第二十三話 才能開花
六年前、ヤツに言われたことを覚えている。
十四の夏、クソガキだったオレに対して、ダラスはやけに穏やかな声で言った。
――――正しく生きるんだ。法を守り、弱者を助け、隣人を愛する。一つずつで良い。誰かのためになることを積み重ねていこう
オレは「死ね」と返した。
耳が腐るような綺麗事。
オレを守れるのはオレだけだ。オレの力はオレのために使う。
それの何が間違っているというのか。
――――いつか、お前にも分かる
分かってたまるものか。
オレはオレのために生きる。
誰かの奴隷みたいな人生なんて、まっぴらごめんだ。
それを善人と呼ぶのなら、オレは悪人と罵られても構わない。
――――いいや、お前は善人だ。必ず誰かを助けずにはいられない時が来る
オレのことを知りもしないはずなのに、ダラスは訳知り顔で語った。
――――その時、後悔しないようにな
どうでも良い会話のはずなのに、何故か頭の裏にこびりついて離れない。
まだ幼かった日のオレが見た、正しい大人とやらの肖像だ。
***
監獄第四層、広間。
「出たな。バーンドット」
扉を蹴破って現れたバーンドットに対して、ロウリは不敵な笑みを見せた。
対するバーンドットの表情は真剣そのもの。鋭い三白眼で、血の海に立つロウリを睨んでいる。
「おい、新人」
バーンドットは横目に、コニアとナウリアとディセイバーの三人を確認。
低く唸るようにではあるが、声をかける。
「すぐに治癒魔術使えるやつが来る。ここで待ってろ」
バーンドットは第四層に到着する前に、第二層のウーズらと合流。
看守の多くが集まっているであろう第四層広間への移動を指示していた。
「こいつはオレがやる」
バーンドットは背中に装備した鞘から、二本の剣を抜く。
構えるは二刀流。片刃の二刀が鈍く煌めいた。
「見ねえ間にグレたな。ロウリ」
「バーンドットは変わらないね」
鋭い瞳でロウリを睨むバーンドット。
一見して、その目は敵を見据える者のそれにしか見えない。
この場に、ウーズやカルシュといった同期、あるいはダラス看守長がいれば気付いただろうか。
バーンドットの瞳に宿った、微かな哀の色に。
「かかってこい。教育し直してやる」
バーンドットの宣戦布告。
それに先んじて、ロウリは駆け出していた。
取り回すは、先刻構築した棍棒。
赤黒い暴力の結晶は、ロウリの手の中で踊り、空を切って唸りを上げる。
頭部に振り下ろす一撃を以て、ロウリは開戦の合図とした。
「……やば」
ロウリが振り下ろした棍棒。
棘の付いた直方体のような先端部は、バーンドットが頭上にかざした剣の一本に受け止められていた。
両手で思い切り振り下ろした棍棒を、片手で軽々と受け止める。
腕力の差を示すには、これ以上無い場面だった。
「らしくねぇ武器使いやがって……」
バーンドットがロウリの棍棒を受け止めたのは左の剣。
ロウリは棍棒で剣を押し込んだまま、バーンドットの左方へとステップを踏み、右の剣による反撃を受けにくい場所へと移動する。
「そんなんで勝てるとでも思ってんのかぁ! あ゛あ゛ぁ!」
怒号と共に、バーンドットが放つは蹴り。
フィジカルの強さに任せた一撃で、ロウリを大きく蹴飛ばす。
吹っ飛ばされたロウリは、広間の壁へと激突。
壁に背を当てた状態で、追撃へと走るバーンドットと対面する。
「ナメてんじゃねぇぞクソガキィ!」
「ガラ悪すぎ……」
バーンドットの口の悪さに辟易としつつ、ロウリは新たに武器を創出。
作り出した鎖鎌でバーンドットが振り下ろす剣を受けた。
鎌の部分で二本の剣を受けると同時、鎖で刀身を絡め取る。
ロウリは一瞬の攻防で、バーンドットの得物を封じて見せた。
(武器は封じた。このまま、足技か何かで――――)
バーンドットの武器を一時的に抑えつつ、戦闘計画を練るロウリ。
しかし、思考を断ち切るほどに強烈な圧迫感に、思わず現実に引き戻される。
鎖鎌に剣二本をロックされつつも、バーンドットは尋常ならざる腕力で、剣を押し込んでくる。
彼女の両足が床を蹴る。壁に背を当てた状態のロウリには、バーンドットのパワーが直に伝わる。
ピシ、と背中越しに音が聞こえた。
「嘘でしょ」
スウェードバーク刑務所の壁は、異常なまでに硬い。
脱獄防止のために極限まで硬度を高められた鋼鉄の壁は、人間の力で破ることはおおよそ不可能。
シャルナの超火力で溶かす程度しか、ロウリも監獄の壁を破る方法を知らない。
超硬度の鉄壁に、ヒビが入る。
ロウリがその異常事態に息を呑んだ直後には、壁を突き破って廊下に放り出されていた。
