第三十話 強さとは
ずっと、自分が嫌いだった。
何をやっても下手くそで、いつも上手くできなくて、誰かに迷惑かけてばかり。
そんな自分が嫌いで、誰とも関わりたくなくて、私は部屋に引きこもった。
けれど、まあ、私の親がいつまでもニートなんてやらせてくれるわけもなく、私はソルノットなんていう無法地帯に強制送還されたわけだ。
看守の採用試験なんて受けさせられて、住み込みで働かされて、毎日毎日しんどくて。
でも、楽しくて。
カルシュ先輩とウーズ先輩は面倒見良いし、ナウリアとコニアと喋るのは楽しいし、ローゴンニキとバンデスは良いヤツだし、ディセイバー君はイケメンだし、看守長に腕立てさせられたり、バーンドットにシバかれたりもしたけれど、そんな散々な目に遭ったことすら愛おしく思える。
なんかみんな優しくて、私も前よりちゃんとできてる気がするし、今までにないくらい充実してるって感じで。
すごい、幸せだったんだ。
***
赤黒い鎌を生成したロウリ。
渡り廊下、鎌を携えて佇むロウリの姿は、まさに死神そのものだ。
ゆったりとした立ち姿には余裕が溢れていて、武器を軽く構えているようにしか見えないのに、少しも隙が見つけられない。
対する看守陣の間には、異様なほど張り詰めた空気が流れていた。
卓越した能力というのは、雰囲気となって表出するものだ。ロウリの圧倒的な攻撃性能を肌で感じる彼らは、いつ致命傷になり得る攻撃が飛んでくるか分からない緊張感と戦っていた。
ピンと張った糸のような時間。
一時も集中力を切らせることのできない重圧の中、沈黙だけが流れていく。
そんな最中、停滞を破壊するように響いた爆発音。
響き渡る轟音と共に、誰もが目にした。
大空に咲いた蒼炎。青く燃ゆる大爆発が、スウェードバーク刑務所の中央塔を吹き飛ばす瞬間を。
「…………なに、これ」
派手な爆裂音と共に弾ける中央塔。
鋼鉄すらも溶かす超火力によって弾け飛んだ塔は、焼け焦げた破片となって降り注ぐ。
渡り廊下、左右に広がる空間には、鉄片と火花が落下していく。それはかつて監獄の中心部だったものの残骸であり、それが破壊されて粉々になった欠片。
降りしきる欠片の中には、黒焦げの焼死体もあった。
「派手にやってるなぁ、シャルナ」
青髪の竜人に思いを馳せ、楽しげに呟くロウリ。
雨のように降る、鉄片と火花と焼死体を眺め、彼女は嬉しそうに笑っていた。
それはまるで、無邪気な少女のようだった。
「なんで……?」
リスタルが言った。
喉から声を絞り出すような、悲痛で懸命な声。
「なんで、こんなことできるの!? 一体どんな……っ、どんな恨みがあって、こんなことしてるのっ!?」
リスタルにとって監獄はやっと出来た居場所だった。
ここにいるみんなが大好きで、ここにいられるのが嬉しくて、ずっとこの場所で生きていけたら、どれだけ良いだろうと思っていた。
そんな幸せな夢の行き先は、一日にして崩壊した。
ふらっと訪れたたった四人の襲撃者によって、何もかもが無に帰した。
大好きな人達は無残に殺されて、大切な居場所は壊されて、描いていた未来は灰燼に帰した。
「できるよ」
リスタルの叫びに対して、ロウリは至極簡潔に答えた。
その回答は単純明快で、だからこそ、話し合う余地の無い絶対論。
「私にはできる。貴方達にはできなくても、私にはできる。自分にできないからって、私にもやるなって言うのはお門違いだよ。私には貴方を殺せる。この監獄を壊せる。私の能力で可能なことを、誰かの都合で一方的に制限されなきゃいけないなんて、おかしいと思わない?」
一見して破綻した理論。
否、そこに理論など必要無い。
