第五十五話 鉄の鳥
醜い魔術。鋼鉄魔術と呼ぶに値しない、醜悪な魔力の使い方。
それがどうした。
お前達の言う美しい魔術とやらは、私に一勝も上げられぬ代物だろう。
美しいだの醜いだの、つまらない価値基準持ち出してくるな。
私は強い。私の鋼鉄魔術は他の何よりも強い。
それが妬ましいのか知らないが、私より弱い魔術師が一丁前にケチをつけてくるな。
美しさなど要らない。綺麗な魔術じゃなくて良い。
強いのだから、それだけで十分だ。
なんて、思えていたのなら、私はこうはならなかったんだろう。
――――醜い、か……
随分、昔の話だ。
何となく日々を過ごしていたあの頃。
周囲に醜い魔術だと罵られ、親にも使い方を改めろと迫られ、それでも、私の魔術は粗いままだった。
どうしても、できなかったのだ。
致命的に向いていなかった。
なまじ醜い魔術での勝ち方を身に着けてしまったのも、私を美しい鋼鉄魔術から遠ざけた。
ただ否定と罵声を浴び、両親からの期待には応えられず、何となく生きていた。
強いんだから別に良いだろう、と嘯いて自分を保った。
――――私も、本当は……
そんな風に生きていた日々の狭間、私はとある屋敷を訪れた。
なんでも、そこには本家の四男坊だか五男坊だかが住んでいるらしい。
分家の私とは違い、正式にゴートウィスト家の継承権を持つ人物。
ただ、生まれながらに重病に伏せているらしく、長くは生きられないのだとか。
どこかの家との関係を取り持つために、形だけの縁談を組んだらしいが、もう彼の寿命も近いらしい。
名家であるゴートウィスト家において、透明人間のような存在だ。
そんな彼の立場を暗示するように、私が訪れた屋敷も静かな別荘といった感じだった。
――――確か、二階の突き当たり……
メモを頼りに、彼の部屋を目指す。
ひっそりとした屋敷だが、廊下を見る限り掃除は行き届いている。
流石は本家の人間の住処だなと、どこか陰鬱な気持ちを感じていると、曲がり角から一人の人影が飛び出してきた。
――――あ、ごめんなさい。急いでて。いや、急いでたわけじゃないんだけれど、少し走ってたから。えっと、本当にごめんなさい……
私にぶつかった女は、早口で謝罪を述べた。
当時十五歳だった私よりも、いくらか年上くらいに見える女。
それこそ、この日に会う予定だった男と同い年程度だろうか。
初対面の印象としては、冴えない女と言わざるを得ない。
特別美人というわけでもないし、身なりも野暮ったい。地味で覇気が無く、自信の無さがオーラとして滲み出ているような雰囲気だった。
――――いえ、こちらこそ不注意で申し訳ありません
――――あ、いえ、そんな……じゃあ、私はもう行くので……
女はそそくさと立ち去ろうとする。
私も黙って見送ろうとしたが、去り際、彼女が何かを落としたのに気が付いた。
彼女自身は気付いていないようで、そのまま急いで去っていく。
――――何か落としましたよ
私は彼女を引き留めつつ、落とし物を拾い上げた。
それは小さな飾り物。
掌に収まる程度の、小さな鉄の鳥だった。
――――あっ、それは……
――――……鋼鉄魔術?
