第二十一話 壊れない
スウェードバーク刑務所、裁判所から中央塔への直通路。
中央塔への薄暗い通路を駆け抜けるシャルナの前には、ダラス看守長が立ち塞がっていた。
「反射できるっつーんならよぉ……」
立ちはだかる無彩色の男に、青色の竜人は身一つで突っ込んでいく。
振りかぶるは右の拳。
竜人の身体能力を以てすれば、ダラスへの間合いなど些末に過ぎる。
「直接殴るだけだよなァ!」
ほんの数秒で距離を詰めたシャルナは、ダラスに右の拳を叩き込む。
狙うは顔面。
その鼻をへし折るつもりで放った拳だったが、ダラスは魔術で応戦。
シャルナとの間に割り込ませたのは、木の根にも似た構造物。
形状こそは樹木のようだが、その色彩は人工物じみている。白と黒の二色を組み合わせた幾何学模様は、自然とはかけ離れた色をしていた。
モノクロの根で防御を試みるダラス。
それすらも叩き割る勢いで、シャルナの右腕が唸った。
その直後――――
「は?」
シャルナは知らない場所にいた。
ここがどこか、という疑問を解消するよりも早く、シャルナの視界には武器を振りかぶった看守が飛び込んでくる。
条件反射で躱したシャルナ。
返す拳で看守の頭部を粉砕する。
(なんだなんだ? どこだよ、ここ? 意味分かんねー)
シャルナは辺りを見渡して、状況を確認する。
そこはどこかの一室。鉄製の床や天井から、監獄であると推測できるが、具体的な場所は考えようがない。
前方には武器を携えた看守が三人。
明らかに、シャルナを待ち構えている様子だった。
「ま、全員ぶっ殺せば済む話か」
普通であれば、自身を襲った不可思議な現象について思考を巡らせるところ。
しかし、シャルナは未知を恐れない。
知る必要も、理解する必要も無い。
機械の構造なんて分からなくても、機械を叩き壊すのに必要なのは純粋な破壊力だけだ。
思考を切り替えたシャルナが、前方の看守へ襲いかかろうとした時だ。
今度はシャルナの目の前で、看守達が一斉に消え失せた。
「んん?」
まるで神隠し。
突如として姿を消した看守達に、シャルナは首を傾げる。
部屋に一人だけ取り残されたシャルナは、自室をうろつくかのような軽い足取りで、室内を見て回る。
まず目に入ったのは、そこら中に張り巡らされた白黒の木の根。先程、ダラスがシャルナの拳を防御するのに使ったのと同質のものだ。
シャルナは根を軽く叩いてみるが、これといった変化は見受けられない。
(ワープってことか? この根みたいなのに触ればどっかにワープする。さっきは私がこの部屋までワープさせられてきて、ここにいた看守はワープでどっかに逃げた。上手く使えば、さっきの反射にも説明がつくか?)
部屋を歩いて回りながら、シャルナはダラスの魔術について考察する。
他の部屋に瞬間移動させられた自分の状況と唐突に消えた看守達から、シャルナは彼の魔術をワープと推測。
無機質な白黒の根が生い茂る部屋を探索しつつ、思考を重ねていく。
(いや、反射がワープの応用だってんなら、この部屋に看守を配置してた意味が分かんねー。他ん所から魔術自体をワープさせて撃ち放題だろ。一々、危険な近接戦闘をさせた意味があんのか?)
シャルナが初めに辿り着いたのは、ダラスの戦略上の矛盾。
シャルナを特定の部屋にワープさせ、そこを予め待ち伏せしていた看守が叩く。
一見合理的な作戦に見えるが、看守がシャルナと直接武器を交える危険性がある。
そんな待ち伏せ作戦よりも、無人の部屋にシャルナをワープさせてから、その部屋にワープを通して魔術を一方的に撃ち込んだ方が安全で確実だ。
初手でシャルナの蒼炎を反射したのが、ワープの応用であるならば、その手を取らない理由は無い。
(反射とワープは別の魔術……そもそも、反射はともかく、ワープは直通路で会ったおっさんの魔術とも限らねーか。あの時、私のパンチを防いだのは他のヤツの援護……あー、頭痛くなってきた)
思考を巡らせつつ、シャルナは部屋の扉を開ける。
扉の先は廊下。前後を見渡してみるが、人影は無い。
この場所を監獄内のどこかであると推測したシャルナであるが、廊下に出ても牢屋や収監されている囚人の姿は見当たらない。
無人の廊下。床や壁の材質は監獄らしい鉄。廊下全体を覆い尽くすかのように、無彩色の根があたりに張り巡らされていた。
窓や扉も取り付けられていたようだが、白黒の根によって封がされている。
無骨な鉄と根の白黒だけで構成された世界には、息の詰まるような閉塞感が満ちていた。
瞬間、トンと背後で音がした。
「――――!」
シャルナが振り向く。
遥か遠く、廊下の突き当りに見えるのは、杖を構えた看守が五人。
シャルナが彼らは知覚した時には、五属性の魔術が放たれていた。
火、水、雷、風、土。それぞれの攻撃魔術が、足並みを揃えてシャルナへと襲いかかる。
「おいおい、ナメてんのか?」
爬虫類の瞳孔を思わせる彼女の瞳。
その視界に映る攻撃魔術は、ひどく鈍足。
鈍い魔術の群れを躱しつつ、シャルナは廊下を一息に駆け抜ける。
そして、看守の一人に拳を叩き込もうとした瞬間――――
「……チッ、またかよ」
看守が消える。
シャルナの拳は空を切り、背後にあった無彩色の根を殴る。
(今ワープさせてきたのは魔術師。やっぱ魔術そのものをワープはさせられないっぽいな。この根っこみたいのを経由してんのか? 私もこいつに触った途端、ワープさせられたよな。さっき触った時は何も無かった。なんか発動条件でもあんのか? そもそも、術者はどこにいんだ?)
