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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第六十二話 敗走

 かつて、一人の武道家がいた。

 彼は力と技を極め、極め、極め、極めに極めて極め抜いた。

 家族も友も作らず、ただ一人で延々と武道を極めた彼の人生。

 やがて、彼は年老いた。

 年老い、認知能力が衰え、病を患い、男は薄汚れた老人と化した。

 理性を失い、思考を失い、正気を失い、それでも残ったのは、鍛え上げた肉体と磨き上げた技術。

 力だけが残った武道家の成れの果て。

 それがかつて自分が憎んだ醜悪だと、男はもう気付くことすらない。


     ***


 風が吹く。

 頬を撫で付ける疾風に目を細めつつ、赤髪の少年は目前の老人を睨む。

 ボサボサの髪と伸び放題の髭。薄汚い身なりは浮浪者そのもの。両手に着いた手枷からは千切れた鎖が伸びている。


(ヘイズ・トラッシュ。元死刑囚。アルカナン中枢メンバー。……直接見るのは初めてだな)


 ヘイズは一度連邦騎士団によって捕らえられている。

 しかし、ユザはその時の戦闘に参加しておらず、ヘイズと対面するのは初めて。

 事前情報にあった通り、ヘイズは不清潔な風体をしていた。


「テメェ、なんでここにいんだ? ああぁん?」


 ヘイズは乱暴に言葉を吐く。

 スウェードバークの荒野にいるはずのユザが、ソルノット南東部にいることが、ヘイズには疑問であるようだった。


「ボケてるって聞いてたんだが」

「ああぁ!?」


 意外にも理屈の通った疑問を投げるヘイズに、ユザは顔を顰める。

 ヘイズ・トラッシュに話が通じないというのは、彼が死刑囚時代の尋問で明らかになっている。

 何を訊いてもキレ散らかすばかりで、話す言葉は全く要領を得ない。

 スウェードバーク刑務所がコミュニケーションは不可能と断定するほどだ。

 しかし、全く知能を失っているわけではない。

 現にヘイズは市民の生命線でもある病院を重点的に襲撃している。

 明らかに大局的な戦術思考による動きだ。

 その賢しさが、会話は成立しないほど狂っているのに、人を傷付ける時には正常な思考をする賢しさが、ユザの神経を逆撫でしていた。


「……れよ」

「あ?」


 静かにユザが言葉を吐き出す。

 聞き取れなかったヘイズは乱暴に聞き返すが、ユザは毅然として立ちはだかったまま。

 静かに燃える怒りを滲ませて、ヘイズへと宣戦布告を叩きつける。


「謝れよ。お前が殺してきた人達に、這いつくばって謝れ。したら教えてやる。俺がここにいる理由」


 ユザがここまで移動できた理由は至極単純。

 ユザはスウェードバークの荒野における戦いを他の騎兵隊に任せ、馬を飛ばしてきただけ。

 駿馬を繰って荒野を凄まじい速度で横断し、ヘイズに襲われる病院まで駆けつけた。

 ただ、ユザの騎士としての技量の高さが為した高速移動である。

 

「っざっん、なっ……! ああぁ!」


 開戦の合図は、ヘイズの怒号だった。

 ヘイズは両脚で地面を踏み切ってユザへと飛びかかり、両腕から伸びる鎖を振り下ろす。

 迫る鈍色の二条。

 ユザは即座にレッドファングを大盾へと変形し、襲い来る鎖を受け止めた。

 衝突する赤色と鈍色。赤い大盾に叩きつけられた鎖は、凄まじい轟音を響かせた。


(重い……ってより、妙な手応えだ。内側から爆ぜるような圧迫感。強い攻撃を受けたってより、こっちの武器が脆くなったみてぇな――――)