手に取った瞬間、私はこれが鋼鉄魔術によって作られたものだと理解した。
それでも、発した言葉に疑問符が付いていたのは、魔術によって作られたにしては作りが精巧すぎたから。
これが自分の目で見たものでなければ、私は信じられなかっただろう。
こんなにも細かく精密に魔術を扱うことなど、果たして人間に可能なのだろうか。
鉄を構成するだけの魔術で、こんなにも美しい物を作れるというのか。
こんなにも綺麗で、繊細で、見惚れてしまうような構成物を――――
――――これ……ローストンが作ってくれたんです。魔術で作ったから二週間くらいで消えちゃうって言ってたけど……
この女は理解しているのだろうか。
魔術で生み出した物の存在が、二週間も持続することの凄まじさを、この女は分かっているのか。
私が作った醜い鉄塊は、数時間もすれば魔力の粒に返るというのに。
――――ローストンが元気になったら、似た物を買いに行こうって
そう語る女の顔は、仄かに輝いているように見えた。
芋っぽい地味な顔立ちの彼女だったが、愛しそうに鉄の鳥を見つめる瞳には、暖かな光が灯っている。
ああ、最悪だ。
どうして、私がこんな気分にならなくてはならない。
美しい鋼鉄魔術とやらを、その穏やかで綺麗な在り方を、どうして見せつけられなくてはいけないのか。
私が決して行けない場所の美しさを、延々と聞かされている。
吐きそうだ。
――――ローストン様が元気になることはありませんよ。不治の病と聞いています。現にあの方がベッドから起き上がれないから、私のような者が連絡係として遣わされていますので
――――それ、は……
――――失礼しました
私は鉄の鳥を彼女に返し、足早にその場を去った。
最後の捨て台詞はただの八つ当たり。
醜い自分を誤魔化すように、美しい人達の不幸を言い当ててやっただけ。
そんな三文小説の悪役じみた、下らない嫉妬と自己防衛。
誰もいなくなった廊下、私はふと立ち止まる。
じっと自分の右手を見下ろす。
そして、鋼鉄魔術を使った。
掌の中で生成された鉄は、不細工で下手くそなごみの屑。思い付く用途と言えば、気に食わないヤツに投げつけるくらい。
鳥を作ろうとしてこれなのだから、本当に救えない。
――――……クソ
翌日の練習試合で、私はゴートウィスト家の者を片っ端から殺した。
動機は本当に些細なこと。
あるいは、子供じみた極端な思考の暴走。
けれど、あのままゴートウィスト家で生きることに、私は耐えられなかった。
本当に欲しいものは手に入らず、本当に使いたい魔術は使えず、本当に望む未来はやってこない。
だったら、もういっそ、どん底まで落ちてしまいたい。
この世で最も醜い場所まで落ちて、落ちて、落ちぶれて、醜悪な世界の中で死ねば良い。
そんな自棄と絶望が絡み合った結果、私はゾウとなったのだ。
***
大通り、翼の生えた象が暴れ狂う。
大きな図体。膨れ上がった重量を引きずるように、動きは鈍い。
鋼鉄の翼を羽ためかせ、けれど空を舞うことはなく、地上にて鉄の象は地団駄を踏む。
美しい空を夢見て生やした翼。しかし、巨象の重量では空を飛ぶことは永遠に叶わない。
その醜く肥大化した巨躯を、幼女の拳が打ち据える。
轟音と共に叩き込まれる拳撃は、象の内部に飲み込まれたゾウにも届いていた。
満身創痍の肉体には、響く衝撃すら激痛を伴う。額を伝った血は汗のように、彼の醜悪な顔を滴り落ちた。
(何がしたかったんだろうな、私は……)
鋼鉄で出来た象の内部。
男は意味も無く回想する。
絶えず打ち込まれる打撃の最中、間髪無く押し寄せる衝撃の渦中、男は過去を思い起こしていた。
(家の者に歯向かって、私自身も顔の原形を留めぬほどに叩きのめされて……それでも、意地と執念でヤツらのほとんどを惨殺した。私は、どうして――――)
ゴートウィスト家の惨殺事件。
当時十五歳だったゾウが起こした事件は、ゴートウィスト家の歴史に語り継がれる悲劇だ。
