第三十九話 分の悪い賭け
スウェードバークの荒野、数多の馬車が荒れ地を進んでいる。
乾いた大地を叩く馬の蹄。車輪がガタガタと音を立てて回り、凹凸を乗り越える度にガタンと一際大きな音と振動をもたらす。
馬車の大行進は大軍の出征のようでもあり、大量の受刑者を輸送しているようでもある。
ロウリ達はスウェードバーク刑務所に収監されていた罪人を引き連れて、ソルノット南東部へと向かっていた。
先頭を走る馬車の中、ロウリは窓から外を見渡す。
「意外と、逃げたりしないんだなぁ……」
大量の馬車が一斉に走る景色は壮観だが、中に入ってるのは軒並み犯罪者だ。
御者台で馬を操っているのも、囚人の中で心得のある者にやらせている。
頭のイカれた犯罪者のことだから、馬車を使って逃げようとする者がいるのではないかと考えたロウリだったが、意外にもそういった者はいなかった。
「逃げられるわけないだろ。……監獄にぶち込まれるようなヤツならよく分かってるはずだ。アルカナンに逆らうってことが何を意味するのか」
「うん……無理だよ。逆らったら殺される。逃げる勇気なんてあるはず無い」
ロウリの呟きに答えたのはツウィグとルーア。
監獄落としの際に重傷を負った彼だったが、ルーアの治癒魔術で大体回復したらしい。
法に逆らい、秩序に逆らい、正義に逆らった彼らも、アルカナンという強大な悪には逆らえない。
何とも、皮肉な話だ。
「ま、逃げた馬車はこっから蒼炎撃って破壊するけどな」
シャルナはあっけらかんと言い放つ。
実際問題、馬車の足だけでシャルナから逃げ切るのは至難の技だろう。
逃げようとしたところで、爆風で空を飛ぶシャルナに上空から爆撃されるのがオチだ。
「……有象無象でも、あまり数は減らしたくない。……ここからは、全面戦争だから……」
レイが馬車の端っこでボソボソと喋っている。
一度はドゥミゼルへの報告に向かった彼だが、どうやらもう一度こちらに戻って来たらしい。
広いスウェードバークの荒野を簡単に横断できる彼は、アルカナンでも重宝する人材だろう。
「だぁえあ、……ってんだろ、ああぁ――――」
ヘイズは馬車の床に寝転がって、何やら意味不明なことを言っている。
ヘイズと会って間も無いロウリだが、この老人の言うことはまともに聞かなくて良いということを理解し始めていた。
どうせ、何言っているか分からないのだから。
「全面戦争?」
ロウリはヘイズのうわ言を無視し、レイの言葉に興味を示した。
「そーそー。こっから騎士団とか教会とか全部ぶっ潰して、ソルノットを完全に支配するんだってさ。ボスがずっと考えてた作戦らしいぜ」
シャルナの言葉について、ロウリは少し考える。
ソルノットの完全支配。そのために、南東部へと侵略戦争を仕掛けるというわけだ。
スウェードバーク刑務所の囚人を解放したのも、そのための戦力を補充するため。
北西部を実質的に支配しているアルカナンであれば、ゴートウィスト率いる南東部勢力に勝利することも――――
「無理じゃない?」
可能などと、考える馬鹿がどこにいるのだろう。
アルカナンがどれだけ強大と言えども、一犯罪組織であることには変わり無い。
構成員のほとんどはただのチンピラ。訓練を積んだ騎士とは、兵としての質が違いすぎる。
アルカナンが強力と言われているのは、自然発生した犯罪組織という枠組みの中での話だ。
騎士団という組織、教会という大勢力、さらにエルグラン連邦という国家とは、比べることすらおこがましい。
「……正直、俺もそう思う……」
「まーまー、そう言うなって。何も無策で挑もうってんじゃねーよ。ボスからも色々聞いてっからさ」
ソルノット南東部への侵略戦争。
明らかな無理難題だが、シャルナは勝機があると言う。
どう考えても現実的な話ではないのに、彼女が言うと「ありえるのでは?」と思えるのだから不思議だ。
「まず、作戦の第一段階として――――」
***
「作戦の第一段階として、狂人病のウィルスを南東部にばら撒く」
アルカナンのアジトにて、ドゥミゼルが言った。
彼女の前に集まったのは、シャルナ、レイ、ヘイズを除いたアルカナン中枢メンバー。
アジト二階の広間に集まった彼らだが、ボスの前にも関わらず、緊張した様子は見られない。
