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君の不在証明  作者: 讀茸
第二章 監獄落とし

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第三十三話 弱者

 かの事件は、ロウリの記憶にも新しい。

 犯罪組織間の勢力争いが原因となり、勃発したアルカナンの中枢メンバーを始めとした犯罪者が市街地で戦闘を開始。

 市民を巻き込んだ乱戦に発展し、騎士団が到着した頃には、民間人を中心に多数の死者を出す事態となった。

 アルカナンの中枢メンバーが複数いたこともあり、派遣された騎士団の面々は錚々たるもの。

 ロウリ含むソルノットにおける主力騎士に加え、ローストン・ゴートウィストまでもが出動した。

 戦闘は熾烈を極め、大勢の死傷者を出しながらも、騎士団はヘイズ・トラッシュの捕縛に成功。

 鍛え上げられた騎士三十余名の命を犠牲にして勝ち取った、成果であった。


     ***


 あと少し、あと少しで届きそうだった。

 ロウリって人は私よりもずっと強くて、賢くて、躊躇が無くて、絶望的なまでに遠かった。

 でも、みんなで力を合わせて、何とか食らいついていた。

 それはここにいた私達だけじゃなくて、ここまでロウリを消耗させてくれたバーンドットさんとか、魔眼持ちを追ってくれたカルシュ先輩とか、どこかで誰かと戦っている看守の人達みんなの力の結晶で。

