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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第四十八話 悪意濃縮

 ソルノット北部、崩落した大聖堂付近。

 シグレは腰の鞘に刀を収めたまま、アズを吹き飛ばした方向へと歩いていた。

 並みの相手ならば消し炭になっているはずだが、相手はアルカナン中枢メンバー。死体の確認にせよ、トドメを刺すにせよ、追わないわけにはいかない。

 一刻を争う戦闘中であっても、ゆったりとした足取りなのは、圧倒的な実力に裏打ちされた余裕故か。

 それとも、他に何らかの理由があるのか。


「やはり、耐えますか」


 ソルノット北部、住宅街。

 既に大半の住民が南東部へと避難した街は、ゴーストタウンのような雰囲気を発している。

 静かな住宅街の街並みを背にして、アズ・リシュルはシグレを待ち受けるように立っていた。


「死んだとでも思った?」


 満身創痍であるにも関わらず、アズは強気に挑発を口にする。


「いえ、そうであってほしくはありましたが。……心が痛みます。私の力が足りないばかりに、痛み無く一撃で葬ることができなかった」


 シグレは穏やかな口調で返す。

 アズの挑発的な言葉に対しても、シグレは怒りや攻撃的な感情を見せることはない。

 自らを殺しに来る犯罪者相手であっても、最大限の施しと慈悲を忘れない。

 ナナクサ・シグレとは、そういう人物だった。


「そ、高尚なことね。そんなに地獄に落ちるのが怖い? アンタ達の教えだと、正しいことをしないと天国に行けないんだったかしら? 心配しなくても――――」


 道徳の化身たる異郷の神父を前にして、アズは侮蔑的な冷笑を以て応じる。

 お前の道徳も善意も慈愛も、全て下らないと一生に付すかのように。


「今すぐ天国に送ってやるわよ」


 それは、事前に決めていた開戦の合図。

 瞬間、近くの建物の窓を突き破って、ロウリが飛び出す。

 右手には赤黒い片手剣。ガラス片が舞い散る最中を疾走し、ロウリはシグレへと向かっていく。

 魔力を抑えて潜んでいたロウリの急襲。

 すぐさまトップスピードに乗ったロウリは、シグレの首筋に狙いを定め、一直線に駆ける。

 接敵まで一秒も無い。


「まさか、貴方が……」


 シグレが呟く。

 その横顔を見て、ロウリは自分の嫌な予想が的中していたと知る。


(やっぱり反応してくるか)


 驚嘆すべきシグレの反応速度。

 彼はロウリの急襲をいち早く察知し、腰の刀に手をかける。

 一秒にも満たない刹那であれど、彼が刀を抜き放つには十分すぎる。


「――――お覚悟」


 シグレが放つ居合術。

 焔を纏った刀は横一閃に薙ぎ払われる。

 横方向から迫る炎の斬撃を、ロウリは右手の片手剣でガード。

 ガードしてなお肌を焼くような熱波を感じつつ、シグレの懐へと一気に潜り込む。

 叩き込むは鳩尾への膝蹴り。疾走の勢いを乗せて放った蹴りはシグレの腹にクリーンヒットする。


(良いの入った。もう一発――――)


