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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
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第五話 未知との邂逅

 「どうしよう、これ」


 仰向けに倒れる男を見下ろして、私は悩んでいた。

 男の両腕から流れ出る夥しい量の血。今もその勢いが衰える気配は無い。

 呪術にも色々なタイプがあるが、私が使った呪術は術者自身にも解除できない。

 男の傷を治すには、教会で解呪の魔術をかけてもらうしかないのだが、これが少し面倒なのだ。

 ソルノット自治領において、ゴートウィストの次期当主である私は、かなり顔が知れている。

 教会の人間であれば、私の顔を見ただけでピンとくるだろう。

 そんな有名人が明らかに呪術で叩きのめした患者を連れて行けば、ゴシップ好きのシスターの目に留まること間違い無し。

 呪術を使ったことが再び父に知られれば、あの激情家の父がどんな凶行に及ぶかは想像に易い。


「私が見つけた時にはもうやられてた……って、そんな言い訳信じてもらえるはずないか。適当に教会の前に寝かせておく? でも、呪術って見分けるの難しいらしいし。すぐに解呪の魔術かけてくれるかどうか……あー、もういっそ――――」


 もういっそ、ここで殺してしまえば。

 そう思いはしたものの、それを言葉に出すことは無かった。

 しゃがみ込んで、男の顔を見下ろす。

 ここまで失血しているにも関わらず、なんと意識は残っているようで、辛そうに呻き声を上げている。

 相手は明らかにアンダーグラウンドの人間。

 ある日死体で発見されたとしても、不審に思われることはないだろう。

 そもそも、この街で殺しなんて日常茶飯事。「汝、殺すことなかれ」なんて教えを真面目に守っているのは、ゴートウィストの治安維持が及ぶごく狭い地域の人間だけだ。

 先に手を出してきたのも、街中で戦闘していたのもこの男。

 きっと、この男も今までたくさんの人を殺してきただろう。

 今、ここで私に殺されたとしても、文句は――――


「いや、流石にね」


 脳裏を掠めた短絡的な思考に蓋をする。

 私は悪い考えを振り払うように立ちあがって、倉庫の隅で蹲っている少年に目を向けた。

 男の出血は激しいが、損傷個所に太い血管は通っていない。呪いが効いている以上、放っておけば失血死するだろうが、まだ猶予はある。

 男の治療問題はとりあえず脇において、少年の保護を進めることにした。


「君、大丈夫?」

「あ……ああ、一応」


 声をかけられると思っていなかったのか、少年は驚いたように身を震わせた。

 改めて見ると、少し変わった風体の子供だった。

 白くくすんだ、伸び放題の髪。見るからにみすぼらしい服装。そして、青カビにも似た灰緑色の右眼。歳は十四くらいだろうか。

 その瞳が放つ不気味な光が、ただの孤児にしか見えない少年を、異質な何かに変じさせている。


「名前、言える?」


 一応、訊いておいた。

 この手の孤児には、名前を訊かれても言えないというパターンが多い。

 事情は色々だ。親から名前を与えられていなかったり、悪事に手を染めているため騎士団に素性を明かせなかったり。


「ツウィグ」


 だが、この少年はすんなりと名乗った。

 こちらを見上げる灰緑色の瞳からは、上手く感情が読み取れない。

 どうにも得体の知れない少年だが、犯罪現場で保護した子供には違いない。

 そうするべきだとか。正義のためだとか。そういうの無しにしても、助けてあげれば良いだろうと思って、私は――――



「歩けそう?」

「ちょっと痛いけど、歩くくらいなら……」

「怪我してるの?」

「左の太腿を、少し」

「本当だ。こんなんでよく歩けるとか言ったね。抱えてくから。ほら、動かないで」

