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君の不在証明  作者: 讀茸
第二章 監獄落とし

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第二十九話 動く

 第五層と第六層を繋ぐ渡り廊下、ルーアを連れたロウリが扉を開けて現れる。

 瞬間、その場の全員に戦慄が走った。

 時が止まる。

 誰しもが高速で思考を巡らせる中、全員の視線がロウリただ一人に注がれていた。


(ロウリ・ゴートウィスト!? 貴様がどうしてここにいる!? バーンドットとやり合ってるんじゃないのか!?)

(負けたのか? バーンドットが……? ありえない。バーンドットだぞ? 俺達が束になっても勝ち星の一つも上げられなかった監獄最強が、本当に敗れたのか……?)


 ある者は信じられず、ある者は驚愕する。

 同期としてバーンドットの強さを目の当たりにしてきたウーズとカルシュにとって、それは青天の霹靂だった。

 監獄最強と言えど、それは監獄内での話。

 外に出れば、上には上がいると頭では分かっていた。

 それでも、二人は心のどこかで信じ切っていた。バーンドットの勝利を。彼女ならば何とかしてくれると。

 バーンドットの敗北という現象を、明確にイメージできていなかった。


「行って良いよ、ツウィグ。こっちは掃除してきたから」


 ロウリは無慈悲に告げる。

 うつ伏せに倒れたツウィグは、その言葉を朧げな意識で聞いていた。


(掃除……六層はほぼ全滅ってことかよ! 魔眼持ちを行かせたら、止めるヤツが誰もいねぇ!)


 コニアの推察した通り、ロウリは第六層の看守を手当たり次第に殺しながら、ツウィグ達のいる渡り廊下まで移動してきた。

 ただでさえ、中央塔のシャルナ戦に戦力を持っていかれている六層。ロウリの殺戮がダメ押しとなり、ツウィグを止められる看守は死滅した。

 ツウィグがこのまま六層に侵入すれば、魔眼で死刑囚を解放できる。


(魔眼持ちも既に動けるような傷じゃない。後ろに連れて来ている女も、立ち姿からして戦闘職ではないだろう。ロウリ・ゴートウィストが如何に強者と言えど、二人を庇いながらの戦闘では粗が出るはず。こちらは七人。向こうには連戦の疲れもある。勝ち目はあるはずだ)


 最も冷静だったのは、ローゴンだろう。

 姿勢や歩き方からルーアを非戦闘員と断定し、状況をやや希望的に観測する。

 ローゴンの思考に間違いは無い。

 ルーアに戦闘の術は無く、ロウリはバーンドット戦の消耗を引きずっており、その上で数的有利も取っている。

 問題があるとすれば、そこまでのハンデがあってなお、純粋な戦闘能力だけで全てを引っくり返されかねないということ。


(十分叩いた。魔眼持ちは動けない。ロウリ・ゴートウィストに勝つだけ。それだけだろ。それだけが、どうして――――)


 前衛として前に立っているのは、カルシュ、コニア、ディセイバーの三人。

 中段のローゴンも前に上がり、ウーズの治癒によってリスタルも復帰。即座に前線へと向かう。

 中央でロウリと向き合うディセイバーは、彼女の異質なプレッシャーを正面から受けていた。


(どうして、こんなにも遠いんだ……!?)


 連戦で疲れたロウリを、七人がかりで仕留める。

 言うは易し。行うは不可能に近い。

 ここまでの状況的な有利が些末に思えるほどに、ロウリはディセイバーにとっての悪夢だった。


「ルーア、治してあげて」

「う、うん……!」


 ロウリが背後のルーアに声をかける。

 ルーアが両の掌を重ね合わせて、ツウィグの方へと向けた。

 その言葉の意図を最も早く察知したのは、彼女と同じ教会出身のウーズだった。


「後ろの女を止めろ! 治癒魔術を使わせるな!」


 この場面での治癒魔術が、どれだけ重い意味を持つか。

 ツウィグが受けた傷が治り、彼が走れるほどに回復すれば、第六層への侵入を許すこととなる。

 それ即ち、第六層の死刑囚解放を許すということだ。

 第五層までとは訳が違う。第六層に収監されているのは、一人でも野に放つわけにはいかない危険人物達だ。


(止める。私の足なら突っ切れる!)


