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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第五十七話 SNIPER

 シャルナとアトリが激闘を繰り広げている頃、住宅街ではレイとシルノートが向かい合っていた。

 互いに屋根の上に立つ。風にたなびくはシルノートが薄灰色の外套。レイは黒髪を風に乱されながらも、漆黒のレイピアをゆったりと構えている。

 所狭しと並んだ家屋。狭い地域に多くの人口を詰め込むことだけを考えて作られた住宅街は、家と家の距離が非常に近い。

 平時は隣家の生活音がはっきりと聞こえるほどで、度々隣人トラブルの下となっている。

 しかし、この状況においては特異な地形として機能していた。

 お互い、屋根の上に立って向き合うレイとシルノート。

 家屋と家屋の距離は近く、屋根から屋根へと跳び移るのは容易。場所によっては、跳ばずとも足を伸ばせば渡れる。

 それなりに高低差と遮蔽物はあるものの、概ね屋根の上は平坦な地形。

 対して、屋根から下りれば、下には複雑に入り組んだ路地と通路が待っている。

 扉や窓から家屋や建物の中にも入れることを考えると、地上で取れるルートの数は無数に近い。


(開けた上と入り組んだ下。……悪くない。身を隠す場所の無い上では狙撃が成功しやすい。その上、距離を詰められれば逃走ルートの取りやすい下に逃げられる。こいつの魔術はどう考えてもサポート向き。そのくせして、私の天敵。単騎でこいつとやり合えるのは、むしろ僥倖。ここで消す)


 シルノートは戦略を練りつつ、腰の袋から小さな石を取り出す。

 それは、弾丸。

 シルノートの魔術を使うのに最も適した形へと加工された石の弾。

 シルノートは弾丸を取り出すと同時に起動した魔術により、空中に魔法陣を描き出す。

 重ねられた九枚の魔法陣。初めは密集していたそれらは、弓の弦を引くように引き延ばされる。

 重ねた九つの魔法陣は細く長い砲身のよう。最も手元に近い魔法陣に、シルノートは右手の弾丸をセットした。


「撃ち抜く」


 シルノートは少し先のレイに照準を合わせる。

 狙うは左胸。その心臓に狙いを定める。

 当の青年は相も変わらず自然体。妙に脱力した構えで、黒いレイピアを握っている。


(狙撃手……にしては、魔術の起動も早い。もうちょっと距離詰めとけば良かったな……多分、待たれてる……焦って近付けば、簡単に迎撃される。……逆に言えば、この距離なら躱されかねない……いや、仕留め切れないとも思ってるってこと。……まあ、さっきボスに素手で止められてたのもあるかもしれないけど……この距離なら、多分躱せるんだ)


 数秒間の停滞。

 状況はレイが読んだ通り。シルノートとレイの絶妙な間合いが生み出した停滞。

 シルノートは生粋の狙撃手。

 狙撃の基本は、待ち。

 シルノートはレイが距離を詰めて来るのを待っていた。じっと待ち構える相手の反応速度を上回って狙撃を成功させるよりも、詰めて来る相手を迎撃する方が容易い。

 レイピアを出した時点で、レイがインファイターなのは読めている。

 いつか、必ず近寄って来る。狙撃の準備を整えた上で待ち、そこを確実に撃ち抜く。

 それがシルノートの戦略だった。


「……撃たないの?」


 レイが問いかけた。


「お前こそ、私に近寄りたくないようだが」


 停滞。故に言葉の応酬。

 レイの走り出しを待って狙撃を成功させたいシルノート。

 シルノートの狙撃を一発避けてから、反撃に出たいレイ。

 互いの思惑が重なった結果、戦況は奇妙な停滞に沈んでいた。


「じゃあ、こっちから行こうかな」


 瞬間、レイが動く。

 一瞬だけ前傾に傾いた姿勢。

 それを疾走の予兆だと感じたシルノートは、咄嗟にレイの進行ルートへと視線を動かす。

 それこそが、レイの狙い。

 レイは距離を詰めるような動きを一瞬だけ織り交ぜることで、シルノートの視線を翻弄。その隙にレイピアで自らが乗っている屋根を切り裂き、階下へと落ちた。


(下! 逃がすか!)