そこにあるのは、ただの真理だ。
殺せるのなら殺すし、壊せるのなら壊す。呪えるのならば、好きなだけ呪って見せる。
強さというのは、能力というのは、そういうものなのだから。
「それに、恨みならあるよ。貴方達弱者はいつも傲慢で気色が悪い。守って下さい。助けて下さい。殺さないで下さい。自分では何もできないくせに、願望だけは一丁前に図々しい。自分の能力で不可能なことを、誰かの力で実現してもらおうって態度が気に食わないんだ」
それはロウリが抱え続けていた怒り。
ロウリ・ゴートウィストは、ずっと弱い人間が嫌いだった。
弱者という人種の者達が、弱いというだけで無条件に守られることに苛立っていた。
「強きを挫き、弱きを救う」なんて大義名分の前で、ロウリは挫かれ続けてきたのだから。
毎日修練を欠かさず、凶悪な犯罪者を誤って殺さないように注意を払って確保し、不愉快な罵詈雑言を垂れ流す彼らを監獄に送りつける。
何もせずに生きているだけの弱者のために、少し治安が悪くなれば死ぬような愚かで弱い民衆のために、そんな苦行をこなしてきたのだ。
本来、この世は弱肉強食。
弱者である民衆が生きていられるのは、その分強者側の人間が手を尽くしている結果だというのに。
それが当然の権利とばかりに主張する弱者が、ロウリは嫌いだったのだ。
「私の前で生きたいなんてほざくなら、私に殺されない程度の強さを持っていろ」
赤黒い鎌を携えた死神は、六人の看守を見下ろして宣言する。
「それができないのなら、大人しく死ねば良い」
響く声は、冷たい殺意を灯している。
どこまでも冷酷なロウリの言葉を、リスタルは俯いたまま聞いていた。
ロウリが語ったのは極論だ。
けれど、ある種の絶対性を以て、リスタルの頭上から降り注ぐ。
リスタルはよく知っていた。弱いということが、どれだけ周囲の人間を不幸にするか。
かつての自分自身がそうだったから、よく分かるのだ。
自分の能力不足を補うために、どれだけの人に努力を強いて、どれだけの人に迷惑をかけるか。
弱者というのは、存在するだけで重荷なのだと、知っている。
「違うな」
重苦しい空気を裂くように、否定の言葉を告げたのはローゴン。
二メートルを超える体躯をいきらせて、一歩、力強く前へと出る。
大槌を構えてロウリの前へと踏み出たローゴンの背を、彼と彼女は見つめていた。
「今ここにいる全員。ここに生きていた誰しもが、生きる価値のあった人達だ。どんなに弱く小さくとも、お前に殺されて良い命など一つも無かった」
堂々と言い切る彼の言葉に、二人は何を思うのか。
ロウリの圧倒的な強さの前に心を折られた少年は、自らの弱さがために苦しみ続けた少女は、果たして何を思うのか。
「ここにいる全員、俺の尊敬する仲間だ。誰かのために力を尽くせる強さを持った人達だ。弱者など一人もいない」
そんなことしてない。
リスタルもディセイバーも、誰かのために力を尽くしたことなんて無い。
ロウリに心を折られて、逃げるように監獄へ来たディセイバーも、引きこもり生活から強制的に監獄へ送られてきたリスタルも、他者のために監獄に来たわけじゃない。
ただ、何かから逃げてきただけ。自分より強い存在がいるという現実から、自分はどうしようもなく弱いという現実から、逃げてきただけなのだ。
それでも、そんな逃避行の果てに辿り着いた。
辿り着いたこの場所で、彼らが懸命に生きる姿をローゴンは見ていた。
「死ぬのはお前だ。ロウリ・ゴートウィスト」
強く断言するローゴン。
「……反吐が出るな」
対するロウリは嫌悪を吐き出す。
監獄での死闘は最終局面に移ろうとしていた。
あなたは弱者を許せますか?