当時有力だった子息令嬢は全員ゾウに殺され、ゴートウィスト家の中核を成していた人間も多くが死んだ。
それがローストン・ゴートウィストの当主着任に繋がったのは、運命の悪戯と呼ぶ他無い。
何故、ゾウは彼らを惨殺したのか。
自分の魔術を認めてもらえなかったからか。自分の方が強いと証明したかったのか。ただ単に冷遇されたことに腹が立ったのか。
(いや……理由などあるはずもない。何もかもどうでも良かった。死のうが生きようがどうでも良くて、ただ自暴自棄になって暴れただけ。理由なんて、初めから一つも……)
多くの人は殺人には手を染めないまま一生を終える。
だから、誰もが誤解する。
人殺しをする人間には、人殺しをするだけの理由や背景があるのだろう、と。
実際は逆だ。
人殺しをしない人間に、人を殺さない理由があるのだ。
捕まって牢獄に入りたくない。大切な人と会えなくなってしまうから。
周りの人に殺人者だなんて思われたくない。周囲の人と築いてきた関係が大切だから。
人を傷付けたくない。他者を大切だと思えるほどに、今まで他者に愛されてきたから。
(何も無いから、殺したんだろう)
人殺しに理由は無い。
むしろ、大切なものが何も無いからこそ、人は人を殺すのだ。
親を殺されたとか、恋人を失ったとか、酷い拷問を受けたとか、そんな大それた過去も事情も必要無い。
肯定されない。愛されない。認められない。
ないということが、人を人でなしに変えるのだ。
「終わりだ」
直後、爆ぜる爆風。
それはアトリの放った拳が凄まじい魔力放出と共に、鋼鉄の象の表面を消し飛ばす合図だった。
突如として開ける、ゾウの視界。
鋼鉄に遮られていた視界が開けると、そこには十一歳の幼女が立っていた。
吹き飛ばされた鋼鉄は欠片となって砕け散り、人気の無い大通りに紙吹雪のように舞っている。
「お、わり……」
ゾウはうわ言のように、アトリの言葉を繰り返す。
見下ろせば、彼の胸には大きな風穴が空いていた。
致命傷。それを頭で理解した途端、ゾウの全身は脱力し、うつ伏せに地面へと倒れ込んだ。
(醜い魔術。醜い顔。醜い所業。何か一つでも、美しいと思えるものがあれば――――)
死に際、男は目にする。
砕けた鋼鉄が舞い散り、パラパラと降り注ぐ世界。
うつ伏せに倒れた視界には、ひどく狭い世界から映らないが、そこには確かに一つの世界があった。
花が散るみたいに、鉄の欠片が舞っている。どんよりとした曇天の下、アトリの右腕が放つ魔力光を反射して、欠片達はキラキラと輝いていた。
少しずつ霞んでいく視界の中、その鈍い輝きだけが確かだった。
それは、なんて、綺麗な――――
(――――死に際にたった一つとは、神様とやらも人が悪い)
鉄の欠片に囲まれて、男は静かに瞼を閉じる。
不思議と、その表情は安らかだった。
(全く、酷い人生でしたね)
ゾウは緩やかに死んでいく。
鈍く光る鉄の欠片が降る中で、その躰はゆっくりと体温を失っていく。
まるで、鉄の冷たさに近付いていくみたいに。
ゆっくりと、緩やかに、落ちていくばかりの人生は幕切れた。
***
「まずは一人」
ゾウを撃破したアトリは、独り言を零す。
本当は生かしたまま再起不能にでもできれば良かったのだが、そうも甘いことを言っていられる相手でもなかった。
「さて、次はどこを――――」
早速、次の戦場へと移動しようとしたアトリ。
彼女が足を止めたのは、上空に燃ゆるそれに気付いたから。
注意して見上げるまでもなく、意識を向けるまでもなく、視線を釘付けにされる存在感。
爆発的なまでの魔力と共に、上空に浮かんでいたのは――――
「なんだ、あれは……?」
青い太陽。
灰色の空に浮かんだ鮮烈な青。
恒星と見紛うほどの蒼炎が、遥か上空に燃えていた。
なんにも無い、空っぽの器。こんな空虚には耐えられないから、悪意で満たしてしまおう




