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君の不在証明  作者: 讀茸
第二章 監獄落とし

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第二十六話 あなたは何者か

 ある日のことだ。

 まだ、ロウリがゴートウィストを離反する前のこと。

 ローストンに連れられたロウリが、スウェードバーク刑務所を訪れたことがあった。

 元々の目的はローストンとダラスが監獄の運営について話し合うためだが、ゴートウィストの次期当主であるロウリが監獄を視察する意味を兼ねて、ローストンがロウリを帯同させたのだ。


 ――――バーンドット。監獄を案内してあげなさい。歳も近いし、ちょうど良いだろう。新緑のように良好なもてなしを期待するよ

 ――――へいへい


 ダラスがそんなことを頼んだのは、バーンドットとロウリが仲良くなるきっかけを作るため。

 監獄の上層部は、ダラス含めもう若くない。

 ゴートウィスト家次期当主であるロウリと連携を取っていくのは、バーンドットのような若く新しい世代の者達だ。

 バーンドットが人の上に立つようなガラかはともかく、今からロウリと良好な関係を築いておいて損は無い。

 ともすると、ダラスはバーンドットに歳の近い友達を作ってほしかっただけかもしれないが。


 ――――お前、歳は?


 当時十八歳のバーンドット。

 相手が次期当主であろうと、敬語を使うという発想は無かった。

 幼少期をソルノット北西部、青年期を監獄で過ごしたバーンドットだ。

 身近にいたのは常に犯罪者。礼儀作法が身に着くはずもなかった。


 ――――今年で十六になります

 ――――二個下か。意外だな

 ――――そうですか?

 ――――なんつーか、落ち着いてんだろ。もっと上だと思ってたわ


 幼くして監獄に放り込まれたバーンドットに、自分より年下の者と接する機会はあまり無かった。

 そういった意味で、ロウリとの時間はバーンドットにとって新鮮だった。

 ロウリが歳不相応に礼儀正しすぎたこともあるが、短気で有名なバーンドットが、不思議なくらいに穏やかだった。

 バーンドットは適当に監獄を見て回った。

 ロウリは人形のように美しい無表情で、バーンドットに付き従っていた。


 ――――退屈か?


 ふと、バーンドットがそんなことを尋ねた。

 監獄内を見て回るロウリの横顔に、何か仄暗いものを感じて、そんなことを訊いたのだ。


 ――――いえ、そんなことは

 ――――そうか


 監獄とは刺激的な場所だ。

 特に第六層や第五層に収監されている囚人たちは、一般人が直視すれば卒倒しそうなプレッシャーを放つこともある。

 軽犯罪ならまだしも、殺人や放火といった明らかに悪辣なことをしでかす人間は、普通の人々にとっては同じ空間にいるだけで害なのだ。

 だというのに、ロウリの表情は僅かに揺れなかった。

 どこか仄暗い、何もかも諦めたような無表情で、囚人たちを見折ろうのみ。

 それが、バーンドットには退屈に見えた。

 ただそれだけの直感だ。バーンドットがロウリをそこに連れて行ったのに、論理的な思考はほとんど存在しない。


 ――――ここは、訓練場ですか……?

