて、前代未聞の事件が起こる。

 犯罪組織アルカナンによって、連邦騎士団ソルノット支部及びゴートウィスト家は壊滅。

 一犯罪組織に過ぎなかったはずのアルカナンが、ソルノット自治領全域の実権を握る。

 ソルノット南東部侵略戦争は、エルグラン連邦史上最大の犯罪事件として、その意外な結末と共に歴史に刻まれることとなる。


「勝った勝った。蓋を開けてみれば大勝ちだな。気持ち良いくらいの圧勝じゃないか」


 元ゴートウィスト家本邸。

 現在はアルカナンの新しい拠点として使われている屋敷に、銀髪の女が上機嫌で帰還した。

 広間の扉を開けた彼女は笑いながら、来客用の椅子に腰掛ける。

 今回の侵略戦争を成功させたドゥミゼルは、ギャンブルに大勝ちしたかの如く気分を良くしていた。


「あ゛あ゛ー。疲れだぁ~。空飛ぶのってやっぱ疲れるわー。こんなのはもう二度とごめんだね」


 ドゥミゼルと同時に帰還したシャルナも、手近なソファにダイブする。

 ソファの上に寝転がった彼女は、脱力して寝返りを打った。


「そう言うなよ。今回もシャルナに飛んでもらったおかげで、スムーズに荒野の騎兵隊を処理できたんだからさ」

「んなこと言ってもさー、疲れるもんは疲れんだよ~。ボス引っ張って飛ぶのも楽じゃないんだって。重いんだよボス」

「ははは、酷いな。こう見えて体型には気を遣ってるんだけどね」

「嘘だぁ~。ボスのデブ! デブデブ!」


 どうも、シャルナはドゥミゼルのアッシー君として使われたらしい。

 スウェードバークの荒野までの長距離を飛行させられて、シャルナは疲労困憊のようだった。

 対してドゥミゼルは侵略戦争の完全勝利が確定したこともあり、今まで見たこと無いくらい機嫌が良い。

 シャルナにもかなり失礼なことを言われているが、笑って許している。

 いや、よく見ると目が笑っていない。


「騎兵隊……こんなに早く殲滅できたんだ……もっと、防衛戦とかになると思ってた……」

「ここは攻める? いや、ここはナイトを後ろに下げて防衛線を張った方が……う~ん、でも守ってばっかじゃジリ貧よね……」


 静かに首を絞められるシャルナを横目に、レイとアズはボードゲームに興じている。

 真剣に盤面を睨むアズとは対照的に、レイは片手間にドゥミゼルらとの雑談をする余裕があるようだ。


「ああ、人間のストックも使い切ったんだ。気分が良くてね。景気良く使ってしまったよ」

「離してボス! ギブ! ギブギブ!」


 シャルナの首を絞めながら、ドゥミゼルは穏やかに笑う。

 完璧な計画を立てるほどの知能を持つドゥミゼルだが、それをその場の勢いで変更するほどの気分屋でもある。

 その根底にはどんな計画を実行するに当たっても、楽しまなければもったいないという価値観が隠れている。

 呪術の触媒として有用な人間を使い切るほどだから、相当興が乗ったのだろう。


「雑魚を前に出して様子見を……いやダメ。それじゃ、レイの思う壺。やっぱり動かすならナイトしかないわ……」

「そういえば……刑務所から連れてきた囚人って…………」

「…………まあ、彼らも悪いことをしたから捕まってたんだろう? 呪術の巻き添えを食っていても、天罰だと思って受け入れてくれるんじゃないかな」

「勢いで殺してきてるじゃん……」


 騎兵隊を足止めするために、スウェードバークの荒野へ放置されていた数多の囚人。

 監獄落としによって手に入れた兵力だったが、ドゥミゼルの気分一つで消し飛んだらしい。

 元より、侵略戦争で使うための駒だったため、それは終わったドゥミゼルの頭からは消えていたのだろう。


「やっぱり攻めるしかないわ! 行きなさい! あたしのナイト!」

「はい、詰み」


 意を決して駒を動かしたアズに対し、レイはノータイムで手を打つ。

 その瞬間、アズ・リシュル本日五度目の敗戦が決定した。

 

