第六十六話 話
初対面の印象は、寡黙なヤツだなって感じ。
基本的に無口で愛想も良くない。別に態度が悪いというわけじゃないけど、もう少し笑ったりしても良いんじゃないかと思ったものだ。
アトリ団長じゃないけれど、冗談の一つでも言ってみれば良いのに。
まあ、そこら辺は私も人のことは言えなくて。
あまり感情の起伏を顔に出さなそうな所とか、周りに壁を作ってそうな所とか、自分の本音を誰にも話さなそうな所とか、私達は似た者同士とも言えなくもない。
数少ない同年代の相手だし、仲良くやろうとは思っていたのだ。
――――あんなヤツら大嫌いだ。本当は……ぶっ殺してやりたい
結論から言えば、ユザは私が思うような人間じゃなかった。
すぐ顔に出る。不器用だが、壁を作るタイプじゃない。誰に対しても本音で喋る。
好きなものにも嫌いなものにも正直で、真っすぐで、私達は全然似た者同士なんかじゃなかった。
正しさの仮面を被っていた私なんかとは、とてもじゃないが似ても似つかない。
そんなユザが、私は嫌いだった。
自分の感情に素直でいられるユザに嫉妬していたのだ。
嫌いな人間を嫌いだと、正直に口に出せるユザが羨ましくて、妬ましくて、疎ましくて。
嫌いで、嫌いで、大嫌いで、それと同じくらい憧れていて、それでもやっぱり死ぬほど嫌いで。
だから、今、殺したいだなんて思うのだ。
私はユザを超えたい。ねじ伏せたい。負けたくない。私の方が優れていると証明したい。
ユザ・レイスという人間を完膚なきまでに殺して、壊して、勝利して。
私の「嫌い」がユザの「嫌い」を上回ったと証明して、そして。
そして、お前が嫌いだと言ってやるのだ。
***
ボロボロの小さな教会。
古ぼけた板張りの床を踏みしめて、白髪の少年が立っている。
右手に握るは小さなダガー。輝く右眼は青カビじみた灰緑色。
あんなにも短い刃を拙く構えて、どこか濁った魔眼を必死に見開いて、ツウィグは目前の騎士を睨み上げていた。
「ツウィグ……?」
そんな彼の姿を、私は壁際から見つめている。
目を見開いて彼を見つめる私の体は、ルーアに抱きかかえられている。
床に寝かせた私の上体だけを抱くような体勢で、ルーアは必死の形相で私に治癒魔術をかけていた。
ポツリ、と彼女の涙が私の頬に落ちる。
「ロウリっ、ロウリ……っ、顔っ、こんなにきずっ、傷付いてっ……! ごめ、ごめんなさいっ……わたし、私達、役に立たなくて……っ、治すっ、治すから……すぐ治すからね……、ロウリ、ロウリ……お願いっ、治って、治ってよ……! お願いっ、お願い、ロウリ……!」
泣きながら、ルーアは私の傷口に手をかざし続ける。
彼女が無詠唱でかける治癒魔術の光が、ゆっくりと傷に浸透していく。
でも、ユザとの戦闘で私が負った傷はそう簡単に治るものじゃなくて、そもそも左目とかはもう吹っ飛んでて。
ただひたすらに、ルーアは泣きながら魔術を唱えていた。
多分、途中からはルーア自身でも訳が分からなくなって、治癒とか解呪とか解毒とか、適当にかけまくったんだと思う。
だからだろうか、さっきから私を苛んでいた激痛が和らいでいくのは。
肉体を内側から食い破られるような痛みが、少しずつ薄れて消えていく。
「ルーア……」
なんで、こんなに泣いてるんだろう。
何がそんなに悲しいんだろう。
今の私って、そんなに酷い状態なのかな。
分かんないや。
もうずっと、ユザを殺すことしか頭に無くて。
嫌いなものを壊すことばっかりに夢中で、ツウィグとルーアのことなんてすっかり忘れてた。
「ルーア! あとどれくらいかかる!?」
「わ、分かんない! 一時間とか……」
「一時間……!?」
ツウィグとルーアが声をかけ合っている。
その光景を私は呆然と見つめていた。
