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第三十七話 祈り

 ソルノット南東部には、いくらか教会が建てられている。

 ソルノット中央教会は、その中でも最も大きいものであり、ソルノット自治領における宗教の中心地だ。

 それなりに広い敷地を持つ中央協会。その中心に建てられた礼拝堂。一人の少女が祈りを捧げていた。


「…………」


 ステンドグラスを背にした女神像の前、少女は跪いて祈りを捧げる。

 硬く閉ざした瞼。握り合わせた両手。小柄な身体を修道服に身を包んだ少女は、ただ無言で祈っている。

 彼女以外に祈る者はいない。

 ただ一人、色とりどりのステンドグラスを抜ける陽光の中、無音の祈りを捧げている。

 やがて、少女は目を開ける。祈りを終えたらしい少女は、ゆっくりと立ち上がった。


「敬虔ですね。ハルリアさん」

「ひゃっ、ひゃい」


 突如、背後から聞こえた声に、少女――――ハルリアは素っ頓狂な声を上げる。

 恐る恐るといった感じで振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。

 いや、青年という表現が的確かは分からない。

 外見は二十代前半の若者といった風体だが、彼の立場は二十歳そこそこで至れるようなものではない。

 彼がソルノットとは遠く離れた異郷の人間であることも、ハルリアに年齢を類推させにくくしている。

 それでも、三十歳を超えているとは到底思えないのだが。


「いたんですね、シグレ司祭……」

「ええ。偶然立ち寄ったのですが……貴方の祈りが真剣なものですから、声をかける機会を見失ってしまいました。驚かせてしまい、申し訳ありません」


 ナナクサ・シグレ司祭。

 ソルノット中央協会の最高司祭であり、ソルノットにおける教会勢力の実質的なトップ。

 アメツチという極東の島国出身らしく、生まれも育ちもソルノットのハルリアからすれば、不思議な響きの名前をしている。

 信仰心に厚く、誰に対しても基本的には敬語。物腰穏やかな人格者であり、信徒からの信頼も厚い。

 如何にも神父らしい質素な黒服に身を包んだ彼は、無害という言葉が具現化したような優しい笑みを浮かべていた。


「時間外にもお祈りとは……ハルリアさんの敬虔さはお姉さん二人にも見習ってほしいものです。あの子達、今日のミサにも顔を出さなかったんですよ」

「すいません、身内がご迷惑を……」

「いえいえ、冗談です」


 色々と素行に問題のある姉の存在を指摘され、ハルリアは申し訳なさそうに肩を竦める。

 対するシグレは、愛も変わらず穏やかな表情を浮かべていた。

 その口調にはハルリアを責めるどころか、彼女の姉に対する怒りすら感じられない。

 本当に、心の底から、()()()()()のだ。


「しかし、根を詰めすぎも良くありませんよ。体や心を壊しては元も子も無い。貴方は少し真面目に過ぎる。お姉さんを見習え、とは言いませんが……少しは息を抜いて良いのでは?」


 真面目と言われ、ハルリアは僅かに目を伏せる。

 彼女にもその自覚はある。それこそ、姉二人に比べれば十分すぎるほど真面目に生きてきた。比較的まともな兄と比べても、勤勉さや敬虔さでは負けていないと思う。

 この十六年間、毎日の祈りを欠かしたことはない。

 でも、それはハルリアが真面目だから、敬虔な信徒だから、という話でもないと思う。


「私は、真面目……じゃないと思います」

「と、いうと?」


 ハルリアには二人の姉と一人の兄がいる。

 全員が教会の魔術の使い手であり、教会の戦力である代行者の資格を得ている。

 オークェイム・リルスニル、サーチ・リルスニル、ウィクト・リルスニル。

 リルスニル三姉妹と言えば、ソルノットでは指折りの実力を持った代行者として有名だ。

 れっきとした男子であるはずのウィクトが三姉妹に数えられているのは、彼がそこらの女子よりもずっと可愛らしい容姿をしていることが原因だろう。

 何はともあれ、彼女達は優れた代行者として、教会に貢献している。

 ハルリア・リルスニルだけが、魔術の一つも使えない。


「私は弱いから、神様に助けてもらいたい……」


 ずっと、不安なのだ。

 もしも明日、悪の軍勢がここに押し寄せて来たのなら、ハルリアはきっと八つ裂きにされてしまう。

 誰も救えないまま、誰も助けられないまま、自分の身すら守れずに、死んでしまうのだろう。

 ハルリアはそれが怖い。

 何者にもなれないまま、受け取った善意を返せないまま、あっさりと人生が終わってしまう。

 そんな結末が恐ろしいから、ハルリアは祈るのだ。

 神様、どうか私の人生に意味を与えて下さい、と。


「ハルリアさん。貴方の祈りは澄んでいる。いつの日か、必ず主の下に届くでしょう。その時まで、どうか見失わないよう。貴方が助けてもらいたいと願ったこと。何を助けてもらいたくて、何を守ってほしかったのか。貴方の祈りが形になった時にも、形の無い祈りを忘れなければ、貴方の願いは叶うでしょう」