 ヘイズの一撃にユザは奇妙な感触を覚える。

 手応えの正体をユザが考察するより早く、ヘイズが二撃目を繰り出していた。

 今度は鎖ではなく、直接拳で大盾を殴る。

 瞬間、弾ける金属音。

 鼓膜が裂けんばかりの轟音と共に、内部に響くような衝撃がユザを襲う。

 様子見も兼ねて殴打を受けたユザだったが、想定外の威力に後方へ飛び退いた。


「……っろすぞ! なぁあん!?」


 跳び退いたユザを追うように、ヘイズが一気に距離を詰めていく。

 着地したユザは大盾の後ろに身を隠したまま、肉薄するヘイズを待つ。

 そして、ヘイズが手繰る鎖の射程範囲に入った瞬間、レッドファングを大盾からネイルハンマーに変形。

 巨大な大盾から、小振りなネイルハンマーへ。

 刹那の内に行われる武器のサイズ縮小。

 急激な変化はヘイズの空間認知を振り回し、対応を半歩ほど遅れさせる。

 その半歩に滑り込むように、ユザはヘイズの懐に潜り込み、その腹部に強烈な一撃を叩き込む。

 下から振り上げるようなネイルハンマーは、ヘイズを半壊した病院の二階まで弾き飛ばした。


「づっ……! こん……がッ……!」


 ヘイズによって既に半壊した病棟。

 壁が崩れて剥き出しになった病室に、ヘイズは着地していた。

 すぐさま視線を戻してユザの姿を探す。

 しかし、いない。

 ヘイズが病室に着地して視線を戻すまでの短時間で、ユザは表通りから姿を消していた。

 逃亡、もしくは潜伏。

 ヘイズの本能が前者の可能性を脳内から排除する。

 潜伏したユザからの奇襲を警戒し、あたりを見回すヘイズ。

 階下。隣室。廊下。はたまた、壁が崩れたことにより直通した外。

 思考能力が衰えようとも、周囲を警戒する神経の鋭さはヘイズの中に生きていた。

 故に、ユザに出し抜かれる。


「あ?」


 突如、崩れる天井。

 天井を突き破って現れたるは、赤髪の騎士。その手には赤いブレードが握られている。

 ユザはヘイズを病室に吹き飛ばした後、病棟に駆け込み、階段から三階まで駆け上がった。

 この短時間。三階まで駆け上がる走力。それをヘイズに悟らせない魔力の隠匿技術。

 ユザの身体能力の高さ故に成功した上階からの奇襲は、ヘイズも無意識的に選択肢から外していた。

 しかし、完全な想定外であったにも関わらず、ヘイズの反射神経はこれにも対応する。

 思考能力の衰退。余計な思考を挟まない脳の状態が、ヘイズの条件反射を逆に高めていた。

 振り抜く二本の鎖。

 挟み込むようにして振るわれた鎖は、ユザが突き出したブレードを両側から叩き折る――――かに思われた。


「…………は?」


 ヘイズの声が困惑に染まる。

 それも無理は無い。

 ユザのブレードを叩き割るつもりで振るった鎖。それが今逆に切断されて、その切れ端が宙に舞っているのだから。

 ユザはヘイズに鎖で迎撃される寸前に、レッドファングをブレードから丸鋸へと変形。

 高速で回転する真紅のチェーンソーが、ヘイズの鎖を逆に切断した。


「……っづ」


 何故か鎖を斬られたヘイズは、たまらずバックステップを踏む。

 ここに来て初めて、ヘイズが見せた後退。相手の攻撃を避けるための、守りの一手。

 下がって丸鋸の攻撃範囲から抜け出したヘイズに対し、ユザはレッドファングを変形。

 一瞬の内に組み上がったのは、鮮やかな赤の四節根。

 長いリーチを誇る四節根にて、ユザはヘイズを追撃する。

 横薙ぎに大きく振り抜いた一撃は、ヘイズの脇腹を直撃。あばら骨を粉砕しながら、その身体を側方へと吹っ飛ばす。

 病室の扉を突き破り、ヘイズは病棟の廊下へと転がり出た。


「なんっ……! お前はっ!?」


 薄暗い廊下、ヘイズの表情が歪む。

 焦燥と苛立ちと、そして、ほんの一匙の恐怖。

 そんな感情がないまぜになった、追い詰められた人間の顔だった。

 ヘイズが睨む先、ユザはゆっくりと歩いて廊下まで出てきた。

 赤い四節根をくるくると回す立ち姿には、悠々とした余裕さえも見て取れた。


「内部破壊だろ」


 不意にユザが言った。


「実際に受けてみてやっと分かった。打撃の時に魔力を対象の内部にまで浸透させて、内側から破壊する。レッドファングじゃなけりゃ、武器が砕けてたかもな。……大した技術だ。俺には一生かかっても真似できそうにねぇ」


