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君の不在証明  作者: 讀茸
第三章 侵略戦争

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第三十八話 狂人病

 リュセル達が診察のために訪れたのは、騎士団団長の執務室。

 そこで彼らを待っていたのは、椅子に腰かけた幼女だった。


「団、長……?」


 ビョルンが思わず言葉を漏らす。

 連邦騎士団ソルノット支部団長ともあろう人物が、十代前半にしか見えない子供だったのだ。驚くのも無理は無い。


「えっと、それは、エルフ的な……?」

「ああ、いや。私の種族は純粋な人間だよ。御年十一歳だ。人生経験で言えば、君達の方が先輩になるかな」


 長命種の可能性を疑ったベアトリーナだったが、それはアトリ本人の口によって否定される。

 アトリ・トーネリウム。連邦騎士団ソルノット支部団長にして、十一歳の子供。種族も普通の人間。

 ただシンプルに、生まれてからたった十一年で騎士団の団長にまで上り詰めたというだけの傑物だ。


「こっちが年下だ。タメ口で構わないよ。気安く、アトリちゃんと呼んでくれ」

「えっ、いや、そういうわけには……」

「ははっ、冗談だ。いやまあ、本当に気安く接してくれても良いんだが……大人っていうのはどいつもこいつも堅物でね、本当にタメ口をきいてきたのはユザくらいだよ。あいつもアトリちゃんとは呼んでくれないしな」


 ベアトリーナとビョルンはポカンとして固まっている。

 リュセルもアトリと初めて会った時は同じ反応をした。

 団長が十一歳の子供というインパクトもあるが、幼い容姿と老獪な語り口調のギャップが凄い。

 あどけなさの残る少し舌足らずな声音で、ベテランの上官みたいなことを言うのだから、目を見開かずにはいられない。


「おっと失礼。今日は診察だったな。といっても、簡単な経過観察だ。一応かかりつけ医みたいなのが医療班にいるんだが、そいつが忙しいと言うのでね」

「はい、リオット師から聞いています。瞳孔のチェックから始めさせていただきますね」


 呆気に取られていた二人だが、リュセルが動き出したのを目にして、彼らも診察の準備に取り掛かる。

 医療バッグから機器を取り出し、テキパキと診察を進めていく。

 瞳孔のチェックから始まり、簡単な聴覚検査。舌の観察等の少し変わった検査を行い、最後には日常生活に異変が無いかのカウンセリングが行われた。

 診察のメインを担ったのがリュセルで、ベアトリーナとビョルンはその補助。

 そういった診察形式を取ったこともあり、診察の内容を完全に理解しているのはリュセル一人だった。

 十八歳で医療班に抜擢されるほどのベアトリーナとビョルンだったが、リュセルの診察に関しては、全く見当が付かない。


「……はい、こんなものですね。特に異常は無いと思います。念のため、リオット師にも早めに診察してもらえるよう頼んでおきますね。何せ、不明瞭な点の多い症例ですから――――」

「ああ、助かるよ。だがまあ……どうだろうな。医療班の現状を鑑みるに、私のこれに気を払っている余裕は無いだろう。この体質も私を助けこそすれ、害したことは無いのだしな。リオットもその辺りは分かっているだろう」

「……いつも、心配なされてますよ」

「はは、よく言う。顔を合わせれば、騎士団には怪我人が多すぎるだのなんだの、文句しか言ってこないような男だ」


 リオット師は、リュセル達にも馴染み深い人物だ。

 医療班のトップにあたる人で、医術の腕はソルノットでも随一。

 若きリュセル達を医療班に抜擢し、何かと目をかけてくれた人でもある。


「いつか治してあげたいとも」

「治って良いことなど無いさ。私がここで団長をやれているのも、この体質のおかげだ」


 リュセルは流暢にアトリと会話する。

 二人の会話内容が、ベアトリーナとビョルンにはさっぱり分からなかった。


「えっと、団長の体質というのは……」

「ああ、まだ説明していなかったな」


 恐る恐るといった感じで口を開いたビョルンに対して、アトリは快く返答する。

 リオット師は重く見ているアトリの体質であるが、アトリ本人にしては隠すようなことでもないらしい。


「過剰速度認知、とリオットのヤツは言っていたな。認識速度が速いんだ。自分だけスローモーションの世界に生きているようなイメージだな。普通の人間にとっての一秒が、私には二秒か三秒のように感じられるというわけだ。例えば……そうだな――――」


