第五十話 嫌いだらけの人生
ちょっと前のこと。
まだ、私が連邦騎士団で選抜騎士として戦っていた頃の話。
――――ロウリ。お前、いつも無表情だよな
――――え、そう?
――――ああ、機械みたいで怖ぇ
任務の帰り、犯罪組織の構成員を無力化してスウェードバーク行きの馬車に乗せた後のこと。
ユザにそんなことを言われた。
彼と話した機会は多くない。任務くらいでしか顔を合わせないし、私も彼もお喋りなタイプじゃない。
会えば普通に話すけれど、個人的に仲が良いわけでもない。
私達の関係はそんなありきたりなものだった。
――――ユザは顔に出るよね。今日もブチギレてた
――――あいつら、小さい子供にまで薬を売りさばいてたんだぞ。赦せるわけねぇだろ。……ロウリは何も思わねぇのかよ?
そんなことを訊かれて、答えに窮したのを覚えている。
赦せるとか、赦せないとか、そういうことを考えたことはなかった。
本当の所を言えば、心底どうでも良かったのだ。
暴れられたら面倒だし、暴言を吐かれたらうるさいなって思うけど、それ以上の感情は何も無い。
赦すとか赦さないとかどうでも良くて、ただ早く仕事を終わらせたいとしか考えていなかった。
――――……犯罪者にも事情があるんでしょ。親とか生まれた環境とか。ここの北西部なんて、犯罪に手を染めないと生きてけない人もいるだろうし。そういう所で生きてたら、倫理観がバグったりもするんじゃない?
――――だからって、赦されることじゃねぇだろ
――――そうだよ。だから、捕まった。向こう十年は監獄暮らし
――――でも……
淡々と話す私の言葉に熱は無く、感情なんてものは少しも込められていなかった。
だって、これは私自身の言葉じゃなく、ただの模範回答だったから。
正しさという規範に則っただけの、無機質な音声の羅列だったのだから。
――――でも……おかしいだろ。薬売られた子供は人生狂わされてんのに、あいつらは十年で解放されて、その後もどうにかこうにか生きてくんだろ。明らかに釣り合ってねぇだろ
逆にユザは熱くなっていたと思う。
言葉を荒げることも、大声を出すこともなかったけれど、彼の声には確かな熱が灯っていた。
――――じゃあ、殺す?
我ながら、意地の悪いことを言ったと思う。
けれど、正論でもあった。
加害者を殺したところで、被害者が被害に遭ったという事実は変わらない。狂わされた人生は元に戻らない。
死体をいくらか増やしたところで、解決する問題なんて一つも無い。
被害者の人生が狂ったこと。加害者にどれだけの罰を受けるべきか。この二つは切り分けて考えるべきなのだ。
――――殺してやりてぇよ、俺は……
それでも、ユザは殺したいと言った。
躊躇いながら、苦虫を噛み潰すような声色で、殺したいと確かに語ったのだ。
その時、何となく、羨ましいなって思ったんだ。
――――あんなヤツら大嫌いだ。本当は……ぶっ殺してやりたい
今なら、分かる。
ユザは正義感で殺したいと言ったわけじゃない。
ただ、嫌いだったんだ。簡単に人を傷付ける悪人が嫌いで、他者を殺しても平気な人間が大嫌いだった。
そんな自分の「嫌い」だって気持ちに素直でいられるユザが、私には羨ましかった。
それを自分で認めて、言葉に出せる真っすぐさが妬ましかった。
少なくとも、ユザの「嫌い」は私の「嫌い」よりも、正しさに近い場所に在ったから。十人中八人くらいは共感してくれそうな「嫌い」だったから。
――――……この話やめよう。誰かに聞かれてたらヤバいよ
――――そうだな。……悪かった
アルカナンに身を置いて、たくさんの人を殺した今だから言える。
私も嫌いだった。私を縛る全部が嫌いで、弱い人間が嫌いで、弱者のために尽くさなきゃいけない正義という構造が嫌いだった。
目に映るものは大体嫌いだったから、嫌いなものはぶっ壊したかった。
嫌いな人間は殺してしまいたかった。
多分、「嫌い」だけが私の人生だったんだ。
***
ソルノット北部、住宅街。
私はぼんやりと立ったまま死んだシグレ司祭の亡骸を見つめる。