「あ、いや、俺は――――」

「動かないでって。どう? 傷に障ってない?」

「あ……だい、じょうぶ」

「よし。それじゃ行こうか。痛かったら言ってね」

「…………分かった」



 その日、俺は初めて人に助けられた。

 不意に現れたその女は、追手をものの数分で叩きのめし、倉庫の隅で蹲っていた俺を抱え上げた。

 何かの荷物みたいに抱えられた俺は、その女に運ばれていく。

 女は何も考えていないようで、それでいて、俺の馬鹿な頭では想像も及ばないことを考えているようで。

 ただ当然のように、透徹な灰色の瞳をしたまま、俺を助けたのだ。

 それは俺には到底理解の及ばない思考回路で、見返りも無く人を助ける意味が分からなくて、ただただ俺には何も分からなくて。

 人肌の温かさだけが、確かだった。

 もしも、このまま誰も現れなくて、俺はこの女に連れ去られて、ここではないどこかへ行けたなら。

 きっとそれは奇跡だ。

 この彼岸花のような女なら、そんな奇跡も起こしかねないと思ったのだ。

 だって、こいつの考えていることはちっとも分からなくて、一から十まで理解不能で、俺にとっての未知だったから。

 俺が知る世界の規格から、外れた場所にいる何かだったから。

 俺の世界にはいない誰かだったから。

 だから――――


「やっほーツウィグ。生きてる~?」


 その瞬間に絶望した。

 倉庫の扉を開けて入って来たのは、二人の人型。

 人の形をした人でなし。俺の世界における一般的人間。十四年間に及ぶ悪夢の体現者。


「おー、生きてんじゃん」


 青髪の竜人が軽薄に笑っていた。


     ***


 ロウリがツウィグを抱えて倉庫を出ようとした所、倉庫の扉から一人の人影が覗いた。

 開けた扉に寄りかかって立っているのは、青い髪をした長身の女。

 髪を青ければ、纏う装束も蒼。爬虫類を思わせる瞳孔の色も澄み渡った碧。雲一つ無い青空のような、波一つ無い大海のような、爽快な青色をした女だった。

 青という鮮烈な色彩に加え、目を惹くのはやはりその身長。

 男でも中々見ないほどの高さで、二メートルに迫ろうかというほどの長身だ。

 青い装束を着崩していることも相まって、豪快な印象を受ける。

 その後ろにも人影が見えるのだが、大柄な青髪の女の影になってよく見えない。


「つーか、そこの嬢ちゃん誰よ? ツウィグの知り合い?」


 女はロウリにも声をかけてくる。

 一瞬、ロウリは言葉に窮した。

 目の前の女がどんな人間かは知らないが、明らかに戦闘音のしていたこの倉庫に躊躇無く踏み込んでくるあたり、一般人ということはないだろう。

 まず間違いなく脛に傷のある人物。犯罪組織のメンバーという可能性もある。


「私はロウリ。たまたま通りかかっただけで、この子とは別に知り合いじゃない」


 故に、ロウリは家名を名乗らなかった。

 相手が犯罪者だった場合、自分がゴートウィスト家の者だと明かすのは、宣戦布告に等しい行いになる。


「ロウリ・ゴートウィスト、だろう。名乗る時はフルネームの方が良い」


 ロウリの思惑を一言で打ち砕いたのは、青髪の背後に立っていたもう一人の人物。

 ロウリのフルネームを言い当てながら、彼女は倉庫内へと入って来た。

 現れたのは銀髪の女性。女性にしては背が高い方なのだろうが、青髪の隣に立つとかなり小さく見える。

 それでも、彼女から感じる威圧感は相当のもの。

 纏う服は肩と二の腕が見えるラフなデザインだが、色調が黒で統一されているせいか、不思議と引き締まった印象を受ける。

 額から左頬に刻まれているのは、刃物で裂かれたような古傷。感情の無い瞳は暗く、首筋から右肩、右腕へと下るようにタトゥーが入っている。

 右手で麻袋を引きずっていた。外から見る限り、球状の何かが複数入っているようだ。


「……っ」


 光の無い瞳でロウリを見据える女。