「え!? これ詰んでる!? 本当に詰んでるの!?」

「いやー、ボスは全然デブじゃないよなァ! 筋肉質でスリム! みんなの憧れ!」

「いや、これいけるんじゃない? ほら、こっからこうすれば……あーでも、それだとこっちが塞がっちゃう……え、やっぱり本当に詰んでるの? 本当に……?」

「なんで!? なんで褒めたのに首絞め……ぐえっ」


 騒がしいアズとシャルナを横目に、レイはドゥミゼルを見据える。

 相も変わらず隙の無い、銀髪の出で立ち。タトゥーと傷痕の入った身体は、冷たくも鋭いプレッシャーを放っている。

 侵略戦争の勝利に浮かれてはいるのだろうが、そこに付け入ろうという考えが起きないほどの威圧感。

 ドゥミゼル・ディザスティアは生物としての規格が違う。

 彼女は純正の魔族。

 人間と似通った見た目をしていようと、個としてのスケールは人類を遥かに凌ぐ。

 半魔族であるレイは、そのことを誰よりも痛感していた。


「どうした? レイ。私の顔に何か付いてるか?」

「……うん、手元になんか青いのが…………」

「ヘルプ! レイヘルプ!」


 視線を悟られたことを、レイは冗談で誤魔化す。

 ドゥミゼルが魔族であるということは、アルカナンの中核メンバーにも知らされていない。

 半魔族であるレイだけが、直覚的に彼女の正体を把握している。

 レイがドゥミゼルの正体を知っていること。

 それにドゥミゼルが気付いているかどうかは、レイ自身にも分からない。


「かはっ……死ぬかと思ったぜ……」


 解放されたシャルナが息を荒くする。

 竜人であるシャルナが首を絞められた程度で死ぬわけがないのだが。

 ドゥミゼルの握力がそこまで強いのか、何か掌を解して呪いでも打ち込んでいたのか、シャルナがふざけているだけなのか。

 これもレイには分からない。


「そういやマルクは? あいつも死んでたっけ?」


 マルク・メイル。

 シャルナがこの場にいない中枢メンバーの名前を出した。

 それに対してあからさまに嫌な顔をしたのが、アズだった。


「ちょっとシャルナ。キモいヤツの名前出さないでよ。耳がキモくなるでしょ」

「……多分、中央教会…………」


 中央教会で彼が何をしているか。

 レイはあえて口に出さなかった。

 そこに含まれていたのは、アズがマルクを嫌う理由と同じ感情だ。


「あー、あいつまた女漁ってんのか。マジキモいよなぁ」

「キモいから言わないでって言ってんでしょ」

「キモい……マルク…………」


 この場にいないマルクは散々な言われようだ。

 女性陣からだけでなく、レイからも言われているあたり筋金入りだ。


「言ってやるなよ。あれもあれで役立ってるんだ。キモいのは否定しないけどね」


 三人からキモいの集中砲火を浴びるマルクだが、ドゥミゼルだけが笑ってフォローしていた。

 そんな彼女にさえも、キモいことは否定してもらえなかったが。


「あれが何の役に立ってんのよ?」


 嫌悪感を露わにしてアズが尋ねる。

 尋ねるというよりは、マルクの肩を持つドゥミゼルへの不満にも近かった。

 しかし、当のドゥミゼルは口角を釣り上げて、悪意たっぷりの笑みで答えた。


「必要だろ? 弱いヤツを目一杯虐めて、立場を分からせてやる役回りがさ」


 ドゥミゼルが悪辣に笑う。

 彼女が思いを馳せるソルノット中央教会では、彼女の想像通りの惨劇が起きている。

 あらゆる場所で命が奪われ、暴力が跋扈した侵略戦争。

 惨状と呼べぬ場所などどこにもなかった地獄の中でも、中央教会を襲った惨劇は最悪と呼ばれた。

 最悪の中の最悪。最底辺のさらに底。

 ソルノット中央教会に訪れた悪夢を思い、銀髪の呪術師は悪辣に笑っていた。

一応フォローしておくとドゥミゼルはデブじゃないです。ただ、かなり筋肉質なので体重はそこそこ……まあ、そこそこです。

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