呆気ない終わりだった。あまりにも急にナナクサ・シグレの命は尽き、何とも消化不良のまま戦いは終わった。
肩透かしを食らったような気分だ。
あれだけ強かったシグレ司祭が、どうして急死したのかは分からない。
私がシグレ司祭に与えたダメージは、初動の膝蹴りくらいのもの。あとは、斧の一撃もあったか。それも刀でガードされてはいるのだが。
たったこれだけでシグレ司祭が死んだわけではないだろう。
きっと、何か別の要素がシグレ司祭の命を蝕んでいて、私達はその最後の引き金を引いただけ。
「まあ、いっか」
何にせよ、勝ちは勝ちだ。
ナナクサ・シグレは死んだ。それだけで十分な戦果だろう。
私は家屋の屋上に立ったアズに手を振る。それから近くに潜んでいるだろうルーアとツウィグも呼んだ。
ゆっくりと屋上から降りてくるアズよりも、ツウィグとルーアの方が早く出てきた。
「ロウリ! 大丈夫だった!?」
駆け寄って来たルーアに飛びつかれる。
よほど不安だったのか、ルーアは私に抱きついてきて、結構な力で抱きしめてくる。
ちょっと苦しい。
「大丈夫。大丈夫だから。ルーアはアズに治癒魔術かけてあげて。結構傷深いみたいだったし」
「う、うん。分かった!」
私が指示を出すと、ルーアは言われた通りにアズの下へ向かう。
こうしてみると、ルーアは大型犬っぽい所がある。
「アズさんアズさん。治癒魔術かけるよ」
「あー、助かるわ。傷口にワイヤー撒いてるんだけど、外した方が良い?」
「分かんないけど……多分、外した方が良いんじゃないかな……」
ルーアは素直に指示に従い、アズに治癒魔術をかけている。
あれだけの傷を負っても動き続けたのだから、アズの根性も大したものだ。
そもそも、傷口をワイヤーで縛って止血するって、ちゃんとしたやり方なんだろうか。
まあ、血がドバドバ流れるよりかは良いのかもしれない。実際、アズも失血死することはなさそうだし。
「私も後でルーアに治癒魔術かけてもらっとこうかな。細かい傷とかありそうだし……」
独り言を呟いていると、ツウィグが寄って来た。
背の低いツウィグ。こうも近付かれると、どうしても見下ろす形になる。
ツウィグは前髪が長い。白い前髪は閉じられたカーテンのように、彼の瞳を隠している。
腐敗の魔眼は青カビを思わせる灰緑色。もう片方の瞳は、どんな色だったんだろう。そういえば、見たことがない気がする。
私がそんな益体も無いことを感じていると、すぐそこまで近寄って来たツウィグが、私の服の裾を掴んだ。
遠慮がちに、きゅっと服の裾を摘まんでいる。
「さっき、危なかったんじゃないか……? 俺には……あの神父みたいなヤツがもう少し長く生きてれば、斬り殺されてた風に見えた。俺はアンタみたいに強くないし、よく分かんないけど……あんな、危険な…………」
意外とよく見ているんだな。
ツウィグの言うことは正しい。シグレ司祭が力尽きる寸前、私は空中で斧を弾き上げられた。
あのままシグレ司祭が居合を放っていたら、私はそれを受けざるを得なかっただろう。
どうにか致命傷は避けるつもりでいたが、上手くいったかどうかは分からない。どちらかといえば、斬り殺されていた可能性の方が高いかもしれない。
「確かに、ちょっと危なかったかも」
「ちょっとって……」
「別に良いじゃん。どうにかなったんだし」
「で、でも……!」
いつになく、感情的なツウィグ。
長い前髪に隠れて、彼の顔は見えない。
どんな顔をしていて、どんな目をしているのか、私には見えない。
「死なないように頑張るって、言っただろ……っ」
ああ、確か、そんなことを言った。
別に大きな覚悟や意思を持って告げた言葉じゃない。むしろ、その時の気紛れでテキトーに言っただけの言葉だ。
それをツウィグは覚えていてくれたのだろうか。
まあ、忘れるほどの時間なんて経ってはいないのだろうけど。
何だろう。やっぱり、変な感じがする。心の奥がむず痒くて、暖かい。
どうしてか、思う。
彼に触れたい。彼のことを知りたい。今、どんな表情をしているのか。どんな瞳で私を見ているのか。
今、君は何を考えているんだろう?
