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君の不在証明  作者: 讀茸
第一章 日々の終わり
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第二話 呪術の天才であるということ

 ロウリが父親の説教から解放されるまで、実に二時間の時を要した。

 人の怒りは六秒でピークが過ぎると言うが、先刻までの父の怒りようを見た後では、いつか聞いたその雑学にも懐疑的にならざるを得ない。


(本当に何言ってるか分からなかった。音は聞こえてるのに、言葉の意味が分からない。外国語で喋られてるみたいな感覚。急に父さんが外国語を使い始めるわけないし、あれは一体……?)


 屋敷の廊下を歩きながら、ロウリは先程の現象を思い起こす。

 ロウリに対して激昂した父は、大声で彼女を怒鳴りつけた。

 怒鳴りつけられている、ということはロウリ自身にも理解できたのだが、肝心の内容が全く理解できないのだ。

 聞こえていないわけではない。音声は届いているのに、言語の内容だけが分からない。そんな不思議な体験だった。

 思索に耽りながら歩くロウリ。

 ゴートウィスト家の屋敷は装飾が少なく、見栄えとしては相当地味だ。壁や天井はほとんど灰色の石材。外装は最低限の装飾が為されているが、内装に関しては本当に遊びが無い。

 廊下も清潔には保たれているものの、窓も柱もかなり年季が入っており、全体的に地味な色遣いも相まって、貴族の屋敷というより戦地の砦に似た雰囲気を醸し出す。

 そんな殺風景な屋敷の廊下。

 ロウリの視界に入ったのは、少し早足で廊下を歩く少年の姿だった。


「あ、ロウリさん! こんにちは!」


 元気に挨拶する少年。

 簡素な白衣を着用しているが、医者や学者が着ているような丈の長いものではなく、丈の短い、どちらかというと看護師を想起させるデザインのもの。

 彼の幼げな顔立ちも相まって、見習い看護学生という印象を受ける。


「こんにちは、リュセル君」


 リュセル・ボロッチ。

 ゴートウィスト家の医療班に所属する彼は、ロウリともいくらか交流のある人物だった。

 童顔のリュセルと大人びた雰囲気のあるロウリ。年齢差があるように見られがちだが、歳は互いに十八歳。同い年である。

 ゴートウィスト家で数少ない同年代ということで、何度か話したことのある間柄だ。

 だが、あくまで数回話したことがある程度。

 ゴートウィスト家の次期当主であるロウリと医療班の一メンバーに過ぎないリュセルでは、あまりに立場が違う。親交を育む機会はそう多くなかった。


(リュセル君の言ってることは分かる)


 先刻ロウリを襲った謎の現象だが、リュセルとの会話においては起こらない。

 通常通り、ロウリはリュセルの発する言葉の内容を理解できていた。


(たしか、リュセル君は医療班。もしかしたら、何か知ってるかも)


 幼少の頃から魔術の才に恵まれたロウリは、その一点を伸ばす方向で育てられた。

 それ故に、あるいは彼女の本質的な性質故に、ロウリは医学や教会の魔術といった、人を癒す技術は不得手であった。


「ねえ、リュセル君――――」


 ロウリはリュセルに自らを襲った言語異常について語った。

 真剣な顔でロウリの話を聞いていたリュセル。

 ロウリが一通り語り終えると、彼は神妙な面持ちで口を開いた。


「そうですね。あまり聞いたことのない症例ですけど……やっぱり、考えられるのはストレスだと思います。当主様を責める意思は無いんですが、その、そういった環境ですと、ロウリさんの心身に影響が出たんじゃないかと……」