「嘘もクソもあるかオラァ!」
ロウリと鍔迫り合う圧力で、そのまま壁を粉砕したバーンドット。
その拍子に剣を絡め取っていた鎖は解け、自由を取り戻した二刀が、彼女の手には戻っていた。
(本当に突き破るなんて。フィジカルの強さが尋常じゃない。力比べになったら勝ち目無いな)
壁を突き破って出た廊下。
十数歩の距離を置いて、ロウリはバーンドットと向き合う。
ロウリは先の攻防でボロボロになった鎖鎌を手放し、新たに蛇腹剣を構築。
(上手く間合いを取って隙を狙う。こっちの攻撃は擦りでもすれば致命傷。つけ入る隙はあるはず――――)
刃渡り十二メートルの刃は、鞭のようにしなる殺意の具現化。
ロウリは振り回す蛇腹剣で広範囲を薙ぎ払い、バーンドットを牽制する。
バーンドットは軽く飛び退いて距離を保ち、ロウリの蛇腹剣から逃れる。
トンッ、トンッ、と床を叩く足音。
間合いを測るようにステップを踏むバーンドットは、鋭い瞳でロウリを観察していた。
次の瞬間、バーンドットの躰が跳ねる。
床を蹴り出して飛び出した肉体は、蛇腹剣の合間を縫って飛来する。
左右から迫る赤黒い刃を二本の剣で防ぎつつ、バーンドットは一気にロウリの懐に飛び込んでいく。
「……ッ!」
擦れ合う刃が立てる火花。
金属音と共に迫るバーンドットを前に、ロウリは蛇腹剣での撃墜は不可能と判断。
蛇腹剣を手放しつつ後方へ跳び、盾を生成してバーンドットの攻撃に備える。
「っらぁアア――――ッ!」
咆哮と共に打ち込まれた斬撃。
二本の剣を同時に叩きつけるような荒っぽい剣技は、バーンドットが独学で編み出したもの。
斬撃というよりは、斬撃の性質を孕んだ衝撃。
対象を抉りつつ重い衝撃で吹き飛ばす、シンプルかつ強力な絶技。
二つの刃で抉られた痕が、食い散らかされたように見えることから、蟻噛という名の付いた技だ。
衝突の際に弾ける火花。盾が半壊する音を聞きながら、ロウリは吹っ飛ばされた。
鉄製の床を何度もバウンドし、蹴飛ばされたボールのように廊下を転がる。
何とか体勢を立て直したロウリの両腕からは、血が流れていた。
(斬撃が盾を貫通してきた。盾の構築が間に合ってなかったら、両腕が吹っ飛んでたな)
裂傷を負いつつ、立ち上がったロウリ。
その灰色の瞳に映るは、焦色の髪をした狂戦士。
二本の剣を携えて迫り来る姿は、怒り狂った鬼神を思わせる。
「投降しろ、ロウリ。お前じゃオレには勝てねえよ」
バーンドットの声が聞こえる。
彼女の言葉に間違いは無い。
ロウリとバーンドットの間にある実力差は明白。
今のロウリでは、バーンドットに対して勝機は無い。
「お前まだ未成年だろ。死刑にはなんねぇ。……まだやり直せる。ここでオレらが面倒見てやる。武器を捨てて、こっちに来い」
それは彼女なりの善意だった。
バーンドットからすれば、ロウリはまだ子供だ。
子供が犯した間違いに、未熟な彼女の過ちに、死を代償とするのは残酷だ。
何より、彼女は知っている。
子供であるというだけで、無条件で手を差し伸べるのが、大人であるということを。
「逆だよ。バーンドット」
ロウリが静かに返答する。
一見して落ち着いた口調の裏には、静謐な狂気が滲んでいる。
「今、やり直してる最中なんだ。今になってやっと、私は私の人生を生きてるんだよ。また元の場所に戻るなんて、私にはきっと耐えられない」
バーンドットが一歩たじろいだ。
それはロウリの放つ不気味なプレッシャーに当てられたが故の反応。
目の前に立つ黒髪の少女。彼岸花のような令嬢は、両腕から血を垂らし、灰色の目でバーンドットを見つめている。
「もう、私は私じゃないんだ」
瞬間、ロウリが構築した赤黒い鎖。
刹那の間に放られたそれは、バーンドットの胴体に巻き付く。
(早ぇ。さっきよりもキレが増してやがる)
先刻よりも、魔術の発動速度を増したロウリ。
バーンドットの反応速度すら上回り、鎖で彼女の体を絡め取る。
そして、そのまま鎖をぶん回し、拘束したバーンドットを手近な扉へと叩きつける。
扉を突き破って、渡り廊下へと投げ出されたバーンドット。
鎖から解放された彼女は、二刀を構え直し、先程突き破った扉の方へと向き直る。
その視線の先には、モーニングスターを携えたロウリが立っていた。
「殺すよ、バーンドット」
十八年の時を経て、ようやくそれは花開く。
まるで、遅咲きの彼岸花のように。
ロウリ・ゴートウィストという才能が開花しようとしていた。
バーンドットは今年で二十歳。ロウリの二歳年上です