 ウーズの言葉に反応したリスタルが、すぐさま駆け出す。

 渡り廊下の右端から回り込むリスタル。ほとんど柵を蹴るような体勢で走り、ロウリを避けて背後のルーアへと迫るルートを取る。

 それを察知した前衛三人は、ロウリからリスタルを守るように位置取りを行い、ロウリによるリスタルへのルート妨害を防ごうと試みる。

 駆けるリスタル。コニアとディセイバーがフォローに入り、カルシュが逆側から牽制する。


「――――っ!?」


 そのまま敵ヒーラーへの道を駆け抜けるかに思われたリスタル。

 突如、その脚が止まった。

 急ブレーキをかけて停止するリスタル。その目は驚愕と恐怖に染まっていた。


「やっぱり。良い目してるじゃん」


 ロウリがリスタルのルート上に張っておいたのは、極細の鉄線。

 一条の金属光沢が、渡り廊下に煌めいている。

 誰にも気付かれぬように生成し、予めリスタルが辿るであろう道筋を想定し、罠を張っておいたのだ。

 リスタルがそのまま突っ込めば、自身のスピードによって胴体を両断されていただろう。


(このまま行けば死んでた……! あと少し、あと少しでも、反応が遅れてたら――――)


 思わぬ罠によって、疾走を阻まれたリスタル。

 それはルーアを止める最後のチャンスを逃したことを意味する。

 ルーアの治癒魔術は無詠唱。一度でも手間取れば、もうその発動を止められない。

 淡い光を帯びるルーアの掌が、ツウィグの傷口へと向いて――――


「あ、えっ……なんっ、で……?」


 しかし、ルーアの口から零れたのは困惑の声。

 焦燥感が膨れ上がるのを感じつつ、ルーアは必死に治癒魔術をかける。

 涙目の彼女が注ぐ魔力は虚しく、宙に霧散していくばかり。


「治癒魔術が、かけれない……?」


 何故か、治癒魔術を封じられたルーア。

 その答えは辺りの空中に浮かんでいた。


「なるほどね」


 ロウリが訳知り顔で頷く。

 辺りの宙に浮かぶのは、水で構成された瓶のオブジェ。

 香水の瓶を思わせる水のオブジェは、戦場を囲むように等間隔で宙に浮かんでいた。


「ご、ごめんっ、ロウリ……」

「良いよ。向こうの魔術だ。一定範囲内の術式を乱して、魔術の発動を妨げてるみたい」


 それはナウリアが発動した水属性の妨害魔術。

 三つ以上の水のオブジェを生成し空中に浮かべる。それらに囲まれた範囲内では、術式が乱されて魔術の発動が困難となる。

 水のオブジェをより多く配置するほど、魔術妨害はより強力なものとなり、効果範囲も広く確保できるようになる。

 ナウリアが今回配置したオブジェは八つ。さらに範囲を狭く絞ることで、妨害をかなり強力なものへと仕上げた。


「ちょっとコツがいるね」


 そんな中であっても、ロウリは赤黒い剣を生成して見せる。

 ナウリアの魔術妨害を攻略し、得物を作り出したロウリ。


(こっちの切り札をあっさりと……本当、化け物じみてるな)


 自身の妨害魔術をあっさりと突破されたナウリアは、ロウリの理不尽な強さに表情を歪める。

 魔術師としては優秀とされてきたナウリア。

 そんな彼女が切り札として信頼する妨害魔術が影響する中で、ロウリはいとも容易く魔術を行使して見せる。

 まさに天才。魔術師としての格の違いに、ナウリアは絶望にも似た感情を抱いた。


(でも、ヒーラーは封じた。最悪の事態は避けられたはず)