 話の途中、リュセルは気まずそうに言葉を濁す。

 それだけで、彼の言わんとすることをロウリは理解した。


「私の身体が父さんの言葉を拒否した」

「……はい。あくまで推測です。その辺りはちゃんと調べてみないことには、何とも言えないので……」


 リュセルはあくまで推測と言うが、その説明はロウリの中で腑に落ちた。

 あの男の声など聞きたくないと願ったのは、他でもないロウリ自身だったから。


「ありがとう。相談乗ってくれて」


 謝礼だけを述べて、ロウリは歩き出す。

 廊下の角に消えかけたその背中に声をかけたのは、不安げな目をしたリュセルだった。


「あのっ」


 ロウリの足が止まる。

 立ち止まり、リュセルに視線だけを寄越すロウリ。

 幽鬼のような雰囲気を纏って、灰色の瞳でこちらを見据えるロウリに、リュセルは仄暗い何かを感じた。

 微かに赤みを帯びた彼女の黒髪。長く伸びる艶やかな髪が、隙間風にふわりと揺られる。

 まるで、生と死の狭間に立つ死神のよう。見惚れるほどに美しいその姿に、どこか猟奇的な危うさが垣間見える。


「今日治療した人……異様に傷の治りが悪かったんです。傷の規模に対して出血量も多かったし、治癒魔術で傷が塞がるまでの時間も通常の五倍近くかかって……普通の鋼鉄魔術で殴ったにしては、何か変で。まるで、呪われてるみたいに――――」


 瞬間、リュセルは自分の身が竦むのを感じた。

 廊下の角に立つロウリが放つ視線の鋭さに、全身が恐怖を訴えている。

 灰色の瞳に射抜かれたリュセルは、背筋を撫でる冷や汗を感じながら、ロウリの方を見続けていた。

 すると、ロウリは不意に頬を緩め、お手本のような笑顔を見せた。


「そうなんだ。教えてくれてありがとう」


 その笑った顔が、能面ような貌が、リュセルの目にはひどく不気味に映った。

 埃を被った人形のように、ロウリは温度の無い笑顔を浮かべている。

 薄暗い廊下に、彼女の白い顔が浮かび上がるよう。赤みを帯びた黒の髪は、廊下の薄闇に溶けていくみたいだ。


「あ、はい……」


 リュセルがたどたどしく返すと、今度こそロウリは廊下の奥に消えた。

 その姿を見送ったリュセルは、すぅーっと体の力が抜けていくのを感じる。

 一分にも満たないロウリとの会話。たったそれだけで、リュセルは死線をくぐり抜けたような感覚を覚えた。


「どうしたんだろ、ロウリさん……」


 リュセルは額の汗を拭った。


     ***


 ロウリ・ゴートウィスト。

 ゴートウィスト家の跡継ぎとして生まれた、絵に描いたような理想の才女。

 魔術、武芸、学問。あらゆる分野で才能を発揮する彼女を、誰もが天才と称える。

 だが、真の意味で彼女の才を理解しているのは、他でもないロウリただ一人。

 ただ一人、彼女自身だけが知っている。

 ロウリ・ゴートウィストは呪術の天才であると知っている。


     ***


 時は遡る。

 まだ、ロウリが幼い子供だった頃。

 そして、彼らがまだ家族という形を保っていた頃。


 ――――何をしている!? ロウリ!


 屋敷の庭、父の怒号が響く。

 庭の芝生を染めるは赤。地面に倒れ伏す衛兵の腹から流れ出る、淀みの無い赤色である。


 ――――え。だって、殺すつもりで打ち込んで良いって……


 それは、不幸な事故。

 幼くして戦闘訓練を課されたロウリ。相手は熟練の衛兵。ゴートウィスト家当主であるロウリの父が、最も信を置いていた部下でもある。

 ロウリの攻撃魔術が衛兵の腹を抉るなど、誰も想像していなかった。

 子供がどれだけ足掻いた所で、衛兵には軽くあしらわれるのが精々だと。


 ――――おい! 大丈夫か!? 私の声が聞こえるか!? 医療班! 早く手当てを!


 呆然と立ち尽くすロウリの前で、大人達が慌ただしく駆け回る。

 医療班は必死に衛兵の手当てを急ぐが、出血が一向に収まらない。


 ――――何故だ!? 何故血が止まらん!?