 蹴りの手応えを感じつつ、さらに追撃を重ねようとしたロウリ。

 彼女の視界からシグレが消える。

 それが素早い足捌きによって、シグレがロウリの背後へ回り込んだのだと気付いた時には、すぐ後ろでシグレが居合のモーションに入っていた。


「……っ!?」


 自身の思考速度を超えて迫った死の脅威。

 ロウリはたまらず跳躍。空中へと逃れた。

 しかし、シグレが巧かったのは、すぐに攻撃に移らなかったこと。

 居合のモーションに入っておきながら、シグレはすぐさま斬撃を浴びせるのではなく、ロウリが回避行動を取るのを待った。

 空中に逃げるという、最悪手を待った。


「伐空」


 空へ向けて放たれる斬撃。

 橙色の火を乗せて放たれる伐空は、空へと立ち昇る不死鳥を思わせる。

 身動きのできない空中。橙色の斬撃がロウリを焼き切るより早く、アズが伸ばしたワイヤーが彼女を巻き取っていた。

 アズのワイヤーによって救出され、彼女の近くまで運ばれ、着地するロウリ。

 着地共に展開したのは、数十本の剣。射出用に構築した剣はロウリの周囲に浮遊し、いくらか離れた位置に立つシグレに照準を合わせる。


「合わせて、アズ」

「了解」


 一斉に放たれる剣の嵐。

 同時、アズも切断用のワイヤーを手繰り、シグレへと攻撃を仕掛ける。

 タイミングを合わせて放たれた呪術とワイヤー。

 ほとんど全方位から迫る二種の刃に対し、シグレは慌てる様子も無く――――


「火を」


 刀を一閃。

 斬撃と共に薙ぎ払う炎のみで、アズのワイヤーは完全に焼き切れる。ロウリが射出した数々の剣も、焼き焦がしつつ軌道を逸らした。

 一振りの火でロウリとアズの攻撃を完全に無効化したシグレ。

 さらに刀を翻して放つは、通りを埋め尽くさんばかりに膨れ上がった火の津波。

 逃げ道など無いと言わんばかりに広範囲の炎熱は、橙色の高波となって二人に襲いかかる。


「アズ、逃げないと」

「分かってるわよ! 捕まんなさい!」


 アズは即座に移動用のワイヤーを展開。

 家屋に引っかけたワイヤーを強く引きながら跳躍し、ロウリを抱えて戦線を離脱する。

 高く、高く跳んだアズ。ロウリを抱えながらの跳躍ではあったが、その飛距離も高度も申し分無し。

 広範囲に及ぶ火の津波のさらに外。今まで立っていた通りから離れた、住宅と家屋が密集した地帯へと飛んでいく。

 アズに抱えられたまま空中を舞うロウリ。

 彼女はその灰色の目を以て、自身の右手に握られた剣を見つめていた。

 シグレの燃える斬撃を受けた刃は、表面が焼け焦げて剥がれ落ち、強風が吹けば崩れ落ちてしまいそうなほど損耗していた。


(もう使えそうにないな。一回ぶつけただけでこれ……流石におかしい。呪術の術式を混ぜてるとはいえ、私のこれは鋼鉄魔術。アズが使ってる細いワイヤーが熱に弱いのとは訳が違う。壊れ方も何か変。まるで、内部から崩れてるような――――)