それぞれ自然体で、適当な所に腰掛けている。それを椅子に座って見渡すドゥミゼルも、特に気にした様子は無い。
「侵略戦争で最大の障壁となるのは医療班だ。まずは狂人病患者で病床を圧迫して、ついでに医療班スタッフの心も削る。病を蒐集する呪術があってね。狂人病は昔から目を付けてたんだ。感染力の低い狂人病でも、私の呪術で人為的に広めれば問題無い」
ドゥミゼルが今回の作戦に狂人病を選んだのには、いくつかの理由がある。
一つは完治までの期間。長く病床を占領する狂人病患者は、医療班への大きな負担となるだろう。
二つは患者の凶暴化という症状。医療スタッフの精神に圧をかけるには持って来いの症状だ。
三つは感染力の低さ。収集のつかないパンデミックになっては、ソルノットを完全に支配した後に面倒だ。
そして、最後に――――
「それと狂人病は北西部の人間にもある程度感染させておいた。ちょっとした実験でね、精神性の変化によって呪術を習得することがあるんだ。呪術師として覚醒したのが結構いるよ。そいつらを戦力として使う。実験の過程で思考能力がほとんど消えてしまったが……まあ、元から似たようなもんだろ」
呪術師への覚醒を促す場合があること。
呪術は悪人の使う技術。ならば、その精神を凶暴化させれば、自ずと呪術を習得するのではないか。
そういった発想の下にドゥミゼルが行った実験だが、それなりの成果を得ていた。
覚醒した呪術師は思考能力が極度に鈍化してしまったが、捨て駒に脳味噌は要らないというのがドゥミゼルの考えだ。
「アルカナンの構成員は全員突撃させる。監獄落としの方でも人数は補えるし、呪術を覚えたヤツらも加えれば、それなりの戦力になるだろう」
「それなりの戦力ですか。連邦騎士団を落とすには、些か不足ではありませんか?」
ドゥミゼルの論に異を唱えたのはゾウ。
象の被り物をした男は、冷静かつ丁寧な口調で指摘する。
「ああ、お前の言う通りだよ。ゾウ。騎士団ってのは戦闘のプロだ。組織としての完成度が、私達アウトローとは全くもって違う。――――だから、お前達が必要なんだ」
戦力としては大幅な不利を負っていると認めた上で、ドゥミゼルはさらに作戦の説明を続ける。
「南東部っていうのは不思議な場所でね、騎士団や教会の執行者は戦場に出て来るが、他のヤツらは決まって後方に引っ込んでいるんだ。民間人は戦わせない。それがあいつらの基本方針。生活に染みついた常識だ。私達は違う。民間人だの戦闘職だのといった線引きは無い。子供から大人まで、全員に武器を持たせて突撃させる。逃げ出すヤツ、戦えないヤツ、使えないヤツ。そういうのばっかりだろうが、それで良いんだ。敵が攻めて来ている。それだけで、ヤツらは対応せざるを得ない。民間人ってのは、素人が振り回した酒瓶でも死ぬんだからな」
戦力の質では圧倒的に劣っている。
だが、民間人だろうと子供だろうと戦場に狩り出すことで、量では遥かに上回る。
それが北西部での常識だ。普通の国であれば到底受け入れられないやり方だろうが、ソルノット自治領北西部ではそれが罷り通る。
ここでは、誰もが暴力に慣れている。殺すことも、殺されることも日常なのだから。
戦場に放り込まれようと、日常の延長線上なのだ。
「同時に多数の箇所を襲撃させる。向こうが薄く広く割いた戦力を、お前達という強力な個で各個撃破していく。それが今回の作戦だ」
「理屈は分かるが……ちと雑な作戦じゃねぇか? 向こうのが戦力の質が高いって問題はクリアできてねぇだろ。そう上手くいくもんか?」
再びドゥミゼルの作戦に疑念を呈したのはジャム・ジャミング。
ドレッドヘアの頭を掻きながら、彼は胡乱な目でドゥミゼルを見据えた。
これにはアズ・リシュルも同意見のようで、彼女も「マジでやんの?」みたいな目でドゥミゼルを見ている。
「連邦騎士団の戦力は質が高いと言ってもね、それは組織として見た場合の話だ。徹底した縦社会、上官の命令は絶対という環境の中で、組織の歯車として作戦行動を行える。そういう群としての強みはあっても、個人の戦闘能力はそこまで高くない。偉いヤツの言うことをみんなで聞く。偉いヤツの言う通りに役割分担して、みんなで勝つ。それが連邦騎士団だ。偉いヤツが死んで、自分だけの力でどうにかしなきゃいけないって状況になれば、騎士団は呆気なく崩れると思うよ」
命令系統の破壊。