 シグレ司祭の言うことを、ハルリアはほとんど理解できなかった。

 ただ、諭すような彼の語り口調を、呆然と聞いていた。

 何を助けてもらいたくて、何を守ってほしかったのか。


「私は――――」

「ハルリアー! いる~!?」


 瞬間、ドンと音を立てて礼拝堂の扉が開いた。

 溌剌な声と共に入ってきたのは、スラリとした少女。

 サーチ・リルスニル。ハルリアの姉である。


「げっ、シグレもいるじゃない」

()()()()()ですよ、サーチさん。今日のミサにはいらっしゃらなかったようですが」

「それは……用事があったのよ! 用事が!……ほら! 行くわよ、ハルリア! こんな真面目人間と一緒にいたら、ハルリアまで真面目になっちゃうわ!」


 ハルリアの手を引っ張って、サーチはずかずかと歩き出す。

 強引な彼女に引きずられるようにして、ハルリアは扉の方へと進んでいく。


「ちょっと、サーチお姉ちゃん……」

「今日はみんなでご飯って約束でしょ? オークェイムとウィクトも待ってるわ!」


 礼拝堂から出て行く姉妹を、シグレは穏やかな微笑を以て見送る。

 サーチの奔放さには手を焼かされるが、外に連れ出してくれる姉の存在はハルリアにとっても救いだろう、なんてことを考えながら。

 姉妹の背中を見つめる彼の瞳に、悲しむような、憐れむような色があったことは、誰の目にも留まらないまま。


     ***


 ローストン・ゴートウィストがソルノットで成した偉業は数知れず。

 その中でも特に高い評価を受けるのは、優秀な医療班の形成、及び高度な医療機関の充実である。

 教会の治癒魔術に頼るのではなく、医学に基づいた医療技術を普及させたことで、ソルノットの死者数は大きく減少したとされている。

 故に、ゴートウィストの医療班とは、ゴートウィスト家の勤勉さを象徴するような組織だ。

 医療班メンバーの多くは病院付属の寮に住み込み。普段は病院で働きつつ、有事には連邦騎士団のサポートに回る。

 そういった背景から、医療班と騎士団の関係は深く、医療班の人間が騎士団の詰所に向かうのは珍しいことではない。

 というわけで、医療班の少年リュセル・ボロッチは同期と共に騎士団を訪れていた。


「なあ、これって本当に俺らがやって良い仕事なのか? めっちゃ怖えーんだけど」

「仕方ないでしょ。今医療班はどこも人手不足なんだから。今回の件も、向こうは快諾してくれたって」

「でもよぉ……団長だぜ? 連邦騎士団ソルノット支部団長。ソルノットの騎士団でトップの人だろ?」

「わ、分かってるわよ! そんなこと! 私だって緊張してるんだから、一々怖いこと言わないで!」


 石造りの廊下を歩きながら、リュセルは同期二人の声を聞き流す。

 二人は今回の任務にあたって、相当緊張しているらしいが、それも無理は無い。

 いくらなんでも、相手にする患者が大物すぎる。

 連邦騎士団ソルノット支部団長アトリ・トーネリウム。軍事面における、ソルノットの最高責任者なのだから。


「リュセルは余裕そうだよなぁ~。緊張とかしねーの? 俺心臓バクバクなんだけど」

「してるよ。でも……そうだなぁ、騎士団に来るのは初めてじゃないし。実は会ったことあるんだ。団長さんにも」

「マジでぇ……? お前の人脈はどうなってんだよ」

「人脈ってほどじゃないよ。少し顔を見たくらいだし。団長さんの方は、きっと僕のことなんて覚えてないんじゃないかな」


 リュセル・ボロッチ。

 同期のビョルンとベアトリーナに並び、医療班ではほとんど最年少。

 少なくとも、リュセルは自分と同年代の医療班メンバーをビョルンとベアトリーナ以外に知らない。

 若き十八歳の彼であったが、何かと地位の高い人物との絡みが多い。

 それは半分が偶然の産物。もう半分が、彼の若者らしい素直で裏表の無い気性が、大人達には愛されやすかった点にある。


「リュセルって結構物怖じしないわよね。……ま、ゴートウィストの家のご令嬢に恋しちゃうような命知らずが、騎士団の団長くらいでビビるわけないものね」

「っ……ロウリさんとは、別に、そういうんじゃないし……」

「今更何言ってんのよ。騎士団の方に来る度、目で追ってたじゃない。……あ、私は応援してるわよ~。同期がゴートウィストのご子息になっちゃうなんて、エピソードトークには一生困らないもの」


