表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
4/80

第四話 魔力の使い方

 炸裂音を聞き、倉庫に駆けつけたロウリ。

 彼女が足を踏み入れた倉庫は天井が崩落し、薄闇の中に半径三メートルの光が差し込んでいた。

 その中心に男は立っている。

 無作為に散らばった瓦礫の中心、光を浴びて立つ男は正装。オールバックのヘアスタイルは、如何にも金持ちの大人といった感じだ。

 彼の前方には傷だらけの少年が一人。前述の男とは対照的に、こちらは典型的な貧民街の子供だ。

 白くくすんだ髪は碌に手入れされていないようで、無遠慮に枝を伸ばして左目を隠している。着ている服も体付きも貧相。青カビを思わせる灰緑の右目だけが、どこか異質な輝きを纏っていた。


「ここらには俺の部下が張ってたはずだが?」


 男がロウリに問いかけた。

 倉庫の周囲を部下に包囲させていたはずが、ロウリの侵入を許したことが気になるらしい。


「外で寝てる」


 ロウリの答えは非常にシンプル。

 全員気絶させたというだけ。

 ソルノットに配属されている騎士の中でも、ロウリは上位の実力者。有象無象を蹴散らすのは容易かった。


「そうか」


 男は小さく呟く。

 懐から葉巻を取り出して口に咥える所作には、一種の余裕すら感じられる。

 部下を全滅させられたとは思えない落ち着きぶりで、男は佇んでいた。

 右手の人差し指を咥えた葉巻の先端に当て、ジュっと音を立てて火を点ける。


(指で火を点けた。火属性の魔術。慣れてるな)


 男が披露したのは指先に火花を散らす程度の初級魔術。決して習得の難しい魔術ではない。

 それでも、葉巻に火を点けるといった日常生活の動作にまで魔術を使っているのは、それだけ魔術に身体が馴染んでいるという証拠。生活にまで魔術が入り込んだ生粋の魔術師だ。


「大の大人が何人も揃って、たかだか娘一人にしてやられるか。こんな屈辱はあったもんじゃないな」


 葉巻を左手に持ち替え、男が吐き出した白い煙。

 煙は古びた倉庫の中に揺らめき、不定形の白となって立ち昇る。

 微かに焦げ臭いその煙を吐き終えた、次の瞬間――――


「俺が落とし前、つけてやんねぇと」


 空気の爆ぜるような爆音が響いた。

 男が無詠唱で放った炎の魔術は、連鎖する爆炎となってロウリに襲いかかる。

 灼熱と爆風は広い倉庫内を埋め尽くし、回避するスペースはどこにも無い。

 あえて倉庫の壁を破壊しないように威力を調節された爆炎は、炎に呑まれたロウリに逃走経路を与えない。

 まさに不可避の一撃。


「熱っつ」


 猛火の中、少女は無表情で佇む。

 鋼鉄魔術で鉄壁を展開したロウリは、男の爆炎を防いでいた。

 鈍い鉄色の壁を貫通する熱気。ロウリは鬱陶しげに息を吐いた。


(威力はそこそこ。恐れるべきは範囲の広さ。狭い倉庫内じゃ回避は無理っぽい。毎回壁で受けるしかなさそう。結構腕の良い魔術師かも)


 肌をジリジリと照らす高温に溜息を吐きつつ、ロウリは男の魔術を分析する。

 姿勢は相変わらずの直立。近接戦闘の線は頭から消え、魔術の撃ち合いを考えていることが丸分かりの立ち姿だ。

 爆炎で塞がれた視界。その虚を突くように回り込んだ男が、ロウリのすぐ背後で拳を振りかぶっていた。


「……うわ」


 炎の中を突っ切るようにして現れた男。

 その手に嵌められているのは、金属製のグローブ。手を隈なく覆うそれは、甲冑に付属した籠手のようにも見える。

 男が拳で狙う横っ面。ロウリは両腕で咄嗟にガードしたものの、パンチの威力で弾き飛ばされた。

 激しく地面を転がるロウリ。左腕に痺れを感じつつも、受け身を取って起き上がる。

 ロウリが体勢を立て直すのを許すまいと、男は素早いステップで距離を詰めて来た。


「俺が魔術師だと思ったか?」


 ロウリへの距離を詰めた男は、連続で拳を繰り出す。

 今度は上手く躱すロウリだが、回避の度にバックステップを踏んでいるせいで、少しずつ壁際に追い詰められていく。

 男が放つテンポの速い攻撃のせいで、ロウリは魔術のために魔力を練る余裕が無い。

 反撃に移れない。


(もう避けるスペースが……)