私もユザも呆気に取られていたんだ。
殺すとか、壊すとか、嫌いだとか。
そんなことばかり言い合って武器を振り回していた所に、こんなにも弱くて愛らしいモノを目にしたんだから。
あまりの落差にびっくりして、目の前の景色を飲み込むのにいっぱいいっぱいになっていた。
ただ、私を助けに来たっていう二人の優しさを受け止めるのに必死だったんだ。
「よいしょ」
私は立ち上がった。
全身がちょっとずつ痛む。
でも、動けないほどじゃない。
うん、いけそう。
「ロウリ! まだ動かない方が――――」
「大丈夫。回復したよ。……ありがとう。元気もらった」
ルーアの制止を振り切って歩き出す。
ゆっくりと、小さな教会の中央へ。
ぐっと伸びをしつつ、パキパキと腕の関節を鳴らす。
コンディションは最悪なのに、どうしてか気分だけは絶好調だ。
「ツウィグ、下がって」
「でも、まだ血が――――」
「大丈夫だって」
ツウィグに声をかける。
心配そうな顔をするツウィグに笑ってしまいそうになる。
ユザにビビってたくせに、簡単に下がるのは不服らしい。
いや、ビビってたからこそ、私に任せるのは不安なのかな。
「死なないよ。これからもずっと、私が二人を守るから」
ツウィグの肩にポンと手を置いて、そのまま彼を下がらせる。
そう、私は死なない。
ツウィグとルーアも死なせない。
強者とか弱者とか関係無く、善とか悪とか飛び越えて、義務とか能力とかもゼロにして。
今はただ素直に、二人を守りたいって思えてる。
本当に、ただそれだけことだった。
「よし」
一歩、踏み出す。
目の前には赤髪の騎士。
私は赤黒いガントレットを構築して両腕に装着した。
構えを取って、ユザと向き合う。
「じゃあ、やろうか。ユザ」
見れば、ユザもレッドファングをガントレットに変形していた。
赤い装甲を両腕に嵌め、無言で構えを取っている。
私に合わせたというわけではないだろうが、何となく運命的なものを感じた。
戦闘スタイルはかなり似ていた私達だが、最後に選ぶ武器も同じらしい。
まあ、お互いにデカい武器を振り回す体力が残っていないというだけの話だけれど。
「ファイナルラウンド」
同時、私とユザが踏み出す。
最終決戦は静かに、ひどく静かに幕を開けた。
***
タン、カン、ダン。
小さな教会の中に、弾けるような音だけが響く。
それはガントレットとガントレットがぶつかる金属音であったり、板張りの床を靴裏で踏み抜く音であったりする。
先刻までの派手な戦闘が嘘であったかのように、ロウリとユザは静かな格闘戦を繰り広げていた。
ドン、ストン、ザッ。
振り抜かれる拳に拳を当てていなし、伸びてくる蹴りをバックステップで躱す。
法則など無いはずの戦いに、一定のリズムがあるようだった。
打ち込み、守り、踏み込み、下がる。
コンパクトな一挙手一投足は互いの命を狙っているはずなのに、どこまでも静謐で研ぎ澄まされている。
パン、シュッ、ズン。
ロウリとユザの格闘戦を見ていたツウィグは、二人の戦闘にどこか音楽じみたものを感じていた。
二人が奏でる戦闘音は、緻密に計算され尽くした二重奏のよう。
命の獲り合いが、生命の奪い合いが、こうも美しいハーモニーを奏でるのか。
殺し合いの旋律が流れる最中、両者の視線が何度も交錯する。
その感情は如何なるものか、外野のツウィグには想像することもできない。
ただ、実際に拳を交える二人は、透徹した眼差しで戦い続けていた。
静謐な殺し合いの旋律。
転調は唐突に訪れる。
大きく踏み込んだロウリの一撃。
左から打ちこむ拳がユザの首筋に迫る。
今度こそ決まるかに思えたロウリの一手。
ユザの首に迫る赤黒い装甲に、一秒先の勝利を幻視したロウリ。
一秒後、彼女の視界は引っくり返っていた。
(柔術……!)