 ――――分かりません! 

 ――――とにかく急げ! 何としてでも助けるんだ!


 誰も彼もが必死だった。

 ロウリよりも遥かに背の高い大人達が、必死になって衛兵の延命行為に努めていた。

 それでも、傷は塞がらない。血は止まらない。医療班の健闘虚しく、衛兵の体温が失われていく。


 ――――なんだ!? 一体なんなんだ!? どうしてこんなことになった!?

 ――――分かりません! 治癒魔術がここまで効かないなんて、呪われているとしか……


 その瞬間、振り返った父とロウリは目が合った。

 血走った父の瞳が、強く鋭くロウリを睨んでいた。


 ――――何をした! ロウリ!

 ――――わ、私はっ、打ち込んで良いって言われたから……

 ――――言え! 何をしたんだ! お前は私の部下に何をしたんだ!?


 大声でまくし立てられ、ロウリは頭が真っ白になった。

 ただでさえ幼かったロウリに、緊急時に冷静な受け答えができるはずがなかった。

 何も言えず、何も答えられず、ただ父の罵声じみた怒号だけが襲い来る。

 医療班の人間に止められるまで父はロウリを問い詰め続け、ロウリは言葉の暴力に耐え続けた。

 医療班の懸命な治療行為の結果、衛兵は一命を取り留めた。

 効果があったのは解呪の魔術。呪いを解くための教会の魔術が、衛兵の命を救った。

 その事実が指し示すのは一つの現実。ロウリが衛兵に向けて放ったのは、呪術であるという現実だった。


 ――――ロウリ!


 その日の夜、ロウリは初めて父に殴られた。


 ――――お前っ……! お前は自分が何をしたか分かってるのか!?


 それは狭い書斎の中で行われる、小さな地獄だった。

 拳が頬に打ちつけられる度、吹っ飛ばされて床を転がる度、ロウリの体と心を激痛が襲った。


 ――――呪術を扱うなど……! あれがどれだけおぞましいモノか分かっているのか!? 軽々しく手を出して良いものではないんだ! 呪術が大陸でどれだけの人の命を奪ってきたか知っているのか! それが! お前に! 分かっているのか!


 ロウリの脳を満たしていたのは、痛みと不可解。

 ロウリには分からなかった。何故、自分が責められているのか、殴られているのか。

 自分のどこに非があったのか、ただひたすらに不可解だった。


 ――――だって、できると思ったから。衛兵さんも、殺す気で打って来て良いって、言ってたから……

 ――――言い訳をするな!


 ロウリの声は届かなかった。

 子供の理論は大人の激情の前に掻き消される。


 ――――どんな状況であれ、お前は人を傷付けたんだぞ! それなのに、どうして自分勝手な言い訳を並べられる!? どうして、我が身可愛さの欺瞞を垂れ流せる!?


 子にとって、親の言葉は絶対だ。世界に生まれて間も無い子供にとって、大人だけが世界を教えてくれる存在なのだ。

 だから、ロウリも大人の言葉を信じた。信じる以外の選択肢を持たなかった。

 きっと自分が間違っているのだろう。父が、大人が言うのだから、きっと私が悪いのだろうと。

 そう、自己を定義する他に無かったのだ。


 それから、ロウリは絵に描いたような善人として振舞うようになる。

 あらゆる分野で才能を発揮しながらも、それを驕ることない善性の持ち主。

 そんな仮面を被って生きるようになる。

 だが、今も仮面の下には隠されている。

 ロウリ自身が「悪」と定義して押し留めた、本当のロウリ・ゴートウィストが。

 自分の力を認められたいという欲求が。

 自身が持てる最大の才能を、誰に阻まれることもなく振りかざし、その力を存分に味わいたいという欲求が、仮面の下に眠っているのだ。


自分のフルパワーを発揮できないって、意外とストレスなのかもしれません

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