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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第五十一話 選抜騎士

 ソルノット中央教会周辺。

 市街地に押し寄せるアルカナンの構成員は、オークェイム・リルスニル率いる執行者を中心とした教会戦力と激突していた。

 それはまさに、戦争と呼ぶに相応しい惨状。

 殺到する物量の暴力に加え、数名の呪術覚醒者。


「コロスコロスコロスコロス! コロシテヤルゥウウウ――――ッ!」


 金切り声を上げながら飛びかかるは、長く鋭い爪を振りかざした女。

 異様に伸びた爪は呪術の賜物。人を傷付けることに特化した、どす黒い色のネイル。

 ドゥミゼルによって促された呪術覚醒の代償として理性を失っていることは、彼女の血走った目を見れば自ずと理解できよう。


「……っ、数が多い……」


 女の爪を斧で打ち返しつつ、オークェイムは歯噛みする。

 混迷を極める戦場は惨憺たる乱戦状態。

 恐らく、避難所として開放されるだろうソルノット中央教会。市民が集まるだろうその場所に、ドゥミゼルは最も多くの構成員を向かわせていた。

 狙いは民間人の恐怖を煽ること。

 お前達の信じる教会や騎士団はアルカナンという脅威からお前達を守り切れはしないのだと、知らしめるため。

 過剰なまでの数の構成員を向かわせ、呪術覚醒者まで数多く投入した戦線は、ジリジリと執行者達を追い込んでいく。

 リルスニル三姉妹を中心として善戦するも、数の暴力を前にしては為す術が無い。

 自身も中盤で戦いつつ指揮を執るオークェイムは、決断を迫られていた。


「……ウィクト」


 後方、小柄な弟の名を呼ぶ。

 流し目で確認した左斜め後ろ。

 神父服を着ていなければ少女と見間違えてしまうほど可愛らしい顔をした彼は、光の魔術で押し寄せる軍勢に応戦しつつも、オークェイムの方を振り向いた。


「魔術の一斉掃射でここら一帯吹っ飛ばすわ。魔術師勢の指揮は貴方に任せるわよ」

「でも、それは――――」

「前線は死ぬ気で保たせるわ。誤射も気にしなくて良い。私達ごと撃ちなさい。それと私が死んだ時は、貴方が全体の指揮を引き継ぐこと。分かった?」


 魔術の一斉掃射、というのは集団戦でしばしば使われる戦法だ。

 ただでさえ高火力な魔術が同時に飛んでくるのだから、確かに強力な一手ではある。

 問題は魔術師の詠唱に時間がかかること。近年では無詠唱魔術も浸透してはいるが、全員でタイミングを合わせて撃つならば、同時に詠唱を行って息を合わせるのが無難だ。

 無詠唱魔術の一斉掃射なんて芸当を行えるのは、軍事大国サーガハルトの精鋭魔術師集団くらいだろう。

 ウィクトら魔術師の練度を考えれば、魔術の準備が整うまでの時間は一分。

 この劣勢を魔術師抜きで六十秒間耐え抜くというのは、相当な賭けになるだろう。

 よしんばそれが成功したとして、この乱戦状態で味方への誤射を避け、正確に敵だけを撃ち抜くというのも現実的ではない。

 やぶれかぶれの一手。

 しかし、教会に避難してきた市民を守るには最善の一手でもあった。


「……了解」


 ウィクトは静かに頷く。

 恐らく、オークェイムは六十秒間の拮抗を保つために、最前線で戦うだろう。

 ウィクト・リルスニルはきっと、姉を自らの魔術で消し飛ばすことになる。

 たった二文字の言葉に含まれた覚悟と感情は、とても一言で表しきれない。

 家族を失う悲しみを、市民のために戦い抜いた姉への敬意を、彼女の遺志を引き継ぐ覚悟を――――


「君、指揮官?」


 全て、嘲笑うかのように。

 人と死体の入り乱れる戦場を縫って、現れたのは中年の男。

 小太りの体躯には見合わぬ俊足で駆けた彼は、皮脂の浮かぶ右手でオークェイムの顔面を狙う。

 首を振って避けたのは、オークェイムの優れた反応速度の賜物。

 彼女は突如として戦場に飛び込んで来た男に内心では驚きつつも、すぐさま翻す斧の一撃で男の首を狙う。

 しかし、男は左手で斧の刀身を掴み、迫る刃を完全に静止させた。

 

