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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第六十三話 直視

 少し昔の話をしよう。

 とある少年少女の話だ。

 少女はソルノットを統治する名家の令嬢。何をやらせても人並み以上。才色兼備の天才で、二十歳を迎えるよりも早く選抜騎士にまで上り詰めた。

 少年は鉄火場育ちの叩き上げ。生まれこそ平凡だったが、人工魔剣への適性と凄まじい努力量で、少女と歳を同じくして選抜騎士の称号を勝ち取った。

 そんな少年少女がとある任務に失敗した後の話だ。


 ――――ふぉっふぉ。お主ら二人で失敗とは珍しいのう。今日は大雪じゃな


 帰りの馬車。

 フォローに来てくれた老人が、向かいに座った少年少女に声をかける。

 口調は極めて穏やか。任務に失敗した二人を責める様子は一切無い。


 ――――して、どうした? 何の原因も無しにヘマするお主らでもなかろう?


 老人が問いかける。

 少年少女は僅かに目配せした後、少女の方が口を開いた。


 ――――今回の標的。泳がせるかどうかでユザと意見が割れて、結局取り逃がしました

 ――――……ほう


 少年少女の間にあった意見の対立。

 その内実と是非について老人は思いを馳せる。

 今回の任務は中規模の犯罪組織への強襲。中核となるメンバーを逮捕、もしくは抹殺し、犯罪組織を解体することが狙いにあった。

 元の作戦に件の犯罪組織を泳がせるという話は無い。

 そういった点では少年の論に是があるように思えるが、今回の作戦を実行するにあたって指揮権を与えられたのは少女の方。

 騎士団の規則に則って論じるならば、少年が指揮系統を無視したということになる。

 だが、今回は少年と少女の二人のみで行われた任務。指揮系統は通常の集団任務よりも軽んじて当然。むしろ、柔軟な意見交換やコミュニケーションを望まれているという側面もある。

 状況だけでは、どちらが正しいかは判断できない。

 否、老人は初めから気付いていた。

 これはもう、どちらが正しいといった次元の話ではないのだと。


 ――――泳がせると決めた根拠はなんじゃ?


 老人はまず少女に尋ねた。


 ――――今回の犯罪組織は……野心が高く上昇志向の風土をしてました。後方支援の層は薄くとも、戦闘員も爆発力が高い。あれが反旗を翻せば、アルカナンにも痛手になり得る。実際に相対してみて、あのボスはアルカナンにも反抗すると思いました。だから、戦闘員以外のメンバーを大量に逮捕して、組織の地力を下げつつアルカナンに突っ込んでいかざるを得ない状況を作るのがベストかと


 少女の論はこうだ。

 件の犯罪組織はそれなりに高い武力を持っている。

 放っておけばソルノット北西部で圧倒的な勢力を誇るアルカナンとも抗争を起こすだろう。

 犯罪組織で潰し合ってくれるのなら、それを邪魔するのは勿体ない。

 むしろ、その背中を押して玉砕させてやるべきだという考えだ。


 ――――なるほど、道理じゃな。ユザはどうして反対したんじゃ?


 老人は次に少年へと声をかけた。

 赤い髪の少年はゆっくりと顔を上げ、とつとつと語り出した。


 ――――俺は……実際に人殺したりしてるヤツらは逃がして、バックで働いてるだけのヤツを逮捕ってのは、納得いかなかった。それに、アルカナンは手段を選ぶような連中じゃない。あいつらは見せしめに何でもやる。本当にアルカナンとの抗争が起きたら、どれだけ残虐なことが起こるか分からない。歯向かってきた犯罪組織のメンバーだけじゃなく、その家族や知り合いまで最悪な目に遭って殺される。アルカナンを消耗させるためなんて言っても、俺には…………俺には、強くて悪いヤツが好き放題やるのを見過ごしてるだけに見えた。アルカナンが強ぇのは分かるけど、アルカナンを削るために他の犯罪組織を生かすのは本末転倒だって……思いました


 少年の論はこうだ。

 アルカナンと件の犯罪組織の抗争が起これば、凄惨な悲劇が起きることは想像に難くない。

 その結果として出る犠牲には、往々にして無関係な人々も含まれる。

 それだけの惨劇を黙認してまで達成される目標が、アルカナンを倒すために他の犯罪組織を生かすというのは割に合っていない。

 そもそも、理想は犯罪組織が一つも無い状況だ。

 アルカナンを恐れて犯罪組織を逃がしてばかりいれば、ソルノットは犯罪組織で溢れ返ってしまう。

 一つずつでも犯罪組織は潰していくべきだろう。


 ――――うむ…………分からんな。少しばかり考えてみたが、ワシにはどちらを選ぶべきだったか判断がつかん。最終的にどちらを選ぶべきだったと分かっても、そりゃ結果論じゃろ


 老人が口にしたのは、毒にも薬にもならない真実。

 この二人には毒も薬も要らないと、老人は分かっていた。

 分かった気でいた。

 少年少女があまりに聞き分けが良かったものだから、二人が文句無しに優柔だったものだから、きっと大丈夫だと思ってしまったのだ。

 少年も少女も聡く強い。

 互いの心根と意見を素直に通わせながら、共に歩んでいけるはずだと。

 そう、思ってしまったのだ。


 ――――なぁ、ロウリ

 ――――何?

