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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第六十話 さよなら、運命

 大切なものはいつも掌から零れ落ちていく。

 私の世界は人よりもずっと速くて、私が大切だったものを全部置き去りにしていくのだ。

 初めてできた友達。初めて好きになった人。初めて分かり合えた仲間。

 私が彼と共に過ごした一年は、彼にとっては半年にも満たない。私が彼女と共に笑った一ヶ月は、彼女にとっては半月足らず。君との一秒は、コンマ数秒にまで分割されていく。

 だからだろうか、私がこんな魔術を選んだのは。

 脆く薄い他者との繋がりを、手放したくないと思ったから。

 運命なんてものに縋っていたかったから、こんな魔術を選んだのだろうか。


 ――――全く下らん。何が運命だ。そんなものはクソにも劣るゴミクズだと言っておこう


 いつか、リオットがそんなことを言っていた。

 口の悪さは相変わらずだが、その時の彼にはいつにも増して怒りの色が浮かんでいる気がした。


 ――――馬鹿な患者ほど口を揃えて宣うものだ。これが私の運命だった、俺の運命はここで尽きた、とな。私は悟った風な顔でそんなことを言う馬鹿者共が大嫌いなんだよ


 何とも、医者にあるまじき発言だ。

 まあ、彼の口と性格の悪さは今に始まったことではないのだが。

 病院の看護師はいつも彼の悪口大会を開いている。

 ちなみに、病院を訪れた時には、私も積極的に参加している大会だ。


 ――――勝手に諦めるな! 受け入れるな! 病やら体質やらを運命だの天命だの大それた言葉で飾るな! 治療次第でいくらでも生き方を選べるはずだろう!? お前がシニカル気取って受け入れた病は、薬一つで治るかもしれない! 何故、その可能性に賭けない!? どうして、自分の願う生き方を諦める!? 奇跡など医者(わたし)がいくらでも起こしてやるとも!


 それでも、医療班のトップはこいつしかあり得ない。

 偏屈な上に短気で、口も悪ければ性格も悪い。おまけに姿勢も悪い。

 そんなヤツだが、医療への熱意だけは本物だ。

 病や傷に人の人生が縛られることを、誰よりも嫌ったこいつは、きっと誰よりも優れた医者だ。


 ――――お前のことだぞ、アトリ


 そう言って、リオットは私を睨んだ。

 さっきの悪口に一つ追加だ。

 こいつは目つきも悪い。


 ――――私の体質のことを言っているのなら、それは的外れだよ。私のこれはギフテッドだ。病気なんかじゃない。今の私は健康そのもの。睡眠もしっかり毎日七時間取ってる

 ――――十一歳の子供が命懸けの戦いをしている。それのどこが健康なのか言ってみろ

 ――――確かに酷い話だな。じゃあ、お前が代わってくれるか?


 ただ、性格が悪いのはお互い様だろう。

 こんなことを言ってしまう私の方も、きっと褒められた人間じゃない。


 ――――……過剰速度認知。認知速度の加速と言えば聞こえは良いが、脳機能の異常であることに違いは無い。お前が私と普通に会話できているのは、お前が私に合わせているからだ。お前が自然に言語を発すれば、私はその速度に追いつけず、その意味を耳で捉え切れない。違うか? お前はお前以外の人間と関わるために、多大な努力を強いられている。あえてゆっくり。相手のスピードを超えないように。それを日常の至る場面で強制される。苦労が無かったとは言わせないぞ

 ――――そうだな。幼い頃は苦労したものだ

 ――――…………ジョークのつもりか?

 ――――ふ、忘れてくれ。ウケなかったみたいだからな


 やっぱり、リオットはダメだな。

 そこは「今も幼いだろ」とツッコむ所だろうに、どうしてか苦虫を嚙み潰したような顔をしている。

 この十一年で様々な技術を身に着けてきたが、ジョークのセンスは手に入らなかったらしい。

 まあ、彼の言う通り、ちょっとした苦労の伴う体質ではある。

 私が両親との折り合いが悪かったのも、この体質が原因の一つなのだろう。

 それもそうだ。腹を痛めて生んだ子が、理解不能の謎言語を話し出したのだから。上手くやっていけるはずもない。

 どうして普通に生まれてくれなかったのかと、両親も嘆いたことだろう。

 私の体質に目を付けた連邦騎士団に従い、両親があっさりと私を手放したことも、非常に納得のできる話だ。

 その上で、私はこう言おう。


 ――――リオット。本当だよ。本当なんだ。私はこの体質に生まれたことを、少しも後悔してない。だって、そうだろう? ここで騎士になれたのは、全部この体質のおかげだ。みんなに……お前に会えたのも、全部この体質のおかげなんだよ。それとも、普通に生まれていればもっと良い人達に出会えていたなんて、お前は言うのか?