今まで、ユザが実戦で柔術を使ったことはない。
エルノに習ってはいたものの、実戦で使えるレベルまで達していなかった。
現在、実戦レベルに達しているというわけでもない。
この土壇場でモノにしたというより、未完成ながらに繰り出したという表現が適切だろう。
未完成で不完全。
故に、ロウリの虚を突いた。
宙に浮かされたロウリ。
そこへユザが叩き込む正拳突き。
強い踏み込みと同時に突き出された赤い一撃は、腕をクロスして防御を試みたロウリのガントレットを砕く。
右のガントレットを砕かれつつ、数メートル後方へ弾き飛ばされたロウリ。
空中で体勢を変えて足から着地。
追撃へと走るユザに怯むことなく、自ら向かって行く。
直後、ぶつかり合う拳と拳。
互いに打ち込んだ左の拳が、真正面から激突していた。
パリン。
音を立てて砕けたのは、ロウリのガントレット。
ロウリが即席で作った鋼鉄の武器とユザのレッドファング。
耐久力の差がここで出た。
(ああ、クソ……)
武器を完全に失ったロウリを前に、ユザは心中で呟く。
最終局面で見せた自分の凡ミスを、心の中でぼやいていた。
(なんで、忘れてたんだ)
ガントレットを砕かれたロウリは、そのまま姿勢を落とす。
低姿勢のまま素早い足捌きで、ユザの懐へと潜り込んでくる。
ロウリの武器破壊に意識を取られていたユザは、その動きを見て思い出した。
(それは、こいつの十八番だったろ……)
低い体勢から、流れるような足捌きで。
ロウリは綺麗な肘鉄を放つ。
今まで、何度も見てきた。
幾度も食らってきた。
騎士団にいた頃の模擬戦で何度も経験したはずの技なのに、あるいはだからこそ、それはユザの意識から抜け落ちていた。
ユザの胸に直撃する肘鉄。
ロウリが袖の下に隠していた赤黒い装甲が、ユザの胸を抉った。
武器破壊に成功したと思わせて、袖の下に隠した装甲で奇襲をかける。
ロウリが騎士団にいた頃から、最も得意とする戦法の一つだった。
ロウリ・ゴートウィストは変わってしまったと。
自分が知る選抜騎士ロウリは、もうどこにもいないのだと。
そう強く思うばかりに、ユザはあの頃と同じ技に敗れたのだ。
バタン。
ユザが倒れる。
その胸には真っ赤な花が咲いている。
仰向けに倒れる赤い騎士を、ロウリは片目だけになった顔で見下ろす。
その眼差しは、どこか楽しげだった。
「久しぶりに、引っかかったね」
頭上から降って来る声に、ユザは口元を緩めた。
それはまるで、あの頃のよう。
彼女が騎士団にいた頃、模擬戦の後にも、こんな言葉を交わしていた。
「ああ……完っ全に抜けてた」
ユザは掠れた声で言う。
ロウリの肘鉄はユザの胸を深く抉り、内臓までも傷付けている。
呪術の影響も考えれば、ユザの余命は残り約四十秒。
四十秒間。
穏やかに死を待つこともできたはずだ。
「守るのか、あの二人……」
残された四十秒間で、ユザはそんなことを尋ねた。
突然現れた乱入者のこと。
正義というシステムが嫌いだと、弱者のために手を尽くさなければいけないのが嫌だと。
そう語ったロウリが、守ると言った二人。
そんな二人の少年少女について、ユザは訊いた。
「うん、守るよ」
霞んでいくユザの視界。
その中に映るロウリの表情は、ひどく穏やかで優しく。
少なくとも、ユザは一度も見たことがないくらい。
「二人のこと、好きだから」
それは、あまりにも意味が分からなくて。
一貫性の欠片も無くて。
合理性の塊だったロウリ・ゴートウィストの言葉だとは思えなくて。
思わず、ユザは笑った。
「ははっ……何だよ、それ」
完全な正義の化身だと思っていた少女が口にした、非合理的に過ぎる言葉。
それが何だか可笑しくて、ユザは子供のように笑った。
そして満足したかのように目を閉じて、ゆっくりと寝返りを打つ。
「意味分かんねぇ……」
そんな言葉を最後に、ユザ・レイスは息を引き取った。
壮絶な戦いの末、一人の少年騎士が迎えた凄惨な最期。
幼少期に両親を殺され、大陸最悪の無法地帯で騎士として戦い、最後には裏切った仲間に討たれて死ぬ。
そんな悲劇的な人生には似合わぬほど、穏やかな寝顔で死んでいった。
***
気付けば、俺は小さな通りに立っていた。
ソルノットの街並みは綺麗とは言えなくて、良い意味でも悪い意味でもいつも通り。
大陸最悪の無法地帯なんて評価も頷ける。
こんなにも酷い街だというのに、見上げる空だけは透き通っていて、照らす太陽がやけに眩しかった。
良い天気だから、散歩してみることにした。
相も変わらず寂れた砂利道を歩き、目一杯に陽射しを浴びる。
少し歩くと、小さな教会が見えた。
そのすぐ近くに設置されているベンチ。
そこに一人の少女が座っていた。
――――隣、良いか?