 家屋内へと逃げ込んだレイ。

 逃がすまいとシルノートは準備段階に留めていた魔術を完全に発動。

 九つの魔法陣によって放たれる弾丸は、家屋の窓を突き破り、レイの右大腿部を掠めた。


(掠り傷……まあ、許容範囲内。すぐに撃ってくるあたりは、流石に選抜騎士だな……)


 シルノートの狙撃による傷は浅い。

 レイは移動速度を緩めることなく、家屋の中を駆ける。

 足音も無く、気配すら限りなく薄く、レイは住宅街を駆けてゆく。

 家屋の扉から建物の窓へ、路地から小道を縦横無尽に、遮蔽物と障害物の間を縫って。

 速く、けれど静かに疾走するレイの姿は、すぐにシルノートの認識から外れる――――かに思えた。


(遮蔽物の多い下へ逃げた。素早い身のこなし。その上、足音も魔力も潜めている。そうすれば、私はお前の位置を補足できない――――とでも思ってるんだろう?)


 投石魔術。

 シルノートが使用している魔術の名称である。

 山奥で狩猟採集生活を送る一族が伝統的に得意とした魔術であり、主に狩りの道具として用いられた。

 シルノートもその一族の出身。幼い頃は山奥で育ち、獣や鳥を狩って暮らしていた。

 自然の中で育った彼女の感覚器官は、現代の都市で生きる人間のそれを遥かに凌駕する。

 視覚、聴覚、魔力探知は無論。嗅覚でさえ敵を探るために有用。空気の揺らぎを肌で感じ取るような芸当さえ行う。


(手に取るように分かるぞ。お前の臭いの残滓が、移動の際に生じるそよ風が、お前の位置を教えてくれる)


 シルノートは間を置かずに、投石魔術を起動。

 放った弾丸は壁を数枚貫通し、レイの下へと正確に迫った。

 青年が振り上げたレイピア。それがシルノートの弾丸を弾くことができたのは、壁を貫いたことで威力と速度が減衰していたため。

 レイとシルノートの間にあった遮蔽物の数次第では、勝負を決めていたかもしれない一撃だった。


(…………バレてる? 魔力読まれた……? エルフでもないと、分かんないくらい隠してたつもりだったんだけど。フード被ってたのって、もしかしてエルフの耳を隠してた……?)


 レイの懸念は全くの的外れ。

 シルノートはエルフではない。

 しかし、相手はこちらの位置を補足できると理解したことが、レイの戦闘計画に変化を与える。


(このままじゃジリ貧。弾が飛んでくる以上、こっちも向こうの位置は分かる。……次の狙撃。何とか凌いで、一気に距離を詰める。魔術の発動後を刈り取る)


 無詠唱まで魔術を極めたとしても、魔術発動の際には必ず隙ができる。

 コンマ一秒の世界に生きる近接戦闘職の前で、そのロスタイムはあまりにも大きい。

 レイはシルノートの狙撃を一度凌いだ上で、彼女が二度目の、魔術を発動する前のロスタイムで、一気に距離を詰めて勝負を決めようと画策する。

 住宅街を駆けるレイ。

 絶え間無く移動しながらも、彼の意識は間を置かずに放たれるであろう二射目の狙撃に備える。

 研ぎ澄まされた感覚の中、レイの意識は、高速で放たれた弾丸が空気を震わせる音を聞いた。


(来た!)


 路地裏、反射的に振り向いたレイ。

 その瞳が一瞬、自身へと迫る弾丸状の石を映す。

 見切りは刹那。レイの頭部に続く軌道に乗っていた弾丸は、彼の優れた反応によって回避される。

 耳元を掠めるソニックムーブにも怯まず、レイは一気に駆け出した。


(躱した! 位置は右斜め後方!)


 レイの走法は主に隠密や暗殺に特化している。

 足音は限りなく静謐に、魔力も限界まで潜め、気配すら極限まで希薄化する。

 シルノートがレイの位置を補足できたのも、嗅覚と風を読む触覚によるもの。彼女の聴覚と魔力探知をレイは掻い潜っている。

 それでも、並みの戦士を遥かに上回る速度で駆けるレイではあるが、それが隠密性に重きをおいた走法であることに変わりは無い。

 隠れ潜むことをかなぐり捨て、速度だけに賭けるならば、レイ・ジェイドのスピードはさらに上がる。

 壁を蹴り、一気に屋根の上へと駆け上がるレイ。

 その速度はここまでの戦闘で見せた疾走の倍近く、シルノートが魔術を再起動する暇などあろうはずもない。

 半ば確信した勝利と共に、レイは黒いレイピアを携えて屋根の上へと飛び出る。

 そこで、彼が目にしたのは――――


(いない!?)