 ――――ああ、今なら空いてると思ってな


 そう言って、バーンドットは背中に装備した鞘から、二本の剣を抜く。

 そうして己の得物を持ったまま、訓練場の中央にゆっくりと歩いて行く。

 ロウリから少し距離を取った所で立ち止まり、彼女の方を振り返った。


 ――――やろうぜ、模擬戦


 それはバーンドットの気紛れにも近い施し。

 どこか退屈そうな、自分の力を持て余しているようなロウリに対して、彼女なりにかけた気遣いのようなもの。

 全力を出してぶつかり合えば、その冷めた鉄のような無表情も、少しは晴れるのではないかと思っただけ。


 ――――良いんですか? 空いているとはいえ、刑務所の敷地内で勝手に……

 ――――良いんだよ。看守の模擬戦なんて珍しくもねぇんだし。お前、結構できるんだってな。カルシュに聞いたぜ


 バーンドットからの模擬戦の誘い。

 それに対し、ロウリが如何なる心境だったか。


 ――――では、お手合わせ願います


 少なくとも、バーンドットの目には、快く引き受けたように見えた。

 誘いに乗って来たロウリに、バーンドットも不敵に笑う。

 バーンドットとしても、天才令嬢と謳われるロウリの実力には興味があった。


 ――――んじゃ、これが落ちたらスタートな


 そう言って、バーンドットはコインを高く投げ上げる。

 鈍色の硬貨が、訓練場で高く舞う。

 くるくると回るコインは、寂れた照明の光を反射して、キラリと瞬きのような輝きを残して昇る。

 そして、最高到達点にまで上って、止まって、落ちて、その煌めきが地面を打った瞬間。

 ロウリとバーンドット。距離を取った二人は、同時に駆け出して――――


     ***


 ロウリが放つ片手剣の連撃。

 それを二本の剣で捌きつつ、バーンドットは鋭くステップを踏む。

 ロウリの片手剣よりも、バーンドットの持つ二刀の方がリーチは長い。

 自分の得意な間合いで戦うために、ロウリからあと半歩ほど距離を取った位置で斬り結びたいバーンドット。

 距離を取ろうとバックステップを踏むが、ロウリは離れずに踏み込んでくる。

 中庭、監視塔付近での剣戟は一見して拮抗を保っていた。


(あの時も、お前はずっと無表情だったよな。ロウリ。それがなんで――――)


 ロウリが繰り出す横薙ぎの一撃。

 それをバーンドットの剣が受け止めた瞬間、ロウリの片手剣が砕ける。

 それは剣士と鋼鉄魔術の致命的な武器の性能差。

 鍛造と精錬の過程を経て鍛え上げられた武具とは違い、鋼鉄魔術で構築したロウリの武器は耐久性に劣る。

 呪術としての術式を鋼鉄魔術に組み込んだ結果、ロウリが生成する武器の耐久力は、通常の鋼鉄魔術によるそれよりも低い。

 ロウリの片手剣が粉砕した瞬間。

 好機と見たバーンドットは、攻勢に出るべく、大きく踏み込む。

 そこはロウリの術中。

 ロウリはバーンドットの意識が攻撃に向いた瞬間、砕けた片手剣の破片を空中で摘み、そのままバーンドットの顔面に投げつけた。

 