ドゥミゼルが語った作戦の根幹はそこにある。
相手の戦力を広範囲に広げさせてから、強力な個人戦力で命令を出している指揮官を殺していく。
そうすれば、騎士団は命令系統を失って弱体化する。
言うは易し。行うのは難しいだなんてレベルの話ではない。
「偉いヤツの次に偉いヤツが、また指揮を執り始めるだけなんじゃないの?」
「だったら、そいつも殺せば良いさ。想像してみてくれ。あいつとこいつとそいつが死んだ時は、お前が指揮を執るんだ。なんて言われて、本当に自分が指揮を執ることになるだなんて思うか? ただでさえ、前例の無い武力衝突だ。二度か三度指揮官を殺せば、すぐに命令系統はぐだぐだになるさ」
命令系統の引き継ぎ程度、騎士団の方も準備している。
そこを指摘したアズだったが、それ含めて想定内だとドゥミゼルは返す。
「分の悪い賭けだと思いますよ」
ここまでの話を総括して、ゾウが告げる。
分の悪い賭け。
ここにいる誰もが思っていることだ。
連邦騎士団も、教会の執行者も、本来は犯罪者が寄り集まって勝てるものではない。
それを引っくり返してしまおうと言うのだから、雲を掴むような話だ。
「ああ、ワクワクするだろ?」
だからこそ、楽しんじゃないかと言わんばかりに。
ドゥミゼルは無邪気に笑って見せる。
ここにいる者、それぞれに色々な事情がある。
生まれながらに悪だった者、悪にしかなり得なかった者、悪であることを望んだ者、悪以外に居場所を持たなかった者。
それぞれに様々な背景があれど、一つ共通していることがある。
皆、ドゥミゼルのカリスマに魅せられて、ここにいるのだ。
凡人には想像もできないようなスケールの大きい悪事を「やってやろう」と笑える彼女だから、彼らは彼女をボスと呼ぶのだ。
「捕虜の扱いは?」
ふと、口を開いたのはマルク・メイル。
虚ろな目をした小太りの中年男性。
一見して平凡そうな見た目の男だが、唯一ドゥミゼルの計画に言葉を挟まなかった男でもある。
むしろ、興味があるのは、最後のこの質問だけだと言わんばかりに。
「もちろん。生かすも殺すも好きにして良い。お前達が無力化した敵及び敵市民をどう扱おうと、私が口を挟むことはないと誓おう」
ドゥミゼルの言葉を聞き、マルクはニヤリと笑う。
ニィっと口角を上げた彼の笑顔は、生理的な嫌悪感を催すほど邪悪なものだった。
彼の性質を知っているアルカナン中枢メンバーにとっては、よりおぞましく感じられたことだろう。
特にアズは汚物でも見るような視線を向けていた。
「では、最後に一つだけ訊かせて下さい。ソルノット自治領を完全支配するまでの作戦は良いとして、その後――――」
***
「その後、エルグラン本土から援軍が来たらどうするの? いくら遠方の自治領といっても、そこまで派手にやって黙ってるとは思えないけど」
馬車の中、ロウリが投げたのは当然の疑問。
ソルノット自治領は実質的にゴートウィスト統治下の独立国家のような様相を呈してはいるが、エルグラン連邦の領地ではある。
そこが犯罪組織に支配されたとあっては、エルグラン連邦も黙ってはいまい。
三大大国の一つに数えられるエルグラン連邦を相手に、アルカナンが抵抗できるとは思えない。
「そこはアレだろ。竜の寝床があるからな。ボスはそこを起こす算段も整えてるってよ」
「竜の寝床?」
シャルナが出した単語に、ロウリは首を傾げる。
しかし、シャルナもまた首を傾げていた。
むしろ、ロウリがその単語を知らないということに驚いているようだった。
「もしかして……知らねーのか? ロウリ、お前ゴートウィストの次期当主だったんじゃ――――」
「ちょっと、作戦会議してる場合じゃないかも……」
自信無さげに、レイが話を遮る。
馬車の隅の方に座る彼の方に視線が集まる。
「窓の外……」
レイの言葉に従い、ロウリは窓を開けて身を乗り出す。
上体をほとんど窓の外に出して、前方を確認したロウリ。
その灰色の瞳に映っていたのは、小規模な騎馬隊。十数名程度の騎士が馬に乗って駆けている。
先頭を走る赤髪の騎士は、ロウリにも見覚えがある人物だった。
「来たよ。連邦騎士団」
アルカナンによるソルノット南東部侵略戦争。
その最初の戦いが始まろうとしていた。
ドゥミゼル・ディザスティア。逆境は適度に楽しむタイプ。