「ねえ、指揮官なのかって聞いてんだけど」


 脂肪のたっぷりついた男の掌。

 オークェイムが叩き込んだ斧の刃先が食い込むが、切り裂くことも断ち切ることもない。

 斧は男に片手で受け止められ、紙で切ってしまった程度の血を流すだけ。

 自らの得物を封じられたオークェイム。

 彼女の額には冷や汗が浮かんでいた。


(斧を素手で!? しかもピクリとも動かせない! こいつ、どんな握力して……!)


 マルク・メイル。

 アルカナン中枢メンバーの一人。

 ソルノット中央教会という市民の拠り所を落とすのに、最も適しているとドゥミゼルが判断した犯罪者。

 オークェイムの視界の中、彼の丸々とした肉体が動く。

 如何にも鈍足そうな見た目にも関わらず、素早く右手を伸ばしてきたマルク。


(速い……! 捕まったら終わり……!)


 咄嗟の判断。

 オークェイムはマルクの左手に捕まった斧を手放し、後ろに跳び退く。

 マルクの右手は空を切り、オークェイムは九死に一生を得る。

 

「チッ……耳聞こえてる? 指揮官なのかって聞いてんだけど」

「……教えると思う?」


 悪態をつくマルクに対し、オークェイムは不敵に返す。

 得物を失ってなお戦意の宿った瞳で睨むオークェイムを前に、マルクは不機嫌そうに顔を歪める。

 それはまるで、店の接客態度が悪くて苛立つ迷惑な客のような表情。

 自身の誇りや意志を傷つけられたから怒るというよりも、ただ気に食わないからキレているような幼稚な感情。


「何? カッコつけてるつもり、それ? 君、自分の立場分かってんの?」


 マルクにしてみれば、本当にその程度のこと。

 オークェイムが自身の信仰と誇りのために戦っているのに対し、マルクはただ仕事として殺しに来ているだけ。

 仕事先でなんかムカつくヤツがいて、八つ当たりに暴言を吐いている程度の些事に過ぎない。


「別に言いたくなきゃ良いよ。殺すだけだから」


 両手の指をポキポキと鳴らすマルク。

 オークェイムから奪った斧はその辺りに投げ捨て、ゆっくりと彼女の方へと近付いていく。

 得物を失ったオークェイムに抗う力はほとんど残っていない。

 もう数秒か数十秒か。マルクの気分一つで、オークェイムの命は摘み取られるだろう。

 そんな中、敵味方の入り乱れる戦場を縦断し、前線から走って来たのは――――


「何っ……してんのよっ――――!」


 サーチ・リルスニル。

 スラリとした肉体が躍動し、一瞬でマルクの背後まで迫る。

 魔術によって強化された肉体。長い脚を活かして繰り出される回し蹴りは、ノーガードのマルクの脇腹に突き刺さる。