 ついに壁際まで完全に追い詰められたロウリ。

 咄嗟に顔面のガードを試みるが、男はそのモーションを読み切り、彼女の脇腹に拳を叩き込んだ。

 金属のグローブがロウリの腹に食い込む。

 金属が横腹の肉を抉る感触に苛まれながら、ロウリは側方へと大きく吹っ飛ばされた。


「魔術はあくまでサブウェポン。俺の武器はこいつだ」


 ロウリを殴り飛ばした男は、確かな手応えに拳を握る。

 その視線の先では、腹から血を流したロウリが、その傷を庇うようにして立っていた。

 明らかな優勢。男の意識が一瞬だけ緩む。


「そうなんだ」


 その一瞬の隙をついて、ロウリは魔術を発動。

 それは鋼鉄魔術の基礎。ゴートウィスト家でロウリが一番最初に学んだ魔術。

 鋼鉄を素材とした物質の構築。

 ロウリの右手には鋼鉄の剣が収まっていた。


「奇遇だね。私の武器もこれ」


 大振りの剣を片手で構え、ロウリは男と向かい合う。

 そのどこか危うさすら感じる出で立ちに、男は緩んでいた意識を締め直す。

 しなやかに垂れた黒い髪。僅かな赤を帯びた垂幕の前に、一本の刃が構えられる。

 それは彼岸花のような美しさを纏っていた。


「なるほど、近接対応型の魔術師ってわけか」


 剣を構えたロウリに対し、男は軽口じみた言葉を吐く。

 その声が倉庫内に反響した次の瞬間、男はロウリの間合いへと踏み込んでいた。

 大地が爆ぜたと錯覚するような力強い踏み込み。そこから放たれる拳も、相応の威力を以てロウリに襲いかかる。

 しかして、一閃。

 ロウリが振り抜いた剣の一撃は、男の拳を打ち返した。

 金属と鋼鉄がぶつかり合い、キィンと澄んだ音を立てる。


「試してみろ。どこまで対応できるか」


 降り注ぐ拳の雨。ロウリはその一切を剣で弾き返していく。

 連続で鳴り響く金属音の連なりは、演奏者が狂ったピアノのようだった。

 不協和音を奏でながら、ロウリは男と斬り結ぶ。

 一見して戦況は五分。互角の戦いが繰り広げられているように、傍目には思える。

 事実、倉庫端で戦いを観察していた青カビの瞳をした少年には、そう感じられていた。

 それが間違いだと悟ったのは、ロウリの剣が男の拳によって砕かれた瞬間。


「あっ……」


 少年は思わず声を漏らす。

 男の拳と絶えずぶつかり合っていた鋼鉄の剣が、戦闘の衝撃で粉砕したのだ。

 突然の武器破壊。

 またとない好機を見出した男は、一気にロウリへの間合いを詰め、打ち込む拳で勝負を決めにかかる。

 そこに合わせられたロウリのカウンター。

 男が踏み込むタイミングに合わせて、ロウリ自身も男の方へと踏み込み、懐に潜り込んだ。

 至近距離から放たれる肘撃ち。ロウリが低姿勢から打ち込んだ一撃は、男の胸板へと直撃した。


(重い。これ、ただの肘撃ちか……?)


 少女の体躯から放たれたとは思えない重撃に、男は大きくノックバックさせられる。

 不自然な攻撃の重みを訝しむ男だが、その答えは前方に立つ少女の姿が示していた。


「なるほどな」


 肘撃ちの際に、破けた服の袖。

 露わになったロウリの右肘には、鋼鉄の装甲が装着されていた。


(剣の構築と同時に、右肘の装甲も作っていたのか。装甲の構築は袖で隠し、不意打ちの機会を狙っていた。その上で『私の武器もこれ』か。見た目より戦い慣れているな)


 剣が砕かれることを予期した先見の明。その対策として武器を袖で隠す戦略性。それを悟られないために台詞での思考誘導。

 ロウリの戦闘経験とセンスがなせる技だった。

 肘撃ちで男を怯ませたロウリには、再び魔術を使う機会が与えられる。


(それでも、戦況は断然こっちだ。精錬と鍛造の工程を経て作られた俺のグローブと魔術で構築された即席の剣。武器としての性能は段違い。打ち合えば、必ず先に向こうが砕ける。もう一度剣を作った所で勝負は見えている。魔術師本来の決定力を捨てた戦い方をした時点で、こいつに勝ち目は無い)