 ロウリへの恋慕を指摘され、リュセルは僅かに顔を赤らめる。

 初心な同期の表情を見つめるベアトリーナは、意地の悪い顔でニヤニヤしていた。

 そんな悪戯っぽい同期に少しムっとしつつも、リュセルはゆっくりと息を吐いき出した。


「本当に……そんなんじゃないよ。立場も違いすぎるし」

「ええー? 良いじゃない。身分違いの恋。そういうのって、なんだか、ドキドキしない?」

「しません」

「えぇー。ビョルンはするわよね?」

「おいおい、当たり前だろ?」


 変な所で共鳴するビョルンベアトリーナ。

 ぐー、と言って拳を突き合わせる同期二人を、リュセルは苦笑しつつ眺める。

 すぐに馬鹿なことをしたり、からかってきたりする同期だが、なんだかんだこういう所は愛らしく思える、なんてことを考えながら。


「でもよ、割とマジな話さ、俺は結構可能性あると思うぜ。ソルノットじゃ貴族のパーティーなんて無いだろうし、同年代の男なんてリュセルくらいしかいねーんじゃねーの? それに――――」


 よくある話。

 名家の子女が結婚相手を自分で選べないなんて話は、どこにでも転がっている日常だ。

 十代の娘の嫁ぎ先が四十を過ぎたおっさんだなんてことは、よくある話なのだ。


「ずっとゴートウィストで真面目に生きてきたんだろ? そういう相手くらい……なんつーか、普通に選べなきゃ不憫だろ」


 ロウリ・ゴートウィストの半生を記録に起こすと、それは凄まじい記録となって表れる。

 幼少の頃から魔術と武術の鍛錬に明け暮れ、たまの休日は教会に赴いて祈りを捧げる。

 十五歳になれば正式に連邦騎士団のライセンスを取得し、それからたった三年でソルノットには八人しかいない選抜騎士の資格を得ている。

 才能、という以上に献身だ。

 鋼鉄魔術は強力ではあるが、術式の複雑さ故に習得には膨大な練習量が必要となる。それに加えて、近接戦闘のスキルも身に着けるというのだから、その努力量は並大抵ではない。さらに教会の規律も守るとあれば、その生活は想像を絶する。

 遊びや快楽といったものを一切切り捨てて、大きな正義のために全てを捧げる。

 かつては称賛こそすれ、リュセルがその在り方に疑念を持つことは無かった。

 ロウリ・ゴートウィストはそれほどまでに善人なのだと、そう思っていた。


 ――――そうなんだ。教えてくれてありがとう


 彼女と最後に話した日。

 あの日から、リュセルの中でロウリに対する何かが揺らいでいた。

 非の打ち所が無いロウリの生き様を、狂気的ではないかと思うほどに。

 父の言葉を肉体が拒絶するほどに、民間人に攻撃魔術を叩き込んでしまうほどに、彼女は追い詰められていたのではないだろうか。


「ほら、着いたわよ。……人って書いて飲み込んだら良いんだっけ」


 目当ての部屋前に到着し、ベアトリーナは大きく深呼吸する。

 先刻までは談笑に興じていたビョルンも、胸に手を当てて息を整えているようだった。

 緊張を隠せない二人に代わり、リュセルが扉をノックする。

 コンコンコン、三度ほど叩く。


「ああ。どうぞ、入ってくれ」


 高い声だった。それも女性の。

 高いというより、幼い。

 同期二人は厳つい男の声を想像していたのだろう。扉の先から聞こえてきた声に、キョトンとした顔をしていた。


「失礼します……」


 恐る恐る開けた扉。

 リュセルは控えめに挨拶しつつ、部屋の中に入る。

 ベアトリーナとビョルンの二人も、彼に続いた。


「医療班か。こんな所まで、わざわざすまないな」

「いえ、騎士の皆さんをサポートするのが僕達の仕事ですから」

「ふ、それもそうか。何にせよありがとう」


 驚いた表情のまま固まって動かない同期二人に代わり、リュセルが団長の声に返答する。

 だが、この場合は驚愕に呑まれた二人を必ずしも責められないだろう。

 この状況では、驚くなと言う方がに無理がある。


「連邦騎士団ソルノット支部団長アトリ・トーネリウムだ。今日の診察はよろしく頼む」


 椅子に座ったまま、自己紹介した()()

 団長を名乗った彼女は、どう見ても十代前半かそれ以下の幼童だった。

 

 

ナナクサ・シグレ。彼の故郷では七草時雨と表記するようです

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