 一人では逆立ちしたって勝てないような相手にも、ここにいる全員の力とか覚悟とか気持ちとか、そういうの全部を賭けて戦って、あと少しで届きそうな気がしていたんだ。

 そいつが、出て来るまでは。


「酒」


 渡り廊下の奥、それを見た瞬間寒気がした。

 見覚えのあるみすぼらしい風体。囚人服に身を包んだそいつは、力ずくで扉をこじ開けている。

 まさか無理矢理引きちぎったとでもいうのか、鎖の切れた手枷と足枷を着けている。

 ヘイズ・トラッシュ。第六層に収監されているはずの死刑囚。

 伸び放題の髭。白髪交じりのパサついた髪。その奥に見える目は、ロウリとは違った意味で虚ろだった。

 ロウリの灰色の瞳が殺意の結晶だとすれば、ヘイズのそれは狂気の塊。

 こいつには話が通じない、そう一目で理解させられた。


「……タイムアップかな」


 モーニングスターを持ったロウリが、構えを解いたのが見えた。

 退屈そうな顔をして、ロウリは私達から背を向けて歩いて行く。

 隙、明らかな隙なのに動けない。

 迂闊に飛び込めば、ヘイズに殺されると本能が理解していた。


「おい待てよ。逃げんのか?」


 精一杯の挑発を投げたのはコニア。

 あと少しで手が届きそうだったロウリの命。

 少しでもこの場に留めて、どうにかしてその命をもぎ取りたい。

 そんな覚悟の垣間見える挑発だった。


「逃げるよ。巻き込まれたくないから」


 しかし、ロウリは乗らない。

 あくまで冷静に、というより一々取り乱す理由が無いといった感じだった。

 既に終わったゲームに執着しないように、コニアの挑発なんて少しも響いていないみたいだった。


「酒だって…………」


 呟きと同時、ヘイズが大きく跳躍する。

 ロウリを追い越して、渡り廊下まで飛び出したヘイズ。


「つってんだろォ!?」


 着地と同時、床に叩きつけた両腕。

 千切れた鎖の垂れる手枷を武器として、ヘイズは床を殴打した。

 瞬間、渡り廊下が崩落する。

 異常なまでに頑丈な造りをしている監獄の構造を、両腕の一振りで崩壊させて見せたのだ。

 意味が分からない。パワフルなんて次元の話じゃない。一部に穴を空けるとかならまだしも、こんな簡単に、積み木を壊すみたいに監獄を壊せる人間がいるのか。

 かつて渡り廊下だった物は瓦礫に変わり、私達と一緒に中庭へと落ちていく。


「コニアさん! 避けてっ!」


 ディセイバー君の叫びが響く。

 次の瞬間、コニアの身体が真っ二つになっていた。

 瓦礫を蹴って跳んだヘイズが、鎖を叩きつけてコニアをぶった斬ったのだ。

 上半身と下半身に別れたコニアが、血を撒き散らして落下していく。

 そんな凄惨な光景を、私の眼は捉えることしかできなかった。


「ウーズさん!」


 多分、ディセイバー君だけがヘイズの動きに反応できていた。

 ヘイズと同じように瓦礫を蹴ったディセイバー君が、ウーズさんの背後に回り込む。

 それはヘイズの急襲を防ぐため。瓦礫を蹴って襲い来るヘイズの一撃を受け止めようと、防御の構えを取る。

 そんな抵抗を嘲笑うように、ヘイズは手枷の鎖を振り下ろす。

 隕石が落ちたと言われても納得できるほどの轟音と共に、ディセイバー君が地面へと叩き落とされる。


「酒持って来いっつってんだよ!」


 訳の分からない妄言と共に、ヘイズがウーズさんの首を掴む。

 自らの首を掴む老人の腕を引き剥がそうと、ウーズさんはシワシワの腕に爪を立てる。

 しかし、抵抗虚しく、ヘイズが首から手を離すことはない。

 そのまま、地面に落下すると同時に後頭部から叩きつけ、ウーズさんの頭は粉砕した。


「何、これ……?」


 昔から、目が良かった。

 遠くのものをくっきり見えて、速く動く人も捉えられる。

 何もできない私にとって、唯一の自慢だった視力だけれど、今だけはこの目を恨んだ。

 いっそのこと盲目だったなら、こんな酷い景色を見なくて良かったのに。


「どうして、みんなが……っ」


 中庭に着地した私の目に映ったのは、血と瓦礫の惨状。

 あまりにもあっさりと殺された二人は、死体となって中庭に落ちて、降った瓦礫に押し潰されている。

 どうして、なんて言っても意味は無い。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 あんなに優しかった人達が、私なんかを認めてくれた人達が、どうして殺されなくてはいけなかったのか。