 それは一瞬の葛藤。

 男の戦術的思考はほとんど正しく、ロウリも男が肘撃ちのダメージから戦闘に復帰するまでの刹那で、同じ結論に至っていた。

 魔術師本来の強みは、爆発的な火力。

 かつて、無詠唱魔術が確立されていなかった時代、詠唱という大きな隙を晒すにも関わらず、その決定的な火力から魔術師は重宝されていた。

 無詠唱魔術を使えたとしても、魔力を練り上げる際の隙は消せない。

 魔力を練る余裕の無い、ハイテンポかつコンパクトな戦闘に入った時点で、ロウリは圧倒的な不利を背負わされている。


(どうしよ。決定打無い。もっかい剣作っても、さっきの焼き直しだし)


 欠けているのは決定打。

 ジリ貧で押される状況を引っくり返す、反撃の一撃。


(また隠し武器作る? なんか、対応されそう。一回見せちゃったわけだし。どうしよう。なんか、魔術撃たないと)


 死の淵、絶体絶命の逆境にも関わらず、ロウリの心はどこか冷めていた。

 十八年間、延々と繰り返してきた、修練と実戦の輪廻。練習しては実践し、実践しては練習する。

 ゴートウィスト家当主として、その名に恥じぬ実力と実績。

 教本通りの鋼鉄魔術を極めることで、ロウリは周囲からの期待に応え続けてきた。

 そんな、ぬるま湯で溺れるような苦しみを、牢獄の中で石を積むような苦行を、延々と続けてきたのだ。


(魔術、を――――)


 ゴートウィストらしい、ゴートウィストの鋼鉄魔術。

 最大の売りは鋼鉄の防御力。武器の構築によって近接戦にも対応できる上に、攻撃力もある程度備わっている。

 使い勝手が良く、お利口で行儀の良い万能な魔術。


 ――――良いか? 鋼鉄魔術は守るための魔術。人々の盾となるための力だ。悪戯に人を傷付けるためのものではない


 ロウリの脳内で父の言葉が蘇る。


 ――――ゴートウィストに受け継がれたこの魔術は、代々民を守るために使われてきた。ただの攻撃の道具ではないと知れ


 御伽噺の主人公が言ったなら、感動間違い無しの素敵な台詞。

 どこまでも正しいゴートウィストは、使う魔術でさえも善性に満ちているらしい。


 ――――決して人を呪うための力ではない!


「――――うるさ」


 一瞬の葛藤の末、ロウリが構築したのは一本の棍棒。

 赤黒い金属で構成されたそれは、ロウリの細身には似合わない巨躯であった。

 長い柄の先に装着されているのは、棘の付いた直方体。対象を抉り取ることに特化した形状をしている。

 ロウリは赤黒い棍棒を軽々と取り回し、異質な構えを取って見せる。


(なんだ? 武器が変わった? 色も違う。材質が違うのか?)


 突如として赤黒い棍棒を創出したロウリに、男は困惑する。

 ここまでの戦闘でロウリが見せた合理的な戦略性。それが微塵も感じられない。

 材質の変更は良いとして、武器の種類まで変えるのは意味が分からない。使い慣れた剣で戦う方が良いに決まっているというのに。


「なんだ。来ないの?」


 思考のために止まった動き。

 ロウリの非合理な動きに困惑した男は、無意識に様子見をしていた。


「じゃあ、こっちから行くけど」


 次の瞬間、男が見たのは眼前に迫った棍棒。

 棘の付いた赤黒い塊が、すぐ目の前にまで肉薄している。


「――――っ!」


 咄嗟に飛び退いて距離を取った男。

 棍棒の棘が男の頬を掠め、僅かに血が飛び散った。


(巧い。棍棒の扱いも剣と遜色無い……という以上に、さっきとは様子が違う。どこか、タガが外れたような……)


 剣術と比べても劣らない、ロウリに棍棒捌き。

 次々と棍棒の一撃を繰り出すロウリに、男は距離を取りながら回避に徹する。

 だが、それ以上に男を緊迫させたのは、ロウリの動きが先刻とはまるで性質を変えていたからだ。

 模範的で洗練されていた剣術に比べ、棍棒の振り方は荒々しく独創的。男に次の手を読ませない。


(なんだ、こいつ……? さっきとはまるで別人――――)