 無人の屋上。

 否、シルノートの姿はある。

 しかし、彼女は遥か遠く。レイよりも二十メートルほど離れた家屋の屋根で、投石魔術の発動準備を整えていた。

 レイが割り出したはずの狙撃位置から遠く離れた場所で、シルノートはレイを待っていた。


「弾が真っすぐ飛ぶなんて、誰が言ったんだ?」


 シルノートが不敵に笑う。

 シルノートがレイに狙撃位置を誤認させたのは、単純なトリック。

 曲射である。

 狙撃の弾は真っすぐ飛んでくるだろうという思い込みを利用し、シルノートは弾を曲げてレイへと狙撃。

 直線軌道を辿って走ったレイは、見事に誤った場所まで誘い出された。


「終わりだ。脳漿ぶちまけろ」


 勢いよく屋根の上へと飛び出したレイ。

 彼の身を守る遮蔽物は一つも無い。

 レイが偽の狙撃位置まで走る間に、シルノートは投石魔術の再起動を終えている。

 二十メートルの近距離。完全に意表を突かれたターゲット。シルノートが狙撃を外す道理は一つも無い。

 薄灰色のフードの奥、勝利を確信した狙撃手の瞳が光った。


「――――――――は?」


 今にも、撃ち放つはずだった石の弾。

 それが放たれることはなく、重ねた魔法陣はゆっくりと霧散していく。

 セットしていたはずの石が、屋根の上に落ち、転がり、下の小道へと落ちていった。


(何だ? 何が起こった? 息が苦しい。胸が痛い。視界がぐらつく。なんだ? なんなんだ? いつ攻撃された? 毒? 新手か? 気配は無かった? 敵はどこに……? 私は何をされた? 一体何が――――)


 霞んでいく視界、シルノートは自身の胸を見下ろす。

 平たい彼女の胸からは、黒く細い刀身が生えていた。

 それは、まるで、レイ・ジェイドのレイピアに背後から刺されたような――――


「ありえ、ない……」

「……俺の魔術。知ってたんじゃなかったの?」


 絞り出した声に、背後の人影が答える。

 漆を塗ったような黒い髪。病人じみた白い肌。

 幽鬼の如き青年が、シルノートを背後から刺していた。


「一体……どこに、発動する隙が……」


 レイが空間を移動する魔術を使うことはシルノートも承知の上。

 しかし、それは魔術。

 無詠唱まで極めたとしても、ロスタイム無しには使えないはずの代物。

 投石魔術を起動し終えたシルノートに先んじて、使うことは不可能なはずだった。


「……走りながら、ゲートだけ開いといたんだ。……ゲートで逃げれる場所じゃなきゃ……あんなに勢いよく飛び出さない……」


 レイは移動中には既に魔術を使っており、住宅街の至る所に空間転移の影を仕込んでいた。

 シルノートの狙撃位置として予測した場所も、すぐ近くにゲートを設置してあった。

 土壇場の回避としてレイに求められたのは、ゲートに飛び込むだけのシンプルな動作。

 

「走り、ながら、それだけの魔術を……?」

「それくらいできるよ。……俺、半分は魔族だから」


 影窓魔術。

 影を媒介として、空間を移動する能力。空間の入口はレイがゲートとして自由に設置でき、出口は魔術の範囲内にある影から好きな場所を選択できる。

 半魔族であるレイの魔術は広範囲に及び、ソルノット全域を覆うに至っている。

 つまるところ、レイ・ジェイドはソルノットに存在する影へと自由にワープすることができる。


「……あ、そうだ」


 レイは思い出したかのように、倒れるシルノートのフードを外す。

 露わになったシルノートの頭部は、一般的な人間のそれだった。


「なんだ……エルフじゃないじゃん」


 そんな言葉だけを残して、レイはシルノートの下を去る。

 ゆったりとした足取りで離れ、また影の中に沈んでいくレイをシルノートは血溜まりから見つめていた。

 うつ伏せに倒れ、睨むは黒い青年の影。

 その背中をシルノートはただ、見つめていた。

半魔族。魔族と人間のハーフ。珍しい種族ではありますが、竜人なんかよりはよっぽどメジャーです

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