第三十二話 切り札
渡り廊下、戦況はあまりに一方的だった。
赤黒い鎌を振り回すロウリに、看守達は防戦一方。
一見して滅茶苦茶に振り回している鎌の刃先は、的確に看守を牽制し、ロウリへの接近を許さない。
ローゴンが打ち込む大槌を容易く弾き返し、接近の機会を伺うコニアを翻す刃で牽制する。
(近付けない。だったら――――)
心中で呟くディセイバー。
ロウリへの決定打を打てずにいる前衛陣も、彼と同様の戦略を立てていた。
アイコンタクトで取り合う連携。
タイミングを合わせて、全員一斉にロウリから距離を取る。
ロウリから距離を取った一同。
一時的に孤立したロウリに向けて、ナウリアが魔術の照準を合わせる。
(魔術で打ち抜く!)
前衛で打てない決定打は、後衛の魔術師が補う。
魔術の巻き添えを食わないように飛び退いた前衛。
取り残されたロウリ一人に向けて、水の砲撃は狙いを定める。
「単調だね」
しかし、ロウリはナウリアに先んじて魔術を起動。
赤黒い剣を射出し、ナウリアが攻撃魔術を撃つよりも早く、彼女の右肩を抉り取った。
「――――づう、ッ!」
切断された右腕が舞う。
シンプルな魔術の発動速度でナウリアを圧倒したロウリ。
飛来する剣によって右腕を失ったナウリア。
その衝撃によって術式は霧散し、暴発した水属性攻撃魔術は、指向性を持たない洪水となって溢れ出す。
「ナウリアっ!」
仲間が負った重傷。
その精神的なショックによって生じた隙。
リスタルが晒した間隙を、ロウリの目は見逃さない。
一歩、大きく踏み込んだロウリ。
リスタルの頭上に振り上げられる、赤黒い鎌。
そこへすかさずフォローに入ったコニア。
リスタルの前に割り込み、振り下ろされる鎌を短刀で受け止めようと構える。
フッと、嘲るように笑ったロウリ。
思い切り振り下ろす鎌の一撃が、コニアの短刀を直撃。
その衝撃をモロに受けたコニアの両腕は、内部の骨ごと粉砕した。
(細身のくせして、なんてパワーだよ……っ!)
腕を砕かれたコニア。
その掌から短刀が零れ落ちる。
同時、その衝撃に耐え切れなかったのか、ロウリの鎌も刃先が欠ける。
「下がれ! コニア!」
負傷したコニアに指示を出しつつ、ローゴンがロウリへと攻め込む。
(刃先の欠けた鎌。再生成の暇は与えない。反撃に出る……!)
(武器壊れた! いける!)
大槌を振りかざして、攻勢に出るローゴン。
コニアはウーズの下へと後退し、リスタルもここぞとばかりに距離を詰める。
左右から攻め入る前衛二人。
二人が反撃に移るまでのペースは早かった。
ロウリの魔術発動が速いとはいえ、新しく武器を構成するほどの余裕は無い。
ここに来て、千載一遇のチャンスが降ってきたかに見えた。
(ダメだ)
やや離れた位置から駆け込むディセイバーだけが、危機感を覚えていた。
ぽいと鎌を投げ捨てるロウリ。
その灰色の視線が、コニアが落とした短刀に注がれていることに、ディセイバーは気付いていた。
(誘い込まれてる。あいつはコニアさんの短刀を拾って、二人を迎撃するつもりだ。この位置、この角度、綺麗に二人纏めて斬って捨てられる)
刹那の内に巡る思考。
ディセイバーただ一人が、ロウリの戦術に追い縋る。
(フォローは間に合う。……いや、それじゃダメだ。それだけじゃ現状維持にしかならない。何か、何かこいつを崩せる何かを――――)
この瞬間、ディセイバーに熟考する時間的余裕は無かった。
思考を言語化することも、理論を体系立てることもなく、正当性を証明することもない。
ただ、彼の目が絶えず吸収する視覚情報が、彼の中に蓄積された経験と記憶が、直感という形で芽吹く。
ヒントは敵が持っていた。
攻撃に意識が向けば、それは防御面での隙になる。
今なら獲れる。そう思わせることが、カウンターの肝であると。
(届け……!)