「……っ!」


 正確無比なコントロールで放られた、赤黒い鋼鉄の欠片。

 直前で首を振って回避を試みたバーンドットの反射も虚しく、破片は彼女の左目を切り裂いた。

 武器の損壊を逆手に取った奇襲でバーンドットの視界を半分潰したロウリ。

 バーンドットの死角に入り込むように身を沈め、低い体勢から体を独楽のように回転させ、滑らかな回し蹴りを叩き込む。

 蹴り出した先は、監視塔に取り付けられた扉。

 蹴りによってバーンドットを監視塔の中に叩き込んだ後、ロウリは自らも監視塔内へと飛び込む。

 監視塔一階。扉をぶち破って侵入したそこは、倉庫の役割も兼ねた狭い空間だった。

 棚と棚の間、互いに棚に背を当てるような格好にならなければ、すれ違えもしないような狭い空間で、ロウリとバーンドットは向かい合う。


「なんで今、笑ってやがんだ……ッ!? あ゛あ゛ぁ!」


 嗜虐に笑うロウリの表情。

 それが腹立たしく、苛立たしく、憐れだった。

 どうして、にこりともしなかったあの少女が、こんな地獄のような状況で楽しそうに笑っているのか。

 どうして、今なのか。今のこんな場所でしか、ロウリは笑えないとでも言うのか。


「楽しいから。今までにないくらい」


 狭い空間に適応し、ロウリが構築したのは両手に嵌めるガントレット。

 赤黒い装甲を纏う両腕には、触れた物を切り裂くための棘が付いている。

 ロウリは素早くバーンドットの懐に踏み込み、拳撃を繰り出す。

 閉所、コンパクトに繰り出されるロウリの格闘術に対し、バーンドットには長い二刀を振り回せるだけの空間的余裕が無い。

 自然、一方的に打ち込まれるロウリの攻撃を、バーンドットが凌ぐ形になる。

 隻眼かつ血で赤く霞む視界。止まらない出血は、バーンドットの集中力を途切れさせる。

 回避と防御が間に合ったのは、実に五秒の間のみ。

 五秒後には、ロウリの拳がバーンドットの左胸を抉っていた。


「ざ、っけんなァアア――――ッ!」


 狭い空間、剣での反撃は不可能。

 バーンドットは左手の剣を手放し、咆哮と共に素手でロウリへと拳を打ち込む。

 ロウリはそれをガントレットを装備した拳で打ち返す。


「あははっ、マジ?」


 バーンドットがロウリのガントレットに打ち込んだ拳。

 その衝撃は装備の内部にまで浸透し、ロウリは自らの骨にヒビが入る音を聞いた。

 無論、打ち込んだバーンドットの拳もタダでは済まない。

 お互いの片腕を代償とした痛み分け。

 バーンドットは右の剣を振り抜き、棚ごと切り裂く一撃でロウリを狙う。

 右手のガントレットで防御したロウリだったが、その衝撃までは殺しきれず、棚を突き破って吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばされた先は階段近く。

 先の防御で砕けたガントレットに代わり、再び片手剣を生成しつつ、ロウリは階段を駆け上がる。

 そこへ追走していくは、隻眼の狂戦士。

 お互いに一本の剣で斬り結びつつ、ロウリとバーンドットの二人は、監視塔を上って行った。

 剣戟と共に辿り着いた屋上。

 互いにそれなりの手傷を負いながら、両者は僅かな距離を取って向かい合う。

 それは嵐の前の静寂のように、ただ睨み合うだけの時間が数刻だけあった。


「バーンドット」


 ふと、ロウリが言った。


「私の勝ちだ」


 勝利宣言、後すぐにロウリが駆け出す。

 最後の最後に、ロウリが選んだのは何の搦め手も無いスピード勝負。

 バーンドットへの間合いをとにかく最短最速で潰し、片手剣で斬りかかる。

 疾走の勢いを乗せた一閃をバーンドットは受け止めるが、その衝撃までは殺しきれない。

 ロウリとバーンドットは互いの剣で鍔迫り合ったまま、監視塔の最上階から中空へと飛び出す。

 高所から放り出された宙の中、見上げればほんのりと赤く染まった空が見えた。

 鍔迫り合ったまま、二人して落ちていく。

 落ちて、落ちて、落ちて。風を切って落ちていく二人を、沈みかけた太陽だけが見守っている。

 その落下の最中に、ようやく彼女は気付くのだ。

 ロウリの左手に握られた短刀が、バーンドットの心臓を刺していることに。


(左は、潰したはず――――)


 どういうからくりか、ロウリは左手を復活させ、忍ばせた短刀でバーンドットの胸を貫いた。

 右手の剣でバーンドットの剣を押し返したまま、彼女の意識から外れていたであろう左の短刀でトドメを刺したのだ。


(くっそ。ダメか、結局。オレは何も……)


 落下と共に薄れていく意識。

 鮮血を撒き散らしながら落ちる狂戦士の瞼が、ゆっくりと落ちていく。

 落下の衝撃など無くとも、容易く息絶えるだろう彼女の肉体。

 あと僅か、僅かで途絶える命で。

 残り数秒となった余命の中で、彼女が選んだのは――――


「ロウリ、お前、は……」


 絞り出した声で、言葉を紡ぐのみ。

 いつか、誰かにかけたいと思っていた言葉。

 伝えたいと思っていたこと。

 バーンドット自身を救ってくれた善意。


「お前は、善人だ……」


 やがて、狂戦士は落ちる。

 最早魔力で体を守ることもなく、受け身を取ることもなく、生身で落下した人体。

 監視塔最上階からの墜落に耐えられるはずもなく、バーンドットは真っ赤な血と肉の残骸となった。

 空高くから見下ろすそれは、壁のシミのように見えただろう。


「嘘だよ、そんなの」


 一点、地面に付着した赤の中で、ロウリは立ち尽くす。

 零した呟きが、今は亡き彼女に届くことはない。

 最期に小さな呪いの言葉だけを残して、監獄最強はこの世を去った。


自分がどんな人間かなんて、自分じゃよく分からない。だから、他人の言葉は重いのです

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― 新着の感想 ―
親の呪いから解放されたかと思ったらまた新たな呪いが… でもこれで揺れてる?って事は思ったよりも吹っ切れてる訳じゃないのか
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