 この体質に伴う苦労は多い。

 リオットの言うことを丸っきり認めるわけじゃないが、私に強いられる努力も多い。

 でも、一番辛かったのは孤独だ。

 過剰速度認知は、一人でいる時間さえも拡張する。

 誰とも会わず、誰とも話さず、誰とも目も合わせない時間。

 そんな時間がずっと、ずっと、延々と続いていくあの孤独感が、私は一番嫌だった。

 あれに耐えることを思えば、相手にペースを合わせて喋るなんて、少しも苦じゃなかったんだ。

 人と会って話す。

 それだけの奇跡が、私にはどれだけ嬉しかったか。


 ――――アトリ


 不意にリオットが私の名を呼んだ。


 ――――アルカナンを倒せ。ソルノットを平和な場所にしろ。お前の力が無くとも問題無いくらい、平和な場所にだ。その時までに、私が治療法を見つける。平和になったこの場所で、お前は幸せに生きるんだ。お前のペースで喋って、お前の好きなように会話して、死ぬまで幸せに生きていくんだ


 良い歳して、恥ずかしいことを言うヤツだ。

 でも、まあ、こういう所がリオットの良い所なんだろう。

 雲を掴むような馬鹿げた理想を、大真面目に語るものだから、こっちまでつい本気になってしまう。


 ――――そうだな。……ああ、それが良い


 これは、そんないつかの記憶。

 私が走馬灯を見るとしたら、きっとこの時の記憶を思い出す。

 この時の小さな約束を思い出して、死ぬのだろう。


     ***


 大通り、私はまだ立っていた。

 鼻腔を刺すような激臭は、肉の焦げる臭い。

 青い炎がひどく遠くに見える。

 揺らめく蒼炎は本当に揺れているのか、私の頭がぐらついているのか。

 ほとんど惰性で力を振り絞り、迫り来る蒼炎を拳で打ち払う。

 相殺し切れなかった焔が、私の肌を焼いていくのが分かる。

 熱いな。熱いっていうか、痛い。もう全身火傷塗れでボロボロだ。


「まだまだいけるよなァ! おい!」


 遠く、竜人が吼える。

 もう随分長く戦っているというのに、シャルナはまだまだ元気いっぱいらしい。

 まだいけるかって?

 無理に決まってる。

 見て分からないのか? 

 頭から爪先まで焼け焦げてズタボロだ。もう、一歩だって動けやしない。

 その上で、シャルナとの戦闘を続行しろと? 