「ねえ! どうしてっ!?」

「逃げて! リスタルさん!」


 着地したヘイズが、一直線にこっちへと駆けて来る。

 来い。来るなら来い。

 ぶっ殺してやる。勝ち目があるとか無いとかどうでも良い。

 こんなヤツ、殺してやるんだ。

 そう、明確な殺意を以て、私は迫り来るヘイズと対峙したはずなのに――――


「…………ひっ」


 恐怖で足が竦んだ。

 みんなを殺された憎悪より、居場所を奪われた怒りより、目の前の異常者への恐怖が上回っていた。

 手枷に付いた鎖を振り抜くヘイズ。

 見えている。見えているけれど、間に合わない。

 ビビって対応が遅れた。私が踏んだバックステップでは、ヘイズの手枷を避け切れない。

 私の頭蓋を粉砕するはずだった鎖。

 横合いから飛び込んで来たローゴンの大槌が、それを受け止めた。


「ああぁ!?」


 ヘイズはそのまま大槌の柄を掴み、その握力で以て大槌を破壊する。

 粉々になってローゴンの手から零れていく大槌。

 たった一度の攻防で武器を失ったローゴン。

 戦う術を失ったに等しい状況で、彼が振りかぶったのは左の拳。

 得物など飾り。真の武器は鍛え上げた己の肉体だと言わんばかりに、左フックをヘイズに叩き込む。


「酒寄越せってのが聞こえねーのか!」


 脈絡の無い罵声と共に、ヘイズは片手でローゴンの拳を受け止める。

 ヘイズの握力をモロに受けたローゴンの左手から、骨が砕ける音がした。


「ふっ、聞こえないな」


 しかして、ローゴンは怯まない。

 振りかぶるは残る右腕。初動に打ち込んだ左のパンチは囮。

 本命の右ストレートで、ヘイズの顔面を打ち据える。

 鼻っ面にクリーンヒットした一撃。ノーガードで直撃した拳には、さしものヘイズも大きく後ろにのけぞった。

 だが、離さない。

 顔面への強打を食らってなお、ヘイズはローゴンの左手を掴んだまま。


「ああぁ! ああぁん!」


 呂律の回らない絶叫と共に、ヘイズはローゴンの巨躯を振り回す。

 二メートルを超す巨躯を、ヘイズは腕力に任せて持ち上げ、振り回し、何度も地面に叩きつける。

 飛び散る血液。血の沁みた雑巾を振り回しているみたいに、赤い飛沫が飛び散った。


「離せよっ! クソジジイ……っ!」


 ヘイズの背後から斬りかかっていくディセイバー君。

 その刃は脅威に感じたのか、ヘイズはローゴンを手放し、ディセイバー君の剣を避ける。

 その隙にディセイバーはヘイズの正面へと回り込み、ヘイズからローゴンや私を庇うように立つ。


「逃げて下さい! こいつは俺が食い止める! ローゴンさんも今治療すれば助かるかもしれない! 早く走って!」


 絶叫にも似たディセイバー君の叫び。

 私は彼の背中を眺めながら、彼の叫びを聞いていた。


「なん、で……!? 今更そんなこと言われたって……っ! そもそも、逃げるってどこに!? 監獄は諦めるってこと……!?」

「そんなの何でも良いですよ! どこでも良い! とにかく逃げて生きて下さい! 今こいつを止められるのは俺しかいない! 全員でかかっても勝ち目なんか無いんだから! 一人でも生き延びた方が良いでしょ!」