「いやさ、ちょっとは考えようよ」


 しかし、マルクは傷を負うどころか、顔をしかめることもない。

 下卑た嘲笑と共にサーチを見下ろし、自身の腹に沈んだ彼女の生足を掴み、そのまま持ち上げる。

 逆さ吊りにされたサーチの全身を舐め回すように観察し、マルクはニィっと口角を釣り上げる。

 その笑みに思わず、サーチは身震いした。

 彼女をじっくりと見回すマルクの瞳。その虚ろな瞳の中には、形容するのもおぞましい欲望が噴き溜まっている。


「離しなさい……ッ!」


 マルクの側方、斧を拾い上げたオークェイムが迫る。

 大振りで叩き込まれた斧の一撃は、マルクの腹に吸い込まれる。

 しかし、貫けない。べったりとした脂肪の壁に阻まれ、刃先は柔らかい感触の中に沈むだけ。

 まるで、刃こぼれした包丁で生肉を捌こうとしているよう。


「離すと思う?」


 マルクは意趣返しとばかりに、侮蔑と嘲笑を以てオークェイムを見下ろす。

 アルカナンによるソルノット南東部侵略戦争。

 後に歴史に語り継がれる惨事となった此度の事件だが、その中でもソルノット中央教会が受けた被害は、未来の歴史家によっては最悪と評されることとなる。

 ソルノットの各地で受けた甚大な被害、膨大な死傷者。

 それらを差し置いてなお最悪と評される蹂躙劇が、幕を開けようとしていた。


     ***


 教会の中、そこには恐怖が充満していた。

 壁と扉によって隔絶されているとはいえ、戦闘の余波は様々な形で感じ取れるものだ。

 遠くから聞こえる悲鳴。何かの崩落音。遠雷みたいな雄叫び。ほんのりと鉄の臭いがして、心なしかコバエが多いような気がする。

 そんな風に伝わってくる死の気配に、みんな押し潰されそうになっていたんだと思う。

 膝を抱えて丸くなったり、他の市民と喧嘩したり、大声で泣いていたり。

 あるいは、祈っていたり。

 私もその一人だ。両手を握って、神様に祈る。

 今、教会の外で戦っているのは、私の大切な人達。私以外の誰かにとって、大事な誰か。

 そんな人達を、どうか救って下さい。お願いだから、彼らに穏やかな未来を与えて下さいと。

 そう、祈るのだ。

 扉近く、跪く私はただ無言で祈っていた。

 遠く聞こえる戦闘の音に耳を澄ませ、それが少しでも小さくなることを祈っていた。

 そんな中、聞こえてきた。

 これは……詠唱だ。魔術師の詠唱。使ってるのは、多分、教会の魔術。しかも、かなり大勢が同時に詠唱している。息を合わせて、タイミングを合わせて、一緒に魔術を唱えている。

