第二十五話 大人と子供
十四の時、オレはスウェードバーク刑務所にぶち込まれた。
罪状は強盗、恐喝、窃盗、暴行、傷害。
そして、殺人。
孤児だったオレは、ソルノット北西部で盗みや強盗で生計を立てていた。
強盗と言っても、貴族の家に押し入るような大層なことはしていない。弱そうなヤツを見つけて、路地裏に連れ込み、ボコボコにして金目の物を奪う。
ソルノット北西部で生きていくコツは、一攫千金などは狙わず、大して目立たないチャチな犯罪で弱者を狩ることだ。
自分より弱いヤツから奪い、自分より強いヤツからは奪われないように隠れる。
そんな暮らしを十四年間もしていたオレだが、調子に乗って南東部まで足を伸ばして結果、騎士団にカツアゲの現場を抑えられた。
一通り暴れて抵抗してみたが、あえなく確保。
一人騎士をぶっ殺したせいで、罪状に殺人罪が追加されただけだった。
――――随分若い新入りだな。お前のような子供がここに来るのを見る度、切り株のように虚しい気持ちになるよ
独房に叩き込まれたオレに、そいつは一々時間を作って会いに来た。
看守長だと聞いていたが、オレに構う暇があるとは驚きだ。
――――殺人。……騎士を殺しているのか。まさに鬱蒼だな。力だけは一端の子供が、毎年のようにここへ運ばれてくる
意味の分からない話し方をする男だった。
髪も目も地味な無彩色をしていることも相まって、掴みどころの無い雰囲気をしている。
ただ、それ以上に、鎖に繋がれたオレを見下ろして喋る、上から目線の態度が癪に障った。
オレは鉄格子越しにこっちを見下ろすそいつの顔に、唾を吐きかけた。
――――無礼なヤツだな
顔面に唾を吐きかけられたにも関わらず、そいつは表情一つ変えなかった。
感情の読めない無表情のまま、色の無い瞳でこちらを見下ろしていた。
――――だが許す。子供とはそういうものだ。可愛くて聞き分けの良い年少者を子供とは呼ばない。大人が求める通りの振る舞いができる彼らは、子供ではなく大人だ。お前のように生意気なクソガキを、子供と呼ぶのだ
オレが鎖に繋がれたまま可能な最大限の侮辱を吐いたにも関わらず、そいつは怒ることも怒鳴ることもしなかった。
殴られることも覚悟の上で投げつけた侮辱だっただけに、肩透かしを食らったような気分だった。
――――私はダラス・モノトロームだ。暇があれば来る。次はお前の名前も聞かせてくれ
ダラスとの奇妙な交流は、それから始まった。
初めは何を言われてもシカトを決め込んでいたが、ダラスがめげずに顔を出すものだから、オレもいつしか口を開いた。
鉄格子を隔てて、オレ達はたくさん話をした。
――――テメェ南東部の出身だろ。あんなとこに暮らせるヤツが、オレ達のことを分かったように言うんじゃねぇよ。気色悪ぃ
――――いいや、私の出身はエルグラン本土にある魔術師の家系だ。ソルノット南東部よりも、ずっと治安は良い
――――死ね
そいつは、ここよりもずっと恵まれた場所にいたのに、こんな所まで出張ってくるような変人だった。
恵まれた環境を捨てて、こんなクソみたいな土地にやって来る傲慢さが、オレにはとにかく不快だった。
――――友人との夢だ。いつか、ソルノットを誰もが笑って暮らせる土地にする。犯罪組織なんて一つも無い。女性も子供も安心して外を出歩ける。子供は皆学校に通い、病に罹った者はだれも病院を受診できる。恐ろしいことがあれば、すぐに騎士が飛んできて助けてくれる。そんな街だ
――――ハッ、笑わせんな。テメェらは北西部の惨状を知らねぇから、そんな夢物語を語れるんだよ。一度でもこっちに来てみろ。テメェの言ったことがどれだけ馬鹿げてるか理解できるぜ
オレはダラスの夢を嗤った。
軽蔑してすらいた。
あの惨憺たる無法地帯を本気で変えられると思っているおめでたい脳味噌が、愚かに思えてならなかった。
けれど、ダラスは堂々とした口調で語るのだ。
良い歳したおっさんのくせして、子供じみた夢を語るのが、少しおかしかった。
――――おい、ダラス。あの教会に祈る時間。アレ廃止しろ。働かされるならまだしも、意味無ぇことやらされんのはクソだぜ、クソ
――――神に祈るのは意義のあることだ。敬虔な信仰を捧げることが、人間として正しい……
――――だから、神なんていねぇだろ。いんなら、オレの前に出してみろよ
――――なら、祈りではなく誓いを捧げろ。正しく生きるという自分への誓いだ。それは神への信仰に等しい
――――もっとクソだな
歳食ってるだけあって、ダラスの話は面白いことを言うヤツだった。
死ぬほど嫌いだったミサの時間も、普通に嫌いな時間くらいになった。
少しだけ、ここでの暮らしが悪くないと思えてきたのは、ダラスと話をする時間のおかげだ。
オレは少しずつ、ここを居場所だと思えるようになっていた。
そんなある日のことだ。
いつものように受刑者に課された軽作業をしていると、隣のヤツに声をかけられた。
――――聞いたぜ、バーンドット。お前も結構悪いらしいじゃねぇか
――――なんだよ。どいつも似たようなもんだろ。それとも、殺しは珍しいか?