 底の無い闇のような目の色に、ロウリは自身の魂が飲み込まれるような錯覚を覚えた。


「私はドゥミゼル・ディザスティア。よろしく、ロウリ」


 淡々と告げるドゥミゼルの表情からは、如何なる感情も思考も読み取れない。

 真っ暗な夜の闇と相対しているような、得体の知れない恐怖だけが背筋を撫でる。


「そう警戒するなよ。今日は君に用があるわけじゃない。用があるのは、そこで寝てる男だ」


 逆にドゥミゼルにはロウリの表情が読めているようで、彼女の緊張を見抜いていた。

 そのまま視線をロウリから床に倒れている男へと移し、ゆっくりとその傍らに歩いて行った。


「トーキン・ノックス。犯罪組織レッドテイルの主力戦闘員。火属性の魔術とグローブを用いた格闘術を得意とする。幼い頃親に捨てられた所をレッドテイルのボスに拾われる。現在はレッドテイルの構成員と結婚。娘が先日六歳の誕生日を迎えた」


 ドゥミゼルが滔々と語るのは、今しがたロウリに鎮圧された男の個人情報。

 男に関してこれだけ詳細な情報を調べられるというだけで、ドゥミゼルが持つ情報網の広さが伺える。

 男の個人情報を明かしながら、ドゥミゼルは男のすぐ側に立っている。

 未だ辛うじて意識を保つ男の側で、飄々と佇んでいる。


「うちのツウィグを随分虐めてくれたみたいじゃないか。娘がいる人間のやることとは思えないな。あの子、まだ十四だっていうのに。君の娘とも大して変わらないだろ?」


 まだ意識の残っている男。

 地面に倒れながらも、殺意の込もった瞳でドゥミゼルを見上げている。

 その獣を思わせる爛々とした目つきは、視線だけで人を殺せそうなほどに鋭かった。


「なあ、トーキン」


 ドスの利いた低音。

 その声色一つで、倉庫内の温度が急激に下がる。

 ロウリに担ぎ上げられたたツウィグが、ぎゅっと彼女の肩を掴む。それはトラウマと恐怖が引き起こした、無意識の反応であった。


「お前は今から死ぬんだが、一つだけ良い報せもあるんだ。聞きたいか?」


 上から男の顔を覗き込むドゥミゼル。

 その冷たくも容赦の無いプレッシャーに、男の熱が浸食されていく。

 ドゥミゼルへの怒りと憎悪を宿していた目が、次第に恐怖に染まっていく。

 そんな男の前で、ドゥミゼルは麻袋の中から何かを取り出して、彼の前に差し出した。


「嫁さん」


 ボトリ。

 音を立てて落ちたのは、女の生首。


「娘」


 続いて、子供の首。

 ドゥミゼルの手を離れた頭部が、ゴロリと床に転がる。


「ボス」


 そして、老人の首。

 光の消えた目をした生首が、男の目の前に落下した。


「みんな、地獄で再会できるらしい」


 そう言って、ドゥミゼルは微かに嗤った。

 愚かで憐れな男に向ける嘲笑を以て、冥土の土産とする。


「このっ、クズ野郎がぁあああアアア――――――――ッ!」


 果たして、男は立ち上がった。

 あまりに強烈な怒りに突き動かされ、その身に余る衝動を原動力に、ドゥミゼルへと飛びかかった。

 既に使い物にならない腕。憎悪によって駆動する男の肉体は、ドゥミゼルの喉笛を食い破ろうと躍動する。

 その顔面を正面から掴んだのは、青髪の女の掌だった。


「殺せ、シャルナ」


 ドゥミゼルが告げた、簡潔な抹殺命令。


「りょーかい」


 やり取りは一瞬。遂行は刹那。

 女の掌から生じた蒼炎。高密度の青い炎は、掴んでいた男の顔面を無残にも焼き焦がす。

 その灼熱に男が苦しんだのは、一秒にも満たないほんの数瞬。

 数瞬後には、男の顔面は蒼炎に呑まれて消し炭になっていた。

 土色の床に、首の無い男の死体が落ちる。

 チリチリと宙を舞う青い火花は、その殺害方法の残滓。

 生肉の焼ける臭いがした。


何も考えず子供を助けるくらいには、善行はロウリの習慣と化してますね。こればかりは教育の賜物かと

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