流れるようにコニアの短刀を拾い上げ、ローゴンの懐へと踏み込むロウリ。
美しいまでの足捌きと体捌き。
斜め下から振り上げる短刀が、ローゴンの首筋へと迫る。
それを遮る物は何も無い。
遮る物は何も見えない。
空を裂いた短刀は、ローゴンの命さえも刈り取っていく――――ように見える。
「……は?」
響く金属音。
初めて、ロウリが戸惑いの声を上げた。
一見して、遮る物は何も無い。
しかし、そこには透明の壁がある。
ディセイバーが光学魔術をかけた上で突き出した剣は、ローゴンの急所を守る透明の壁。
ロウリが振り抜いた短刀は、透明の剣に弾かれた。
見えない防御とは、反撃の機会を生むのに向いている。
攻撃が防がれるその瞬間まで、攻める側は攻撃が失敗したことが分からないのだから。
「ローゴンさん!」
「任せろ」
透明の剣でローゴンを救ったディセイバー。
彼の呼びかけに応じ、ローゴンは大槌を横薙ぎに振り抜く。
絶好のカウンターチャンス。
ローゴンの一撃は回避の暇を与えずに打ち込まれる。
迫る大槌をロウリは右足の靴裏で受ける。
膝のクッションで衝撃を吸収。そのまま勢いに乗って跳躍することで、衝撃を完全に殺し切る。
(膝の柔軟性で衝撃を殺された。いや、単純な受け身だけじゃない。こいつの目的は跳ぶこと。跳躍で距離を取って、武器を再構築する時間を稼いでる。黙って見過ごす道理は無い!)
ロウリの戦術を見切るディセイバー。
跳躍した彼女を追うように跳び、空中でロウリに追撃する。
(追ってきた。さっきより動きが良いな)
ディセイバーの跳躍を確認し、ロウリは短刀での防御に切り替える。
そこへ叩き込まれるディセイバーの斬撃。
上から振り下ろすように放つ一撃は、短刀で受けたロウリを、床へと叩き落とす。
叩き落とされたにも関わらず、ロウリは軽やかに両足から着地。
着地点にリスタルが走っていく。
(落とした。空中から地上。めくるめく状況の変化。こいつだってマシーンじゃない。処理速度にも限界がある。しかも、そこは――――)
着地、同時に至近距離で向き合うロウリとリスタル。
リスタル・グリアントの瞳が、水晶のように煌めいた。
(リスタルさんの絶対領域)
ロウリが繰り出す短刀の刺突。
至近距離から放たれるそれを、リスタルは見てから回避して見せた。
(躱された? この距離で?)