 ――――もし時間が戻ったら、お前は同じようにあいつらを泳がせるか?

 ――――泳がせるよ

 ――――そうか


 会話は平行線。

 交わらないまま並んで歩くように、少年少女は言葉を交わす。


 ――――お前は、赦せないって思わないのか……?


 何を、と問い返すのは愚問だろう。

 少女が泳がせたことで生き永らえる犯罪組織。アルカナンとの抗争によって起こる惨劇。ソルノット北西部で起こるあらゆる暴力と搾取。

 そういった()を全部含めて、少年は問うたのだ。

 この世界に()が存在することを、赦せないと思うことはないのか、と。


 ――――思うよ。でも、思って無くなるものじゃないでしょ。どうしてもゼロにはならないから、私は最小限にしようと思ってるだけ


 少女は正論を吐く。

 それはどうしようもなく正しく、だからこそやるせなく、少年の胸を擦っていった。


 ――――そう、だよな……


 付け入る隙の無い正しさは拒絶にも似ている。

 完璧に正しい回答をしたのだから、これ以上の追及も反論も許さない。

 圧倒的な正論を以て、少女は少年を黙らせる。

 圧倒的な正論を前に言葉を挟むほど、少年も幼くはなかった。


 ――――もし時間が戻ったら……多分、俺はお前に従うよ


 少年が項垂れながら吐く言葉。

 それは敗北宣言のようだった。

 少女の作り物じみているほどに完成された正義の前に、少年は己の未完成な感情論を投げ出した。

 あまりに完全な少女の仮面を前にして、少年が不完全な素顔を覆う。

 そんな、ありふれた話だ。


     ***


 俺は走っていた。

 スウェードバークから無理に走らせてきた馬は、既に疲労困憊で動けない。

 だから自分の脚に鞭打って、次なる戦場まで走っていた。

 いくつもの病院を襲撃したヘイズ・トラッシュは仕留めたものの、彼によって多くの医療機関が崩壊。

 今回の侵略戦争の規模を鑑みても、間違いなく医療崩壊が起こる。

 ここからの局面、教会の治癒魔術が絶対に必要になる。

 そう思ったから、ソルノット中央教会まで走ったのだ


「――――――――」


 息を呑む。

 いつもこうだ。

 俺は俺にとっての最善を選んでいるつもりなのに、俺なりの最速で目的地まで来たはずなのに。

 あなたは、俺よりも早くそこにいて。

 お前は、もっと早くそこにいる。


「遅かったね、ユザ」


 笑っている。

 少女が無邪気に笑っている。

 いつもの大人びた鉄面皮が嘘のような、子供じみた屈託の無い笑み。

 俺には今まで一度も見せたことがないような笑顔で、少女は俺を迎えていた。

 僅かに赤の差した黒髪。細身でやや高い背丈。綺麗に背の伸びた姿勢は、体内に芯が通っているよう。片手に携える赤黒い刃は、猟奇的な光沢を纏っていた。

 まるで、血に濡れた彼岸花。

 死体の胸に差す、餞の赤い一輪。


「ロウリ、お前は……っ」


 彼女の足下、一つの死体が転がっている。

 全身に十数本の赤黒い刃が刺さった老人は、力無く地面に横たわっていた。

 役目を終えた老体が眠る周囲、流れ出す血が赤い池を形作っている。

 俺の、俺達の恩人だったはずの人。

 俺達が何度もお世話になったはずの人が、全身を刃で貫かれて死んでいた。


「お前は――――ッ!」


 絶叫と共に構えたレッドファング。

 咆哮と共に駆け出した体躯。

 俺は赤い髪をたなびかせて、真っすぐにロウリへと向かっていた。


「うるさいなぁ、もう」


 笑みを浮かべたまま、ロウリが赤黒い刃を構える。

 ゆったりとした構えは、俺が知るロウリの構えとは違っていて、それだけで叫び出したくなってしまうのは何故だろう。

 多分、受け入れたくなかったんだ。

 ロウリ・ゴートウィストが俺の知るロウリとは全く違う何かになってしまったと、あるいは、初めから俺の知るロウリとは全く違う何かだったのだと。


「そんなに叫ばないでよ。エルノさんにも、すぐに会わせてあげるから」


 喋るな。

 その顔で、その口で、その声で、もうこれ以上悪辣な言葉を吐くな。

 俺は疾走の勢いと激情を乗せて、赤いブレードを叩きつける。

 迎え撃つはロウリが振るった赤黒い刃。命を刈り取る形をした片刃の剣。

 激突する刃と刃が火花を散らし、俺は至近距離からロウリの灰色の瞳を直視する。


「っ、……」


 何故だろうか。

 こんな最悪の状況で、こんな最低なシチュエーションで。

 初めて目が合ったんじゃないかと、思えてしまったのは。

子供の頃に好きだったスポーツ選手が、引退した後に強制わいせつで捕まった、みたいな

中学の大会で一度も叶わなかったライバルが、高校ではクスリをやってた、みたいな

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