 アトリは懐からコインを取り出し、それを指で弾き上げる。

 緩やかに弾かれたコインは空中でくるくると回転しながら上昇し、今度は落ちてアトリの手の中に収まる。

 アトリが行ったのはゆっくりとした回転をかけて、コインを投げ上げるというだけの簡単な動作。


「今、コインが何回転したか分かるか?」

「いや、分かんないですけど……」


 ベアトリーナが困惑気味に答えた。

 分かるはずが無い。

 投げ上げたコインの回転数など、通常の人間の動体視力で見切れるものではない。

 戦闘職などで目を鍛えている人間にとっても、そう簡単には見切れない、というよりこんな無駄なスキルは養わないだろう。


「二十八回くらいだな。動体視力の問題じゃない。私はゆっくりと回るコインの回転数を数えただけだ」


 認知速度の上昇というのは、時の流れを鈍化させる。

 凡人にとっての一秒が、アトリにとっては二倍三倍の時間をかけて流れる。

 生まれついて過度に速い認識速度を持ったアトリは、常人よりもゆっくりとした世界を生きている。

 一見して、これは凄まじいアドバンテージだ。

 普通の人が一時間かけて読む本をアトリは三十分もかからずに読み終える。常人が一か月かけて習得する技術を半月足らずで。凡人が一年かけて超える道のりを半年以内に。

 アトリにとっての十一年が、他の人間の二十年三十年に相当するのは、彼女の異様に成熟した精神性を見ていれば自ずと理解できよう。

 肉体が十一歳のそれにも関わらず、アトリの精神はその倍以上の年月を生きている。

 それでも、リオット師はこう語る。

 私達が無条件で守られ、愛され、赦された幼少期を、彼女は一瞬で駆け抜けてしまった。誰も彼女と同じ速度では歩めない。いつか、孤独になってしまうだろう。私はそれが悲しいのだ、と。