 ロウリが問題無く戦闘を続行できるとしても、その間にツウィグが第六層へと向かうことはできない。

 治癒魔術を封じた以上、ルーアはただのお荷物だ。

 ロウリは重傷のツウィグと非戦闘員のルーアを庇いつつ、七対一の戦闘を強いられる。

 ナウリアの妨害魔術は看守達にとっての危機を救いつつ、戦況の有利まで獲得して見せた。

 停滞。

 ゆったりと剣を構えるロウリの前で、看守陣の前衛は緊張感を迸らせる。

 それぞれが自らの得物を構えつつも、ロウリの間合いへ踏み込んでいくことはできない。

 息の詰まるような睨み合いを続けながら、攻め入る機会を伺っていた。

 そんな機会が降って湧くことはないと分かっていても、赤黒い刃の有効範囲に足を踏み入れる勇気は、誰にも持てなかった。


「ツウィグ」


 睨み合いの最中、ロウリが呼びかける。

 うつ伏せに倒れる少年の耳に、彼女が声が届く。


「動ける?」


 ロウリはツウィグが受けた傷のほどを知らない。

 だから、ただ動けるかどうか訊いただけ。

 動けないなら動けないでやりようがあるし、動いてくれるならそれが一番。

 そのくらいの軽い現状確認として、投げかけただけの言葉。

 けれど、それはツウィグにとっては呪いだった。


 ――――動けるか? ツウィグ


 かつての記憶をツウィグはフラッシュバックする。

 アルカナンに拾われたばかりの頃の記憶。


 ――――動けないなら、死ね。お前の命にはその程度の価値しか無い


 かつて、ドゥミゼル・ディザスティアに言われた言葉。

 痛みと共に想起される記憶の欠片。

 忘れたくても忘れられない、消したくても消えてくれない、痛痒と絶望に満ちた過去。

 そんな過去の延長線上にある、今。

 ツウィグはゆっくりと起き上がった。

 満身創痍の肉体を引きずって、立ち上がったのだ。


(痛い。行かなきゃ。行かないと、殺される。もう、あんな思いは……痛い。痛い。体が重い。でも、行かなきゃ……死にたくない――――)


 ツウィグの全身を苛む痛み。

 そして、痛みすらも凌駕する、その身に刻まれた恐怖。

 癖とでも言うべきだろうか。一度動き出せば、トップスピードに乗るようにツウィグの肉体は訓練されている。

 人間、怪我をしている時は平時ほどの動きはできないものだ。

 それは単純な身体機能の低下というより、体が壊れてしまわないように、脳が無意識でかけるリミッターに近い。

 刻まれた恐怖と強迫観念が、ツウィグからリミッターを取り去っていた。

 少年が走り出す。

 怪我人とは思えないスピードで、第六層へと駆けこんでいく。

 もう立つな、もう動くなと願う看守達の思いを切って捨てるように、走り出したのだ。


「誰でも良い! あいつを止めろ! 止めてくれ!」


 ウーズの悲痛な叫びが響く。

 彼の慟哭じみた咆哮に、真っ先に反応したのはカルシュ。

 床を強く蹴り出し、ツウィグを追うように走っていく。

 無論、それをロウリが黙って見ているはずは無い。すかさずカルシュへと斬りかかり、蛮勇の代償を命で以て払わせるかに見えた。

 それを阻んだのは、横合いから飛び込んできたコニア。

 短刀でロウリの剣を弾き、カルシュを守る。

 ロウリは剣を弾かれた勢いを利用し、軸足を起点に一回転。左腕の肘鉄でコニアを殴り飛ばした。

 コニアの顔面に肘を叩き込んだ直後、ロウリはツウィグを追うカルシュの背をさらに追う。

 ロウリの動きは速い。カルシュの背を斬って捨てるまで、あと一秒の猶予も無い。

 その一秒に飛び込んだ、リスタルとローゴン。

 背後、頭上から大槌を振り下ろすローゴンと足下から接近するリスタル。

 ロウリは後ろを振り返ることもせず、ローゴンの大槌を剣で受け止める。大重量の一撃を片手で受け止めながら、足下から迫るリスタルを軽く蹴り飛ばす。

 大槌を弾き返し、さらにカルシュを追おうとするロウリ。

 その正面に回り込んだのは、剣を中段に構えたディセイバー。

 どっしりと剣を構え、ロウリの攻撃に備えるディセイバー。彼の虚を突くように、ロウリは剣を投擲。

 投げられた赤黒い剣が、ディセイバー顔のすぐ横を通り過ぎて行った。

 飛来する剣はカルシュの背に迫る。寸前、トンファーで弾き返したカルシュだったが、ロウリが投げた剣を完全に弾き返すことは叶わず、鋭い刃がカルシュの脇腹を裂いていった。

 それでも、カルシュは足を止めず、脇腹から血を流しながらツウィグを追っていく。


「ま、大丈夫そうかな」


 第六層へと消えていく二人。

 それを無表情で見送ったロウリは、すかさず赤黒い鎌を生成する。


「こっちから、片付けよ」


 鋭く不気味な呪いの鎌。

 それは看守の命を刈り取る、死神の刃であった。

何でも人並み以上にこなせるロウリですが、医術や教会の魔術といった「他者を癒す」ことは致命的に苦手です。ロウリ自身が戦場で傷を負った経験が少ないのもあり、ツウィグが重傷を負っていることを見抜けていません。「まあ、動けるんなら大丈夫か」くらいに思ってます

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