――――いいや、殺した相手がすげぇってんだよ。この前、看守が口滑らしたぜ。お前、看守長の弟をぶっ殺したんだろ?
初耳だった。
オレが殺した騎士。それがダラスの血縁者だなんて、少しも知らなかった。
それどころか、あいつはそんな素振りを少しも見せなかった。
自分の弟を殺したヤツに、ダラスは暇を見つけては会いに来ていたというのか。
オレはすぐにダラスを問い詰めた。
――――ああ、そうだ。そういえば、言っていなかったな
――――そういえばって……! オレはお前の家族を殺してんだぞ? そんなヤツと今まで何考えて話してたんだよ!? 許せねぇとか殺してぇとか思わなかったのかよ……!?
オレに家族がいないから、分からないだけなんだろうか。
殺されても何とも思わないくらいの繋がりを、家族などと呼ぶのだろうか。
オレは何もかも分からなくて、ただ激情のままに怒鳴り散らした。
――――初めて会った時言っただろう。許す、と。子供のしたことだ。それも正しい教育を受ける機会の無かった孤児の
――――は? 意味分かんねぇ。普通何か思うだろ。子供だからって、何でも許してお咎め無しかよ
――――咎めなら受けている。お前は今も牢の中だ
――――そういうことじゃねぇだろっ!
どこまでも理性的なダラスに、オレは怒った。
何が腹立たしいのか自分でも分からなかったけれど、とにかく何かが許せなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、あらゆる感情がごちゃ混ぜになって弾けていた。
――――バーンドット。お前も大人になれば分かる。ずっと、哀れでならないんだ。家族を殺された痛みが吹き飛ぶほどに、お前達の生き様が痛ましい。悪に手を染めねば生きていけない、歪な在り方が可哀想で仕方ない。正義に殉じられた弟の方が、よっぽど幸せだったと私は感じているよ
その憐憫は、オレが知らないものだった。
悪人に対して、可哀想だなんて言うヤツがいるなんて、オレは知りもしなかった。
善人でいることが幸福で、悪人でいることが不幸だなんて、意味の分からない暴論だ。奪われる側より、奪う側の方が良いに決まっている。
そう思っていたのに――――
――――バーンドット、お前は善人だ。善人として生きられる。誰が何と言おうとだ
殺さなければ、と思ったのだ。
殺さなければ良かった。誰も殺さなければ、こんな気持ちになることは無かったのに。
ダラスに対して負い目を感じることも、ダラスの憐憫に劣等感を抱くことも、自分が不幸だと気付くこともなかった。
もう、こいつのような大人にはなれないのだと、絶望することも無かったのに。
オレは生まれて初めて、他者に対して振るった暴力を後悔した。
――――ダラス、オレは……
それから、オレは模範囚として刑期を短縮された。
未成年だったこともあり、十八歳で釈放され、そのまま看守の採用試験を受けた。
それからずっと、オレは監獄で働き続けている。
ウーズやカルシュといった同期の仲間ができて、そいつらと一緒に腕を磨いて、今では監獄最強だなんて呼ばれるようになった。
自分が正しいことをできているのか、正しい大人になれたのか。
それは二十歳になった今でも分からない。
でも、誰かから奪ってばかりだったあの頃よりは、充実した日々を送れているつもりでいる。
だから、いつか確かめたい。
オレを許した大人がいたように、誰かを許し救いたい。
そうすれば、オレも正しい大人になれたのだと、確かめられるはずだから。
大人の言う理想の子供。それって大抵大人なのです。私達は子供を子供のまま認められているでしょうか?