 戦場に舞い降りた聖歌隊みたいだ。

 聞こえる。歌うような詠唱が聞こえる。

 唱えている。魔術を唱えているんだ。押し寄せる悪意を退けるための魔術を、執行者みんなで力を合わせて放とうとしている。

 私に聞こえた詠唱は微かなもので、確証なんて全く無いけれど、その声の中にはウィクトお兄ちゃんのものも混じっている気がした。

 そして、一際大きな爆発音。

 魔術の炸裂した音だ。

 私に聞こえるほど大人数での詠唱の末に放った魔術が、ついに放たれた音だ。


「やったのかな……?」


 あれだけ大人数で一斉に放つ魔術。

 戦況を変えるには十分すぎる一手のはずだ。

 戦況を変えるどころか、押し寄せて来た敵の大部分をまとめて吹き飛ばしていたって不思議じゃない。

 私は扉に手をかけた。

 そして、ゆっくりと開く。

 ちょっと。ちょっとだけだ。扉の隙間から戦場をちょっとだけ覗いて、今の魔術がもたらした戦果を確認しよう。

 散り散りになって逃げていく犯罪者とか、大魔術の一撃で更地になった敵地とかを見て、少しでも安心したかった。

 こっちの反撃はちゃんと届いていて、きっとお姉ちゃん達は無事に戻って来るって、思い込みたかったんだ。


「――――――――――――ぇ」


 扉の隙間から覗くに留めるはずだった景色。

 呆気に取られた私の体は制御を失い、扉を完全に開け放ってしまっていた。

 ギィーと音を立てて開き、私の視界もまた開ける。

 先の魔術は確かに、敵の大部分を吹き飛ばしていた。

 しかし、残っている。大部分の有象無象が消し飛ばされようと、全く問題無いとばかりに、圧倒的な個が残っている。

 それは小太りの男。丸々としたフォルムとは裏腹に、可愛らしさとは無縁の容姿。不潔で無造作でおぞましい。

 両手にはそれぞれ、サーチお姉ちゃんとオークェイムお姉ちゃんを引きずっている。

 それをポイと投げ捨てたかと思うと、彼はたった一人で虐殺を再開した。

 手練れ揃いであるはずの執行者を素手で惨殺していく。

 首を捩じ切り、胴体を穿ち、手足をもぎ取る。

 執行者が反撃に撃ちこむ魔術も当たっているのに、彼には水を浴びさせられたかのようなノーダメージ。

 ただ、味方の命だけがあっさりと奪われていく。

 ウィクトお兄ちゃんが殴り飛ばされるのが見えた。どうしてか、手加減しているみたいだった。

 あの男は素手で執行者を容易く殺せるはずなのに、あえて殺していない執行者もいる。

 路上に散らばっていく死体と気絶体。

 もしかして……女の人だけ生かしてる? ウィクトお兄ちゃんも女の子にしか見えないし……いや、でも女性でも殺されてる人もいる。どういう法則性が――――


「……な、に」


 何、考えているんだろう。私。

 私も女だから、もしかしたら生かしてもらえるかもしれない、なんて、そんなこと。

 そんなこと、考えようとしていたのか。

 私達姉妹はみんな――――少なくとも、見た目は女の子にしか見えない。

 だから、もしも、あの男が何らかの意思で女性を殺さないとしたら、私達だけは助かるかもしれない。

 そんな浅ましいことを考えていたのか、私は。

 みんなが、お姉ちゃん達が命をかけて戦っている中、私だけがそんなことを思っていたのか。


「――――あ」


 ふと、目が合った。

 あの男が私を見た。

 来る。走って来る。虚ろな目をした怪人が、私を殺しに来る。

 怖い。逃げなきゃ。せめて、扉だけでも閉めないと。閉めてどうなるの? そんなのぶち破って来るに決まってる。

 足が竦んで動けない私は、間近に迫った死を直視する。

 男の魔の手が、ついに、私の顔面に触れて――――


「ふぉっふぉっふぉ」


 男の手が私の顔に触れたというのは、私の恐怖心が生んだ錯覚だった。

 男は十数メートル先、教会の庭で立ち止まっている。

 どこから現れたのか、ポツンと小さい背中が、男の前に立っているのが見えた。

 小さい。背丈は私と同じくらい。ちょっと猫背気味で、その後ろ姿からも彼が相当老いていることが伺える。

 こんな場所で見なければ、温厚なおじいちゃんにしか思えなかったことだろう。


「連邦騎士団ソルノット支部所属、選抜騎士エルノ」


 しわがれた声で語られる肩書きは、今この状況においては、何よりも頼もしい。


「扉は閉じておいた方が良いぞ、お嬢さん。でないと、少し血生臭いものを見せることになる」


 こちらを微かに振り返って、老人は優しく諭す。

 それはこの街に八人しかいない選抜騎士。

 ソルノット最高峰の戦力が、増援として到着していた。

連邦騎士団ソルノット支部における選抜騎士一覧

 アトリ・トーネリウム(11)

 シルノート・エンドホーフ(25)

 エルノ(74)

 キルディッド・カリナ(31)

 ナルテイン・イリスピア(31)

 フィロルド・サーテイン(27)

 ユザ・レイス(18)

 ロウリ・ゴートウィスト(18)


選抜騎士の年齢を見てもらえれば分かる通り、十八歳で選抜騎士になったロウリとユザって結構異常です。なんか十一歳で団長やってるヤツもいますね……

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