ロウリが連続で放つ短刀。
至近距離から放たれる斬撃の雨を、リスタルは反射神経と動体視力で避け続ける。
リスタル・グリアント。
魔術はからっきし、フィジカルは貧弱、武器の扱いは下手くそ。
しかし、異常に眼が良く、その動体視力を活かした近接戦闘ではズバ抜けた才能を誇る。
腕を伸ばせば、拳が当たる間合い。
そこはリスタル・グリアントにとって、絶対領域とも呼べる場所だった。
(当たらない。私のスピードに反応してる。それほどまでに優れた眼――――)
ロウリの猛攻を躱し切ったリスタルは、素早く反撃に転じる。
短刀を握るロウリの右手に左の掌底を当てつつ、一歩踏み込む。右の拳で左肩を狙う。僅かに身を引いて避けたロウリに対し、さらに深く踏み込みつつ、右の肘で追撃する。一撃当てた肘鉄を皮切りに、大きく腰を入れた左の拳を打ち込む。
流れるような連携で、ロウリに連続で打撃を叩き込んでいく。
(この人の言う通りなのかな。弱いって迷惑だし。本当はいなくなった方が良いのかも)
打ち込む打撃の雨中、リスタルの頭を不思議な思索が横切っていた。
それは、意識して思考せずとも、自ずと浮かんでは消えていく泡沫の情念。
(でも、監獄のみんなは私を受け入れてくれた。ここが居場所だって思わせてくれた。だから、こんな私でも、みんなを守ったり、役に立てたりできたら……)
静かな想いと共に打ち込む拳。
一撃一撃は軽く、ロウリにとって致命打とはならない。
けれど確実に、一つ一つ、彼女の肉体に打ち込んでいく。
(すごく、幸せだなって思うんだ)
下から振り抜く手刀で、ロウリの両腕を弾き上げるリスタル。
ガラ空きの胴体。
振りかぶった拳は、鳩尾に狙いを定める。
(崩された。いや、良い。パワーは並以下。魔力で守れば大したダメージじゃない)
魔力で強化した肉体の強度で、リスタルの拳を受けると決めたロウリ。
ノーガードでも問題無いとばかりに拳を待つロウリに、リスタルは一気に踏み込む。
その背後、ナウリアが残った左手をかざす。
ウーズに支えながら、何とか膝立ちの体勢を保つナウリア。
揺れる薄桃色の髪の中、闘志を失わない瞳がリスタルの背を見つめていた。
「エンチャント・アクアリウム」
リスタルの拳が水を纏う。
渦巻く水の威力を乗せて、ロウリの鳩尾に叩き込む拳。
水属性の魔術付与で強化された一撃は、ロウリを強く後方へと吹っ飛ばす。
吹っ飛んだ先、その軌道を読んでいたディセイバーが追走。
横合いから振り抜く透明の剣でトドメを狙う。
ロウリが反射的にかざした短刀によって、致命傷こそ逃したが、衝撃で短刀を跳ね飛ばし、ロウリを柵に叩きつけた。
(まだだ。まだトドメは刺せてない。考えろ。考えて、考える前に動け。剣の腕で敵わなくたって良いんだ。俺には強い仲間がいるだろ。状況を読んで、現時点での最適を導き出せ。俺にはある。俺自身の剣以外にも、俺を助けてくれるカードが。準備しろ。緊張を解くな。こいつはすぐに武器を作って反撃してくるぞ)
思考を止めないまま、ディセイバーは剣を構える。
味方の存在を強く意識した結果、ディセイバーの視野は自然と広がり、集団戦への適正を開花させていた。
広い視野に加え、高速化する思考。
剣に固執するディセイバー・オルティクスは、もうどこにもいない。
「なんだ、面白くなってきたじゃん」
看守陣の連携により、手傷を負ったロウリ。
起き上がった彼女の体には、幾ばくかの傷が刻まれていた。
度重なる連戦の影響もあり、少し疲労が見え始めたロウリだが、その口元には不適な笑みが浮かんでいた。
まるで、ここからが本番だと言わんばかりの笑みを浮かべ、ロウリはモーニングスターを構築。
棘のついた鉄球を振り回しつつ、看守達への距離をゆっくりと歩いて潰す。
こうして、戦いは第二ラウンドへと移る。
その瞬間だった。
「あ゛あ゛ー……」
第六層に続く扉から、一人の老人が現れる。
風体はまるで浮浪者。
ボサボサの髪は白髪混じりで、髭は不清潔に伸び放題。体付きは見るからにみすぼらしい。
押すのか引くのか分からなかったらしく、力ずくで鉄の扉をこじ開けている。
「酒」
元アルカナン中核メンバー、ヘイズ・トラッシュ。
第六層で厳重に拘束されているはずの彼の首に、罪人の石環は無かった。
賭けろ、自分以外の何かに