「私の話は良い。むしろ、今問題を抱えているのは、君達医療班の方だろう?」


 アトリからの要求に、ベアトリーナとビョルンは顔を見合わせる。

 困ったような、戸惑うような、選んだ言葉を口にするのが憚れるような、そんな表情。

 リュセルは少し哀しげな顔をして俯いていた。


「……どうにかこうにか、保っています」


 リュセルが苦しげに告げる。

 事の発端は、一つの病院での出来事。

 同様の症状を訴える患者が数十名、とある病院に搬送された。

 主な症状は激しい嘔吐、下痢、腹痛。そして、精神の凶暴化。

 人が変わったように患者の人格が攻撃的になることから、狂人病と呼ばれている。

 本来感染力はほとんど無いはずの狂人病だが、現在のソルノットでは異様な速度で拡大。

 充実した医療施設の病床を圧迫するほどの数にまで膨れ上がっている。

 医療班は未曽有の事態に対して、今までにないほど多忙な状況に陥り、ほとんどの医療従事者が朝晩問わず病院内を駆け回っている。


「ベッドの数は足りてる。マンパワーは不足気味ですが、人手不足は医療班の常です。まだ、ギリギリの所で回せている。ただ…………」


 狂人病の患者は凶暴だ。

 彼らが暴れ出す度に、誰かが宥めにいかなければならない。

 耳障りな暴言を吐き散らし、倫理も常識も無く暴れる患者の相手をしなくてはならないのだ。

 しかも、狂人病の治療は手間と時間がかかる。

 適度なリハビリ的運動、一日数度に及ぶ投薬、吐瀉物と排泄物の処理。これらを完璧にこなしてなお、二か月以上の入院は必須。長ければ、年単位の治療が必要となる。

 凶暴な患者の相手を、それだけの長期間に渡って続けなければいけない。

 それはある意味、魔術の飛び交う戦場よりも質の悪い地獄だ。


「異常な狂人病の感染拡大……これの原因がまだ掴めていない。原因は分からないのに、運び込まれる患者は増え続ける。仕事量だけが倍々になっていく。……終わりが見えない。これが一生続くかもしれないと思うと、どうしても、心が……」


 少しずつ、蝕まれていく。

 組織を破綻に追い込むのに、派手な魔術も大掛かりな戦力も必要無い。

 暴れる患者の暴言が、昨日より一時間削られた睡眠が、これがずっと続くかもしれないという不安が、緩やかに彼らの心を折っていく。

 ただそれだけで、医療班というゴートウィストの根幹は静かに軋み始めていた。


「ありがとう。……君達医療班の尽力に敬意を払うよ」


 アトリが吐き出した言葉は、何かを嚙み潰したようだった。

 連邦騎士団の団長から贈られる感謝と敬意を、医療班の少年少女三人は静かに噛みしめていた。

 複雑な感情の入り混じった表情で、噛み潰していた。


     ***


 アトリの診察を終えた三人は、自分達が配属された病院へと戻っていた。

 普段は笑いの絶えない彼らだったが、その日の帰路はどうしても沈黙が多かった。

 それはアトリと交わした会話の内容が、あるいはこの街に蔓延る重苦しい空気が、彼らから談笑する余裕を奪い取っていた。

 病院内、三人は重い足取りで通路を歩く。

 それぞれの持ち場へと戻るために進める歩みは、どうにも重たい。

 病院内の照明は正しく通路を照らしているが、リュセルはここが真っ暗な廃病院に見えた。

 それほどまでに、ここの空気は荒み切っている。


「…………」


 遠く、狂人病患者の声が聞こえる。

 誰かがまた赤子のように喚き散らしていて、誰かがその対応に追われている。

 通路内、壁に背からもたれかかって座り込む女性スタッフがいた。

 十分な睡眠が取れていないのか、隈が酷く肌も荒れている。まともにセットもされていない彼女の長髪は、ややベタついてるように見えた。

 虚ろな瞳は床を見下ろして、現実を拒絶するように両耳を塞いでいる。


「アンナさん……」


 ベアトリーナが小さく彼女の名前を呼んだ。

 きっと、強く耳を塞いだ彼女には届かないほどの声量。

 やっぱり聞こえていないようで、あるいは聞こえないフリをしたのか、アンナは何の反応も見せなかった。


「なあ、リュセル、俺達……」

「やめろよ」

「俺達、いつまでこんなこと――――」

「やめろって」


 狭い通路内を反響する言葉はやまびこのよう。

 出口の無いトンネルの中で、自らの足音だけが響いているみたいだ。


 ――――君達医療班の尽力に敬意を払うよ


 誰かから向けられる敬意とか感謝とか。

 かつては綺麗に思えていたはずのものが、何かの言い訳にしか聞こえなくなってくる。

 医療班という箱の中に押し込められて、一生誰かのために働かされるための言い訳みたいに思えて、どうしても素直に受け取れない。

 誰も彼もの心が擦り減って、与えられる善意にすら疑いの目を向ける。


「ねえ、あれ、何……?」


 ベアトリーナが窓の外を指差す。

 そこに映っていた光景を見て、リュセルとビョルンの二人も息を呑む。

 遠くに見える大きな建造物。確か、ソルノットで二番目に大きいらしい病院。

 多くの患者と医療従事者を抱えているはずの建物が、大きな土埃と共に崩壊していた。

敬意だけで頑張れるほど、人間って強くないのです

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文章から辛いのは理解できるけど、共感まではいかない感じ…かな
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