 ヘイズ・トラッシュの打撃。

 その正体をユザは看破する。

 それは魔力の浸透による内部破壊。

 打撃の瞬間に魔力を浸透させるように流すことで、内部に浸透した魔力が内側から対象を破壊する。

 インパクトの瞬間からコンマ一秒でもタイミングがズレれば、ただの魔力強化さえ無い殴打になることだろう、凄まじい精度を求められる神業だ。


「見た目ほどパワフルな技じゃねぇんだろ? むしろ繊細なコントロールと精度が求められる。変形でタイミング外されりゃ、鎖も簡単に千切れたワケだ」


 ヘイズの打撃はタイミングが命。

 インパクトと魔力放出がコンマ一秒でも遅れれば、全てが水の泡と化す。

 さらに、魔力を相手へと流すという性質上、魔力で自らの拳や得物を覆って強化することもできない。

 少しでもタイミングがズレれば、生身で敵に殴ることになる。

 非常に高いリスクを抱えた技術なのだ。


「鎖が千切れたあたり、魔力強化と併用できないんだろ。攻撃偏重も良いところだな」


 ユザがヘイズから受けた打撃は二度。

 たった二度のみでヘイズの性質を完全に看破したユザは、ゆっくりとヘイズに歩み寄っていく。

 その足取りは遅々として、しかし確実にヘイズとの距離を詰めていく。

 ジリ、とヘイズが一歩後ずさる。

 迫り来る赤髪の騎士に圧されて、ヘイズは僅かに及び腰になる。


「どうした? 来いよ」

「……っつ! っざ……っ、なっ! ああぁ!」


 怒り狂ったように走り出すヘイズ。

 直進してくるヘイズにユザは四節根を振り下ろして迎撃する。

 唸りを上げる四節根を拳で叩き割ろうとしたヘイズだったが、四節根が途中でブレードに変形。

 ヘイズが想定したよりも僅かに遅く、レッドファングはヘイズの拳と衝突する。

 タイミングを外され、生身と化した拳。

 老人のしわがれた掌を赤い刃が無残にも裂いていく。


「っづぅうああ!」


 悲鳴とも怒号とも取れる絶叫。

 さらにユザが翻す刃は赤い軌道を描き、ヘイズの左腕を叩き斬る。

 攻撃偏重。そう語ったユザの言葉が全てだった。

 ヘイズ・トラッシュ。

 物体や人体の破壊に関しては凄まじい性能を誇り、大抵の相手は訳も分からず一撃に屠られることだろう。

 しかし、受けに回ればとことん弱い。

 少なくとも、近接戦闘のスキルで選抜騎士までのし上がったユザの攻撃を凌げるほど、守りは達者ではなかった。


「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 右の拳を裂かれ、左腕を斬り落とされ、戦う術を失ったヘイズ。

 床に蹲って荒い呼吸を繰り返す彼を、赤髪の騎士は冷たい殺意を以て見下ろしていた。

 赤いブレードを携え、見下ろしていた。


 ――――私は……私のために生きたいんだ。法にも正義にも縛られたくない


 ユザの脳内、ロウリの言葉が蘇る。

 彼女の吐き出した言の葉が、ユザに目の前の犯罪者を殺すことを躊躇わせていた。


 ――――殺したいヤツを殺して、壊したいモノを壊す。ただ、それだけ


 ロウリの言葉が、目の前の老人と重なる。

 殺したいように殺し、壊したいように壊す。法にも正義にも縛られることなく、思うがままに悪を為す。

 ロウリが語ったその在り方は、目の前の老害そのものだった。

 ヘイズ・トラッシュこそが、ロウリの目指す生き様を象徴しているように見えた。


 ――――……今、行くよ


 あの時の、騎士団にいた頃のどんな瞬間よりも、幸せそうだったロウリの声音。

 荒野の戦場で聞いたロウリの声が、ユザの頭の中を駆け巡っている。


「お前は……」


 ユザは問いかけた。

 目の前の犯罪者に対して、声をかけた。

 何か、この人間を理解できるのではないかと思って、声をかけたのだ。

 一瞬だけ瞼を閉じて、そして今度こそ確かな問いかけを――――


「お前は、どうしてこんなことを――――」


 ヘイズは逃げ出していた。

 ユザとの対話に応じることなく、言葉に答えることはなく。

 ただ自分が助かりたいという欲望のために、ユザに背を向けて走り出していたのだ。


「――――――――」


 見ている。

 ただ、見ている。

 生き汚くも敗走する老人の背中。

 当然と言えば当然の行為を、逃げ出していく犯罪者の姿を、呆然と見つめている。


「……馬鹿かよ、俺は」


 ユザが呆然としていたのはほんの数秒。

 数秒の後に駆け出した騎士は、ヘイズ・トラッシュにトドメを刺した。

 鮮やかな赤いブレードで、敗走者の心臓を貫いたのだ。

一番辛いのは無視されること。対話の機会さえ与えられないこと

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