黒に一滴だけ赤を垂らしたような髪の彼女は、小さく頷いた気がした。
俺は彼女の隣に座る。
少し、沈黙が続く。
何故だろう。
話したいことがたくさんあったはずなのに、どうにも上手く言葉にならない。
それでも、一つ一つ話すことにした。
――――えっと……俺さ、小っちゃい頃に両親が殺されてて。裁判見に行ったんだけど、殺ったヤツらは懲役十年とかでさ。俺、めっちゃブチギレて。なんで親父とお袋は死んだのに、こいつらは十年ぽっちで出てくんだよって。そういうのが悔しくて騎士になったんだ
改めて自分のことを語るのは、なんだか恥ずかしい。
でも、話し出してしまったものは仕方ない。
俺は言葉を続けた。
――――悪いヤツめっちゃ捕まえて、罰を受けさせてやるんだって思ってたよ。でも、思ったようにいかないことばっかりで。お前に会ってからは、特に。たまにエルノさんとかに相談乗ってもらってたけど、自分でもどうすりゃ良いのかよく分かんなくて
多分、俺はずっと悩んでいたんだ。
両親を理不尽に殺された時から、ずっとこの胸に燻る憤りとの向き合い方を悩んでいた。
――――お前が嫌いなモノを壊したいだけだって言った時にさ、俺も同じだったんじゃないかって思ったんだ。お前が正しさを嫌ってたみたいに、俺も悪が嫌いなだけだったかもしれない。そう思うと、俺ってすげぇ独り善がりだったのかなって気がして
悪を赦さないだなんて言えば聞こえは良いけれど、結局はただの嫌悪感だ。
俺はずっとあれが嫌いこれが嫌いと駄々をこねていただけなのかもしれない。
――――でも、お前の言うこともやっぱりよく分かんねぇよ。弱いヤツは殺しても良いなんてのは……納得できねぇ。だって、俺達が強くなれたのは、俺達だけの力じゃないだろ。誰かに武器作ってもらったり、魔術教えてもらったり。そういう偶然とか、周りに恵まれたから……少なくとも俺はそうだった
言ってみて、自分の説得力の無さに気付く。
周囲のおかげで強くなれたというのはその通りだけど、むしろ、だからこそロウリは嫌だったんだろう。
周囲に正しい強者としての行いを強制されるのが、あいつには耐えられなかったんだろう。
――――なあ、ロウリ
ベンチに座って、眺める景色。
小さな教会は見るからに古びていて、美しさや麗しさとは正反対の様相を呈している。
その前の通りも、両隣の建物も、俺達が座ってるベンチも、似たようなものだ。
綺麗なものなんて一つも無い。
澄み渡る青空だけが、皮肉なまでに美しい。
――――もしも、こうやって話ができてたら、俺達……
この街に綺麗なモノなんて一つも無かった。
好きになれるほど綺麗なモノなんて全然無くて、俺達の頭にあったのは嫌いなものばかり。
到底叶いそうもない理想だけが、頭上には横たわっていたのかもしれないけれど。
俺達はいつまでもガキで、そんな大きなものには目を向けられなかったんだろう。
嫌いなものばかりのこの街で、俺達は――――
――――俺達、友達になれたかな
そんなことを思った。
人形みたいに整った彼女の横顔。
その顔がまた僅かに、頷いてくれた気がした。
話をしよう。それより大切なことなんて無いんだから