 占星魔術の引力をシンプルな脚力でチギるようなヤツに、どうやって攻撃を当てろというのか。

 大魔術級の蒼炎をロスタイムゼロで撃ってくるようなヤツの攻撃を、どうやって凌げというのか。

 もう、勝機なんて少しも見えてない。

 右腕に宿った光は擦り減って翳って、今にも消えそうな残り灯みたいだ。

 それでも、自分でも無意識の内に、私は叫んでいた。


「当然!」


 大地を踏みしめる。

 肉体は満身創痍だというのに、どうしてか、力がみなぎっていた。


「ハッ! そうだよなァ! まだまだやろーぜ!」


 爆風に乗ったシャルナが突っ込んでくる。

 右腕には蒼炎を纏って、凄まじい速度で飛来する。

 彼女の右腕に集約された青い焔は、恐らく彼女の最高火力。

 遠距離からの爆撃では、私の占星魔術に相殺されることを鑑みて、彼女が繰り出してきた一撃必殺。

 より自身に近い場所に、より高密度高火力の炎を凝縮した、蒼炎の腕。

 意識が先鋭化されていくのが分かる。

 いつにも増して、時間の流れが遅く感じられる。

 そんなスローモーションの世界にあっても、青髪の竜人は速く見えるのだから、本当に凄まじいスピードだ。

 でも、見えてる。

 振りかぶった拳。青く燃える焔。彼女の狂気的な笑み。

 見えている場所に、ただ拳を叩き込むだけ。

 残る運命力の全てを込めて、鼻っ面に叩き込んだ一撃。綺麗に突き刺さったカウンターは、シャルナの長身を地面に叩きつけた。

 彼女は何度も地面をバウンドして、大通りを転がっていく。


「痛って~~~。流石に効いたぜ」


 しかし、当たり前のように立ち上がる。

 鼻血を手で拭って、ゴキゴキと首の骨を鳴らしている。

 まるで、ちょっと転んでしまったくらいのテンションで、シャルナは私の渾身の一撃から起き上がる。

 流石に理不尽だな。

 これだけの威力を叩き込んでなお、倒れる気配が全くしないというのは。


「んじゃ、私もいくぜ」


 光を失った右腕。

 占星魔術の再起動をシャルナが待ってくれるはずもない。

 彼女が拳を打ち込むようなモーションで放ったのは、蒼炎を幾重にも凝縮した熱線。

 大通りを裂いた青い一条は寸分違わず、私の心臓を撃ち抜いていた。


「か、ハ――――ッ!」


 胸に空いた風穴。

 断面は黒く焼け焦げて、傷口には青い残り火が燻っている。

 痛みは無い。

 全身から力が抜けていく。

 ああ、ここで死ぬんだなと、直感的に理解できた。


 ――――平和になったこの場所で、お前は幸せに生きるんだ。お前のペースで喋って、お前の好きなように会話して、死ぬまで幸せに生きていくんだ


 すまないな、リオット。

 お前との約束は果たせそうにない。

 お前は運命だなんて馬鹿馬鹿しいと言うけれど、やっぱり私は運命ってあると思うよ。

 何となく、分かってしまうんだ。

 私はここで死ぬんだろうな、と分かってしまう時があるんだよ。

 私はここで死ぬ。

 シャルナ・エイジブルーに殺されて死ぬ。

 お前との約束も果たせない。ソルノットを平和な場所にすることもできない。

 あんなに幸せを分けてもらったのに、お前達には何も返してやれそうもないよ。

 すまない。本当だ。満足して死ぬわけじゃない。本当に悪いと思っているよ。

 お前から、騎士団のみんなから、ここに生きる人達からもらった幸福を、少しでも返してやりたかった。

 でも、それはもう叶いそうにない。

 だから、せめて――――


「――――こいつは、殺していくよ」


 死に際、占星魔術を再起動する。

 運命力が換算され、右腕にチャージされる。

 シャルナ・エイジブルーは私に致命傷を刻んだ。

 つまり、私を殺した。

 自分自身の仇。これ以上無いほどの運命だ。

 あまりに膨大な運命力は眩い光となって右腕に灯る。本来は淡い水色をした光は、その凄まじいまでの光量により、白色へと見えるほどに輝いている。


「さよならだ」


 別れを告げて、撃ち放った一撃。

 眩い光が視界を満たす。

 その真っ白な光の中で、私の意識は醒めない眠りに落ちていった。

 さようなら。

 そして、ありがとう。

 私と出会った全ての人に。


     ***


「…………?」


 大通り、シャルナは焼け焦げた亡骸を前に立ち尽くしていた。

 何かが来る。そんな予感があった。

 今しがた死した少女から、尋常ではない魔力の高まりを感じた。

 しかし、予感していたことは何も起きず、少女は振り上げた拳を下ろすことなく、静かな眠りに落ちた。


「気のせいか……?」


 シャルナは少女の亡骸に近付き、そこに溜まった魔力の濃さに驚愕した。

 そして一瞬だけ目を見開いて、やがて天晴と言わんばかりに笑う。

 少女の骸付近には、不発に終わった占星魔術の残滓とも呼べる魔力溜まりが出来ていた。

 それは澄んだ月明りのような、昼下りの湖畔のような、涼しく透き通った朝の空気のような、優しくて美しい魔力の残り香。


「ったく、大したお子様だぜ」


 どこか楽しそうに笑って、シャルナはその場を後にする。

 呆気なくも美しい、アトリ・トーネリウムの最期であった。

アトリ・トーネリウムの過剰速度認知。彼女は気を遣って、人より認知速度が二~三倍ほど長いと言いますが、本当はもっと高い倍率で認知速度が加速しています。リオットとアトリ以外に、この真実を知る者はいません

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