「そ、そんなの……!」


 そんなの、間違ってる。

 言いかけた言葉を飲み込んだ。

 ディセイバー君の言うことは正しい。

 今全員でヘイズに立ち向かったとしても、勝てる可能性は万に一つも無い。

 だったら、この中で一番強いディセイバー君が足止めしている間に、他の全員で逃げるのが最善だ。

 それが、最も死者を減らせる方法。

 一番、理に適ったやり方。

 そう、頭では分かっていたのに――――


「嫌だよ……っ」


 私の足は一向に後ろへは向かなかった。

 逃げたくない。ディセイバー君を置いて行きたくない。

 そんな訳の分からない我儘で、私の靴裏は地面にしがみついている。


「なんで!? 接近戦しかできないリスタルさんじゃ、こいつ相手に何の役にも立たないでしょ! 意味分かんないこと言ってないで、ローゴンさん背負って逃げて下さい!」

「でもっ、でも嫌だよ!」

「良いから逃げろよ! あんたがいても意味無いって言ってるだろ!」


 ヘイズと斬り結びながらも、ディセイバー君は声を荒げる。

 ああ、何してるんだろう、私。

 ディセイバー君の言う通りだ。

 私は近接戦闘、しかも対人戦でしかまともに役に立たない。

 ヘイズの身体能力は人間じゃない。どういう理屈かは知らないが、魔力による強化では説明がつかないレベルのフィジカルを誇っている。

 そんな人外じみたパワーを持つヤツを相手に、対人用の格闘術なんて大して役に立たない。

 ロウリと戦っていた時とは訳が違う。あれは、あくまで戦闘センスと魔術の練度が故の強さだったから、私の戦い方が通用したのだ。

 ここにいても、私は何もできない。

 何もできないけれど、逃げたくないってエゴだけがあるんだ。


「かっこつけるね、ディセイバー」


 やや後方、隻腕の魔術師が囁く。

 薄桃色の髪を風になびかせて、ナウリアが魔術を発動しようとしていた。


「私も混ぜなよ」


 撃ち放つは水属性の攻撃魔術。

 シンプルかつ強力な、高密度に圧縮した水の砲撃。

 魔術師の王道は火力による形勢逆転だと言わんばかりに、ナウリアが彼女が持てる最大火力の魔術をヘイズへとぶつける。

 右腕を失った状態で放った最大火力の攻撃魔術。

 万全の状態でも軽く吐血する程度の反動は、深手のナウリアには重くのしかかる。

 口から血を吐きつつ、膝をつくナウリア。

 魔術のフィードバックを重く受けたナウリアだったが、それを代償にヘイズを大質量の水で大きく吹っ飛ばすことに成功した。


「なんで……! 逃げろって言ってるのに!」

「やだ。私そんな足速くないし」


 度重なるダメージで、ナウリアは血塗れだ。

 だが、負傷の重さを感じさせないほどに飄々とした顔で、ナウリアはそんな台詞を言ってのけた。


「……お願いだから、逃げて下さい。ここは、俺にとって初めての居場所なんです。みんなを、俺にも、守らせて下さい……っ」


 縋るような彼の声は、きっと魂の慟哭。

 やっと、ディセイバー君のことが分かったきがした。

 というより、私にも分かることを、初めて言ってくれた気がした。

 この場所が大事なんだ。ここにいるみんなが、ここにいた人達が大好きなんだ。

 だから守りたくて、役に立ちたくて、笑ってほしくて、少しでも力になりたい。

 私もみんなの一部だって思えるように。


「……逃げないよ。私は逃げない。絶対逃げないから」

「リスタルさん……っ!」

「だって卑怯だよ! ディセイバー君だけ! 強いからってカッコつけてさ! 私だってこの場所が好きなんだ! 私にも守らせてよ!」


 私は弱い。きっと、何の役にも立たない。

 ここにいても、足手纏いになるだけかもしれない。

 でも、ディセイバー君だけに全てを任せるのは嫌だったのだ。

 難しいこととか危険なことを、それをこなせるくらい強い人に丸投げして、弱い私はただ逃げるだけなのは、嫌だったんだ。

 だって、ディセイバー君は私より強いけれど、私と同じ人間のはずだから。

 考えていることは、思っていることは、同じはずなんだから。

 私達は同じなんだと、今だけは勘違いしていたいのだ。


「馬鹿でしょ、リスタルさん」

「……ごめん」

「良いですよ。別に……」


 多分、私達は負ける。

 連戦で疲れの出ていた上、相性的にも戦いやすかったロウリとは違う。

 万全のヘイズに勝てる道理は無い。

 コニアとウーズさんは殺された。ヘイズが牢屋から出ているってことは、カルシュ先輩も無事じゃないんだろう。

 全滅。それが、私達の辿る未来だ。


「削れるだけ削ろ。私達が負けても……きっと、誰かが倒してくれるよ」


 ナウリアがそんなことを言った。

 こんな状況では、希望的観測に過ぎる言葉。

 でも、嘘だなんて思わない。

 刻んだ傷の一つ、蓄積させた少しの疲れ、僅かに削った集中力の一欠片。あるいは、一秒でも戦闘したという事実だけ。

 そんな不確かで少量の何かが、いつか、誰かがこの怪人を殺す助けになれば良い。


「うん、そうだよね」


 遥か前方、ヘイズが両腕を地面に突っ込む。

 そのまま、ちゃぶ台を引っくり返すみたいに、ヘイズは大地をプレート状に抉って投げ上げた。

 硬く重い大地が、まるで巨大な豆腐みたい。

 常識外の怪力によって宙を舞う、巨大な地面のプレート。空中で粉砕して降り注ぐ岩盤と土塊の雨は、滅びの流星群を思わせた。

 降り注ぐ流星群の間を縫って、ヘイズが疾走してくる。

 速い。けれど、目で追えないほどじゃない。軌道が直線的なだけに、カウンターは取りやすい。

 まあ、カウンターを合わせた所で、砕けるのは私の拳だろうけど。

 それでも、良いんだ。

 私が叩き込んだ一撃が、少しでもこの化け物を倒す糧になれば良い。

 そう思って、一歩踏み出そうとした瞬間――――


「ふっ、ようやく間に合ったか」


 突然、どこからともなく現れた看守長が、私達の前方に立っていた。

 気配も無く、足音も無く、瞬間移動でもしてきたかのような様相で、ダラス看守長は私達の前に躍り出た。


「看守長!?」

「馬車の停留所まで輸送する。どうにか逃げて生き延びろ」


 よく見れば、看守長は酷い怪我を負っていた。

 左半身のほぼ全域に火傷を負っており、黒焦げの肉体には青い残り火が蟠っているほどだった。

 細かい火傷や裂傷などは、とても一目では数え切れない。

 一目で分かるのは、それだけの激戦を抜けて来たのだということだけだった。

 ふと、後方から伸びてきた何かが、私の背に触れた。

 振り返って見れば、それは白と黒の幾何学模様をした木の根みたいな構造物。

 私とディセイバー君とナウリア。三人の背、そして横たわるローゴンの肩に、白黒の根が優しく触れていた。


「よくここまで生き延びた。植物のような生命力だ。……やはり、今年は豊作だったな」


 看守長が魔術の起動にかけたのはほんの一瞬。

 その一瞬で切り替わっていく視界の中、私は見ていた。

 私の眼だけが、きっと看守長の最期を見届けた。

 飛びかかるヘイズが振り下ろす鎖が、脳天に直撃するその瞬間でさえ、笑って私達を見送る看守長の最期を。

 私はきっと見届けた。

弱くても立ち向かう。ありきたりな言葉ですが、その価値はとても重いのではないでしょうか

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