 鋼鉄魔術は守りと硬度に特化した魔術。

 ローストンやロウリはかなり使い方を応用させているが、本来の役割は、敵魔術師の超火力を防ぐことにある。

 魔術で構築した物質であるが故に、蓄積ダメージによる限界が来るのは早いが、単純な硬度で言えばそこらの武器を大きく上回っているはずだ。

 それをここまで容易く焼き切るというのは、少々現実的ではない。

 シャルナほど圧倒的な火力ならばともかく、ロウリは先のシグレに彼女ほどの圧倒的な火力は感じなかった。

 だとするならば、彼の使う火の正体は――――


「……解呪?」


 解呪の魔術。

 教会の魔術としてはそれなりにメジャーな代物。

 シグレは敬虔な信徒。彼の扱う魔術も教会由来のものである可能性が高い。

 あの橙色の火が解呪の性質を孕んでいたとしても不思議は無いだろう。

 それならば、ロウリの武器が容易く壊されたことにも説明がつく。呪術の術式を組み込んだ鋼鉄魔術は、解呪の影響を受ければ大幅に弱体化するだろう。


「こっからどうすんの? アンタでもあいつと斬り合いは無理っぽいのよね?」


 空中に跳び上がったアズとロウリ。

 しかし、シグレがこのまま逃亡を許してくれるわけもなし。恐らく、着地の瞬間を狙って来るだろう。

 残された時間は多くない。会話する余裕のある内に、ある程度の戦闘方針を固めたいというのがアズの本心だった。


「いや、方針は変えなくて良い。私が前に出て、アズがワイヤーでサポート。この形で仕留め切ろう」

「マジで言ってんの? さっきやられかけてたでしょ?」

「でも、アズが助けてくれた。今度もお願い」


 ロウリの言葉に、アズは一瞬だけ息を呑んだ。

 ロウリとしては特に変なことを言ったつもりは無い。

 元々選抜騎士だったロウリにとっては、味方との連携など当たり前。味方がサポートしてくれることを信じて、敵の懐へ飛び込んでいくことなど珍しくもなかった。

 ただ、それがアズにとっては初めてのことだったというだけ。

 個の強さこそが至上とされるアルカナンでは、ドゥミゼルが全体を俯瞰して指示を出すことはあっても、連携し合って戦うなどということはあり得ない。

 故に、アズにとっては初めて。

 初めて、誰かに背中を預けられるという経験だった。


「……ロウリ」

「何?」

「えっと、その……悪かったわ。初めて会った時、突っかかっちゃって」


 急にしおらしい謝罪を口にしたアズに、ロウリは目を丸くする。

 というか、あまりに急なキャラの変わりように少し引いていた。

 さっきまでクソ神父という言葉を連呼していたとは思えない。


「どうしたの、急に? 別に気にしてないけど……」

「あーもう! なんでもないわよ! ほら! 着地!」


 建造物に引っかけたワイヤーを上手く手繰り、減速しながら着地に備えるアズ。

 ロウリは既に粉砕寸前の片手剣を投げ捨てながら、眼下の景色を一望する。

 二人が飛び移った先は、民家の密集した地帯。入り組んだ地形を着地点として見据えながらも、ロウリは後方のシグレにも注意を払う。

 積極的に追って来る気配は無い。

 元の場所に立ったまま、鞘に戻した刀の柄をじっと握っている。

 居合の姿勢。目を瞑り集中力を高めたシグレは、ただ黙して待っている。

 そして、アズとロウリが着地した瞬間――――


「焼き払え、リバティリス」


 燃ゆる刀を抜き放つ。

 美しい一閃と共に放つは、橙色の輝く焔の渦。

 螺旋を描く焔は軌道にあった家屋を灰に変えながら、ロウリとアズの下へと迫る。

 障害物も距離も関係無いと言わんばかりの、超高火力かつ広範囲の一撃。

 迫り来る橙色の渦を前に、ロウリは一本の槍を構築した。


(解呪とはつまり呪いの中和。――――だったら、中和し切れないくらい強力な呪いを。相殺し切れないほど濃縮された悪意を)


 槍を振りかぶるロウリ。

 それは彼女が平時に構築するそれよりも鮮やかな赤を帯び、いつもよりもどす黒い黒に染まる。

 よりおぞましい赤黒さを纏った槍は、ロウリの渾身の一投によって放たれる。

 これでもかと呪術を凝縮された槍は、橙色の聖火を突き破り、むしろその呪いによって聖なる火を減衰させながら、神父の下へと飛来する。


「……っ!」


 到来した槍をシグレの刀が弾く。

 重い一撃に彼の腕が痺れる。

 投げた距離が長かっただけに決定打になり得なかったロウリの投げ槍だが、シグレにその脅威度を知らしめるには十分だった。


(聖火を突き破るほどに濃い呪い。ここに来て呪術の出力を上げてきた。……皮肉なものですね、ローストン。貴方の娘が呪術の天才とは)


 シグレは今は亡きゴートウィスト家当主に思いを馳せつつ、アズとロウリを追うように走り出す。

 遮る物は無い。遮蔽となる物は全て、先の焔で消し飛ばしたばかり。

 直線距離を駆け抜けるシグレに対して、ロウリは武器を再生成する。


(もっと濃く、もっと強く、私が持てるありったけの呪術を――――)


 ロウリはさらに呪術の出力を向上。

 構築した剣は以前よりもさらに濃い黒紅に染まり、異常な密度で凝縮された呪いが、赤黒い魔力となって漏れ出す。

 漏出された魔力は目視できるほどに凝縮された呪いの結晶。赤黒い焔を思わせる魔力は、ゆらゆらと揺蕩うように刀身を覆う。

 剣の形状もロウリの悪意と殺意に呼応するように、歪ながらも敵を斬り殺すことに特化した形に変化していた。


「うん、良い感じ」


 右手に収まった剣を構え、ロウリは満足そうに笑う。

 それは、ロウリが辿り着いた終着点の一つ。

 限界まで呪いを凝縮した、絶殺の刃である。


「これなら、殺せそう」


 酷薄な笑みを浮かべて、悪意と呪いを剣に込める死神。

 捧げた祈りを代償に、聖火を刀に宿す神父。

 これ以上無いほどの正邪が激突しようとしていた。

頼ってもらえて嬉しい。そういう気持ちは誰にでもあるものです。たとえ、ひどい悪人であっても

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