少しずつ、シャルナの中にピースが揃っていく。
しかし、戦闘の中から見つけたピースが実を結ぶような気配は無い。
絶対に合うはずのない計算問題を、延々と解かされているような感覚。
「あー、かったりー。もう全部蒼炎でぶっ飛ばせば――――」
言ってから、気付く。
何故、そうしなかったのか。
ワープを使ってヒットアンドアウェイに徹する敵に対して、どうして圧倒的な火力で焼き払おうとしなかったのか。
理由はダラスが初動で見せた蒼炎の反射。
そこから、自らの火力を自分へと反射させられることを警戒し、シャルナは身体能力に任せた近接戦闘に舵を切った。
舵を切らされた。
「ああ、そうだ。誰かの思い通りなんて、ガラじゃねぇよなァ」
誰もいない廊下。
竜人は微かに笑う。
静かに合わせた両手には、青い火が灯っていた。
***
ダラス・モノトローム。
彼がスウェードバーク刑務所の看守長に抜擢された最大の所以は、彼が使う特異な魔術にある。
ダラスは無彩の根と呼ばれる構造物を生成することで、根を通した物質や魔力の輸送を可能とする。
予め根で繋いでおいた場所ならば、人や物資を一瞬で移動させることができるのだ。
ダラスは監獄中央塔の一階から最上階まで無彩の根を張り巡らせ、味方のみ使用可能な高速移動手段を確保し、シャルナへ組織戦闘を挑んでいた。
無彩の根によって即時撤退が可能な戦力を送り込み、ヒットアンドアウェイに徹する。
シャルナとの正面戦闘は避けつつ、時間と人数をかけて疲労とダメージを蓄積させていく。
「フォイル」
監獄最上階、ダラスは静かに呼びかけた。
それは階下で膨れ上がる爆発的な魔力を探知したため。
熱い、燃え上がるような魔力だった。
「私が出ますよ。一撃くらいは入れて見せます」
「誰が出るも何もない。こうなれば、山火事のように凄惨な耐久戦だ」
無彩の根は本来、魔術そのものを輸送が不可能とされている。
放った魔術を無彩の根を通じて、離れた場所に届けるということはできないのだ。
理由は無彩の根が持つ輸送の構造にある。
無彩の根が行っているのは、瞬間移動ではなく高速輸送。魔力や物質を変換圧縮し、無彩の根の内部を移動させている。
攻撃魔術をその中に通そうものなら、その威力に耐え切れず、無彩の根が内部から崩壊してしまう。
ダラスが直通路で行った蒼炎の反射は、無彩の根の強度をダラス本人が直接強化した上で、輸送距離を最短に抑えることで成立した力技である。
「初手で反射をチラつかせたはずだが、思ったより早く使ってきたな。ダラダラやらせてくれる気は無いらしい」
ダラスが蒼炎の反射という力技をシャルナに見せたのは、彼女に蒼炎の使用を躊躇わせるため。
無彩の根を利用したヒットアンドアウェイを根本から破壊する超火力に、せめてもの心理的負荷をかけるため。
中央塔の地形そのものを破壊してしまえば、無彩の根による高速輸送は意味を為さない。
どこに移動できたとしても、逃げ場の無い炎に覆われてしまえば、何の意味も無いのだから。
シャルナが大規模な蒼炎の放出に踏み切った場合、彼女が中央塔を完全に更地に返してしまう前に、全戦力を以て特攻を仕掛ける他無い。
中央塔という構造物の無い平地で、シャルナの火力に為す術が無いことはローストンの敗戦が証明している。
「何故、こうなるんだろうな」
これから、多くの看守が死ぬだろう。
シャルナの体力を少しでも削るために、シャルナから一分一秒を稼ぐために、夥しい数の命がゴミのように燃やされるのだろう。
シャルナ・エイジブルーという絶対的な個の前に、この監獄に集った罪の無い命が蹂躙されるのだ。
「ここにいる看守達は、確かに特別な人間ではない。連邦騎士団のような高みには上れなかった、凡人の集まりだろう。だが、それでも皆が積み上げてきた。このどうしようもない土地を正そうと、一つずつ正義と善を重ねてきた。その結晶がこの監獄なのだ」
正しさとは常に多勢だ。
多くの人に利するための行いこそが、正義と呼ばれて称えられる。
多くの凡人が、たくさんの一般人達が、互いを助けようと、多くの人を助けようと、積み上げた巡礼を正義と呼ぶのだ。
積み上げるのは難しく、守り続けるのは長く苦しい。
簡単に壊れてしまいそうな法と秩序を、ここにいる全員で守り続けてきた。
その高く尊い積み重ねを――――
「どうして、壊されなければならないんだろうな」
突き抜けた個人はいとも容易く壊してみせる。
いつの時代もきっとそう。
十人で築こうとした正義を、百人で守ろうとした秩序を、千人で叶えようとした理想を、一人の悪人が壊すのだ。
「壊れませんよ、きっと」
フォイルが優しい声音で返す。
「ああ、そうだな」
ダラスもまた、静かに返した。
フォイルは既に無彩の根に触れていた。
「きっと、誰かが……」
フォイルが階下の戦場に輸送され、彼一人になった中央塔最上階。
無彩色の男は儚く呟く。
誰に聞かせるわけでもなく、強いて言うならば、死にゆく看守達への餞に。
正しさとは常に多勢。逆に悪とは突出した個だと思うのです