私は何も言わないまま、ツウィグの額に手を伸ばす。
そして無造作に、彼の前髪をかき上げた。
白いカーテンの払われたツウィグの顔。そこには二つの宝石があった。
青カビじみた灰緑色の右眼。もう片方、くすんだ青色の左目。ひんやりとした岩みたいな、薄い色合いの青。
(左目、こんな色だったんだ)
鮮やかさは無く、どちらかといえば地味な色。
でも、その落ち着いた青が、どうしてか心地よかった。
それがどうしてなのかは、本当に分からないけれど。
「なんだよ、急に……」
「ううん、何でも」
私はツウィグの髪から手を放し、彼の前髪は元に戻った。
長い白髪に遮られてしまえば、異質な輝きを放つ灰緑色の魔眼しか覗けない。
なんだか、それが寂しかった。
「へえ……ツウィグ、アンタがロウリにべったりだなんてね」
不意に口を挟んできたのはアズ。
その口ぶりには、明らかな軽蔑と攻撃性が滲んでいた。
何となく、嫌な感じがする。
「偉くなったものね。ロウリの戦い方にケチをつけるなんて。アンタ、いつからそんなに強くなったわけ?」
「っ、俺はただ――――」
「ロウリがどう戦おうとロウリの自由。危ない橋を渡ろうと、死線をくぐろうと、それはロウリの決めたことでしょ? アンタにそれを否定する権利でもあるの? もしかして、ただ心配しただけ、なんて言うつもりじゃないわよね。当ててあげるわ。アンタがロウリの危険を避けたがるのは――――」
嫌な感じがした。
むしろ、恐怖に近い。
アズは何かを言い当てようとしている。致命的な何かを口にしようとしている。
私を私たらしめている枠組みみたいなものを、根本から壊してしまうような何かを。
「ロウリに守ってもらいたいからでしょ?」
背筋が凍った。
その時、どんな戦場でも感じなかった恐怖が、私の背筋を撫でていった。
「気色悪いのよ。自分が弱くて何もできないからって、強い人間に寄生しようとするヤツって。ロウリの力はロウリのもの。その力をどう使うかはロウリだけが決めて良いの。それを自分を守るために使ってほしいだなんて、恥知らずにもほどがあるわ。アンタみたいなのが――――」
「アズ」
それは、私だ。
私が言ったこと。私が思っていたこと。今も私が思っていること。
弱者への憤りも、自分の力を自分のために使いたいという欲求も、私自身が選んで抱えたもの。
今だって、私は自分のために生きたいと思っている。
またゴートウィスト家に戻って、正しい人生を送るなんてまっぴらごめんだ。
でも、それでも、私は――――
「うるさい」
アズの言葉を遮った。
理屈なんて無い。一貫性も無い。
私はただ感情のままに、冷たいだけの言葉でアズを黙らせた。
「ルーアの治癒が終わったら、私達は南東部の方に移動するけど。アズは?」
この話は終わりだとばかりに、私は新しい話題を切り出す。
「……ここら辺で休んでるわ。この傷も完治はしないだろうし、もう十分働いたでしょ」
そして、私達は別れた。
僅かな共闘。その後に交わした些細な会話。
明日には忘れ去って良いような些細な会話のはずなのに、アズの言ったことがどうにも頭から離れない。
ツウィグとルーアが私に守ってもらいたいのだとすれば、それは私が嫌悪する弱者達と同じだ。
けれど、どうしても同じようには思えない。
ツウィグとルーア。二人のことが頭の中でぐるぐると巡っては消えて、と思ったらやっぱりまた現れて。
自分のことが、自分でもよく分からない。
弱いヤツらがずっと嫌いだったのに、ツウィグとルーアを嫌えないのは、どうしてなんだろう。
何が好きかも大事だけど、何が嫌いかでも自分を語って良いと思うのです