 思索に耽る男の隙を突き、ロウリは棍棒を投擲。

 突如として投げられた赤黒い鋼鉄に、男の回避は間に合わない。腕をクロスさせて防御を試みる。

 前腕を貫く激痛と衝撃。あまりに苛烈な一撃に、男は血を吐いた。


(重ッ……! だが武器を捨てた。再び距離を詰め――――)


 武器を投げたロウリの隙を狩ろうと、足を前に出した男。

 疾走に向けた第一歩の踏み込みを行った時点で、悟る。

 もう、間に合わないと。


(作り終えている……?)


 ロウリは男が棍棒の投擲をガードする一瞬の間に、次の得物の構築を終えていた。

 それは奇妙な形状をした武器。赤黒い鋼鉄で構成されたのは、一見して鞭のように見える。

 蛇腹の刃が幾重にも連なったような形の鞭。その刃渡りは十二メートルにも及ぶ。

 広範囲を切り裂くために作られた殺意の結晶は、ジャラジャラと不気味な金属音を建てていた。


(おかしい。明らかに早すぎる。魔術の発動速度がさっきとは段違いだ)


 前に踏み込み、前傾姿勢になった男。

 踏み込んでくる男を迎撃するように、ロウリは蛇腹の鞭を一閃する。

 倉庫内を裂いた十二メートルの斬撃。地面を転がって回避した男だが、ロウリはすぐさま返す刃で追撃する。

 振り回される赤黒い鞭。

 荒れ狂う蛇腹は倉庫内を暴れ回り、壁や床に引っ搔き傷を残していく。

 超リーチの斬撃を掻い潜りながら、男は倉庫内を駆け回る。襲い来る鞭をほとんど完全に回避する身のこなしは見事と言う他無い。


「良いの?」


 ロウリが問いかけた。


「そんなに動き回って」

「は?」


 男がロウリの言わんとする意味を理解するのに費やした時間は、実に一秒間。

 床にばら撒かれた大量の血液に気付くまでの一秒間であった。


(なんだ? この血の量、まさか俺の……?)


 ロウリが棍棒の投擲を命中させた時点で、勝負はほとんど決していた。

 男の両腕から溢れる、夥しいまでの流血。床に描かれた広域の赤が、その量が如何に致命的かを語っていた。


(何故だ? まともに受けたのは棍棒の投擲一度きり。それも魔力で強化した両腕で受けた。威力を見間違えたはずは無い。どうしてここまでの出血量になる? まさか――――)


 それは大陸で最も汚らわしい魔力の運用法。

 悪辣で残虐で最低な技術。

 誰かを苦しめるための技であり、誰かを貶めるための術であり、誰かを呪うためだけに使われる禁忌。


「お前、呪術を……!」


 貧血で霞む思考の中、男は答えに辿り着く。

 赤黒い鋼鉄は呪術の産物。鋼鉄魔術に人を呪うための術式を混ぜ込んだ結果。

 効果としては至ってシンプル。とりわけ、呪術の中ではメジャーなもの。

 傷の悪化。ロウリの呪術によって付けられた傷は、決して自然に癒えることなく、放置しているだけで急速に悪化していく。

 男がロウリの術に気付いた時には、掠り傷だったはずの両腕は、壊死寸前の有様となっていた。


「正解」


 両腕をだらりと下げた男の前で、ロウリは不敵に呟く。

 未だ男の両腕から出血は止まっていない。放っておけば失血死するだろう。

 どんどんと血の抜けていく男。青ざめていく顔色が、彼の危篤状態を雄弁に物語っていた。

 やがて男は直立も維持できなくなり、倉庫の床に両膝をついた。


「くっ……そ、がァ……!」


 極度の貧血だと言うのに、男の戦意は消える気配が無い。

 本来ならとっくに意識を失っているはずの出血量にも関わらず、両の目を見開いてロウリを睨みつけている。


「もう寝てなよ」


 結末は案外呆気ないもの。

 ロウリが軽く放った鉄塊の一欠片が、男の額を捉える。

 コツンと小気味良く鳴った音を最後に、男はとうとう床に倒れた。


戦闘中のロウリって妙に落ち着いてますよね。ロウリ的には結構リラックスできる時間なのかも

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